« マーラー 交響曲第4番 アバド指揮 | トップページ | ディーリアス 去りゆくつばめ デル・マー指揮 »

2015年8月30日 (日)

バイロイト2015、勝手に総括

Bayreuth_1

海のはるか向こうのバイロイト音楽祭も、今年も終了しました。

この年まで、異母姉妹の、エヴァとカタリーナのワーグナーの曾孫姉妹の運営は終了し、来年からは、演出家も兼ねるカタリーナのひとりのバイロイトとなります。

その試金石は、今後も次々に厳しく辛い局面となって訪れるでしょうが、大リヒャルトの血族として、その伝統を守り抜いて行って欲しいと思います。

そんななかで、大きな力添えとなるのが、指揮者ティーレマンで、バイロイト始まって以来の、音楽監督的なポストにも就任しましたね。

今年は、今後、いつくもあるだろう、その二人の共作ともなる「トリスタンとイゾルデ」が、プリミエ公演となりました。

かの地もきっと、暑かったでありましょう、ことしの夏。
歌手も、観客も、相当の覚悟のいる聖地バイロイトであります。

この夏の終わりに、ネット収録した音源を聴きつつ、同じくネットから拾い集めた画像を見ながら、あれこれ妄想しつつ、自分だけの総括をここに残しておきます。

画像は、バイエルン放送局のサイトから、ありがたくも拝借しております。

Bayreuth_2

パッと見、よく見る、こんな舞台。

パラスト的な、上下左右の空間演出は、多層的に見せ場を造るのに最適でしょう。
批評では、これらが時として動いて、行き場をふさいだり、進路が見えなくなったりするんだようで。
登場人物たちの心理を描きだすのに、まことに相応しい。
けれど、よくあるやり方ゆえに、安直の感もぬぐえません。

Bayreuth_3

マルケ王のご一行に、トリスタンは、こんなことされちゃってます。

Bayreuth_4

シンプルな舞台なんだけど、全体像はどうだったのでしょうか。

いずれ登場する、映像作品でもって判断したいと思いますが、いくつか拝見した画像から推定するかぎり、なんだか霊感不足は否めないですな。

バイロイトにおける、「初トリスタン」だった、ティーレマン。
ウィーンとのCDよりも早く、全体にみなぎる活力という点でも勝っているように感じました。
筆厚が強いです。
しかし、あざとさと言おうか、入り込み方と言おうか、その思い入れが、ときに尋常でなく感じるヶ所もありました。
その代表は、第2幕の終結部で、伸ばしすぎだ。
急転直下感が薄れすぎ。
 でも、これは、実際の舞台で観て聴けば、もっと別のインパクトを与えるはずなのでして、ティーレマンのあざとさと、大胆さは、やはり生・ライブでないと体得できないのかもしれない。

 アニヤ・カンペが降りてしまい、お馴染みの、ヘルリツィウスがイゾルデを歌った。
ミレニアムリングでのブリュンヒルデは、実に素晴らしかったし、ドレスデンとの来日公演などでも、身近に接した彼女ですが、最初は、安定感あっていいと思いましたが、声の疲弊やアラが目立ちました。
絶叫のように聴こえるフォルテは、正直、辛いかも。
 その一方、新国でも、完璧なトリスタンを聴かせてくれた、グールドのトリスタンは、ここでもいやとうほど完璧でした。
軽やかさも備えた、明るさと重厚さを併せ持つヘルデンヴォイスを堪能できましたね。
あと、ブランゲーネの、クリスタ・マイヤーが、これはまた素敵すぎ。
彼女のクンドリーを、ハイティンクのパルシファルで拝見して以来、大好きな歌手のひとりとなってますっ!

Bayreuth_5

アンネッテ・ダッシュが、エヴァとして帰ってきましたが、この画像を見る限り、かなりふくよかに。
お母さんになったのではなかったかな。
その彼女のエヴァは、やはり強さも備えていて、極めて素敵なのでした。
 そして、相方のフォークトは、ローエングリンの名人として、いまや自在さも加えて、完全完璧な歌唱でしたよ。
 フォークトの歌声を、華奢で頼りないといった10年前の自分が恥ずかしい。
この方で聴くコルンゴルトは、もう、桃源郷のような美的世界です。

フランス人指揮者のアルティノグリューが、バイロイトデビュー。
この若いフランス指揮も、実によかったです。
明るく活気も備えつつ、新鮮さも。
エンディングのカッコよさは、前任のネルソンスに迫るものあり。
いい指揮者じゃないかしら!

