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2015年9月

2015年9月28日 (月)

ショスタコーヴィチ 交響曲 お願いランキング

Heiwapark

数年ぶりの広島。

宿泊先が近かったので、晩と朝、平和記念公園まで歩いてきました。

常に更新されている、彩り鮮やかな、おりづる。

折り紙も再生しながら、循環させる仕組みも出来上がっていて、広島の人々の気持ちがつながっていることを、稀にしか訪れない自分でも、強く感じることができました。

それにしても、今回の日本の安保法案採択の一連の出来事は、虚しかった・・・・・。

政権与党も、烏合の野党も、どちらも情けない。

本音をお互いが言葉にしないもどかしさを、常に感じました。

 9月25日は、ショスタコーヴィチの109回目の誕生日。
そして、ちょっと遡って8月9日は、1975年の没後から40年。

今回は、15曲ある、ショスタコーヴィチの交響曲の、自分の好きなランキングやっちゃいます。

Onegai_tako

 ブルックナーとマーラーのブームが訪れて、完全定番化した現在。

そのブーム勃興の渦中、その後に来るのは誰だ!

それを、問題提起したのは、亡き、若杉弘さんでした。

ワーグナー、ブルックナー、マーラーを連続して、演奏しつくした生前の若杉さんの発言。

そして、それは誰でしょう的に、具体的に語らずに、旅立ってしまった若杉さん。

音楽監督時代、その指揮台にあまり立つこともなく、無念の死を迎えてしまった新国立劇場でのプログラムの中で、病魔に倒れる前は、自身の指揮で、と予定されていたのが、ショスタコーヴィつの「ムツェンスクのマクベス夫人」。
残念ながら、若杉さんは、そのピットに立てず。

ですから、ポスト・ブルックナー+マーラーは、ショスタコーヴィチと、その後の流れのなかに確信できます。
 ですが一方、そんなポスト云々は無意味とも思ったりもしてまして、交響曲の概念はもうすっかり変貌してしまい、それは、もうマーラーで集結していて、後がなかったのではないかと思ったりもしてます・・・・・。

ショスタコーヴィチの15曲の交響曲は、交響曲であってそうではない。

ソ連という国体の影がちらつき、かつ、その本音の実態が見えない。
なんだったんだろう。

わたくしが、ショスタコーヴィチにむちゃくちゃのめり込んだのは、例の、ヴォルコフによる「ショスタコーヴィチの証言」という書簡で、分厚い、その本を読破しました。
 ハイティンクが、ちょうど全曲録音に挑んでいるなかで、その証言集は、まさにリアルに受け止めていたのですが、それが、こともあろうに、虚構ではないかとの説も、のちに出ました。

いまは、なにが真説か不明ななかにありますが、音符として残されたショスタコーヴィチの楽譜は、間違いなく本物なのですから、そんなややこしい経緯はともかくとして、その楽譜をいかに解釈するかだけの、純粋な問題になっているかと思います。
 そんな中で、やはり、楽譜のみを信じ、シンフォニストとして、マーラーの延長線上的な解釈の徹した、ハイティンクの演奏の諸所は、自分では一番客観的で、正しい存在ではないかと思います。
ただし、生々しさや、毒気がまったくなく、整いすぎていることも事実。

でも、わたくしのショスタコーヴィチのランキングのなかで、ハイティンクの占める割合は高いです。
そして、今後ますます、しがらみにとらわれない、よりニュートラルな音楽表現が次々に生まれてくるものと思います。
 ヤンソンスの次世代クラスで。
ふたりのペトレンコ、ネルソンス、セガン、P・ジョルダン、クルレンツィス、そして、われが川瀬氏はいかに。

