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2017年4月

2017年4月22日 (土)

読売日本交響楽団名曲シリーズ サッシャ・ゲッツェル指揮

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   読売日本交響楽団 第601回 名曲シリー

 ウェーバー     歌劇「魔弾の射手」序曲

 グリーグ       ピアノ協奏曲 イ短調

 ショパン      ノクターン第20番 嬰ハ短調~アンコール

        Pf:ユリアンナ・アヴデーエワ

 ドヴォルザーク  交響曲第7番 ニ短調

   サッシャ・ゲッツェル指揮 読売日本交響楽団

                (2017.4.21 @東京芸術劇場)


半年ぶり以上の、オーケストラコンサート。
そう、このようにして、徐々に、以前のようにはなりませぬが、音楽生活へ復帰中のさまよえるクラヲタなのでした。

なんたって、聴きたかったゲッツェルさん。

神奈川フィルの首席客演指揮者として3年の任期を、先シーズン終了し、最後の年は、わたくしがお休みをしてしまったので聴けなかったものの、めくるめくコルンゴルトや、ブルックナー、ベートーヴェンなどで、魅惑され尽くした指揮者。

日本が大好きになってくれた。
こうして、神奈川フィル以外にも客演してくれるようになり、ゲッツェルさんの素晴らしさを多くの方に知っていただきたい。
 ボルサン・イスタンブールフィルの芸術監督として、さらに、最近は、ウィーン国立歌劇場の常連として多忙になりつつあり、日本でのポストは当面難しいでしょう。
こうして、単発でも、客演してくれるのがうれしい。
 11月は、紀尾井ホール、来年1月はN響にも登場するみたい!

さて、独・北欧・中東欧のロマン派音楽を集めたプログラム。
アンコールにも、その流れはしっかり通っていて、それぞれのお国・民族テイストも感じさせる演目なところがいい配分。
 そして、序曲→コンチェルト→交響曲、というコンサートの王道も、ここにはあります。

ゲッツェルさん、お得意のオペラの序曲からスタート。
お互いに、まだ暖まりきれない感じのなか、柔らかな響きを意識しつつ、音楽はとてもしなやかだった。
カルロス・クライバーなみに、キビキビ行くかと思ったら、ゆったりめに、大きく歌わせることに傾注。
「魔弾の射手」じゃなくて、「オベロン」の方が、ゲッツェルさんにはよかったかも・・・。

2010年、ショパン・コンクールの覇者アヴデーエワさん。
遠目にも、なかなかの美人さんです。
そして、その華奢なお姿にも係わらず、音のダイナミックレンジは広く、音色は豊かでした。
ことに、弱音の美しさ。
オーケストラも充分に押さえつつ、彼女のキレイなピアニシモの背景を紡ぎだしていたのが、第2楽章。
この楽章が、自分的にはこの演奏の白眉だった。
北欧の抒情が、巨大なホールのなかに浮き立つような、そんなクリアかつ清らかなピアノ。
1楽章も3楽章も、静かな部分が好きだし、そこがまた、彼女のピアノと、抑制されたゲッツェルさん指揮するオーケストラのステキなところだった。

 アンコールも、息をのむほどに、美しく切ないショパンでしたね。
メランコリーの極みだけど、ベタつかず、明晰です。
オケの片隅に座って聴き入るゲッツェルさんのお姿もナイスですよ。
 
 さて後半のドヴォルザーク。
この渋いけれど、メロディメーカーとしてのドヴォルザークならではの、懐かしい豊富な旋律がこぼれだすように、ホールにあふれるさまが、眼前に繰り広げられ、魅惑されっぱなしの40分だった。

読響のダイナミックなサウンドも、芸術劇場の巨大な空間をたっぷり満たしているのがよくわかる。
ゲッツェルさんの指揮は、そんなオーケストラの能力を自発的に解放してしまう、そんな魅力を秘めている。
神奈川フィルでは、オケの力を100%引き出し、神奈フィルならではの美音のフルコースを展開して見せた。

以前は、跳躍すら見せていた躍動的なゲッツェルさんの指揮だけど、華麗でキレのよい動きはそのままに、より内面に切り込むような、より表情の豊かな指揮ぶりになってきたように思う。
そう、この曲でも、私は第2楽章の美しさと、歌謡性に息を飲みました。
牧歌的なボヘミアの森が、新緑のウィーンの森になったと思わせるような、まろやかさと、すがすがしさと、愛らしい歌の歌わせ方。

