
どんよりと、雲が立ち込めた相模湾。
海は、晴れの日と、荒天の日では、その顔つきが全然違う。
北欧や北ヨーロッパの海、ことに冬の海は、きっともっと厳しく、こんなもんじゃないんだろうな。
日本海も北海道の海もしかり。
以前に、真冬で吹雪吹き荒れる根室の納沙布岬へ行ったことあるけど、道内の案内人がいたから行けたけど、途中、車がはまってしまい、地元の人から死にたいのかと怒られましたよ。。。
そして、海を呪って、死にたくても死ねない男の物語を。

ワーグナー さまよえるオランダ人
オランダ人:テオ・アダム ダーラント :マッティ・タルヴェラ
エリック:ジェイムズ・キング ゼンタ:アニヤ・シリヤ
マリー:アンネリース・ブルマイスター 舵取り:ケネス・マクドナルド
オットー・クレンペラー指揮 ニュー・フィルハーモニア管弦楽団
BBCコーラス
(1968.3.19 @RFH ロンドン)
夏になると、ワーグナー熱が疼きます。
9,000キロ以上離れたドイツの聖地、バイロイト音楽祭が真夏のいま、真っ盛りだからなのです。
ネットが、いまのように興隆していなかった時代は、9月にならないと、現地の様子すら報じられなかったけれど、いまや、リアルタイムで、舞台の様子に加え、その音源すら耳にすることができる。
何度も書きますが、かつては、冬休みに、NHK様がFMで白昼から、その年のバイロイト音楽祭を全部、放送してまして、日曜の「オペラ・アワー」で開幕。
その後は、平日の昼の放送で、「パルシファル」だけは、翌年のイースターの時期の日曜の放送が、お決まりでしたね。
その後、年末の放送は、夜間に移動し、21時スタートとなりまして、「パルシファル」も含めた、年末夜の一挙放送になりました。
ですから、かねては、冬の方がワーグナー熱に取りつかれることが多かったです。
音質と安定性を考えれば、FM放送ということになるのでしょうが、リアルに聴けるネット放送もストリームも含め、高音質化していて、いまのワタクシには、夏のバイロイトがすぐさま聴ける「イマ」に方が、ワーグナーの熱中時期ということになりますね。
今年のバイロイトでも上演されている「さまよえるオランダ人」。
映像ですでに確認済みですが、あの演出は、どうにも好きじゃない。
北の海の厳しさや、港町の市井の人々の生活と、そこに起こった、伝説の具現化というロマンが、まったく活かされていなくて、陳腐な手漕ぎボートと、サラリーマン的な集団生活と姑息な街の人々、そして、ただひとり浮かび上がるゼンタの普通の人としての問題意識。
オランダ人なんて、存在そのものが希薄だったし、韓国人歌手のきれいごとだけの麗し歌唱も、深みがまったくなし。。。
あぁ、また叱られそうなこと書いちゃった。
今年の演奏は、まだ聴いてませんが、ティーレマンが指揮しても、浅薄な内容はとどめようがなかった。
で、今夜は、最近聴いた「オランダ人」のなかでも、強烈な印象と、「これだ!」と膝を打つことになった凄演を。
オットー・クレンペラーのEMIへのアビーロード・スタジオ録音(2月19日~3月14日)の直後に、ロイヤル・フェスティバル・ホールにて演奏されたライブ録音。
何度も綿密な演奏を経て録音完成されたあとの、実演は、さぞや、きっと、演奏家たちの手の内におさめた、そして、客席を前にした興奮と充実の完成度の高さを刻んだものでしょう。
聴いていて、その場に居合わせた観客のみなさんが、羨ましくてなりませんでした。
3幕版による演奏ながら、幕を重ねるごとに、その熱気が高まっていくのがわかります。
そして、何よりも、英国のオーケストラである、ニュー・フィルハーモニア管が、まるで、ドイツの楽団であるかのように、オペラのオーケストラであるかのように、咆哮し、迫力にあふれ、歌手や合唱たちとともに、感情移入し、歌いまくっていること。それが一番の驚きです。
筆厚の強さ、高さを、オペラティックな感情表現の機微を、クレンペラーの指揮に感じ、それがイギリスのオーケストラを、ドイツのオーケストラ以上の存在に変貌させてしまってます。
ありきたりな表現ですが、ワーグナー音楽に必須の、ある種の「うねり」をここに、完全に感じます。
ベームや、カラヤンの明晰さとは、大きく異なりますが、楽譜を白日のもとにさらけ出したかのような、リアルさがここにはあって、そこから生まれるドラマのリアリティは、オケと優れた歌手たちを巻き込んで、ど迫力のオペラ再現となっているのでした。
スタジオ録音では、エリックが、ショルティのリングで、もしかしたらジークフリートを歌ったかもしれない、コツーブ。
舵手が、ウンガーでした。
こちらのライブでは、エリックは、なんと、ジェイムズ・キングで、舵手は英人のマクドナルドに変わってます。
ヘルデンが、エリックを歌うと、こうなる。
ヒロイックで、愛する人を必死に踏みとどまらせようとする夢中さが、強引さとなって逆手に出てくる。
そんな、エリックの役柄を、完璧に感じさせます。
ヴィントガッセンも、コロも、ホフマンも、エリックを歌うと、そんな風だった。
まるで、ジークムントのような、キングのエリックに痺れました!
アダムのオランダ人は、アクのある声はともかくとして、ドイツ語の美しさと、感情表現の豊かさでもって、昨今のバイロイトのオランダ人が、素人のように感じさせる本質的な歌唱です。
最新のオランダ人の録音のひとつ、ミンコフスキ盤を聴いてますが、オケはともかく、歌唱が、軽過ぎて、かねての歴史的な歌声を聴いてしまうと、虚しくなります。
昨今の歌手たちは、声だけで勝負でなく、ビジュアルや、詳細までも見られてしまう映像の世界に生きているものだから、声以外での演技にも注力せねばならず、ほんとに大変だなと思うのですが、声の表現力の軽重は、ますます、かねてと開きが生まれております。
アニア・シリアの迫真の歌唱もも素晴らしくって、61年のサヴァリッシュ盤の初々しさと違って、憑かれたようなエネルギーすら感じる、すさまじいものでした。
わたくしの持つ音源は、モノラルですが、BBC音源を復刻させたテスタメント盤は、ステレオ録音らしいですよ。
そちらも、聴いてみたいですが、この盤も、音は鮮明で、迫力満点。
演奏も録音も、すべてが克明な、クレンペラーのオランダ人でした。
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