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2017年4月14日 (金)

バッハ マタイ受難曲 ヘレヴェッヘ指揮

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桜の季節は、同時に、イースター。

今年の歴では、この終末が復活節となりまして、本日が聖金曜日。
日曜日が、イースターとなります。

しかし、寒くて、暖かい、そして曇りや雨ばかりの4月の早々。
北海道では、雪も積もったりで、ままならない天候。

そして、世界情勢に目を転じれば、シリアの内紛に化学兵器使用の疑いあり、アメリカが中国国家主席の訪米中、しかも、大統領との食事のデザート中に空爆。
朝鮮半島も、北の挑発が止むことなく、緊迫の度合いを深める。

そんななか、安住に慣れ切った、わが日本は、警告を発する一部の方々をのぞいて、のんきに構える日々。

あとで大騒ぎになる、いつもの国民性と、悶着を恐れるマスコミ。

このブログでは、そんな情勢を云々する場ではなく、音楽ブログなのだけれど、さすがに、ここ数ヶ月の、国会における野党と、マスコミの狂ったような姿勢には、フラストレーションがたまる一方だった。
国会運営に一日数億円かかるなか、それは税金で賄われるわけで、あんなくだらない陳腐なショーを見せられて、ほんとに腹がたった。
もっともっと、大切なこと、喫緊の課題がたくさんあるだろうに!
 それも、しかし、ようやく静かになった。
日本の正面から触れてはいけないタブーや、追求者へのブーメランに、ようやく気がついた、ばかな野党とマスコミ・・・・・

あぁ、もうやめておこう。

今日は、聖金曜日。
イエスが十字架に架かった日。
清く、ただしく、マタイを聴くのだ。

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     バッハ  マタイ受難曲 BWV244

  福音史家:イアン・ポストリッジ 
  イエス:フランツ=ヨーゼフ・ゼーリヒ
  アルト:アンドレアス・ショル    ソプラノ:シビッラ・ルーベンス
  テノール:ヴェルナー・ギューラ  バス:ディートリヒ・ヘンシェル
  
    フィリップ・ヘレヴェッヘ指揮 コレギウム・ヴォカーレ

                       (1998)
数ある、マタイ受難曲の演奏のなかで、わたくしの4指にはいるヘレヴェッヘ盤。
その4つは、昨年の同時期の記事にあります。

ダントツで、揺るぎのない絶対的な存在のリヒターに、暖かなヨッフム、そして、峻厳でありつつピュアなレオンハルト、それと、日常のなかにふつうに古楽演奏を根付かせてしまったヘレヴェッヘ。

今日は、朝から、仕事中も、この音盤を何度も流しております。

リヒターだと、そんなお気楽に聴くことができず、つねに襟を正して、正座をして聴かなくてはならないような緊張感を強いられる。
ヨッフムは、その対極にあって、ドイツやヨーロッパの日常のなかのマタイ。
レオンハルトは、リヒターに近くもあり、もっと切り詰めた厳しさももしかしたらありつつ、それが、古楽のありかたなところが新鮮。
そのレオンハルトの、これまた対極にあるのが、同じ古楽奏法のヘレヴェッヘ。

4つを、異論は多々ございましょうが、自分では、そんな分類とともに、仕切っている。

 坦々と、静かな音楽運びのヘレヴェッヘの指揮。
劇的な合唱や、心情を吐露するソロたちの場面においても、ことさらに構えることなく、バッハの楽譜を、そのままに純粋に再現している。
 胸かきむしられる、一番の感動どころ、ペテロの否認の場面でも、その音楽運びは、さりげなくも、また第三者的でありながら、磨かれた音色の美しさでもって光っている。
そう、なにもしてないようでいて、出てくる音、ひとつひとつは、深く考察され、ラテン的ともいえる輝きにあふれているように思えるのだ。

ヘレヴェッヘのバッハは、ほとんど聴いたが、この2度目のマタイをピークに、ともかく美しく、磨きつくされている。

そんな指揮者のもと、歌手たちと、手兵の合唱の雄弁さに陥らない、透明感に満ち溢れた率直な歌唱も、指揮者の考えのもとにあるものと聴いた。
ナイーブ極まりないポストリッジのエヴァンゲリストが素晴らしく、ブリテンでの彼の神経質なまでの歌唱にも通じる見事さがある。
禁欲的なヘフリガーと、明晰なプレガルディエンと相立つ名福音詩家だと思う。
シュライヤーは、いろんな顔がありすぎて、自分的にはよくわからない。。。

ショルのアルト歌唱と、ゼーリヒのイエス、バスのヘンシェンも素晴らしいです。
ともかく、このヘレヴェッヘ盤は、歌手が豪華で実力派揃いなところがいいんだ!

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人類にとっての至芸品ともいえる、バッハのマタイ受難曲。

キリスト者からみた、人類の救い主たるイエスの受難の物語。

教徒ではなくとも、新約聖書の、ほんのごく一部から抜きだされたイエスの呪縛と、磔刑にいたる緊迫の物語にからむ、人間ドラマに、大いに共感し、そして自身を鏡で映しだされるかのような、内面と存在の弱さへの共感に、人間としての普遍的な価値を見出すのではないでしょうか。

中学生のときに聴いたリヒターの、最後の合唱「Wir setzen uns mit Tranen nieder」。
そこから始まった、わたくしの、マタイ歴。
そのあとは、聖書を物語的に読むにつれ深まる疑問と、感銘。
来日したH・リリングのマタイが、テレビやFMで何度も放送され、この作品が、完全に好きになった。

これからも、ずっと、大切に聴いていきたい。

そして、新しいマタイとも出会ってみたい。

 過去記事

「スワロフスキー&ウィーン国立歌劇場」

「レオンハルト&ラ・プティットバンド」

「ベーム&ウィーン響」

「4つのマタイ」

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コメント

お久しぶりです。
僕もマタイ、この季節になると無性に聴きたくなります(今年の彩の国のBCJ、チケットがとれず。無念)。
以前は39曲のアリアや、62曲のコラールの後の63aのエヴァンゲリストのレティタティーヴォ、そして終曲のコラールに強烈な印象を覚えていましたが、この頃は49曲、57、60曲の編成がが薄く内面的なアリアに焦点があうようになってきました。
年ですね。
(ナンバーはベーレンライター版に基づく音楽之友社スコア)

投稿: IANIS | 2017年4月15日 (土) 21時18分

IANISさん、毎度こんにちは。
そして、こちらこそご無沙汰をしてます。

マタイ、実は、実演体験ないです。
ひとりで聴くのが相応しい、なんて勝手に思ってましたが、多くの聴衆のなかで聴くとまた、大いなる感銘をうけるのでしょうね。

そして、私も、じっくり聴き入る場面がだんだんと流動的になってきました。全体としてとらえながら、人間の心情吐露である個々のアリアを聴くのが味わい深いです。
それと場面場面でのコラールのありかた。。など。

そう、年です(笑)

投稿: yokochan | 2017年4月17日 (月) 05時53分

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