 こうして4つの楽章が、しっかりとした構成感を感じさせるようにカッチリ演奏され、さらに3楽章から、終楽章へは、アタッカで休みなく突入して、より劇性を強める効果を生んでいて、この渋い交響曲を隈どり豊かに聴かせる工夫もなされてました。

読響との初顔合わせ、メンバーのなかには、神奈川フィルからのお顔もちらほら。
もちろん、元神奈川フィルのお方も。

明後日には、かつてのゲッツェルさんのホームグランド、みなとみらいホールで、同じプログラムが。
その日の方が、きっと、もっと素晴らしくなることでしょう。

終演後は、神奈川フィル応援メンバーの数人と久しぶりにお会いし、あとは喧騒の池袋の街へ。
しかし、金曜の夜はどこも満杯で、放浪のあげく、ホールの真横でメキシカンしました。
ヨーロッパしたかったけど、メキシカンって(笑)

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しかし、アボガド率高いな。
チーズフライにも入ってるし。

あ、あと、美人さんのアヴデーエワさんのHPで、ショパンの24の前奏曲全曲の映像が観れますよ。

http://www.avdeevapiano.com/index.php/videos.html
それと、SNS大好きなゲッツェルさんのHP

http://www.saschagoetzel.com/

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2017年4月16日 (日)

ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」 クーベリック指揮

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花咲き乱れる春がやってきた。

野辺の花々も、喜ばしく咲いている。

そう、今日は、復活祭、イースター。

クリスマスと並ぶ、キリスト教社会最大のお祝い事の日。

この日をピークに、イースター週間は、お休みになったりする。

クリスマスをばか騒ぎしてしまう日本は、イースターは完全にスルー。
せいぜい、イースター・エッグぐらいで、それはもう、商業主義に則ったものにすぎず、バレンタインもハローウィンもみんなそう。

ひとつの宗教にしばられない、なんでもあり、八百万神の国、そんなこだわりのない日本が、島国でもありつつ、いいのかもしれない。
世界的にも、こんな国はないかも。

まだ記事にはしていないが、映画化された「沈黙」を観ても、そんな想いを持った次第だ。

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クリングゾルに踊らされる花の乙女たち、その彼女たちは、聖金曜日の奇蹟により、美しく咲く野辺の花となって、パルシファルを迎える・・・・

そんな絵のように、美しい情景を、その音楽を聴くたびに思い描いてきた。

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   ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

  アンフォルタス:ベルント・ヴァイクル グルネマンツ:クルト・モル
  ティトゥレル:マッティ・サルミネン   パルジファル:ジェイムズ・キング
  クリングゾール:フランツ・マツーラ  クンドリー:イヴォンヌ・ミントン
  聖杯守護の第の騎士:ノルベルト・オルト、ローラント・ブラハト
  花の乙女:ルチア・ポップ、カルメン・レッペル、スザンネ・ゾンネンシャイン
    〃   :マリアンネ・ザイベル、ドリス・ゾッフェル
  小姓   :レギーナ・マルハイネッケ、クラウディア・ヘルマン
    〃   :ヘルムート・ホルツァプフェール、カール・ハインツ・アイヒラー
  アルト  :ユリア・ファルク

     ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団
                       バイエルン放送合唱団
                       テルツ少年合唱団
            合唱指揮:ハインツ・メンデ
                   ゲアハルト・シュミット・ガーデン

                   (1980.5 @ミュンヘン、ヘルクレスザール)

記事にして、もう何度も自分の浅い思いながら、書き尽くしてきた「パルジファル」。

キリスト教社会の源にもある「原罪」。

アダムとイヴが、蛇にそそのかされて、禁じられた木の実を、まずイヴが食べてしまい、ついで、アダムも口にする。
そう、禁制を破った罪を、人間は、悔い改めなくてはならない・・・という根源にある発想。
人間はつねに、罪深いと。