 自分的な一方的ランキングします。

 ① 交響曲第4番     ハイティンクCSO、ラトル、サロネン

 ② 交響曲第13番    ハイティンク、オーマンディ、コンドラシン、プレヴィン

 ③ 交響曲第15番    ハイティンク、ヤンソンス、オーマンディ、ロジェヴェン

 ④ 交響曲第6番     ムラヴィンスキー、ハイティンク、プレヴィン

 ⑤ 交響曲第14番    ロストロポーヴィチ、ハイティンク、オーマンディ

 ⑥ 交響曲第10番    カラヤン旧盤、ネルソンス、コンドラシン、ラトル

 ⑦ 交響曲第8番     ハイティンクACO、プレヴィンDG、ヤンソンス

 ⑧ 交響曲第11番    ハイティンク、ヤンソンス

 ⑨ 交響曲第12番    ハイティンク、ヤンソンス

 ⑩ 交響曲第7番     バーンスタインCSO、ハイティンク、ヤンソンスRCO

 ⑪ 交響曲第5番     オーマンディ、バーンスタイン旧

 ⑫ 交響曲第9番     バーンスタイン、ハイティンク、コンドラシン

 ⑭ 交響曲第1番      バーンスタイン、ハイティンク

 ⑮ 交響曲第2、3番      ハイティンク、ヤンソンス  

  ハイティンクばかりのこのランキング(笑)

ソ連・ロシア的な演奏からは、意識して遠ざかってまして、コンドラシンとロジェストヴェンスキー、キタエンコは、いつか全部揃えたいと思ってます。

ショスタコーヴィチ。
今後、さらなるボーダレスな演奏解釈に、各方面の指揮者にオーケストラから期待したいと思います!

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2015年9月23日 (水)

神奈川フィルハーモニー第312回定期演奏会  児玉 宏指揮

Minatomirai201509

コンサート終了後に、ランドマーク、みなとみらいホールを背に、海の方へ散策。

いい音楽、いい演奏を聴いたあとの充足感に満たされ、頬をうつ海から吹く風も心地よいことこのうえなし。

この日は、モーツァルトとブルックナーの、ともに変ホ長調の作品を聴いたのです。

Kanaphill201409

   モーツァルト  交響曲第39番 変ホ長調 K543

   ブルックナー  交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」
                        (第2稿1878/80 ノヴァーク版)

    児玉 宏 指揮 神奈川フィルハーモニー管弦楽団

                     (2015.9.20 @みなとみらいホール)


本日の指揮は、大阪交響楽団の音楽監督、児玉さんの客演。
オペラでの共演はあるそうですが、コンサートでは初登場。
もちろん、わたくしは、初児玉さんですが、そういえば、新国立劇場によく通っているころ、シュトラウスやヴェルディで登場していたのを覚えてるし、なんといっても、大阪響のユニークなおもろい秘曲プログラムも気にはなっていたのでした。
 そして、なんといっても、この方の経歴。
ドイツ各地で、オペラを中心に活躍してきた叩き上げ、カペルマイスター的な存在なのです。

さて、その児玉さんの指揮は、まずはモーツァルトの39番。

ステージに置かれたバロックティンパニを見て、ツィーツィー・コツンコツンを予想したものの、序奏の第1音を聴いて即、その不安(?)は見事に払拭されました。
なんて、柔らかく、落ち着きある響きでしょう。
管はモーツァルトの指定どおり、弦も、刈り込んで、室内オケスタイルでの演奏。
指揮台と置かず、平土間にて、指揮棒をもたない児玉さん。

1楽章主部が始まって、割合ゆったりめの進行は、繰り返しも行いながらで長い楽章となりましたが、弛緩したところは全然なくて、音が生き生きしてました。
 そして、大好きな第2楽章。
ともかく美しい。神奈川フィルの弦の魅力は、少人数でも引き立ちます。
長調と短調の間を行き来するこの楽章の魅力を味わえました。
 クラリネットの競演が微笑み誘う第3楽章に、一転、早めの展開で、駆け抜けるように、そして爽快に終結した4楽章。

モーツァルトの交響曲では、一番好きな39番。
ドレスデンやベルリン、N響などで親しんできた、児玉さんの師、スウィトナーの演奏を思い起こしてしまった。
穏健で柔和。歌心を持った優しいモーツァルトでした。

休憩後はブルックナー。
前半30分、後半70分のロングコンサートですが、それぞれ、その長さをまったく感じさせない。
そんな、ともかく、流れのいい、曖昧さのない、清冽なブルックナー演奏でした。

