マーラー 交響曲第9番 サロネン指揮
関東に咲く最後の桜、八重桜も、GW前には散り、いまは葉桜となりました。
増上寺のお隣り、芝東照宮の八重桜は、ぽったりとしていて、それはとても見事なものでした。
この桜は、色が濃いから、官能的なまでに艶めかしい。
桜漬けにしても風味がよろしく、見栄えもいい。
マーラーの告別3大交響曲のなかで、世紀末を一番感じさせるのが第9。
マーラー 交響曲第9番 ニ長調
エサ・ペッカ・サロネン指揮 フィルハーモニア管弦楽団
(2009.3.22@ロイヤルアルバートホール)
「大地の歌」の終楽章「告別」、Ewig・・・永遠に、と同じ音型で始まる第9交響曲。
告別の情念は、ここでも引き継がれている。
ウィーンと決別し、新大陸に活路を見出しつつ、20歳も下の妻アルマとの隙間風はとどめようもできなかった。
そんな時期の1909年。
死を意識したのは、マーラーは、それこそ若き日々から変わらないこと。
でも、作曲の腕の深まりとともに、死への想いも受容的なものへと変化していったのだろうか。
49歳にして、このような彼岸の域へと達してしまうのは、ある意味不幸なことかも。
時代は違えども、誰しも、自分に置き換えれば、50を前に、「死に絶えるように・・・」なんて、言葉を書いたり、表現として用いたくない。
マーラーの第9は、バーンスタインのように、没頭的に音楽と同化してしまう演奏や、ジュリーニのように、諦念をにじませたような大河的アプローチ、それから、アバドのように、楽譜をひたすらに信じ、音を突き詰めた演奏、こんな演奏たちを、自分は好んで聴いている。
でも、このサロネンの演奏は、それらとはちょっと変わっている。
クールだけど、打ち立ての鋼のように、熱い。
そんないつもサロネンの音楽に加えて、どこか冷めたようなところがあって、「マーラーの第9」ということで、ついつい構えて聴いてしまう聴き手に、肩透かしを食らわせるようなところがある。
ニュートラルな英国のオーケストラというところもあるのか、音は透けて見えるくらいに、見通しはよくて、すっきりしてる。
そのスッキリ感を抜けて、音楽が熱いものを語りだすのが、サロ様のよいところなのだが、ちょっと消化不良なところもある。
真ん中のふたつの楽章は、リズム感も抜群の指揮者に導かれて、絶品なのだが、終楽章が、終結部の精妙な美しさを除いて、ちょっと不満かな。
1楽章の後半、もう無調の領域すら間近と感じさせる場面も、これまた素晴らしい。
珍しく、スコアを見ながら聴いたら、指揮者の耳のよさが、抜群にわかるし、普段、聴こえないような音も微妙に聴こえたりして、これまた新鮮な驚きでありました。
ほんとうは、ベルリンフィルの指揮者になって欲しかったサロネン。
作曲家でもあり、指揮者としても、ブーレーズみたいな存在だけど、サロネンのレパートリーは、もっと柔軟で、古典系の音楽もうまい。
マーラーは、ほかの番号も含めて、もっと何度も演奏・録音してほしいものです。
わたくしと、同い年のサロネン。
マーラーとともに、あとは、「トリスタン」を残してほしい。
告別を、あまり切実に感じさせない、そんなある意味秀逸なサロネンの「マーラーの第9」でした。
こんなにたっぷりと花をつけていた桜も、いまや、悲しいほどに散ってしまいました。
いまの心境は、終楽章の「死に絶えるように」よりは、第1楽章の、空中にふわりと浮かんで消えてしまうような、そんな音楽が、とても素敵に思えるのでした。
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