ヴェルディ レクイエム バーンスタイン指揮
前回の記事(ジル・レクイエム)のときに書いた、わたしの育った町にある幼稚園のカトリック教会。
とてもシンプルで、整然とした美しさ。
宗派は異なっても、教会とは、このように静かに、自分に向き合うところでもあるから、ありすぎない方がいい。
レクイエムは、カトリック典礼のミサで、その作曲者の奉じる宗派によっては、「レクイエム」とは無縁の人もいました。
だから、おのずとカトリックの多い、南の方の国にレクイエムは多いように思います。
それでも、レクイエムの持つ、追悼と癒しの観念から、ブラームスやディーリアス、ブリテンのように、典礼文から離れた作品を残したり、声楽なしで、楽器だけのレクイエムを残した方もたくさんいます。
今日は、ブリテンとともに、毎年、この時期に聴く、ヴェルディのレクイエムを。
この作品こそ、ラテン系の正統レクイエムの最高傑作です。
ヴェルディ レクイエム
S:マルティナ・アーロヨ Ms:ジョセフィーヌ・ヴィージー
T:プラシド・ドミンゴ Bs:ルッジェーロ・ライモンディ
レナード・バーンスタイン指揮 ロンドン交響楽団
ロンドン交響合唱団
ジョン・オールディス合唱指揮
(1970.2.25 @セント・ポール教会、ロンドン)
毎夏聴く、ヴェルディのレクイエムですが、バーンスタインのヴェルレクは、記事として、今回が2度目。
最初は音源、今回は映像記録です。
1969年にニューヨーク・フィルの音楽監督を退任し、その活動の軸足を、ヨーロッパに向けだしたのが、1970年。
もちろん、バーンスタインに一目惚れし、相思相愛となった街、ウィーンは、60年代半ばより定期的に客演する関係でしたが、ベートーヴェン生誕200年の記念の年、1970年あたりからは、さらに蜜月の度合いを深めていきました。
同じく、バーンスタインを愛したオーケストラであり、愛した街がロンドン。
ロンドン交響楽団とは、桂冠指揮者の関係を得て、多くの録音や、音楽祭への出演があり、このオーケストラの豊かなフレキシヴィリティに、バーンスタインが大いなる共感と親近感を抱いてました。
1970年2月にバーンスタインは、そのロンドンに腰を据えて、ヴェルディのレクイエムに取り組みました。
解説書の記録によれば、2月19~21日に、ロイヤル・アルバート・ホール(RAH)でリハーサル、22日にコンサート本番、23、24日に、レコーディング。
25日には、場所をセント・ポール教会に移して映像収録。
26日に、RAHに戻って録音の手直し。
という具合に、1週間に渡って密なる取り組みがなされたようです。
すでに取り上げた、音盤を聴いての印象と演奏の内容は、基本は、同じに思います。
演奏時間90分は、他盤にくらべて長め。
後年、ぐっとテンポが粘りぎみになる時代のものにくらべると、遅さと速さが同居していていながら、じっくりとやる場所は、思い入れも深く、早いヶ所は、より速く、その対比が実に鮮やか。
そして、全編にあふれる覇気は、なみなみならず、こんなに、気合いと、強い思いを感じさせる演奏はありません。
それらが映像で、バーンスタインの熱い指揮ぶりを見ながら聴くとなおさら。
全曲、暗譜で指揮をするバーンスタイン。このとき、52歳。
まだお腹も出てないし、髪の毛も白さはほどほどで、銀髪の映画俳優のようなカッコよさ。
怒涛のように、のたうち、そして軽やかに踊るように舞い、祈るように、心を込めたその鮮やかな指揮ぶり。
この時代のレニーの本質の姿を本当に久しぶりにつぶさに見て、感激してしまいました。
前にも書きましたが、この映像は、NHKが、71年か2年の、8月のこの時期に放送しまして、当時、中学生だった自分は、「ヤング・ピープルズ・コンサート」で、バーンスタインの指揮は、つぶさに観て知っていたのですが、ここで、彼の指揮する「ディエス・イレ=怒りの日」の音楽の凄まじさに、目も耳も、すっかり奪われたのを覚えてます。
以来、この作品を愛し、永く聴いてきましたが、劇的な激しさとともに、そこにある歌心と優しい抒情、その方にこそ、感銘を見出すようになって久しいです。
そんな目線や聴き方で、一見、派手なバーンスタインのヴェルレクを聴くと、真摯な独唱者や合唱たちの姿も相まって、熱くて切ないほどの祈りの気持ちが響いてきます。