後ろから拝見する児玉さんの指揮ぶり。
少し、ずんぐりむっくりの、熊さんみたいな風貌で、決して大振りはせず、誠実な棒さばき。
もちろん、ブルックナーでは、指揮台に立ち、指揮棒も手に。
 多くの指揮者は、主旋律や、引き出したい楽器・奏者に体を時に向けて左右に動くのですが、その動きがまったくなく、ほぼ正面に立ったまま。
ですから、その横顔や表情が、後ろの正面客席からは伺えません。
 そんな指揮ぶりに、オペラ指揮者としての片鱗を感じました。
舞台とピットをつなぐ、結点としての指揮者のブレのないあり方。
ですから、音は、どの楽器も声部も、突出することなく、スコアのとおりにすべてがきれいに聴こえるように思えました。
 オーケストラもきっと演奏しやすく、安心の指揮だったのではないでしょうか。

そんな音の絶妙なブレンドの具合が、ブルックナーにはぴったりで、強音でも、音がダンゴにならず、オーケストラは思い切りフォルテの域に達してるのに、全然うるさくなく、どの楽器もちゃんと聴こえるのでした。
 それと、つい細かく分けて振ってしまいがちなブルックナーですが、多くある2拍子をそのままゆとりを持ちながら振ってまして、聴き手から見ても、落ちいて拝見できるものでしたし、出てくる音に、幅とゆとりを生みだすものではなかったでしょうか。

 かなり繊細な出だしの、原始霧。
そこから立ち現われるホルンは、お馴染みの実加ちゃん。
お父さん的な心境で、がんばれがんばれと念じながら聴きましたが、杞憂に終わり、全曲にわたって、艶のある明るい音色が安定して聴くことができました。
彼女をトップに、この日は、若いホルンセクション4人。
とてもよかったと思います。
 そして、ブリリアントな低音金管はベテランのみなさん。
ホルン・金管が突出することなく、マイルドに溶け合う様は、とても見事でした。
 3楽章では、甲冑が煌めく中世の騎士さえ脳裡に浮かぶような、そんな輝かしさも!

その3楽章のトリオでの、牧歌的な木管のほのぼのしたやり取りも楽しく、ベテランと若手の融合がここでも素敵に結実してます。

この演奏で、わたくしが一番感銘を受けたのは、第2楽章です。
ドイツの森を、後ろ手を組んで、ゆっくりと逍遥するイメージを常に抱くこの楽章。
まさに、その思いを満たしてくれる味わい深い演奏。
深みと艶のあるチェロに、存在感の増した渋いヴィオラセクション。
繊細なヴァイオリン群に、軽やかな木管。
ずっと聴いていたかった。

そして、錯綜する、ややもすると複雑に聴こえる終楽章。
オーケストラは全力投入、指揮者も全神経を集中し、極めて密度の高い充実の集大成となりました。
楽章の半ば、弦で回帰してきた、大きな嘆息のように第2主題を、かなり思い切り奏していたのがことさらに印象的です。
難しい、最後の終結部の盛り上げ方も見事で、神々しさすら感じました。

濃厚さや重厚さ、というよりは、叙事詩的な豊かさと、ナチュラルな情感にあふれた、わたしたち日本人の情感に即した名演奏だったと思います。

最後の音が見事に決まったあと、間髪入れず、拍手が起きてしまったことは残念ですが、会場は大きな拍手とブラボーに包まれ、オーケストラの皆さんも、児玉さんを暖かく称えるなか、この満足満点の演奏会は終了しました。

終演後のアフターコンサートは、今回も、体調調整中につきお休みしましたが、応援仲間のみなさんは、美味しいビールで乾杯したそうな。
さぞかし・・・・・。
いつか、そちらも復帰しますよnote

神奈川フィル、次回は、川瀬さんの指揮で、ショスタコーヴィチとシベリウス。
大すきなシベ5ですよsign01
 

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2015年9月20日 (日)