その蛇を悪魔に例え、それに対峙したのが、イエス・キリストであるという、のが、大まかなキリスト教という宗教の根源か。

「パルジファル」には、原罪からの解放者という観念が織り込まれている。
アンフォルタス、クンドリー、クリングゾール、そしてパルジファルがそれぞれに役割分担されている。
物語の語り部、目撃者としてのグルネマンツは、さながらエヴァンゲリスト。
そして、パルジファルが行った行為は、1幕でアルトにより歌われる予言のような言葉、「同情による救済」である。

パルジファルが行う最初の救いは、クンドリーへの洗礼。
そこで、パルジファルの膝元にあるクンドリーが、はらはらと涙をこぼし、静かに泣きくずれる場面は、いくつか観た舞台や、映像でも、わたくしの落涙箇所のひとつ・・・

ワーグナーが、舞台神聖祭典劇とタイトルしたことは、だいそれたことでもなく、この作品の根底を端的にあらわしたものだ。

この「パルジファル」を編み出すまでに、ワーグナーは、キリスト教劇「ナザレのイエス」や、仏教劇「勝利者たち」という台本のスケッチを残していて、それらを統合しつつ、この「パルジファル」になった。
それらのスケッチをぜひ知りたいものだ。
ワーグナーによる、ブッタの仏教劇なんて、いったいどのようなものになったであろうか・・・・・。

ワーグナー好きは、このようにして、ワーグナーが残したそれぞれの作品について、あれこれ妄想や思索にふけるのであり、ずっとずっと、そんなことをしながら、その音楽の魔力に囚われ続けているわけである。

           ーーーーーーーーーーーーーーーーー

「マイスタージンガー」のときもびっくりしたが、クーベリックによる「パルジファル」が、忽然と登場したときは、ほんとうにびっくりし、狂喜したものだ。
しかも極上のデジタル、スタジオ録音で!
さらに、超豪華なキャスト。

1年ほど前に、ブログ継続を断念すべく、大好きなオペラとして「パルジファル」のレビューを行ったとき、このクーベリック盤については言及しなかった。
古いものばかりの音源(クナ、ショルティ、ブーレーズ、レヴァイン)との思い出が勝ったからだけれども、このクーベリック盤の完成度の高さは決して忘れてはならない。
突然あらわれたクーベリック盤は、わたくしには、最近登場した新譜のような感覚なので、「パルジファル」の思い出から抜け落ちてしまった。

いまや、ベルリンフィルやウィーンフィルとならぶ、人気と実力のバイエルン放送響の礎を築いたクーベリック。
明るく、明晰、そして温もりのある南ドイツサウンドが、ここでも、素晴らしい録音によって、たっぷりと聴くことができる。
幾多ある場面展開における音色の、ときに緩やか、かつ、鮮やかな変転が実に見事で、根っからのオペラ指揮者であるクーベリックの手腕と、オーケストラの機能性の高さを感じさせる。
3幕での、聖金曜日の奇蹟における、神々しくも厳かな高揚感には、誰しもしびれるような感銘を受けるに違いない。

豪華な歌手の名前を何度ながめても懐かしい思いとともに、耳になじんだその歌声が脳裏に木霊するのを感じる。
いまだ現役の歌手もいるが、ほとんどが物故してしまった。

グルネマンツとザラストロは、この人をおいてほかにいないとまで思ってたクルト・モルも先ごろ亡くなってしまった。
絶頂期にあったモルは、ここでも含蓄あるグルネマンツを聴かせてくれる。
 若々しく美声のヴァイクルのアンフォルタスや、朗々としたサルミネンのティトゥレル。
ナイトリンガーのあと、バイロイトのザ・クリングゾールだったマツーラ。
過度にドラマティックにならない女性的なクンドリーのミントン。
それから、花の乙女たちのなかに、ひときわ懐かしい声を聴けるのは、とてもうれしい、そう、ルチア・ポップ。ショルティ盤でも、キリ・テ・カナワなどとともに歌っていた・・・・

タイトル・ロールのジェイムズ・キング。
亡くなって、もう11年もたつけれど、この歌手の陰りある声が大好きで、何を歌っても悲劇のジークムントに聴こえてしまうが、このパルジファルは、70年代のバイロイト放送のエアチェックや、ブーレーズ盤で、ずっと聴いてきたから、ことさらに懐かしく聴くことができる。
全盛期をやや過ぎた時分での録音ながら、風格と味わいは格別。
2幕での劇的な覚醒と、3幕の神々しさはキングならではであります。

