アルウィン 交響曲第1番 ヒコックス指揮
絞りの調節に失敗してしまい、チョコレート色のコスモスが、まっ黒になってしまいました。
いつも散策する、このお気に入りの公園は、その一角が、英国庭園風になっていて、ちょっとほったらかしのワイルド系なとこもいい。
アルウィン 交響曲第1番
サー・リチャード・ヒコックス指揮 ロンドン交響楽団
(1992.20@トーティング、オールセインツ教会)
ウィリアム・アルウィン(1905~1985)は、ブリテン、ウォルトン、ティペットたちと、同時代の英国作曲家。
その同時代人たちと比べ、さらに、つい最近まで存命だったことなどを思うと、その作風は、保守的でさえあります。
そして、同時に、しばしば書くことで恐縮ですが、アルウィンは、英国抒情派の作曲家のひとりでもあります。
わたくしの思う、その抒情派は、ほかに、V・ウィリアムズ、アイアランド、バターワース、フィンジ、ハウェルズ、、モーラン、ラッブラなどです。
こうした田園風な抒情を持ち合わせている一方で、ウォルトンやティペットのようなダイナミックな部分をも持ち合わせていて、なかなかに多彩な側面のある作曲家であります。
さらに、アルウィンは、映画音楽もかなり残していて、劇的、心象的な音楽造りの才能をうかがわせます。
同じくして、映画音楽とクラシックのジャンルを縦横に行き来した作曲家として、RVW、ブリス、ウォルトンなどが、英国作曲家として思い浮かびますが、今回の1番の交響曲を聴いていると、わたくしは、コルンゴルトを思い起こしてしまいました。
あふれる歌心と、抒情の煌めき、そして、ダイナミックレンジの広大さと、オーケストラの鳴りのよさ。
そう、コルンゴルトの長大なあの交響曲です。
アルウィンは、フルートの名手でもあり、ロンドン響の首席でもあった時代もありました。
そんなことからか、あらゆる管楽器、そしてもちろん、ヴァイオリンやピアノのための協奏作品を多く残し、同様に、そうした楽器による室内楽作品もいくつか書いてます。
そんな、どちらかといえば、少し規模の小さめの作品たちや、映画音楽を書いていた当初のアルウィンですが、世界大戦後、1950年に、一念発起して、本格交響曲に取り組み、完成させました。
これまでの、作品から、一歩も二歩も踏み出したアルウィンの心境は、のるかそるかぐらいの、チャレンジングなものだったといいます。
バルビローリの指揮するハルレ管により、チェルトナムで初演されたとき、聴衆も、評論家も、大変好意的にこの曲を迎え、バルビローリに至っては、次の2番の交響曲をオーダーするほどの思い入れを持ったのでした。
45歳のアルウィンは、こうして、本格クラシック作曲家として自他ともに認められ、以降、交響曲を5つ、オペラを二つと、英国音楽に、その足跡を残したのでした。
曲は、それぞれ10分あまりの規模の、正統的な4つの楽章から構成され、全曲で40分。
やや暗めのアダージョで開始する第1楽章から、最終楽章の爆発的な解放感と明るさは、まさに、暗から明へという、交響曲の伝統にしっかり則っております。
しかし、なかでも、緩徐楽章たる第3楽章が、絶美といっていいほどの存在で、いつまでも、ずっとずっと浸っていたい美的・静的な世界であります。
ともかく、メロウで、そのきれいなことといったら、クリスタルの世界でもあるんです。
中間部が、優しく、抒情的な第1楽章は、ちょっと映画音楽的。
ホルンの咆哮もかっちょええ。
打楽器大活躍のリズミカルな第2楽章は、スケルツォ的な存在。
そして、あの美の第3楽章があって、終楽章は、明るく輝かしい。
Allegro jubilanteと表記されてます。
これまでの、各楽章を振り返りつつ、コーダは、壮麗かつダイナミックの極みとなり、聴き手に結末感を大いに抱かせつつ、超スペシャルなエンディングとなります。
ヒコックスと、作曲者ゆかりのロンドン響の充実の演奏で。
アルウィンは、画才にも秀でた人で、シャンドスはそのすべてに彼の描いた風景画を用いておりました。
この1番のジャケットは、「ダルトムーア」と題された素敵な作品。
イングランド南端、花崗岩におおわれ、ケルト臭も満載の神秘的な地が、ダルトムーアです。
行ってみたいものです。
アルウィン 過去記事
「リラ・アンジェリカ」
「交響曲第5番」
「リチャード・ヒコックスを偲んで」
「オータム・レジェンド」
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