ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ジャンドロン
立ち姿も、その芳しい香りも美しい水仙。
いろんな花言葉がありますが、その学名「ナルシサス」は、ギリシア神話に出てくる、ナルキッソスに由来することは、以前にもここで書いたとおり。
そう、ナルシストです。
自分の美しい姿を小川の水面に見て、恋してしまうという、あれです。
ですから、自己愛とか、うぬぼれ、といった花言葉もあるみたいです。
別に、自分が一番好きなのは、あたりまえだと思いますけど、加減はありますな。
ドヴォルザーク チェロ協奏曲 ロ短調
チェロ:モーリス・ジャンドロン
ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団
(1969.11 ロンドン)
懐かしいイメージの常にある、ドヴォルザークのチェロ協奏曲。
そして、自分にとって、いつか聴いてみたいと、子供のときから思っていた演奏。
その想いをずっと抱きながらも、40年の年月を経て、聴いたのが数年前。
音楽鑑賞の遍歴って、わたしのような世代の人間には、もしかしたら、きっとそんなものだろうと思う。
ともかく、レコードが高かったし、貴重な時代。
情報源は、レコ芸かステ芸、ステレオサウンドの活字しかなかったし、音楽をレコードと生演奏以外から享受するには、ラジオ放送とNHKしかなかった。
いまの若いリスナーには、信じられないほどに不自由だったから、常に、音楽に飢えていた。
あの頃の情熱たるや、いまでは、言葉にできないくらいの熱いもので、ああした想いを、いま、若い人たちが理解できるとはとうてい思えない。
おっさんのたわいごとです。
でも、心配することはないね。
さりげなく、スマホやPCで音楽を、どんなシテュエーションでに聴くことができるって、音楽が日常になくてはならない証しでしょう。
クラシック音楽も、まさに、そんな享受の仕方のなかあって、もしかしたら、ワタクシのようなおじさん世代よりも、より大衆化しているのかもしれない・・・
前置きが長くなりましたが、フランスの名チェリスト、モーリス・ジャンドロンの弾くドヴォコン。
1971年、ハイティンクの音盤のカタログを入手して、マーラーやブルックナーといった未知のレコードばかりが載ってるなか、このジャンドロンをソリストとするドヴォコンのジャケットがあって、当時、かねてより、定盤のロストロ・カラヤンの例の音盤を、擦り切れるほどに聴いていたものだから、そうじゃない演奏って、どんなんだろうと、興味深々だった。
その後に訪れた、ハイティンク・フェイバリットに押され、ともかく聴きたかったけれど、機会のなかったこの演奏。
がっかりと、なっとくの双方を味わいましたが、何度も聴きこむうちに、魅惑的な演奏に思えるようになりました。
まず、がっかりが、修正できない部分は、ハイティンクの指揮。
フレーズの最後のあっけないぶった切り。
この時期の、コンセルトヘボウとの録音でも、ときおり感じる淡泊さは、ふくよかなオケの音色で助けられていたけれど、ロンドンフィルは、ノーマルで反応が良すぎるものだから、その印象は性急に感じられることもしばし。
ハイティンクが、LPOを、RCO化してしまうのは、もう少しして後。
そして、肝心のジャンドロンのチェロ。
ともかく、明るくて明晰。
誰をも惹き付けてしまう、オープンな表情付けのなかに、南フランス風の情熱と、爽やかさの両輪を聴くことができる。
ともかく流れがよろしくって、ジャンドロンのチェロは、流線形を描くがごとく、ゆるやかに、でも、情熱的に響くのでした。
| 固定リンク
コメント