これを書きながら、復活祭の日曜に、もう2度も聴いてる。
いま、ちょうど、聖杯が輝き、鳩が舞い降りる清らかなる終結部を迎えております・・・・。

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春は来たれり、そして、平安であれ。

  ✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿✿

パルシファル 過去記事

「飯守泰次郎 東京シティフィル オーケストラルオペラ」

「クナッパーツブッシュ バイロイト1958」

「バイロイト2005 FM放送を聴いて ブーレーズ」

「アバド ベリリンフィル オーケストラ抜粋」

「エッシェンバッハ パルシファル第3幕」

「ショルティ ウィーン・フィル」

「バイロイト2006 FM放送を聴いて ブーレーズ」

「クナッパーツブッシュ バイロイト1956」

「クナッパーツブッシュ バイロイト1960」

「クナッパーツブッシュ  バイロイト1962」

「クナッパーツブッシュ バイロイト1964」

「レヴァイン バイロイト1985」

「バイロイト2008の上演をネットで確認 ガッティ」

「ホルスト・シュタインを偲んで」

「エド・デ・ワールト オーケストラ版」

「あらかわバイロイト2009」

「ハイティンク チューリヒ」

「シルマー NHK交響楽団 2010」

「ヨッフム バイロイト1971」

「アバド ベルリンフィル 2001」

「トスカニーニ 聖金曜日の音楽」

「パルシファル 大好きなオペラ」

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2017年4月14日 (金)

バッハ マタイ受難曲 ヘレヴェッヘ指揮

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桜の季節は、同時に、イースター。

今年の歴では、この終末が復活節となりまして、本日が聖金曜日。
日曜日が、イースターとなります。

しかし、寒くて、暖かい、そして曇りや雨ばかりの4月の早々。
北海道では、雪も積もったりで、ままならない天候。

そして、世界情勢に目を転じれば、シリアの内紛に化学兵器使用の疑いあり、アメリカが中国国家主席の訪米中、しかも、大統領との食事のデザート中に空爆。
朝鮮半島も、北の挑発が止むことなく、緊迫の度合いを深める。

そんななか、安住に慣れ切った、わが日本は、警告を発する一部の方々をのぞいて、のんきに構える日々。

あとで大騒ぎになる、いつもの国民性と、悶着を恐れるマスコミ。

このブログでは、そんな情勢を云々する場ではなく、音楽ブログなのだけれど、さすがに、ここ数ヶ月の、国会における野党と、マスコミの狂ったような姿勢には、フラストレーションがたまる一方だった。
国会運営に一日数億円かかるなか、それは税金で賄われるわけで、あんなくだらない陳腐なショーを見せられて、ほんとに腹がたった。
もっともっと、大切なこと、喫緊の課題がたくさんあるだろうに!
 それも、しかし、ようやく静かになった。
日本の正面から触れてはいけないタブーや、追求者へのブーメランに、ようやく気がついた、ばかな野党とマスコミ・・・・・

あぁ、もうやめておこう。

今日は、聖金曜日。
イエスが十字架に架かった日。
清く、ただしく、マタイを聴くのだ。

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     バッハ  マタイ受難曲 BWV244

  福音史家:イアン・ポストリッジ 
  イエス:フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ
  アルト:アンドレアス・ショル    ソプラノ:シビッラ・ルーベンス
  テノール:ヴェルナー・ギューラ  バス:ディートリヒ・ヘンシェル
  
    フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 コレギウム・ヴォカーレ

                       (1998)
数ある、マタイ受難曲の演奏のなかで、わたくしの4指にはいるヘレヴェッヘ盤。
その4つは、昨年の同時期の記事にあります。

ダントツで、揺るぎのない絶対的な存在のリヒターに、暖かなヨッフム、そして、峻厳でありつつピュアなレオンハルト、それと、日常のなかにふつうに古楽演奏を根付かせてしまったヘレヴェッヘ。

今日は、朝から、仕事中も、この音盤を何度も流しております。

リヒターだと、そんなお気楽に聴くことができず、つねに襟を正して、正座をして聴かなくてはならないような緊張感を強いられる。
ヨッフムは、その対極にあって、ドイツやヨーロッパの日常のなかのマタイ。
レオンハルトは、リヒターに近くもあり、もっと切り詰めた厳しさももしかしたらありつつ、それが、古楽のありかたなところが新鮮。
そのレオンハルトの、これまた対極にあるのが、同じ古楽奏法のヘレヴェッヘ。

