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2016年3月27日 (日)

バッハ マタイ受難曲

Tokyo_tower_4

桜の季節は、イースター週間と重なりました。

キリスト教徒国にとっては、クリスマスと並ぶ一大祭で、長いお休みがある。

この時期、欧米系の外国人の方々の観光客も多くみかけるのも、そのため。

日本では、クリスマスはあんなに大騒ぎするのに、復活祭はまったく話題になりません。

大好きな音楽、そして、もっとも大切な音楽のひとつ。

偉大な、バッハのマタイ受難曲。

Bach_matthaus

  J・S・バッハ  「マタイ受難曲」 BWV244

人類に残された音楽の至芸品。

それが、バッハのマタイ。

わたくしもご多分にもれず、最大級に愛する音楽として、ワーグナーやディーリアスの音楽とともに双璧の存在です。

イエス・キリストの受難劇。

すなわち、イエスの捕縛から、十字架上の死、そして、埋葬後の復活までを淡々と音楽で描く作品であるが、それがキリスト者のための音楽だけにとどまらず、人類普遍の、そして人間の存在の核心をついたという意味で、まさに人類のために存在する音楽作品なのだ。

 テキストは新約聖書のマタイ伝。

劇的でありつつ、ほかの伝記に比べて一番内省的かもしれない。

そんな聖書にバッハは、途方もなく感動的な音楽をつけた。

イエスの受難の物語を語る福音史家は淡々と、でも、ときに聖句に劇的な歌い口を示します。
その客観的な存在が、イエスへの同情、人間への問題提起を求めるさまが、ほんとうに鋭く、魂が揺さぶられる。

むごい感情をむき出しにする群衆と、聖なる清らかな合唱の二律背反が生むドラマティックな落差。

ソロ歌手たちの切実なアリアたちが、受難劇の進行のなかで、われわれ聴き手・人間たちの心に寄り添いつつも、その悲しみへの共感をよりそそる。

 マタイ受難曲、最大の聴きどころは、ペテロの否認の場面。
イエスを知らないと、イエスの予言通りに3度言ってしまうペテロ。
そのあと、にわとりが鳴き、イエスの預言が成就することで、激しく泣くペトロ。
「憐れみたまえ、わが神よ」
アルト独唱の名アリアは、それを聴くわれわれも、だれしもが思う自戒の念にとらわれ、心揺さぶられる。
わたくしは、必ず、泣いてしまう。

Richter

マタイといえば、リヒター
リヒターといえば、マタイ。

そんな図式が、6~70年代には行きわたっていて、わたくしも、同じく、そんな洗脳に近い想いに凝り固まっていた人間のひとりです。

人を寄せ付けないまでの峻厳、厳格なバッハ。
イエスをめぐる人間ドラマも容赦なく、切れ込みは鋭く、その一方で、その視線は鋭く、そして優しい。
重い足取りで始まる大ドラマも、最後は悲劇にあふれながらも、聴く人を包み込み、次へと羽ばたけそうな、大きな翼を与えてくれるような、後押しの巨大な力にあふれている。
そんな「ドラマ」に満ち溢れている、「リヒターのマタイ」なのであります。

これまた絶対的なエヴァンゲリストとしての存在であった、ヘフリガーの禁欲と情感、ともに満ち溢れる福音史家が完璧すぎる。
テッパーのアルトを始め、歌手たちも、ともかく素晴らしいリヒター旧盤。

つぎに、若き日に、マタイにより親しんだのが、リリングとシュトットガルトとの来日公演の放送。
明るい歌にあふれたリリングの指揮は、クラウスの福音史家とともに、何度もテレビ放送されたなか、マタイが完全に血肉化されるのを感じました。
聖書も全体を読み、ますます、マタイ受難曲への理解が進んだ大学生の時代です。

そのあとのマタイ遍歴は数々あれど、いつも戻るのはリヒター。

でも、柔らかで、ドイツの教会のひとコマを思い起こさせてくれるヨッフム盤。
ここでは、ヘフリガーが相変わらず素晴らしいのと、コンセルトヘボウの伝統あふれる木質の響きがなんとも美しいのです。

CD時代に購入した、リヒターと違う意味での峻厳なレオンハルト盤。
そこでは音楽が息づき、バッハの楽譜優先のピュアな再現がかえって、音楽に力を与えているようだった、

あと、明るく伸びやかなヘルヴェッヘ盤。
新鮮な響きのなかに、市井の人々の緩やかな毎日までも感じさせてくれる。

 
旅行鞄に、余裕があれば、この4つを持って行きたいマタイ。

でも、ひとつと言われたら、そう、あれしかないですね。

 あと、アバドのマタイを是非聴きたいものだが、ベルリンでの音源、なんとかならないものか・・・・・

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コメント

ショルティ(ハイライト)、アーノンクール、鈴木雅明、コープマン(2種)、バット、ヘレヴェッヘ、クレンペラー、そしてラトル。ヘレヴェッヘだけがyokochanさんと共通でした。
やはり冒頭のコラールと第39曲(旧47番)「われを憐れみ給え」をクレンペラーの指揮で聴いたときに、心が震えました(今となっては違和感があるけれど)。
その後、聴きこんでいくにつれ、第35曲「ただ耐え忍べ」、第49曲「愛ゆえにわが神は死に給う」、第52曲「わたしのほほの涙が」、第57曲「来たれ、甘き十字架よ」、そして終曲「われらは涙ながらここにひざまずき」、アリアではないけれど、その劇的な瞬間においては、ワーグナーやヴェルディをも上回る、第63a曲。
それらの曲は、心に染み入ります。
yokochanさんのブログ読んでいたら、ライヴでまた聴きたくなりましたよ。
来年の3月まで待たなけりゃならないか・・・。
(アバドのマタイは耳にしていません。是非聴きたいです。)

投稿: IANIS | 2016年3月28日 (月) 00時12分

IANISさん、毎度です。
わたしは、定盤でしたが、さすがにひねりが効いてますね。
そしてショルティをお聴きとは!
あと、クレンペラーは必ず聴かねばと思って、もう何年も経ってしましましたし、カラヤンにも妙に魅かれたりしてます。

63aに関しては、わたくしも同感です。
虚無の世界に踏みいれてしまってます。

アバドのマタイは、イタリアの新聞社がCDにしてますが、目の飛び出るほど高く、入手も難のようです。

投稿: yokochan | 2016年3月28日 (月) 22時41分

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