ブルックナー 交響曲第4番 聴きまくる

Chiba_1

雨ばかりの関東に、先週、めずらしく訪れた刹那的な夕焼け。

この時期どおりの天候のなかでは、安定した晴れは、約束されたような美しい夕焼けを運んでくるけれど、最近は、悪天続きで、お日様に出会えない日々が続きました。

この夕焼けも、この日、数時間後には、大雨に変わったりしてます・・・・。

 かつての日々(~子供時代?)が懐かしい。

そう、ここ数年で、これまでの数十年単位の昔の風物や、価値観、そして気象が、極めて劇的に変化してしまった・・・・。
当然に、人々の思いや、思考回路も変化してしまった。

 音楽の受け止め方や、演奏のありようも、当然に変わりつつあり、ゆっくりですが、クラシック音楽界も、演奏する側と、聴く側とで、その時間差はありつつも、変化が生じているように思う昨今。

そんななか、今度の神奈川フィルの定期演奏会で聴くことになる、ブルックナーの交響曲第4番を。
自分が、どちらかとうと、昨今の演奏を聴いてないなか、これまで聴いてきた数種の演奏をつまみ聴きながら、その予習とさせてただきたく。

Buru4

 ブルックナー 交響曲第4番 変ホ長調 「ロマンティック」

ほぼ交響曲しかないブルックナーの作品の中にあって、おそらく一番人気の作品が4番。

真偽は不明ながら、硬ブツの作者も、ロマンテッシュと呼んだか否か、そんなタイトルも、ほどよい長さも、人気を後押ししてますね。

でも、ブルックナー初心の多くの聴き手は、冒頭の原始霧からあらわれるホルンの響きと、そこから始まる豊かなクレッシェンド、その数分でしか、この曲をイメージできないのではないかと思います。

かく言うワタクシも、そうでありまして、初レコードでも、その場面ばかりを何度も繰り返しきたものでした。
でもね、この場面って、ピアニシモから始まって、雄大なクレッシェンドがやがて創出される・・・・、この曲のもっとも麗しい場面です。

でもしかし、全4楽章を、真摯に聴くようになって、この場面は、ほんの表面的な一部分であって、本来のこの作品の魅力は、第2楽章と、複雑極まりなく聴こえる4楽章にあると、「いえよう」。

本日は、これまで聴いてきた、ブルックナーの4番を、あれこれツマミ聴きしてみましたよ。

画像にあげたものは、レコードやCDで所有しているもの。

これらのなかで、自分の思い出も含めて、思い入れのある演奏は、カラヤンとバレンボイム、そしてアバドです。

初に、この4番を体験したのが、カラヤンのEMI盤です。
わたくしが、クラシック音楽へのめり込んだきっかけを作ってくれた、伯父と従兄のお家で、聴かせてもらい、カセットテープに残したものでした。
 当時、ワーグナーにはぞっこんでしたが、初のブルックナーの壮麗な音楽に、びっくりしたものでした。

その何年後か、ベームがウィーンで録音し、これまたFM録音しました。
そして、バレンボイムのシカゴでの録音を購入し、その録音の素晴らしさと、シカゴのべらぼーなウマさに感服。

・・・・以来、いくつものブル4を聴いてきました。
ブログ開設前ですが、自分でブル4特集を企て、毎日、その音源を聴きまくった日々もあります。

ライブ演奏では、なんといっても、アバドとルツェルンの蒸留水のような澄み切った演奏が、神がかったものとして永遠に記憶されますし、あと、ベルンハルト・クレーと都響の演奏も、孤高の演奏でありました。

そんなこんなで、今夜は、時間の許す限り、手持ち音源を抜粋しながら確認。

やはり、刷り込みとなっている、カラヤンとバレンボイムに、安心感を抱きます。
そして、かつて、本ブログにも取り上げましたが、メータ&ロスフィルのデッカならではの鮮やかな録音と、ゴージャスでありつつ、渋さも兼ね備えた演奏が、大いに気に入りました。
 そして、落ち着きと微笑みを感じさせるのが、ウィーンフィルの演奏。
ベーム、ハイティンク、アバドの音盤は、癒しの域でもあります。
 しかし、「ロマンティック」という名前をかなぐり捨てさせた、シンプルかつ、交響楽的な、純音楽的な解釈を、アバドとルツェルンのライブ演奏で味わい、この作品にまつわる固定観念の払拭へと、この歳にして思わせる結果となりました。

