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2015年6月26日 (金)

シューベルト 交響曲第9番「ザ・グレート」 アバド指揮

Azumayamatop_1

ここは、わたくしのもっとも好きな場所。

自分が育った町と海を見下ろせる小高い山の上です。
 

どこまでも澄んだ青空、高い空、緑。

気持ちも、心も、飛翔するような気持ちになります。

あの高みに昇っていった、敬愛やまないクラウディオ・アバドの誕生日が6月26日です。

  シューベルト 交響曲第9番 ハ長調 D944

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

              (2011.9.19~25 ボローニャ、ボルツァーノ)


アバドの新譜が、こうして出てくることが、いつも通りに感じる。

マエストロからの、素敵な贈り物のように。

そして、いつも、アバドの新譜が出ると、喜々として手にして、封を開けるのももどかしく、そして、でも慎重にターンテーブルや、トレイに、ディスクを置いて、ワクワクしながら、その音を待ち受けてきた。
そんなことを繰り返しながら、もう45年も経ってしまった。

そして、つい先ごろ登場した、シューベルトの大交響曲。

2011年、いまから4年前のライブ録音で、若き手兵、オーケストラ・モーツァルトの本拠地ボローニャと、ボローニャから北へ220kmほどのボルツァーノという街、その2か所での演奏会のライブ録音です。
このときに、それぞれ演奏されたのが、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番と第27番で、ピアノは、ジョアオ・ピリスです。
そう、もうすでにCDになってるあの名盤です。

ボルツァーノについて気になったので調べてみました。

Bozen

オーストリア・アルプスを背に、国境も近く、地図で見ると、インスブルックやミュンヘンもそんなに遠くなく感じます。
アバドの生まれたミラノよりも北。
そして、このボルツァーノから、西へスイス国境を超えて向かえば、クラウディオが永久に眠る場所ということになります。
 アバドは、晩年は、ボローニャから北、このあたりからスイスにかけてを、ずっと愛していたのですね。
 イタリアは、日本と同じく、南北に長い国。
同じ国でも、北と南では、その気質も全然違う。
そんなことを、こうした地図を眺めてみて、よくわかることです。
 そう、アバドとムーティの違いなんかもね。

いつか、このあたりを旅してみたいものです。

Abbado_3

こんな美しい青空のとおりに、けがれなく、澄みきった透明感にあふれたシューベルト。

アバドの行きついた高みは、まるで無為の境地にあるようで、何もそこにはないように感じ、あるのは、音楽だけ。
シューベルトその人の顔すら思い浮かばせることもない。

どこまでも自然そのもので、音楽を愛し抜き、全霊を込めて信じたアバドの、いわば、なにごともなさざる指揮に、若いピュアな演奏家たちが、心を無にして従っただけ。

ただひとつ、晩年のアバドの様式として、古典ものは、ヴィブラートを抑えめに、表情もつつましやかに演奏することが多く、ここでも、弦楽器は、滔々と歌うというよりは、きめ細やかに緻密な歌い回しが目立ちます。
特に、第2楽章では、ヴィブラート少なめの弦が綾なす、繊細かつ敏感な音色が、静謐な響きと雰囲気を出していて、その得もいわれぬ場面に、わたくしは、涙ぐんでしまうのでした。

全楽章、繰り返しをしっかり行っていて、全曲で62分54秒。

堂々と、ロマン派交響曲として演奏される典型の第1楽章も、楚々たる様相で、足取りは着実かつ静か。
オーケストラのバランスも美しく、各楽器のやりとりが透けて見えるようで、聴いていて、いろんな発見があったりします。

リズム感は、さすがと思わせる3楽章。
伸びやかなトリオの大らかさは、アバドの笑顔が思い浮かびます。

そして、通常、大オーケストラでは、晴れやかかつ、歓喜にあふれた4楽章を描きだし、大団円としてのフィナーレとなります。
しかし、このアバドの指揮では、そんな風には聴こえず、ここでも淡々と、スコアをあるがままに鳴らし、そして室内オーケストラとしての機能性を活かし、響きは、どこまでも、緻密かつ透明です。
ふだん、大きなオーケストラでの演奏に聴きなれている方は、この終楽章には、もしかしたら、肩すかしをくらうかもしれません。
柔らかく、優しい眼差しと、微笑みでもって包まれるような、そんなアバドのシューベルトのフィナーレでした・・・・・。
 ここで、また涙が出てしまいました。

アバドには、もうひとつの正規録音、1987年のヨーロッパ室内管弦楽団との全集録音のものがあります。
こちらは、新シューベルト全集が、この曲までは、まだ刊行されていない年代だったので、アバドは、自筆譜と出版譜との照合を、当時のこのオーケストラ団員だったステファーノ・モッロと共同で行い、新たな解釈を施しました。
 結果、とくに、第2楽章では、オーボエの旋律が、いままで聴いたことのないフレーズになっていたり、強弱が、目新しいものになったりと、新鮮だけど、何度も聴くには、ちょっとスタンダードじゃないな、的な演奏になってました。
 ここでの演奏は、キビキビとしていて、大胆な表現意欲にもあふれ、シューベルトへの愛情を思いきり表出したような活気と歌心にあふれたものです。

