ワーグナー 「パルシファル」 大好きなオペラ
また寒くなって、ほころび始めた桜も足踏みか。
でも春はやってきた。
そして、今日は聖金曜日。
今年の復活祭は27日です。
これに合わせて、好きなオペラ、「パルシファル」
ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルシファル」
この深淵な作品との出会いは、中学生の頃。
ワーグナーに目覚め、年末のバイロイト放送に熱狂し、当時は、イースターに合わせて、春に放送されていた「パルシファル」を、初めて聴いて、あまりにも静的な音楽に最初は戸惑いを覚えた。
でも、作品の筋を理解し、前奏曲や聖金曜日の音楽を何度も聴くうちに、全体を把握できるようになり、これは本当に美しい作品なのだと思うようになった。
最初に聴いたバイロイト放送は、ヨッフムの指揮によるもの。
でも、この作品には、クナッパーツブッシュという偉大な演奏があるということを、レコ芸やワーグナーの書評で知ることとなり、いつしかそのレコードが欲しいと、クナの演奏を妄信するようになった。
だがしかし、おこずかいは限られ、ベームのリングも買ってもらっちゃったものだから、クナのパルシファルは、大学生になるまで全曲盤を入手することができなかった。
それまでは、抜粋盤で我慢ということで。
その間は、エアチェックしたショルティ盤。
これは、バイロイトのライブ以外での初スタジオ録音で、デッカの目覚ましいサウンドがFMごしでもよくわかった。
あとは、毎年録音したバイロイトの放送。
シュタイン、レヴァイン、バレンボイム、シノーポリなどなど・・・。
聖と邪。
同情によって、智をえた鈍き愚者によって、救われる魂ふたつ。
ひとりは、キリストを笑ったクンドリーと、邪に染まった男によって罪に溺れたアンフォルタス。
宗教の奥儀と、ヨーロッパ社会発想の根源がここにあり、オペラという枠をリングにもまして、大きく踏み出した。
ワーグナーの音楽も、ドビュッシーやウェーベルンに繋がる精緻さと透明感がある。
もしかしたら室内オーケストラでもいいかもしれないくらい。
戦後のバイロイト、いわゆる新バイロイトを象徴するヴィーラント・ワーグナーの演出には、クナッパーツブッシュの大河の流れのような雄大・深淵な演奏があってこそ、映えるもの。
映像が残ってないのが本当に残念だが、クナの永年の演奏は、いくつもの音源があって、それぞれに楽しめる。
しかし、最良の状態で残された62年のフィリップスライブは、その録音も、歌手たちの歌唱も神々しいほどに素晴らしい。
クナが築くゆるやかな音楽の流れは、場面場面、しいては言葉の一言一言に反応を起こし、オーケストラは驚くほどに雄弁なのである。
ホッターの含蓄あふれるグルネマンツと、J・トーマスの凛々しいタイトルロールも完璧。
そのクナッパーツブッシュの後は、誰しも驚いたブーレーズ。
ゆったりした前任者のテンポを、大幅に早めて、快速パルシファルを達成してしまった。
でも、その速さを感じさせないのは、ブーレーズの音楽の明晰さと、音符のすべてがクッキリとはっきりと聴こえる鮮やかさがあったから。
後年、パルシファルを指揮しにバイロイトに復帰したブーレーズは、クソみたいな演出にもかかわらず、30年以上前とほぼ同じ切り口の演奏を聴かせたのには驚いた。
F・クラス、デイム・ジョーンズ、J・キング、マッキンタイアなど、70年代の若手歌手も見事。
そして、70年代の若手と、その前の大ベテランを配した豪華な歌手をずらりとそろえたデッカならではのショルティ盤。
剛力をちょっと押さえつつ、ウィーンフィルの柔らかな響きを大切にしたショルティの円熟の指揮と、素晴らしい録音。
ルネ・コロのパルシファルとルートヴィヒのクンドリーが大好き。
ワーグナー家の手を離れたパルシファル演出だった、G・フリードリヒのもの。
指揮はジェイムズ・レヴァインが起用され、クナより遅いテンポと、豊穣なまでにオペラティックな演奏が、年を追うごとに充実していった。
あと、P・ホフマンの鋼鉄のような声がここでは感銘を誘う。
もちろん、フィリップスの録音も最高によろしい。
後年、レヴァインは、あんなひどい演出で指揮するのは耐え難かったと語ったというが・・・・
最後に、正規録音を残さなかったアバドのパルシファルの清新さを、自分的には、最良のパルシファルとして記憶しておきたい。
(ザルツブルクでの舞台 アバド&BPO)
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