やはり、アバドはすごかった・・・・・。

明日に備え、本日は終了しますが、ブル4の過去演奏への想い、神奈川フィルの演奏は、いかに応えてくれますでしょうか♪

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2015年9月18日 (金)

バターワース 二つのイギリス田園曲 マリナー指揮

Yurigahara_a

もう、しばらく行ってない北海道。

札幌の郊外にちょっと行けば、こんな公園や風景があります。

こんな景色をながめると、かならず、わたしの脳裏には、イギリス音楽や、北欧の音楽が、滔々と流れるのです。

厳しい冬、雪に覆われると、そう、チャイコフスキーとかですね。

Yurigahara

 バターワース  「二つのイギリス田園曲」 (Two Englishidylls)

    サー・ネヴイル・マリナー指揮

           アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ


過去、2度ほど、記事にしてまして、情報の少ない作曲家につき、重複する部分もありますが。

 
ジョージ・バターワース(1885~1916)。
 ロンドンっ子ながら、幼少期に、イングランド北部ヨークシャーに移住し、学生時代は、オックスフォード大学で、法律の勉学に励みつつも、音楽の道、捨てがたく、卒業後は、作曲家・評論家として活動を始めながらも、第1次大戦に出兵し、31歳にして戦死してしまった方です。
 父親のアレクサンダーは、北西鉄道を経営する実業家で、ジョージは、恵まれた環境にあって、法学を学びつつも、知りあったヴォーン・ウィリアムズとも意気投合し、英国民謡の調査に没頭し、音楽にものめり込んでいったのでした。

作品の多くは、自己批判精神の強いバターワース自身によって破棄されてしまってます。

数えるほどしか残されなかったその作品は、いずれも、自然の息吹きと、英国独特の詩情と、民謡調の懐かしさにあふれた、シンプルな桂曲ばかりです。

歌曲集「シュロップシャーの若者」が、とりわけ有名ですが、そこそこ録音もあるのが、3つある管弦楽作品。
1910~3年にかけてのその3作。
早期に「舟歌」という作品も書きましたが、それは消失してしまっているほか、最晩年に、「オーケストラ幻想曲」を手掛けましたが、戦死により未完となってます。

ですから、いずれも10分以内の、残された3つの、優しさあふれる作品を、われわれは、いとおしむようにして聴くわけです。

「ふたつのイギリス田園曲」は、1911年の作。
英国の伝統的な民話風バラード、いわゆる古謡とでもいうのでしょうか・・・に基づいていて、ほかの作品に共通する、いとも懐かしい、ほのぼのとした音楽です。
第1曲は、どこか聴いたことのあるような旋律が、清々しく、臆面もなく、オーケストラで奏されるのが、とても可愛く、ステキです。
強弱を伴いながら、各楽器において、何度も繰り返される、その旋律と、その変形。
 第2曲は、切れ目なく、でも曲調を変えて、オーボエによって、これもまた民謡調の旋律で始まります。
ここでは、1曲目の明るさに比べ、切なさといいますか、どこか寂しい秋の田園風景を思い起こさせます。
クラリネットや、ソロヴァイオリンも、かなり切ないです。
その後ろ髪引かれるムードのまま、静かに曲を閉じてしまいます。

なんか寂しい、でも、優しさにあふれたバターワースの音楽。
サー・ネヴィルは、3つの作品を、ともに、アカデミーの透明感あふれるサウンドでもって聴かせてくれます。

以前にも書きましたが、カルロス・クライバーが、何故か、この曲を気に入っていて、演奏会でよく取り上げていました。
わたくしは、まだ未聴ですが、シカゴに来演したおりのライブもあるそうですよ。
きっと、生き生きと、若々しい演奏なのでしょうね。