しかし、1991年、ECOと来日してシューベルト・チクルスを行ったとき、わたくしは、この曲を聴きましたが、それは、その改訂版ではなく、従来の版での演奏で、すごく安心し、かつ颯爽とした名演に酔いしれたものでした。

それともうひとつ、FM録音の自家製CDRで、88年のウィーンフィルとの演奏もあります。
こちらは、ムジークフェラインにおけるウィーンフィルの丸っこい響きが全面に押し出された、ウィーンのシューベルトという感じで、さらにライブで燃えるアバドならでは。
すごい推進力と、とてつもないエネルギーを感じます。
これはこれで、あの次期の充実しきったアバドらしい名演です。
これも正規盤にならないかな。。。

次のアバドの新譜は、なにが出てくるかな・・・・・

アバドの誕生日に。

 アバド誕生日 過去記事一覧

2006「チャイコフスキー ロメオとジュリエット、スクリャービン 法悦の詩」 

2007「ワーグナー ベルリン・ジルヴェスター・コンサート」

2008「ドビュッシー ペレアスとメリザンド組曲」

2009「マーラー 交響曲第1番<巨人> CSO」

2010「ブラームス 交響曲全集 1回目」

2011「シェーンベルク グレの歌」

2012「R・シュトラウス エレクトラ」

2013「ワーグナー&ヴェルディ」

2014「マーラー 交響曲第2番<復活> 3種」

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コメント

yokochanさん、こんなにすてきな記事を書いてくださり本当にありがとうございました。またまた涙が止まりません。
この写真の青空に、あの微笑みを浮かべたクラウディオの顔が見えます。永遠に苦しみから解放されたクラウディオが楽しそうに大空をスイスイ泳いでいます。
私はこのブログを開く前に、シューベルトのミサ曲を聴き始めました。なんとなくクラウディオのシューベルトが聴きたくなったのです。おっしゃるとおり「柔らかく、優しい眼差しと、微笑みでもって包まれる・・・・・・」シューベルトです。そう、クラウディオは
真のヒューマニストでしたね。彼ほどの人物は今も、将来も現れないと思います。あらためて心から合掌。

投稿: soko | 2015年6月27日 (土) 10時22分

sokoさん、こんにちは。
いつもお世話になります。

めぐってまいりましたね、クラウディオの誕生日。
6月の梅雨の季節なのですが、毎年、ここで扱う写真は、5月の五月晴れの青空のものが多いです。
日本の、じめじめの梅雨が、もっとも似合わない、クラウディオの音楽に、生き様ですからね。

そして、シューベルトですね。
期せずして、ミサ曲をお聴きだったよし。
あぁ、そうですね、あの演奏も、そして音楽も、最高にステキですね。
CDも、映像も、どちらも、アバドならではのあたたかな演奏でした。
いつか、ミラノから北方面、クラウディオ仲間で、きっと行きたいですね!!

投稿: yokochan | 2015年6月29日 (月) 00時05分

yokochanさん

 アバドとヨーロッパ室内管の演奏は、とても興味深く聴きました。私が一番好きな第2楽章がアバドらによる「原典復元」されていて、ほほう、と思いながら聴きました。2010年頃に、様々な交響曲の解釈や改訂についての本が音楽之友社から出て、それにこの改訂のプロセスが詳述されていました。結論は、ここを直すなら、その根拠に従えば他にも直すところが沢山あるんじゃないか、ということだったんですね。それでアバドたちも元に戻したんだそうで。こういう問題は複雑ですね。
 ボルツァーノは2012年5月に仕事で行きました。旧オーストリーハンガリー帝国に属する街で、看板や標識はすべてイタリア語とドイツ語で書いてありました。ドイツに比べるとメシが美味く、良い街でした。ただ、ミュンヘンから列車で結構乗るんで、行くのは大変です。最晩年のアバドがここで録音した、というのは感慨深いです。

投稿: 安倍禮爾 | 2015年7月 6日 (月) 14時00分

安倍禮爾さん、こんにちは。
 ECOとの全集は、時期的に、新校訂が完成する前でしたので、こうした独自解釈ということになったのでしょうけど、アバドは、あの録音一回限りだったですね。
その後の、ウィーンでの演奏や、来日でも、従来版。
版や改訂の解釈の問題は、なかなかに難しいものです。

そして、まだ見ぬボルツァーノ。なるほど、そういう街なのですね。
ドイツ色が強いけど、メシがウマい。
最高ですね!
アプローチはたいへんそうですが、アバドもきっとお気に入りだった街、いつかは訪れたいと思います。

投稿: yokochan | 2015年7月 9日 (木) 09時17分

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