4つを、異論は多々ございましょうが、自分では、そんな分類とともに、仕切っている。

 坦々と、静かな音楽運びのヘレヴェッヘの指揮。
劇的な合唱や、心情を吐露するソロたちの場面においても、ことさらに構えることなく、バッハの楽譜を、そのままに純粋に再現している。
 胸かきむしられる、一番の感動どころ、ペテロの否認の場面でも、その音楽運びは、さりげなくも、また第三者的でありながら、磨かれた音色の美しさでもって光っている。
そう、なにもしてないようでいて、出てくる音、ひとつひとつは、深く考察され、ラテン的ともいえる輝きにあふれているように思えるのだ。

ヘレヴェッヘのバッハは、ほとんど聴いたが、この2度目のマタイをピークに、ともかく美しく、磨きつくされている。

そんな指揮者のもと、歌手たちと、手兵の合唱の雄弁さに陥らない、透明感に満ち溢れた率直な歌唱も、指揮者の考えのもとにあるものと聴いた。
ナイーブ極まりないポストリッジのエヴァンゲリストが素晴らしく、ブリテンでの彼の神経質なまでの歌唱にも通じる見事さがある。
禁欲的なヘフリガーと、明晰なプレガルディエンと相立つ名福音詩家だと思う。
シュライヤーは、いろんな顔がありすぎて、自分的にはよくわからない。。。

ショルのアルト歌唱と、ゼーリヒのイエス、バスのヘンシェンも素晴らしいです。
ともかく、このヘレヴェッヘ盤は、歌手が豪華で実力派揃いなところがいいんだ!

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人類にとっての至芸品ともいえる、バッハのマタイ受難曲。

キリスト者からみた、人類の救い主たるイエスの受難の物語。

教徒ではなくとも、新約聖書の、ほんのごく一部から抜きだされたイエスの呪縛と、磔刑にいたる緊迫の物語にからむ、人間ドラマに、大いに共感し、そして自身を鏡で映しだされるかのような、内面と存在の弱さへの共感に、人間としての普遍的な価値を見出すのではないでしょうか。

中学生のときに聴いたリヒターの、最後の合唱「Wir setzen uns mit Tranen nieder」。
そこから始まった、わたくしの、マタイ歴。
そのあとは、聖書を物語的に読むにつれ深まる疑問と、感銘。
来日したH・リリングのマタイが、テレビやFMで何度も放送され、この作品が、完全に好きになった。

これからも、ずっと、大切に聴いていきたい。

そして、新しいマタイとも出会ってみたい。

 過去記事

「スワロフスキー&ウィーン国立歌劇場」

「レオンハルト&ラ・プティットバンド」

「ベーム&ウィーン響」

「4つのマタイ」

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2017年4月13日 (木)

松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル2017

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毎年、桜と同じ時期に満開のきれいな椿。

奥には、ぼんやりと、これまた満開の桜。

寒くて、春は一進一退の今年、先の週末は、雨ばかりの菜種梅雨。

ゆっくりと開いて、長く楽しめたのかもしれない今年の桜です。

そして、雨模様のその日曜日、久方ぶりのコンサートへ。

 実は、その前日は、神奈川フィルの、今シーズンオープニング定期公演で、その演目も、サロネンの「フォーリン・ボディーズ」という曲と、マーラーの1番という、ともに大規模編成のまばゆいコンサートで、大盛況だったそうな。

土曜が主体となった神奈川フィルだけど、わが方は、仕事が不芳だったり、その土曜も開けられなかったりすることが多くなり、ここ1年以上、聴けなくなってしまった。

この葛藤たるやいかばかりか。

そんな喝を癒してくれるかのようなコンサート。
しかも日曜だったので、行けました。

神奈川フィルのヴァイオリン奏者であります、松尾茉莉さん(旧姓・平井さん)のリサイタルに行ってきました。

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 松尾茉莉 ヴァイオリン・リサイタル 2017

   シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナチネ第1番 ニ長調 D384

   モーツァルト ピアノとヴァイオリンのためのソナタ 変ロ長調 K378

       サラサーテ ツィゴイネルワイゼン

   フランク   ヴァイオリン・ソナタ イ長調

            アンコール曲

   岩田匡史  「Mari」

   モンティ   「チャールダッシュ」~お楽しみアレンジ付き

         ヴァイオリン:松尾 茉莉

         ピアノ    :加納 裕生野

                            (2017.4.9 @鶴見区文化センター サルビアホール)


