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2016年8月27日 (土)

バイロイト2016 妄想聴き

Azuma

今年のお盆は、曇天続きで、どうもすっきりないまま明け、そして台風が襲来した関東。

そしてまた、次の台風がやってきそうだ。

異常な天候続きと、不気味な動きを見せる近くの国々が気になって、オリンピックロスもさほどに感じなかった。

そんな夏も、もう終盤。

海外の音楽祭も次々に終了。

ネットでリアルタイムで聴ける幸せだけど、今年は、ばたばたしてて、気もそぞろのながら聴き。
全部PC録音しましたよ。

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(以下画像はバイエルン放送局のサイトから拝借してます)

バイロイトでは、「パルシファル」がプリミエ。

演出は、危なそうだったヨナタン・ミーゼに替わり、安全そうなラウフェンベルクに変更。

ラウフェンベルクの舞台は、数年前、ドレスデンの来演で、「ばらの騎士」を観たけれど、時代の移し替え以外は、穏当な演出だった。

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今回の「パルシファル」は、画像を拝見すると、アンフォルタスはイエスのようだし、当然、現場は、中近東風。
花の乙女たちは、ヒシャブをまとっているわけで、米軍の戦闘服を着たように見えるパルシファルは素顔の彼女たちとお風呂入っちゃってる。

クリングゾルは、武器商人かな?グルネマンツは、アラブの解放戦線の指導者風。
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想像と勝手な妄想は止まらないけれど、映像の放映を期待したい。

こんな演出だから、テロが続発したドイツ当局も、かなり警備に力をいれたそうだ。

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音楽面でも、大きな話題を呼んだのが、直前のネルソンスの降板。
ティーレマンとの不仲説や、演出の問題などなど囁かれているけれど。。。。

急遽、指揮台に立ったのは、ハルトムート・ヘンヒェン。
ドレスデン生まれの、叩き上げのオペラ指揮者の登場は意外な感じもしたけれど、その音楽は安定していて、聴いていて、大きな驚きはないものの、まったく自然かつ豊かなものでした。

フォークトのパルシファルは文句なく素晴らしくクリアな声は存在感抜群。
ゼッペンフェルトのグルネマンツは、もう少し深みと重さが欲しいけど、これから変わっていくかも。
音だけ聴けば、無難なプリミエを迎えたパルシファル。

G_1

4年目のカストルフの「リング」

石油争いと、社会主義と資本主義のせめぎ合いをからめた、ごった煮的演出も、これまでの5年のリング暦にあわせると、あと1年。
次のリングの指揮には、ネルソンスと言われていたけれど、難しいことになったね。

ペトレンコ、ヘンゲルブロックも含め、バイロイトから去った実力者が抜けたあとは、小粒化が否めない指揮者陣。

そんななかで、ヤノフスキの初登場、しかもリング全3サイクルを完璧に仕上げた実力はさすがとしか言いようがないと思う。
速めのテンポで、聞かせどころのツボを、しっかりと押さえ、メリハリの効いた力強い指揮は、ワーグナーの音楽に安心して身を委ねることができるものかもしれない。
ただ、ペトレンコの指揮にあった、いろんな発見は、ここでは少なめ。
そして、サラっと通り過ぎてしまうところが、意外なところにあったりするのも、職人ヤノフスキらしいとこかも・・・・・

 歌手も年々替わるのも、このリングサイクルの特徴かも。
しかも、一進一退か。

ウォータンがひとりで全部歌わずに、ラインと、ワルキューレ・ジークフリートとでふたり。
若々しいウォータンであるはずのラインゴールドだから、それは一理あるけれど、なんとなく統一感がないね。
 ワルキューレとさすらい人を歌ったのが、ルントグレン。
どこかで聴いた名前、聴いた声だと思ったら、以前に新国でスカルピア役を観ていた。
ちょっとアクの強い声質で、ばかでかい声だけど、これは今後よくなりそうなウォータンに感じましたよ。
 歌手たちのなかで、一番よかったのが、フォスターのブリュンヒルデで、優しさと気品を見事に持ち合わせた歌唱かと。
あと2年目の、フィンケのジークフリートも、とてもよかった。
この人も、よくよく調べたら手持ちの「死の都」のDVDでパウルを歌っていた人だった。
よいヘルデンテノールになってきたね。
あと舞台を引き締めていたのは、ベテラン、ドーメンのアルベリヒ。