ノイエンフェルスの、ねずみローエングリン。
音楽面でも、今年、一番、まともかもね。

Bayreuth_6

3年目の、カストルフ・リングは、ことし、ジークフリート役の入れ替えがあり、そして、なんといっても、ベルリンフィルの時期首席指揮者のペトレンコに、注目が集まりました。
ティーレマンとの直接対決も。

2年分とあわせ、ハイライト的に聴き直してみて、ペトレンコの指揮は、さらによくなった感もありつつ、一方で、ちょっと雑な感じも受けまして、ここで、もっと。。。。という場面がなくはなかったです。

丹念に、楽譜を読み解き、まるで聴いたことのないフレーズが、ぽんぽん出てくるサマは、初年度より楽しみでしたが、ことしも、いくつもありました。
 4部作の、あまり表面化しない、ちょっとしたところで、いろんな楽器が浮き上がったりしてきたりして面白い。
根っからのオペラ指揮者として、この長大な連作を研究しながらの指揮は、きっとペトレンコとしても、途上の解釈なのでしょう。
舞台で行われる出来事も、指揮には反映されますし。
そんなこんなで、カストルフの妙な演出も、その解釈には反映されてしまっていると思います。
 
 黄昏の大団円の、急ぎすぎ、かつ音を被せすぎの解釈には、この場面を神聖な思いでもって、なん百回も聴いてきた自分にとっては、許しがたい浅薄なものでした。
どうなんだろう、キリル君。

3年で降りたがった理由も、いろいろ考えつつ、自身の心情と折り合わなかった舞台だったのかなと思ったりもしてます。
ラインとワルキューレは素晴らしく、ジークフリートと黄昏は、アレレです。

Bayreuth_7

エロいラインの乙女に囲まれるジークフリートさん。

ジークフリートは、フィンケに代わり、より力強い歌唱となりましたが、少々不安定。
一方、相方のブリュンヒルデのフォスターは、しなやかさに、馬力も増して、相当いい感じ。
 しかし、カラニコフのバリバリ連射は、何度聴いてもいかん!

銃を手離さない、英雄ジークフリートなんて。

Bayreuth_8

上海発の株価暴落が世界にすぐさま多様な影響を与える、そんな現実も直結してしまう、みょうちくりんな演出ながら、でも、そんな問題提起も、社会性の表出も、たまたま当たっただけかもしれないけれど、不思議とありかもしれないと思わせるカストルフ演出。

いろんな評論や、レポートが目に入ってきた3年目だけど、映像化されても、ご勘弁願いたいカス演出だな。
 ペトレンコは、ティーレマンが君臨してしまうと、今後、その登場が厳しいかもしれないけれど、どんな俗世間にも毒されず、カペルマイスター職人として3年後を迎えて欲しい。

 今年のバイロイトは、もうひとつ「さまよえるオランダ人」。
この演出もテレビで観て、まったく好きになれず、歌手たちもうわべだけで終始した耳当たりのいい感じは、今年も同じ。
ただ、アクセル・コバーのきびきびした指揮はよかった。

 2016年のバイロイトは、「パルシファル」がネルソンスの指揮とフォークトのタイトルロールで、演出も、奇抜すぎる野郎が降りたので、きっと無難なスタート。
4年目の「リング」は、指揮がペトレンコに変わって、なんと、大御所、ヤノフスキ。
ついにバイロイト初登場となるヤノフスキの、ザッハリヒだけれど、詩情豊かな指揮が、アコーステックなあの劇場のサウンドで聴ける。
どうなるんだろ。
ウォータンが、3人の歌手に割り当てられたのは、カス演出の整合性のなさを逆手にとったゆえか。
 「トリスタン」では、P・ラングがイゾルデ!
実演で何度か接してますが、ブランゲーネからイゾルデに昇格です!
あとは、「オランダ人」の再演。
タイトルロールがルントグレンというスェーデンのバリトン。
ワルキューレのウォータンも担当しますが、たしか軽めのバリトンでアクも強かった印象がありますが、どうなるんでしょう。

 なんだかんだいって、文句もいいつつも、ネットでタダの音源を拝聴しつつ、大いに楽しむことのできるバイロイト音楽祭。
数年前には、暮れのNHKFMでしか、その音楽の全貌を確認できなかったのに、いまでは、リアルタイムにに聴いて、画像も確認できて、文句も言える世の中に。

これだけでも、感謝しなくてはなりませんね。

今年の夏も終わり、そしてまた、通常運転の月日が続くわけです。

|

« マーラー 交響曲第4番 アバド指揮 | トップページ | ディーリアス 去りゆくつばめ デル・マー指揮 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: バイロイト2015、勝手に総括:

« マーラー 交響曲第4番 アバド指揮 | トップページ | ディーリアス 去りゆくつばめ デル・マー指揮 »