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2016年2月

2016年2月27日 (土)

ディーリアス 「シナーラ」 グローヴズ指揮

Naka_1

夜の紅白しだれ梅。

お月さんも、アングルにはおさめられなかったのですが、朧に輝いておりましたよ。

梅の甘い香りが、少しづつ緩みつつある夜の気配に色気を華ってましたね。

Delius_naka

 ディーリアス  「シナーラ」 ダウソンの詩による

         バリトン:ジョン・シャーリー=クヮーク

  サー・チャールズ・グローヴズ指揮ロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー

                        (1969 @リヴァプール)


ディーリアス(1862~1934)が、薄幸の同世代の世紀末英国詩人、アーネスト・ダウソン(1876~1900)の同名の作品に作曲した「シナーラ」。

1907年に筆をとるも、長く捨て置き、ビーチャムの新作の依頼により、そして、その晩年に献身的に尽したフェンビーの強力を得て、1929年に完成させた。

バリトン独唱が、主人公となって、忘れえぬ女性「シナーラ」を歌う。

ポーランド系の娘、シナーラは、レストランの娘。
ダウソンは惚れこんで、2年間通い、口説いたが、結局、彼女は店のウェイターと一緒になってしまった。
自暴自棄となった彼は、夜の街に沈み、酒と女の日々。
そして、そんな歓楽のなかにも、ふっと思い浮かぶのはシナーラの姿・・・・。

曲は、やるせないまでに切なく、そして官能的でもありつつ、感覚的。
ときに響きはぼやけて虚ろだし、そして、反面明晰。
いろんな要素が10分たらずの曲に込められてる。
それは、忘れられないシナーラを、つねにどこかで求めている主人公の感覚かも。

 「さらに狂える楽を 強き酒を呼ばった
   だが宴が終わりを告げ 燈火消え去れば
  その時こそさしおりるは おまえの影よ

   シナーラ! 夜はおまえのもの
  そしてこの身は想いに沈み 昔の情熱に苛められる
  そうよ 恋しきおまえの唇を求めもとめて
  おまえを思いとおしてきたのだ シナーラよ
  我なりに  」

                南條竹則 訳

三浦淳史さんの解説を参考にいたしました。

ディーリアスの音楽に帰ってくると、ほんとうに、心の底から安寧感に満たされる・・・・・。

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ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」 フルトヴェングラー指揮

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何年も前に行った八甲田山。

大学生のときに観た同名の映画は、史実に基づく、寒々しくも、でも忠義に尽す明治の軍人たちの物語だった。

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ここで立ちながらにして凍死した隊員たち。

前にテレビで観たけれど、夜になると行軍する霊たちがあらわれるという・・・・・・

Hatskooda_3

  ベートーヴェン 交響曲第3番 変ホ長調 「英雄」

    ウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮 ウィーンフィルハーモニー

                               (1953)


またしても、鼓舞されそうな曲を選んで、しかも、大昔にクラシック道に導いてくれた従兄の家で、レコードで聴いた演奏で。

CDで全集を揃えてみたけれど、ほったらかし。

そして、聴いてみたよ、フルヴェンのエロイカ。

そしたら、なんだか、遠い世界の音楽に聴こえた。

まるで、過去から忽然とあらわれた武士のようで、一部は落ち武者のように感じた。

しかし、終楽章は実に素晴らしく自在だ。

レコードをパチパチいわせながら聴いたらまた違う印象かも。

CDでは、情感がのっぺりしすぎて聴こえてしまうのか。
自分の耳も、変化し、多様な演奏や演奏様式を聴けるようになった今、不遜にも、これは辛い演奏に感じた。
 おまけに、雄大さ、悠揚さが辛かった。
鼓舞されず、意欲は逡巡した。

ファンの方々、すいません。
5番も6番も辛かった。
第9は、聴く意欲がありません。

ワーグナーは無条件にOKなんだけど。

もしかしたら、ブラームスは。
ぶら4でも確認してみよっと。
またいずれ。

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2016年2月25日 (木)

ベートーヴェン 交響曲第5番 クライバー指揮

Tokyo_tower

久しぶりの東京タワーは、公園の足元灯が色とりどりになっていて、きれいでした。

そして、河津桜が満開。

Beethoven_5

  ベートーヴェン 交響曲第5番 ハ短調

    カルロス・クライバー指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

        
                       (1974.3 ウィーン)


自分を奮い立たせるために聴いた。

ピリオドもくそもない。

自分には、いつでも鮮度高いカルロスの第5。

「いまさらカルロスの第5、されど、カルロスの第5。」

以上、おわり。

ドラえも~ん、運命の扉をちょーーだ~い

 当ブログ史上、一番短いヤツ書いてやった。

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2016年2月22日 (月)

