フィンジ 「ディエス・ナタリス」(カンタータ「クリスマス」) マリナー
今年のクリスマス、街の雰囲気や、わたくしも含めた人々の浮かれたような便乗さわぎは、少なめに感じます。
イルミネーションもそこそこに出現していて、例年通りですが、受け取る側が慣れてしまったのか、それとも、心情的に、そうとばかり言ってられないからなのか・・・・・。
イルミ好き、観察者としては、毎年、だいたい同じ場所を巡回しますが、今年は各処とも、こう言っちゃなんですが、年齢層高め。
あっ、自分もそうかもですが、若い人よりは、そうした方々の方が多く見受けられる気もします。
イルミに限りませんが、どこへいっても、シニア層は、みなさん元気です。
そして若者は、静かだし、いても目立たない。
こんな風に見たり、思ったりしていること自体が、自らの視線がシニア層に近づきつつあるということなのでしょうね。
みなさん、元気で、屈託なく、感性も若い。
うまいこと、いろんな意味で、ベテランズと若い人たちの、いろんな循環が生まれるといい。
シンプルで、森の一角を思わせるツリー。
こちらは、丸の内仲通りのあるビルのエントランスです。
けばけばしいイルミよりは、基本ツリーが好きであります。
フィンジ 「ディエス・ナタリス」~カンタータ「クリスマス」
テノール:イアン・ボストリッジ
サー・ネヴィル・マリナー指揮
アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ゼ・フィールズ
(1996.6 ロンドン)
ジェラルド・フィンジ(1901~1956)の「ディエス・ナタリス」。
「生誕の日」または、「クリスマス」という邦題。
以下、以前の自己記事からの引用です。
しばらくブログを休止して、思いだしたように書いたりしてる不完全な状態を続けていると、筆は鈍るし、音楽すら久しぶりに聴いたりするものだから、言葉に結びつけるのは、ほんとに難儀なことになりました・・・
自分の過去記事に、妙に感心してしまったり、ほうほう、そうだな、そうだったなぁ、とか、時間があれば、自らのブログを振り返ったりもしてます。
ですから、そんななかの一品、フィンジのこの曲のコピペ、お許しください。
>「ディエス・ナタリス」は、1926年の若き日々に書き始めたものの、その完成は1939年で、13年の月日を経ることになった。
そんな長きの空間を、とこしえとも思える静けさに変えてしまう不思議さ。
この音楽に感じるのは、そんな静けさです。
弦楽オーケストラとテノールのためのカンタータ。
またはソプラノによる歌唱も可とするこの曲。
もともとはバリトンによるものですから、あらゆる声域で歌える美しい曲。
器楽によるイントラーダ(序奏)に導かれた4つの歌からなる20分あまりの至福の音楽は、いつもフィンジを聴くときと同様に、思わす涙ぐんでしまう。
イエスの誕生を寿ぐのに、何故か悲しい。
17世紀イギリスの聖職者・詩人のトマス・トラハーンの詩集「瞑想録」から選ばれた詩。
1.イントラーダ(序奏)
2.ラプソディ(レシタティーボ・ストロメンタート)
3.歓喜(ダンス)
4.奇跡(アリオーソ)
5.挨拶(アリア)
この曲で最大に素晴らしいのは、1曲目の弦楽によるイントラーダ。
最初からいきなり泣かせてくれます。
いかにもフィンジらしい美しすぎて、ほの悲しい音楽。
何度聴いても、この部分で泣けてしまう・・・・・。
1曲目のモティーフが形を変えて、全曲を覆っている。
この曲のエッセンス楽章です。
トラハーンの詩は、かなり啓示的でかつ神秘的。
その意をひも解くことは、なかなかではない。
生まれたイエスと、イエスの前に初心な自分が、その詩に歌い込まれているようで、和訳を参照しながらの視聴でも、その詩の本質には、わたしごときでは迫りえません。
全編にわたって、大きな音はありません。
静かに、静かに、語りかけてくるような音楽であり歌であります。
楚々と歌われ、静かに終わる、とりわけ美しい最終の「挨拶」。
ひとりの新参者
未知なる物に出会い、見知らぬ栄光を見る
この世に未知なる宝があらわれ、この美しき地にとどまる
見知らぬそのすべてのものが、わたしには新しい
けれども、そのすべてが、名もないわたしのもの
それがなにより不思議なこと
されども、それは実際に起きたこと
生まれきたイエスと、自分をうたった心情でありましょうか。
訥々と歌う英語の歌唱が、とても身に、心に沁みます。
いつものフィンジらしい、そしてフィンジならではの内なる情熱の吐露と、悲しみを抑えたかのような抒情にあふれた名品に思います。
わたしには、詩と音楽の意味合いをもっと探究すべき自身にとっての課題の音楽ではありますが、クラリネット協奏曲やエクローグと同列にある、素晴らしいフィンジの作品。<
と、5年前の自分が書いておりますが、その詩と音楽との意味合い、まったく探究じまいであります。
が、フィンジのナイーブな音楽は、ここでもともかく魅力的で、少しの憂愁と哀感が、優しさでそっと包まれているのを感じます。
マリナーの飾らない、楚々たる指揮ぶりが、フィンジの音楽を語らずして語る。
ポストリッジの神経質なまでの繊細な歌は、フィンジのナイーブな音楽を、その詩の神聖ぶりを、そしてちょっとの多感ぶりを表出している。
すてきな演奏!
国内外に、ロクなことがありませんが、静かで穏やかなクリスマスになることを祈ります。
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コメント
お久しぶりです。よこちゃん殿、聖夜いかがお過ごしでしょうか
本日の題名のない音楽会は神奈川フィルハーモニー×三ツ橋敬子さんの演奏でしたね
くるみ割り人形の特集…子供心を取り戻せる大好きな曲ばかり。 それを神奈フィルの演奏で聴けて幸せ
今年も一週間を切りました。
merry Christmas & 良いお年を…
投稿: ONE ON ONE | 2016年12月25日 (日) 18時01分
ONE ON ONEさま、さま、こちらこそお久しぶりでした。
題名のない音楽会、見逃してしまいましたが、神奈川フィルのきれいな響きを全国で聴いていただけたと思うと、わがことのようにうれしいです。
世界も、世間も、天気もへんてこな今年でしたが、来年はよりよき年になることを願ってます。
ちょびちょび、ブログ書いてまいりますので、またどうぞよろしくお願いいたします。
投稿: yokochan | 2016年12月27日 (火) 08時08分