しかし、ジークフリートと黄昏が終わったあとのブーイングはすごいものがあった。
やはり、カラシニコフをぶっぱなす共産かぶれのジークフリートとかウォール街には我慢がならんのか。。。。

このリングは、映像化されるのだろうか。
スケジュールを見てたら、3サイクル上演だったけど、神々の黄昏だけ、4度上演してんのね。これだけ録画したのかしら・・・・
観てはみたいけれど、どっちでもいいや(笑)

H_1

あとは、まだやってる「さまよえるオランダ人」。

テレビで何度も観たけれど、扇風機工場がわけわからんし、全体のムードが陳腐な感じで好きじゃない。
なんか使いまわしをされている、便利な存在になりつつあるA・コバーのキビキビした指揮はよい。
メルベートのゼンタはとても好きだけど、新国お馴染みのトマス・マイヤーがついにオランダ人として登場したけれど、声の威力がいまひとつ、でも美声です。

このオランダ人は、今年で終わり(たぶん)。

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2年目のカタリーナとティーレマンのトリスタン。

映像化もされ、まだ全部を見てはいないが、ブルーな雰囲気と無限ループのような無機質な舞台は、悪くない感じ。

ティーレマンは、あいかわらず、どっしり、がっしりやってるけど、もすこし、しなやかに柔らかな響きも聴きたい感じもする。

グールトのトリスタンは文句なし。
問題はイゾルデが、このプロダクションでは定まらないところか。
アニヤ・カンペが昨年は最初から降りてしまい、ヘルツィウスが歌ったが、今年は、ペトラ・ラングで、彼女はもともとメゾの音域のひと。
ブランゲーネとオルトルートのイメージが強い彼女だけど、ちょっとキツかったかも。
不安な歌い回しも散見されたが、来年も彼女の名前がノミネートされているので、いろんなものを克服して登場することでしょう。

演出も、歌手も指揮者も、年々よくなっていくのが、だいたい5年サイクルのバイロイトの上演。
そうならなかった演目もいくつかあって打ち切りの刑に処せられたものもあったけれど。。

 来年は、「マイスタージンガー」が新演出上演。

ベルリン・コーミシュオーパーのバリー・コスキーの演出。
こんな「魔笛」の舞台を作っちゃうひとで、おもしろそう。


指揮は、フィリップ・ジョルダンに、ザックスは、フォレ。

なんだかんで、バイロイトは気になるし、面白いのだ。

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コメント

おお!バイロイトの書き込み!
ありがとうございます^^
毎回思うのですが、さまよえる様はなんとやってバイロイトの動画を見ているのですか?私も見たいのです。
でもなー。。。
こちらで紹介されている動画や演出というか舞台を見るとゲンナリしそうです。。。そうなんです。私って保守的なんです。シュールな演出や新しい舞台を楽しめないんです。クラシック音楽の舞台なんだからクラシックな演出にしてもらいたい。場末のバーなら何やってもいいけど、老舗のバイロイトにだけはやめてもらいたい。
とか思っています。

投稿: モナコ命 | 2016年8月31日 (水) 21時32分

yokochanさん

 バイロイトは今こんな感じなんですね。一番非道かった頃に比べると、パルシファルなんかはちょっとはマシになっているんでしょうか。モナコ命さんがおっしゃるように、中世のセッティングで観たいという日本人は、やっぱり多いのではないでしょうかね。

投稿: 安倍禮爾 | 2016年9月 1日 (木) 19時10分

残暑のきびしさに耐えかねて、毎日LPレコードで暑気払いをしております。さまよえる様にならってワグナーを鑑賞しております。最近は動画なしのレコードだけでオペラをゆっくり聴くという精神状態を保つことができなくなってしまいました。何か見たいのです。歌っている姿とか動作とか表情とか。なんならパンフレットからの情報でもよいのです。。。学生時代はLPだけが情報源でしたので、音だけでワグナーを心から楽しんでいました。あの時の純粋に音楽を楽しむ心を失ってしまいました。じっくりと、落ち着いて心静かに音楽に浸りきることができない。。。悲しい現実をLPレコードを聴きながらしみじみと感じ入っております^^;