ことに、「ラクリモーサ」は、バーンスタイン独特の世界が展開され、痛切なる思いに浸ることとなりました。
二人の女声の歌声にしびれる「レコルダーレ」、若々しいドミンゴの歌う「インジェミスコ」、滑らかな美しいライモンディの「コンフタティス」・・・、いずれも、イタリアオペラ的でない、バーンスタインの流儀のカンタービレは、歌と感情に即した、音楽の万国人たる、ユニークな感じ方ではないかと・・・。
そして、太鼓が教会の残響を豊かに伴って鳴り渡る「ディエス・イレ」は、CDのコンサート会場のものとは違って、勇軍かつ、劇的な雰囲気を作りだしてます。
若かった歌手たちのなかでは、わたくしは、J・ヴィージーのまっすぐの歌声が、その気品あふれるお姿を拝見しながら聴くことによって、一番よかったです。
カラヤンの選んだフリッカである彼女、まだ85歳で健在のようです。
アーロヨさんも、まだ78歳でお元気の様子で、声のピークは、この頃ではなかったでしょうか。ヴェルディ歌手としての本領を感じますが、もう少し突き抜けるような軽さが欲しいかしらね。
で、まだまだ元気のドミンゴとライモンディの同年コンビは、73,4歳。
おふたりともに、その美声は、後年よりもより引き立ってますし、そのお姿も若い。
話は、少しそれますが、かつての昔は、オーケストラの中には、女性奏者を入団させず、男性だけのオーケストラが多くありました。
今では、とうてい考えられないことですが、歴史的にもいろんなワケがあって、そうした妙な伝統として、近年まで守りぬかれていたことですが・・・・
その代表格は、ウィーン・フィルとベルリン・フィル。
ベルリンでは、ザビーネ・マイヤーを入団させようとしたカラヤンとオーケストラの間で、大きな軋轢が生まれたことは、高名な話です。
さらに、ニューヨークフィル、ロンドン響、レニングラードフィル、読響なども思い浮かびます。
今回、映像により、ロンドン響の演奏姿を拝見したわけですが、たしかに、男性奏者だけ。
83年に、アバドとの来日公演を全部聴きましたが、記憶は不確かですが、そのときは、女性奏者はちらほら。
しかし、その公演にもいたお馴染みの、有名奏者たちが、この70年の演奏にも、見受けることができて、とても懐かしかったです。
バーンスタインが健在なら、いまや96歳。
今年は、没後15年を迎えます。
年月の経るの早いものです。
この映像の冒頭に、バーンスタイン自身のナレーションが入ります。
「1940年の4万人の死者を出したロンドン大空襲において、被災しなかった、セント・ポール教会で、多くの爆撃を受けた人々に哀悼をささげる。
(あらゆる)戦禍と迫害は、忌まわしい非人道的行為であり、過去の犠牲者のみならず、現代と未来の我々のためにも、この演奏を捧げる。
過去の死者のためのみらなず、いま、生きる者の苦悩のためにも・・・」
2度の世界大戦、朝鮮、ベトナム、ナイジェリアなどの戦争の名をあげ、さらに、指導者の暗殺などにも言及しています。
ヒューマニスト、バーンスタインならではの思いの発露でありましょう。
あくまで、私見ですが、この当時は、敗戦国日本への大空襲や原爆にふれることは、きっとタブーだったはずだし、その実態も隠されていたものと思われます。
東京大空襲だけで、11万7千人、二度の原爆で20万人超、全国に空襲は広がり、50~100万とも・・・・。
情報公開がしっかりしているアメリカから、最近になって、驚きの報がいくつも出てきます。
バーンスタインは、のちに、広島に訪れ、心からの追悼の念を持って、みずからの「カデッシュ交響曲」を指揮しました。
レニーが、いま健在だったら、テロや憎しみ、隣国同士の恨み、それらを見て、どのような行動を起こすでしょうか・・・・。
過去記事 ヴェルディ「レクイエム」
「アバド&ミラノ・スカラ座」
「バーンスタイン&ロンドン響」
「ジュリーニ&フィルハーモニア」
「リヒター&ミュンヘン・フィル」
「シュナイト&ザールブリュッヘン放送響」
「アバド&ウィーン・フィル」
「バルビローリ&ニューフィルハーモニア」
「カラヤン&ベルリン・フィル」
「アバド&ベルリン・フィル」
| 固定リンク
コメント