台風による大雨被害、地震、噴火、はるか南の大地震・・・・、防災月間の9月をいやというほど実感させてくれてますが、これ以上、なにごともなきこと、祈ります。
そして、日本の政治も揺れてます。

日々、落ち着きません。

静かに、音楽に浸りたいものですが・・・・・。

過去記事

 
 「シュロップシャーの若者 マリナー」

 「青柳の堤 デル・マー」

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2015年9月15日 (火)

マルトゥッチ ピアノ協奏曲第1番 カラミエッロ

Kibana_1

夏の終わり、8月の後半には、もう、キバナコスモスが咲きだし、今頃が旬でしょうか。

パステルの上品なコスモスと違って、オレンジがかった、このキバナコスモスは、ちょっと色気もあったりしますな。

グリーンととてもよく合う。

そう、もう呼ばなくなってしまった、かつての湘南電車のカラーリングなんです。
いまや、上野東京ラインとか、湘南新宿ラインとか、遠くの呼び名が興ざめだったり・・・・。

Kibana_2

  マルトゥッチ  ピアノ協奏曲第1番 ニ短調

      Pf:フランチェスコ・カラミエッロ

    フランチェスコ・タヴァロス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

                        (1988? ロンドン)


ジュゼッペ・マルトゥッチ(1856~1909)は、イタリア中南部カプアに生まれた作曲家・指揮者・ピアニストであります。

知ってる人は知ってる。
そういっとき、そこそこ流行ったからです。
1980年代、忽然と姿をあらわした、ナポリ生まれのベテラン指揮者、タヴァロスが、ブラームスやメンデルスゾーン、ワーグナーを積極的に録音し、そこに混じって、われわれには、あまり馴染みのなかったマルトゥッチという作曲家の作品をいくつも取り上げたからです。

タヴァロスは、昨年亡くなってしまったようですが、同じナポリの後輩、リッカルド・ムーティも、このマルトゥッチの作品の紹介には熱を入れ、ウィーンフィルとの来日公演でも、その作品を取り上げたりもしたのでした。

遅ればせながら、本ブログでは、初マルトゥッチとなりました。
今後、シリーズ化しますよ。

マルトゥッチは、軍楽隊のトランペット奏者だった父ガエターノに音楽の基礎を学び、まずは、ピアノに本格的に取り組みました。
まずピアニストとして活躍し、ナポリ音楽院の教授ともなり、やがて、指揮もとるようになり、おもにナポリの劇場で広大なレパートリーをものにするようになります。
 リュリやラモーといったフランスバロックから、当時の同時代音楽である、ドビュッシーやR・シュトラウスなどを積極的に指揮したほか、なんといっても、ワーグナーには力を入れてます。
1888年、ボローニャにおけるトリスタンのイタリア初演や、ナポリでの上演。
さらに神々の黄昏も、ナポリで上演する快挙をやってます。

イタリアオペラ中心だった、当時の楽壇において、ワーグナーを南イタリアにおいて取り上げること自体、すごいことだったと推量します。

マルトゥッチの存在は、ヴェルディ以降、いやでも続いたイタリアオペラ中心の楽壇にあって、器楽・オーケストラ作品のみに力を注いだ点が特筆すべきところです。
なんといっても、レオンカヴァッロ、プッチーニ、マスカーニらと、ほぼ同世代だったのですから!
 そして、彼の弟子筋からは、レスピーギがうまれ、器楽とオペラの両立を果たすことになるのでした。

 今宵のピアノ協奏曲第1番は、1878年の作品で、作者23~4歳にかけて。
パリの地で、ピアニストとして、ときに、チェリスト、ピアッティの共演者として演奏活動をする傍ら、書かれた作品です。
 16歳の頃から作曲をしていて、それまでにも、器楽・室内楽をいくつか手掛けてましたが、大きな作品としては、この曲が唯一。
 しかし、生前は出版されず、1973年になってようやく出版の暁となりましたため、この曲には、作品番号がありません。

1楽章15分、2,3楽章、それぞれ10分という、大作。
前後のふたつは、堂々とした、オーソドックスなソナタ形式。

ともかく、外見は、ブラームスの1番ばりの大曲に見えますが、でも、あのようないかつさは、まったくなく、全編、歌に満ち溢れ、親しみやすい旋律が滔々と流れる美麗なる協奏曲なのであります。