にゃんにゃんの日に

1

公園のいつもの、ねこ。

2月22日は、猫の日。

なんでも、空前のねこブームだそうな。

その市場規模は3兆超えだとか。

まぁ、そんなことは、まったく関係ない、野良たちの自由すぎる様子を、ひさびさにお届けします。

2

その視線の先は、わたくしの投げたパン一切れ。

あんまり餌あげちゃいけないね。
ここの公園のねこたちを、ちゃんと世話してるおばちゃんや、おじさんがいますし。

3

カラス登場

4

「ふぁ~~」、パンにも、カラスも、眼中にない

6

パンに近づく大胆なカラスのやろう。

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ふぇーーーっ、伸びしちゃってる

8

じわじわ近づくカラスのやろう

9

そして、ついに、パンの切れ端を・・・・

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ゲット!
カラスのしたり顔

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食べたあとも、にゃんこに近づく不遜なカラスのやろう

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呑気に寝てるし・・・・・

しかし、カラスは、別の闖入者によって飛び去ったのだった・・・・・

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わんわんわんわんっ!

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「ったく、うっせーな」

自由で逞しい、きょうのにゃんにゃんなのでしたぁ


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2016年2月18日 (木)

ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ジャンドロン

Suisen

立ち姿も、その芳しい香りも美しい水仙。

いろんな花言葉がありますが、その学名「ナルシサス」は、ギリシア神話に出てくる、ナルキッソスに由来することは、以前にもここで書いたとおり。

そう、ナルシストです。

自分の美しい姿を小川の水面に見て、恋してしまうという、あれです。

ですから、自己愛とか、うぬぼれ、といった花言葉もあるみたいです。
別に、自分が一番好きなのは、あたりまえだと思いますけど、加減はありますな。

Dovrak

    ドヴォルザーク  チェロ協奏曲 ロ短調

        チェロ:モーリス・ジャンドロン

   ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

                    (1969.11 ロンドン)


懐かしいイメージの常にある、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。

そして、自分にとって、いつか聴いてみたいと、子供のときから思っていた演奏。

その想いをずっと抱きながらも、40年の年月を経て、聴いたのが数年前。

音楽鑑賞の遍歴って、わたしのような世代の人間には、もしかしたら、きっとそんなものだろうと思う。

ともかく、レコードが高かったし、貴重な時代。
情報源は、レコ芸かステ芸、ステレオサウンドの活字しかなかったし、音楽をレコードと生演奏以外から享受するには、ラジオ放送とNHKしかなかった。

いまの若いリスナーには、信じられないほどに不自由だったから、常に、音楽に飢えていた。
あの頃の情熱たるや、いまでは、言葉にできないくらいの熱いもので、ああした想いを、いま、若い人たちが理解できるとはとうてい思えない。

おっさんのたわいごとです。

でも、心配することはないね。

さりげなく、スマホやPCで音楽を、どんなシテュエーションでに聴くことができるって、音楽が日常になくてはならない証しでしょう。
クラシック音楽も、まさに、そんな享受の仕方のなかあって、もしかしたら、ワタクシのようなおじさん世代よりも、より大衆化しているのかもしれない・・・

 前置きが長くなりましたが、フランスの名チェリスト、モーリス・ジャンドロンの弾くドヴォコン。
1971年、ハイティンクの音盤のカタログを入手して、マーラーやブルックナーといった未知のレコードばかりが載ってるなか、このジャンドロンをソリストとするドヴォコンのジャケットがあって、当時、かねてより、定盤のロストロ・カラヤンの例の音盤を、擦り切れるほどに聴いていたものだから、そうじゃない演奏って、どんなんだろうと、興味深々だった。

その後に訪れた、ハイティンク・フェイバリットに押され、ともかく聴きたかったけれど、機会のなかったこの演奏。

 がっかりと、なっとくの双方を味わいましたが、何度も聴きこむうちに、魅惑的な演奏に思えるようになりました。

まず、がっかりが、修正できない部分は、ハイティンクの指揮。
フレーズの最後のあっけないぶった切り。
この時期の、コンセルトヘボウとの録音でも、ときおり感じる淡泊さは、ふくよかなオケの音色で助けられていたけれど、ロンドンフィルは、ノーマルで反応が良すぎるものだから、その印象は性急に感じられることもしばし。
 ハイティンクが、LPOを、RCO化してしまうのは、もう少しして後。

