フィンジ 「エクローグ」 ドノホー
神奈川県二宮町、駅前にある「ガラスのうさぎ」像。
東京両国のガラス工場を営む家に生まれた少女ですが、1945年の東京大空襲で被災し、母と妹を亡くし、生き残った父と、焼け跡から半分溶けてしまった、ガラスのうさぎを見つける。
その父と、ふたり、二宮の疎開先へ向かいましたが、8月5日、駅で、米軍の機銃掃射を受けて、父は亡くなってしまい、少女はひとり、海辺にて途方にくれる・・・・。
そんな実話が小説になって、その後、戦地から帰った兄たちのことなども描かれ、映画やテレビドラマにもなりました。
毎年、夏のこの時期、千羽鶴が飾られ、平和を祈る思いで、ここは一杯になります。
駅には、銃弾のあとも残ります。
その時は、5人の方が亡くなりました。
わたしの育ったこの街は、お隣の大きな街、平塚や小田原のような大空襲はありませんでしたが、このように、機銃掃射の気まぐれな飛来もあって、防空壕が、いたるところにありました。
子供時代、恐怖の思いで、そんな暗闇の穴を見たものでした。
そして、母の話では、平塚の空襲のときには、東の空が赤く染まり、大きな音がし続けたそうです・・・・・。
ちなみに、亡父は、東京でしたので、ことに焼夷弾の攻撃をよく覚えていて、鼻口耳を両手の指で、いかにふさいで逃げるかなどを、よく語ってくれたものです。
親類にも、戦地へ赴いた方など、複数いましたが、それぞれの体験談も、風化していきます。。。
戦争の悲しみと残酷さは、ほんとうにもうごめんです。
フィンジ 「エクローグ」
ピアノ:ペーター・ドノホー
ハワード・グリフィス指揮 ノーザン・シンフォニエッタ
(2001.1 @ニューキャッスル)
ジェラルド・フィンジ(1901~1856)。
薄幸の作曲家と呼ばれるフィンジ、自身、白血病に倒れるのですが、早くに父、そして兄たちも亡くし、その代わりに慕った師ファーラーも、第1次大戦に出兵し、戦死してしまい、大きな心の傷を受ける。
そんな哀しみが、フィンジの音楽には、いつもどこかに見え隠れしていて、聴く人に、遠い記憶への憧憬や、心の中にある悲しみを呼び覚ます。
自分に厳しかったフィンジは、多くの作品を破棄してしまい、いま残された作品は、40数曲。
いずれも、そのようなナイーブかつ、抒情的な作品ばかり。
そんななかでも、「エクローグ」は、クラリネット協奏曲と並んで、ひとり、静かに聴く音楽として、心の琴線にそっとふれる、あまりにも美しい作品。
もう、何度も、記事にしてますし、いくつもの演奏を聴いてます。
1929年、ピアノと弦楽のためのピアノ協奏曲として書き進められたが、未完に終わり、その第2楽章が、「エクローグ」として残されました。
ともかく、清潔で、穢れなく、そして悲しいまでに美しい音楽。
追憶と、心のなかにいまも生きる大切な人たちへの想いを、優しく包んでくれる。
これもまた、何度か書きますが、クラリネット協奏曲とともに、わたくしの、いずれ来る、野辺への手向けに、そっと流して欲しい・・・・・。
この夏の、この日の二宮海岸は、ひと気なく、波も静かでした。
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コメント
ご無沙汰しています
このCDは昨年入手して、愛聴しています。フィンジの音楽もいいですね。ディーリアスに比べても、かなり渋めですが…
ディーリアスの音楽は、相変わらず良く聴きます。しばらく離れることもありますが、また、戻ってきますね。youtubeも数年前とは比べ物にならないくらい充実してきて、仕事のBGMで流したりしています。また、掘り出し物?の作曲家も紹介してください。最近、アイルランドのスタンフォードをyoutubeで聴きました。19世紀末の作曲家にしては、ブラームス、シューマンあたりの時代を感じさせる曲調に感じました。それでは、また。
投稿: udon | 2015年10月 3日 (土) 20時16分
udonさん、こんにちは。
フィンジは作品数が少ないながら、いずれも珠玉の心沁みる作品ですね。
そして、わたしもディーリアス。
常にそばにあります。
あの独特な世界は、どんな季節に聴いても日本人にはぴたりとくるんじゃないかと思います。
スタンフォードの7つの交響曲もときおり聴いてます。
3番は、大友さんの指揮でライブで聴いたこともあり、エルガーの先人として、パリーとともに、もっと聴かれていい作曲家です。
先般は、スタバト・マーテルを記事にしましたが、それはまた素晴らしい作品でした。
投稿: yokochan | 2015年10月14日 (水) 12時51分