前半が、ウィーンの古典派の流れ、後半は、近代ロマン派のそれも民族派的な作品。
よきコントラストと、有名曲も配置した素敵なプログラムです。

フランクは、「ヴァイオリン・ソナタ」だけど、前半2曲は、「ヴァイオリンとピアノ」とのタイトルに。
それも、順序が違う。

そう、モーツァルトの時代は、ピアノが主役的な立場で、ヴァイオリンは随伴者的であったのが、「ヴァイオリン・ソナタ」のありかた。
ベートーヴェンも、そんなスタイルを踏襲したが、中期の「クロイツェル・ソナタ」あたりから、ヴァイオリンに明らかに主軸が移り、より劇的になり、完全に「ヴァイオリン・ソナタ」になった。

でも、ベートーヴェンのあとのシューベルトは、初期のソナチネでは、モーツァルトを思わせる、ピアノ中心スタイルに逆戻り。
でも、後年のシューベルトは、ちゃんとした(というのも変な言い方だけど)、ヴァイオリン・ソナタに行きついている。
しかし、そんなシューベルトのソナチネやソナタには、シューベルトならではの、「歌」の世界があふれていて、ピアノも、ヴァイオリンも、簡潔だけれど、麗しい歌が振り当てられている。

そんなシューベルトを、快活に、そして伸びやかに演奏したお二人。
冒頭から、息のぴったりとあった演奏を危なげなくスタートさせましたね。
聴いてて、とても気持ちのいいシューベルトでした。

そして、シューベルトからモーツァルトへ。
同じ「歌」でも、この時期のモーツァルトには、ギャラントな華やぎがある。
そして、可愛い。
あと、ふっと見せる短調の哀愁が、さりげなく散りばめられてる。
 柔らかなピアノがステキな加納さんに、天真爛漫の茉莉ちゃんのヴァイオリン。
いいモーツァルト、聴かせてもらった。

 後半は、いきなり「ツィゴイネルワイゼン」。
どこもかしこも有名。
でも、面と向かって聴くのは、ほんとに久しぶり。
哀愁とジプシー風な濃厚サウンドと超絶技巧。
バリバリと、でも心をこめて弾きまくってくれました。

最後は、大好きなフランクのソナタ。
この曲との出会いは、中学生の頃、クリスティアン・フェラスのEMIのテスト盤で、解説もなにもなく、曲のこともまったくわからず、聴きまくってた。
終楽章と激しい2楽章ばかりを中心に。
でも、歳を経ると、冒頭の楽章と、幻想的な3楽章が大いに気に入り、その交響曲と併せて、フランクの渋さと晦渋さを楽しめるようになりました。

さて、この日のお二人は。
MCで、とても好きな曲、とお話されてた茉莉ちゃん。
これまでの3曲と違う、落ち着きと、内省的な表現に心をさいて演奏している様子が、その音からも、充分にうかがうことができました。
色合いのそれぞれ異なる4つの楽章が、これほど身近に、眼前で、響きのいいホールでもって聴けることの幸せ。
 お二人とも、母になり、生活も内面も、一歩踏み出し、そして守り、愛し愛されるものを持った充足感。
ちょっと飛躍した想いかもしれませんが、人はこうして変化し成長してくんだなぁ、なんて風に思いながら聴いてました。
 自分を表現できる手段をお持ちの音楽家の皆さんが、羨ましくも思ったりした一日です。

アンコールは、オリジナル曲をほんわかと、それから、この日の4曲を、バラエティ豊かに取込み、鳥さんの小笛までも愛嬌こめて披露してくれた「チャールダッシュ」
エンディングは、フランクに回帰して、喝采のもとに、ステキなコンサートは終了しました。

鶴見は、いい居酒屋がいっぱい。

一杯ひっかけて帰りましたよ。

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ポテチの突き刺さった魅惑のポテサラと、紫蘇ジュース割りに、鳥わさheart02
   

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