なんたって、オペラアリアのように、窓辺で歌うセレナードのように、優しく美しい第2楽章が素敵すぎるんです。
聴きようによっては、チャイコフスキーの同じ協奏曲の第2楽章のような甘味さもあります。
でも、ここにある景色は、あくまで、南イタリアの澄み切った空。
ちょっと、爽やかな柑橘系の飲み物でも合わせたくなるような感じですよ。

15分もかかる第1楽章は、その出だしこそ短調で、荘重な感じですが、すぐさま、麗しの旋律で満たされていきます。
超絶技巧のピアノも、楽しいです。
リストや、シューマンなども思い起こすことができます。
マイナーな調だけど、でも、明るく、その明晰さが曇りなく、スコアの隅々が照らされ輝くようです。

美しい2楽章をはさんで、3楽章は、最初の楽章と曲調が似ていて、ちょっと単調になりがち。
このあたりの構成感とか、聴かせどころの築き上げ方は、後年(7年後)の2番の方に、大きく歩があるかも。
ここでは、誰かと言えば、グリーグとシューマン、ドヴォルザークっぽいかな。

ともあれ、マルトゥッチの流麗な音楽を堪能できました。

ナポリ生まれのピアニストと、指揮者の共演、次はまた2番を取り上げましょう。

さて、第2楽章をまた聴いて休むとしましょう。

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2015年9月12日 (土)

アルウィン 交響曲第1番 ヒコックス指揮

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絞りの調節に失敗してしまい、チョコレート色のコスモスが、まっ黒になってしまいました。

いつも散策する、このお気に入りの公園は、その一角が、英国庭園風になっていて、ちょっとほったらかしのワイルド系なとこもいい。

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  アルウィン    交響曲第1番

     
サー・リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団

                 (1992.20@トーティング、オールセインツ教会)

ウィリアム・アルウィン(1905~1985)は、ブリテン、ウォルトン、ティペットたちと、同時代の英国作曲家。
 その同時代人たちと比べ、さらに、つい最近まで存命だったことなどを思うと、その作風は、保守的でさえあります。

 そして、同時に、しばしば書くことで恐縮ですが、アルウィンは、英国抒情派の作曲家のひとりでもあります。
わたくしの思う、その抒情派は、ほかに、V・ウィリアムズ、アイアランド、バターワース、フィンジ、ハウェルズ、、モーラン、ラッブラなどです。

こうした田園風な抒情を持ち合わせている一方で、ウォルトンやティペットのようなダイナミックな部分をも持ち合わせていて、なかなかに多彩な側面のある作曲家であります。

さらに、アルウィンは、映画音楽もかなり残していて、劇的、心象的な音楽造りの才能をうかがわせます。
 同じくして、映画音楽とクラシックのジャンルを縦横に行き来した作曲家として、RVW、ブリス、ウォルトンなどが、英国作曲家として思い浮かびますが、今回の1番の交響曲を聴いていると、わたくしは、コルンゴルトを思い起こしてしまいました。
 あふれる歌心と、抒情の煌めき、そして、ダイナミックレンジの広大さと、オーケストラの鳴りのよさ。
そう、コルンゴルトの長大なあの交響曲です。

アルウィンは、フルートの名手でもあり、ロンドン響の首席でもあった時代もありました。
そんなことからか、あらゆる管楽器、そしてもちろん、ヴァイオリンやピアノのための協奏作品を多く残し、同様に、そうした楽器による室内楽作品もいくつか書いてます。

そんな、どちらかといえば、少し規模の小さめの作品たちや、映画音楽を書いていた当初のアルウィンですが、世界大戦後、1950年に、一念発起して、本格交響曲に取り組み、完成させました。
これまでの、作品から、一歩も二歩も踏み出したアルウィンの心境は、のるかそるかぐらいの、チャレンジングなものだったといいます。

