チャイコフスキー 交響曲第1番「冬の日の幻想」 秋山和慶指揮
春は一進一退。
首都圏では、春めいたかと思うと、凍えるような寒さがやってきて、体温調節はなはだ難しく、体調もイマイチ。
おまけに、花粉が鼻をくすぐり、ワタクシは、くしゃみと鼻水、そして眼の痒みに苦しみ中。
以前、冬の北海道、大沼を訪れたときの冬の氷に閉ざされた光景。
夏にも行ったことがありますが、緑と青の、それはまた美しい風景でした。
北国の風物は、ドラマティックなほどに、濃淡が美しい。
それは、厳しくもあり、そして美しい。
そして、まだ寒い日が続くなか、チャイコフスキーを聴きます。
チャイコフスキー 交響曲第1番 ト短調 「冬の日の幻想」 op13
秋山 和慶 指揮 札幌交響楽団
(1990.9 @オーチャードホール)
5番は、普通に別格として、わたくしは、1番が大好き。
もう何度も、ブログで取り上げてます。
メランコリックで、あふれる北国のファンタジー。
眼を閉じれば、窓の外は、雪の降りしきる白樺の林と、暖かい暖炉。
そんなイメージを感じる。
以前の記事から、われながらよく書けているので再褐。
<1楽章冒頭のファゴットとフルートによる詩的でクールなスノー・サウンド。
あまりに素敵な2楽章は、オーボエの連綿たるメロディが雪に埋もれ、ずっと先まで真っ白なロシアの大地をロマンティックなまでに思わせる素敵なもので、その後の展開はあまりに美しく、かの地の抜けるように白い肌の女性の微笑みみたい。
で、スケルツォになると、中間部の歌謡性に富んだ場面が無情に素晴らしい。
いつまでも、どこまでも浸っていたい甘さを備えたワルツ調のメロディにメロメロ。
そして決然と、かつ民族調の終楽章。
「小さな花よ」というロシア民謡からそのメロディが取られた序奏とその主題。
繰り返しのファンファーレが重奏してゆく、ややくどい展開ですが、その興奮はいやでも高まり、最後は、後期の完璧なフィナーレ感とは遠いですが、健康的なまでの壮麗なエンディングを迎えるのです。>
このステキな交響曲を札響で聴く喜び。
なにも北のオケだからご当地ものと言うワケじゃありませんが、やはり、北海道の自然や風物は、ロシアや北欧、北ヨーロッパの空気や雰囲気に似通ってます。
短い春と夏は、圧倒的に美しいし、暗い秋も憂愁に富んでる。
そして、長い冬は白と銀色の世界に閉ざされるけれど、人々は寡黙ながらも、冬を過ごす術と力強さに満ちている。
そんな北国に住まう奏者たちが奏でる音楽は、ロシアや北欧のオーケストラの澄んだ響きと力強さと相通じつつ、日本人らしいきめ細やかな繊細さも有している。
東京のホールでのライブ録音だけど、そんな音をこの「冬の日の幻想」に感じることができました。
思いこみが強すぎるかしら・・・・。
88年から10年間、岩城宏之さんの後を受けて札響を率いた秋山和慶さん。
的確さと、ツボを抑えた危なげない指揮ぶりは、ムーディに流れがちなこの交響曲を、シンフォニーとしての構成をしっかり備えた音楽として鮮やかに再現してます。
旋律の歌わせ方も過剰にならずに、でも思い通りにやってくれちゃうし、盛りあげのうまさもばっちり。さすがと思います。
春はそこまで・・・
過去記事
「マリナー&アカデミー」
「メータ&ロサンゼルスフィル」
「ハイティンク&コンセルトヘボウ」
「T・トーマス&ボストン」
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コメント
ご無沙汰しております。チャイコの1番。大好きです。2楽章をずっと聞いて泣きたいです。私はマゼール&ウィーンフィルが大好き。後年、偉くなってから録音したものよりも、若いころの情熱的なウィーン盤が好きです。
仕事や人間関係でどうしようもなくなったときに、1番を聞きたくなります。1楽章の玲瓏なメロディー、チャイコ独特のオーケストレーションや和声進行を聴くだけでも心が癒されます。
おお、確かに日本人演奏は聴いたことが無い。秋山和慶&札響ですか!なるほど^^目の付け所がシャープですね(このコピー、使えなくなりましたね。。)
投稿: モナコ命 | 2016年3月18日 (金) 21時42分
モナコ命さん、こんばんは。
ご返信、遅くなってしまいました。
1番の素敵さに、ご賛同いただきまして、心から嬉しく、そして、ありがたく存じます。
ほんと、大好きな1番ですから、いろいろ聞いてますが、マゼール盤はまだ課題で、全集をパパっと揃えてしまってオシマイにしたくないものですから、そうしてしまうきっかけを求めてました。
もしかしたら、今回が、そのきっかけになるかも知れません!
辛いときとか、寂しいとき、聞きます!
シャープさんも、フラットになりましたねぇ・・・・・
投稿: yokochan | 2016年3月22日 (火) 21時04分