 そして、肝心のジャンドロンのチェロ。

ともかく、明るくて明晰。
誰をも惹き付けてしまう、オープンな表情付けのなかに、南フランス風の情熱と、爽やかさの両輪を聴くことができる。
ともかく流れがよろしくって、ジャンドロンのチェロは、流線形を描くがごとく、ゆるやかに、でも、情熱的に響くのでした。

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2016年2月 3日 (水)

ロイヤル・コンセルトヘボウ オーケストラがやってくる

Rco_a

少し前ですが、応募した試写会があたり、少人数の濃密な空間で、この素晴らしい映画を観てまいりました。

そう、われわれ日本人が、もっとも好きなオーケストラのひとつ。
わたくしなどは、昔の名前、アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団という名前で、さんざんに親しんできたものですから、RCO、すなわち、ロイヤル・コンセルトヘボウ・オーケストラと呼ばれるようになった昨今、ちょっと違和感を感じてるんです。

それはともかく、この映画。
2013年、楽団創立125周年のワールドツアーの模様を主軸に展開します。

ネタバレしちゃうとこもありますので、要注意。

このワールドツアーでは、わが日本にも、ヤンソンスとともにやってきて、英雄の生涯や火の鳥、チャイコフスキー5番などのプログラムでした。
 映画では、アルゼンチン(ブエノスアイレス)、南アフリカ(ソウェト)、ロシア(サンクトペテルブルク)の3ヵ国を訪れた様子が、現地の音楽を愛する人々と、コンセルトヘボウの楽員たちのエピソードや、自身の楽器の紹介などを交えながら描かれております。

ブエノスアイレスでは、クラシック好きのタクシーの運転手が、仲間の間では、お高くとまってしまい浮いてしまうので、クラシックのことは絶対に口にしない。
でも、一人、運転しているときは、クラシックを大音量でかけているのさ・・・・。
 夜のブエノスアイレスの様子や、美味しそうな肉(!)を食べながら音楽談義をする楽員なども興味深いものでした。
 チャイ5のリハーサルでは、ヤンソンスの耳の良さとマジックが!

そして、飛んで飛んで、南アフリカ。
街は、その土壌ゆえに赤っぽい。
そしてあふれるエネルギーと強烈なリズム感の持ち主の子供たち。
音楽を心から愛し、将来の目標なども目を輝かせて語る一方、常に犯罪と隣り合わせの危険な街に怯える姿も。。。。
でも、彼ら、彼女ら、ピーターと狼の演奏会には、からだじゅう、目いっぱい、よろこびを爆発させてますよ。
 人種差別と戦いつつ、ヴァイオリンを学んだ老人は、いまは、高名な音楽教師となって、南アフリカの子供たちに楽器を教えてます。
ここでも、子供たちの真摯な眼差しが心に残ります。

Rco_b

最後の地は、ロシア。
悲惨な過去を背負う生き証人のような老人が語ります。
サンクトペテルブルクにマーラーがやってきて、千人の交響曲を指揮したとき、それを祖母が聴いていたと。
その後、父は、スターリンの粛清に会い、さらにナチスが進攻してきたときに、ユダヤ人ゆえに囚われとなり、ポーランドの強制収容所に送られた。
幸いに戦争終結で、命は助かったと。

愛する妻もなくなり、いまでは一人ぼっちと、寂しそうに語るその姿は、今度は、コンセルトヘボウの演奏会場にありました。
演目は、マーラーの「復活」で、映画では、終楽章、静かに「復活せよ・・・」と、感動的に合唱が歌い始めるところから、最後の輝かしいエンディングまで、しっかり観ることができます。
大きな拍手のなか、先の老人の眼から涙が流れます。。。。。

この場面には、ワタクシもうるんでしまったし、近くにいた紳士も泣いてましたな・・・・

オーケストラのことはあまり触れませんでしたが、映画では、大規模な移動の模様と、そのハードさ。
驚きの移動ツールや旅慣れした楽員さんたちの行動などなど、音楽好きなら、目を離すことができない場面がたくさん。
 もちろん演奏風景や、楽器紹介のおもしろさ、ヤンソンスの指揮ぶりなどもたっぷり。

演奏する方々の音楽への想い、そして、それを受けとめる聴き手の音楽への想い。
その愛し方にはまったく違いがなくて、生きる糧でもあり、心の支えでもあるのだな、と痛感した次第です。

都内から順次公開。
春のかけて、全国各地でも上演予定ですよ。

http://rco-movie.com/

最近は映画をたくさん観てます。

「さまよえるシネマ人」化してる。
そっち系のブログでも起こそうかしら。

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