バルビローリの指揮するハルレ管により、チェルトナムで初演されたとき、聴衆も、評論家も、大変好意的にこの曲を迎え、バルビローリに至っては、次の2番の交響曲をオーダーするほどの思い入れを持ったのでした。
 45歳のアルウィンは、こうして、本格クラシック作曲家として自他ともに認められ、以降、交響曲を5つ、オペラを二つと、英国音楽に、その足跡を残したのでした。

曲は、それぞれ10分あまりの規模の、正統的な4つの楽章から構成され、全曲で40分。
 やや暗めのアダージョで開始する第1楽章から、最終楽章の爆発的な解放感と明るさは、まさに、暗から明へという、交響曲の伝統にしっかり則っております。

しかし、なかでも、緩徐楽章たる第3楽章が、絶美といっていいほどの存在で、いつまでも、ずっとずっと浸っていたい美的・静的な世界であります。
ともかく、メロウで、そのきれいなことといったら、クリスタルの世界でもあるんです。

中間部が、優しく、抒情的な第1楽章は、ちょっと映画音楽的。
ホルンの咆哮もかっちょええ。
 打楽器大活躍のリズミカルな第2楽章は、スケルツォ的な存在。
そして、あの美の第3楽章があって、終楽章は、明るく輝かしい。
Allegro jubilanteと表記されてます。
これまでの、各楽章を振り返りつつ、コーダは、壮麗かつダイナミックの極みとなり、聴き手に結末感を大いに抱かせつつ、超スペシャルなエンディングとなります。

ヒコックスと、作曲者ゆかりのロンドン響の充実の演奏で。

 アルウィンは、画才にも秀でた人で、シャンドスはそのすべてに彼の描いた風景画を用いておりました。
この1番のジャケットは、「ダルトムーア」と題された素敵な作品。
イングランド南端、花崗岩におおわれ、ケルト臭も満載の神秘的な地が、ダルトムーアです。
行ってみたいものです。

アルウィン 過去記事

 「リラ・アンジェリカ」

 「交響曲第5番」

 「リチャード・ヒコックスを偲んで」

 「オータム・レジェンド」

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2015年9月10日 (木)

ヴォーン・ウィリアムズ グリーンスリーヴスによる幻想曲 マリナー指揮

Minegishiyama_1

青空が見たい。

お天道さまを仰ぎたい。

もうやだ、雨。

Minegishiyama_2

  ヴォーン・ウィリアムズ  グリーンスリーヴスによる幻想曲

    サー・ネヴィル・マリナー指揮

         アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

               (1972 @ロンドン、キングスウェイホール
                1986.4 @ロンドン)


なにかと気ぜわしく、音楽をゆとりを持って聴く時間もない今日この頃。

しばらくぶりの更新は、超短めで。

いくらなんでも降りすぎだろ、この雨は。

早く、すっきりした空が、拝めますように、そんな思いも込めて、今宵はRVW。

VWのオペラ、「恋するサー・ジョン」に採用した、「グリーンスリーヴズ」の哀愁の旋律。
原作が、いわゆるシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」で、作者は、この旋律についてもそこで触れているといいます。

この素敵なオペラ、ヒコックスの指揮で、聴いてますので、いつか記事にしたいと思ってます。

誰しもがイメージする、この曲のエヴァーグリーン的な要素。

それを、すっきり、さわやかに演奏したのが、サー・マリナーです。

中学生のときに、ロンドンレコードから出た新譜のサブタイトルが、「ヴォーン・ウィリアムズのさわやかな世界」・・・・、だったと記憶します。
後年、レコードとして購入し、まさにその文字通りの曲目と演奏に、ほんのひと時的な聴き方で、愛着したものでした。

後年、フィリップスに、ノスタルジックサウンドとして再録音しましたが、30秒ほど演奏時間も伸びて、少し恰幅がよくなりましたが、あの少しそっけないくらいの、爽快マリナーは健在でした。

でも、自分的には、フィリップスの録音もいいのですが、デッカのこの曲にステキなまでにマッチングした録音がプラスに働いた旧盤を愛するところです。

 早く、晴れますように・・・・・

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