投稿: モナコ命 | 2016年9月 8日 (木) 12時42分

>場末のバーなら何やってもいいけど、老舗のバイロイトにだけはやめてもらいたい。

何か勘違いしてるみたいだけどバイロイトは昔から前衛だよ
戦後はヴィーラントががらんどうのセットの指環やって大顰蹙買ったし、シェローの指環も当時は大スキャンダルだった
ワーグナーからして音楽も演出も革新派だったし、実際あの当時に裸の女を舞台に出そうとしてた位だからね
ワーグナーが今生きてたら君が腹を立てるような過激で最先端な舞台を作ってたと思うよw

投稿: | 2016年9月13日 (火) 21時57分

無題さんのコメントへ

 あなたはバイロイトの実演を観たことがあるのかどうかわかりませんが、そういうアホなことを乗り越えて、1990年代までは、伝統的な演出が復活して評判を得ていたのです。

>何か勘違いしてるみたいだけどバイロイトは昔から前衛だよ
「昔から前衛」と言うと嗤ってしまいますが、変化を加えていたのは確かです。

>ワーグナーが今生きてたら君が腹を立てるような過激で最先端な舞台を作ってたと思うよw
 はっはっは、そういう想像をすることはとても楽しいことでしょうな。

 何かで読んだかして知ったことかもしれませんが、過去の実演を観た経験をもとにしてお話しされるのが、まずは妥当でしょうね。

投稿: 安倍禮爾 | 2016年9月19日 (月) 02時01分

みなさま、コメントありがとうございました。
毎年のバイロイトを、あれこれ想像をめぐらせながら、リアルタイムで聴ける幸せ。
しかも、バイエルン放送局は、コピーできる形式で大量の舞台写真を公開し、映像も無料で見れる機会を作ってくれます。
かつての冬を待たねばさっぱりわからないFM放送の時代とは隔世の感があります。

そんなこんなで、想像の域を脱しない場合もありますが、自分なりに、実態をかなり調べて記事にしているつもりです。
もちろん実演を体験しなければ、舞台のほんとうの意味や意図はくみとれないわけですが。

演出の好き嫌い、舞台の良しあしは、音楽や演奏以上に人それぞれに見解がちがうものです。
一概に、われわれ日本人は、わたくしも含めて伝統的な舞台を好むものと思いますが、アメリカも同様です。
しかし、ドイツは全土にわたって、従来の概念を叩き壊すような演出が行われるようになりました。
70年代初めあたりからの流れかと思います。
 そして、バイロイトは、自分の作品の専用劇場という成り立ちゆえから、当時から実験劇場的な存在としてスタートしたわけです。
演劇性の高いワーグナーの作品ゆえに、当時の具象性や、ありえない設定などが、ある意味、前衛ではなかったでしょうか。

その後、アッピアが抽象化された舞台を作り、戦後のヴィーラントにつながるわけですが、弟のウォルフガンクは、兄と違い、伝統的な舞台を得意にして、兄弟の対比がまた新バイロイトの特徴となったわけです。
ヴィーラントの死により、バイロイトは一時、停滞ぎみとなりましたが、外部からの演出家の招へいで、斬新な流れも取り入れ、さらにウォルフガンクの死により、もしかしたら、バイロイトは、ドイツの普通の劇場のひとつと同じような存在になってしまったのかと思ったりもしてます。

こんな感じで、変化してきたバイロイトは、われわれワーグナーファンが常に注目し、話題としてきた存在であり、その意味では最先端を行っているのでしょうね。
 読み人知らずさまのご意見も、一理はあるかと存じますが、前衛云々は、ワーグナーの場合は、一言ではかたずけられない多面的な見方をしないと判断できないと思います。
それと、閉店状態とはいえ、わたくしのブログを読んでくださる常連様への言いぶりは、あまりに失礼ではないかと存じますよ。
楽しく交流いただきたいのです。

このようなことでは、コメントは承認制とするかもしれません。

投稿: yokochan | 2016年9月22日 (木) 20時45分

yokochanさん

 以前も同じことが起こっていた記憶があります。ブログというのは、起こした方が思ったことを書く場であって、妙に上から目線で「自分の方が知っている」という誤解から偉そうなことを書く人がいますが、それは誤りです。大体「君は」などという言い草が「俺は偉いんだぞ」口調で驚きます。
 かりにこの名無し氏が研究者だったしても、「研究」と「嗜好」は関係ないのであって、好みを書くことに干渉するのは全くの筋違いだと考えています。

投稿: 安倍禮爾 | 2016年9月24日 (土) 19時43分

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投稿: Johna827 | 2016年9月25日 (日) 17時56分

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