マーラー 交響曲第10番 ネゼ=セガン指揮
神社の手水に泳ぐ桜の花びら。
波紋とともに、静寂のなか、流されては舞い散る、繰り返される美しさ。
まだ散り終わる前の八重桜。
そして手水の、とこしえのような美しさ。
マーラー 交響曲第10番(D・クック編 全曲版)
ヤンク・ネゼ=セガン指揮 オーケストラ・グラン・メトロポリタン
(2014.12 @モンオリオール)
「告別」の最終章。
わたくしの「告別」も昨日、この連休で終わりました。
10年間、続いたことが、ここで終わりました。
出合いと、別れを、人は短い時間でも繰り返すのですが、それもまた、人生であり、生きざま。
禍根を残す別れじゃなくって、とてもきれいで、ゆるやかで、爽やかだった。
マーラーの最終章。
10番の交響曲は、コンプリートされた第1楽章の「アダージョ」に加え、補筆・補完・完成されるかたちでもって、数人の手によって、完成され、いまも様々な版の刊行が進行している。
そして手水の、とこしえのような美しさ。

マーラー 交響曲第10番(D・クック編 全曲版)
ヤンク・ネゼ=セガン指揮 オーケストラ・グラン・メトロポリタン
(2014.12 @モンオリオール)
「告別」の最終章。
わたくしの「告別」も昨日、この連休で終わりました。
10年間、続いたことが、ここで終わりました。
出合いと、別れを、人は短い時間でも繰り返すのですが、それもまた、人生であり、生きざま。
禍根を残す別れじゃなくって、とてもきれいで、ゆるやかで、爽やかだった。
マーラーの最終章。
10番の交響曲は、コンプリートされた第1楽章の「アダージョ」に加え、補筆・補完・完成されるかたちでもって、数人の手によって、完成され、いまも様々な版の刊行が進行している。
この10番のすばらしさを教えて下さった方に」感謝。
さらに、自分のなかで、「マーラーの10番」を確立させ、進化させていった。
さらに、自分のなかで、「マーラーの10番」を確立させ、進化させていった。
「別れ」は、終わりじゃない、「始まり」なのだと、気づいた。
こんな年代の自分だけれども、さよならの別れは。美しくも輝かしいものだとも報せてくれた。
もしかしたら、この先、一生、会うことがないかも・・・・、そんな想いとともに別れを経て聴く音楽。
それが「マーラーの10番」なのか。
こんな風に、ここしばらく、10番の完成版として、何度も聴いたのは、このモントリオール出身のセガン盤なのだ。
同郷の腕っ扱きをあつめたオーケストラを指揮したこの演奏。
このオケと、ブルックナーやマーラーを数々録音し、さらにメジャー指揮者としても、幾多の実績を築きあげているセガンに、世界が着目している。
幣ブログにおける、「次世代を担う指揮者シリーズ」としても、特筆大的にマークしておきたい指揮者であります。
こんな年代の自分だけれども、さよならの別れは。美しくも輝かしいものだとも報せてくれた。
もしかしたら、この先、一生、会うことがないかも・・・・、そんな想いとともに別れを経て聴く音楽。
それが「マーラーの10番」なのか。
こんな風に、ここしばらく、10番の完成版として、何度も聴いたのは、このモントリオール出身のセガン盤なのだ。
同郷の腕っ扱きをあつめたオーケストラを指揮したこの演奏。
このオケと、ブルックナーやマーラーを数々録音し、さらにメジャー指揮者としても、幾多の実績を築きあげているセガンに、世界が着目している。
幣ブログにおける、「次世代を担う指揮者シリーズ」としても、特筆大的にマークしておきたい指揮者であります。
ともかく、この演奏は美しい。
そして、なんのこだわりもなく、「マーラーの10番」を、誰それの補筆・補完とかいうことを意識もさせず、ともかくヴィヴィットに演奏してみせた快演なのだ。
オーケストラの明るい、ある意味、国籍不明の軽やかさも麗しい。
なにも構えることなく、「マーラーの10番」を心おきなく楽しめる、そんな「マーラーの10番」の超名演ではないかと思った、セガン盤。
「告別」の感情は、10番では、もしかしたら少なめで、ここでは、「別れ」の姿をした、そして寄せては引く、永遠の「愛」なのかもしれない。
その深さゆえ、「別れ」のときにしか理解されない「愛」なのかも。
マーラーの最後の3つの作品を聴いてきて、あらためて気づかされたその「愛」の美しさ。
「終わり」です。
そして、なんのこだわりもなく、「マーラーの10番」を、誰それの補筆・補完とかいうことを意識もさせず、ともかくヴィヴィットに演奏してみせた快演なのだ。
オーケストラの明るい、ある意味、国籍不明の軽やかさも麗しい。
なにも構えることなく、「マーラーの10番」を心おきなく楽しめる、そんな「マーラーの10番」の超名演ではないかと思った、セガン盤。

「告別」の感情は、10番では、もしかしたら少なめで、ここでは、「別れ」の姿をした、そして寄せては引く、永遠の「愛」なのかもしれない。
その深さゆえ、「別れ」のときにしか理解されない「愛」なのかも。
マーラーの最後の3つの作品を聴いてきて、あらためて気づかされたその「愛」の美しさ。
「終わり」です。
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コメント
セガンの10番、ギーレンのCD-Rと共に、ベストな演奏だと思います。僕の10番の蒐集もセガンで「終わり」ました。
yokochanさんの「別れ」が、何を意味しているのか存じませんが、さよならは新しい始まり-マーラーの第10の旅は、そんな理を見出すものだったような気がします。
投稿: IANIS | 2017年5月 8日 (月) 10時39分
IANISさん、まいどです。
セガン10番、ほんとに気に入りました。
ここぞというところが、見事に決まっていて、文句なしです。
仕事での区切りや、世話になった方との決別など、いろんな別れが生じて、マーラーの3曲、ことに10番が、ことのほか身にしみたものです。
投稿: yokochan | 2017年5月11日 (木) 12時09分
セガンさんのマーラー10番というと、オランダの放送局のこちらの公式の動画を視聴いたしました。とても美しく印象的な演奏でしたので、ご紹介します。
http://www.radio4.nl/ntrzaterdagmatinee/video/28/mahler-cooke-symfonie-nr-10
投稿: Sammy | 2017年5月21日 (日) 23時04分
Sammyさん、こんばんは。
ご返信、遅くなってしまいました。
そして、すんばらしいセガンとロッテルの演奏、しかも、コンセルトヘボウでの高音質・高画質。
一気に観て・聴いてしまいました。
美しさもひとしお。
曲と、注目のセガンに、釘付けとなりました。
ほんとうにありがとうございました。
投稿: yokochan | 2017年5月30日 (火) 22時19分