« ブルックナー 交響曲第8番 ショルティ指揮ウィーンフィル | トップページ | ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲 ブレンデルの古い盤 »

2017年9月30日 (土)

フラヴィアーノ・ラボー イタリアン・テノール

Tokyotower_20170923_a

9月23日、お彼岸の東京タワー。

ブルーです。

で、どこか、テノールな気分。

往年のテノール聴きました、そして、クールに熱くなりました。


Ccf20170602_00011

なんだかなぁ、すぎるジャケットで、いろんなものに見えてくる・・・
お口直しに、別バージョンを拾いました。
Labo

    ヴェルディ    「運命の力」

  ポンキエッリ  「ラ・ジョコンダ」

  プッチーニ   「ラ・ボエーム」 「トスカ」 「トゥーランドット」

  ジョルダーノ  「フェドーラ」

       T:フラヴィアーノ・ラボー

 フェルナンド・プレヴィターリ指揮 ローマ聖チェチーリア音楽院管弦楽団

                             (1954 ローマ)


フラヴィアーノ・ラボーの名を知る方は、だいたい、私より上の世代ぐらいでしょうか。
NHKが招聘した「イタリア・オペラ団」は、1956年より1976年まで、8回にわたって来日し、日本に本物のオペラを根付かせる原動力ともなった。
伝説級の公演の数々。

私が記憶にあるのは、1971年の第6次のものからで、そのあと73年は、NHKホールのこけら落とし、さらに76年は、実際にその舞台に立ち会うことができた。
その71年に、カラフ。73年に、カヴァラドッシとラダメスを歌ったのが、ラボーでありました。

小柄で、おっさん体系だけれども、その声は野暮ったさの一切ないスマートで洗練されたもので、かつ、力強さと輝かしさにもかけてはいない。
ベルゴンツィや、後輩のカレーラス系の声のイメージといえばよいかな。

正規録音としては、DGのスカラ座の「ドン・カルロ」ぐらいしか、ちゃんとしたものでは出ていなかったので、このアリア集の復活はとてもうれしい思いをしました。

モノラルながら、実に明晰な録音で、ラボーの素晴らしい歌声を楽しむことができます。

ラボーは、1927年生まれ、ロマーニャ州ピアチェンツァ県の出身で、イタリアでもどちらかというと、北西に位置する場所。
イタリアの北と南、その気質も大きく異なる。
そんなことも思いながら、イタリアの地図を眺めたりしながらラボーの声を聴くのも楽しい。
1991年に、交通事故で亡くなった新聞報道を見たときは、ちょっと驚き、寂しい思いをしたものだ。

73年の「トスカ」は、テレビを通じて何度も観劇しました。
赤いドレスの美しいカヴァイヴァンスカのトスカと、小柄なおじさん、ラボーのカヴァラドッシは、伝統的で、ゴージャスな舞台と演出とともに、ほぼ初「トスカ」だった自分のトスカ体験の刷り込みとなりました。

Tosca_1_2   Tosca_2

ラスト、ローマの早朝の朝焼けのなかの処刑シーンでは、その空の色の美しさも、これまた刷り込み。
この頃に出た、メータ盤のジャケットが、たぶん、この舞台のものだったはずで、レコ芸にその盤の書評を書いていた桜井センリさんが、体験されたローマの朝のことに触れていて、私も、まだ見ぬローマのことを憧れでもって想像したものだ。

Tosca_3

懐かしい思い出ばかりのフラヴィアーノ・ラボーの歌声。

最近は、ワーグナーとシュトラウス中心のドイツ・オペラぐらいしか、新しい演奏は聴かないので、イタリアものの最近の歌手は、名前すらわからなくなってしまった・・・。
古いのしか知らない、聴かないイタリア・オペラなのでした。

 ヴェルディは、ここでは、ドン・アルヴァーロのアリア1曲だけだが、この耳洗われるような正統歌唱に、居住まいを正したくなる想いがする。
残りのプッチーニにも、涙が出そうなくらいに、こころが熱くなった・・・・

どれ、爽やかなイタリア産の白ワインでも開けて、もう一度聴こう。

|

« ブルックナー 交響曲第8番 ショルティ指揮ウィーンフィル | トップページ | ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲 ブレンデルの古い盤 »

コメント

イタリア-オペラの歌手には、素晴らしい力量を持ちながら、何故か資本力に富むかつての西ドイツやイギリスのメジャー-レーベルへの録音が殆どなく、従ってアジアの極東の島国ではその存在が、評価と認識のされないお方、確かにいらっしゃいましたね。テノールではこのラボーに、ジャンニ・ライモンディ、バリトンではマリオ-ザナーシ。ソプラノでは、この方はイタリア人かどうか自信ないですが、アンヘレスーグリン。ガブリエッラートゥッチも、テバルディよりほんの若い世代だったせいで、割りを食ったようですし‥。

投稿: 覆面吾郎 | 2020年2月 7日 (金) 14時47分

御指摘のとおり、メジャーレーベルは、大物歌手しか出番を与えてなかったので、こうした名歌手が埋もれてしまったかもしれません。
 しかし、我が国は、幸いなことに、NHKのイタリアオペラ団が、私たちぐらいの世代に与えてくれた本場の歌手たちの生の声に接する機会は、とてつもなく大きなことでした。
ザナーシは来たか否か記憶はありませんが、トウッチもきたし、若きギネス・ジョーンズもイタリアオペラの歌手として来日してました。
懐かしき思いでです。

投稿: yokochan | 2020年2月13日 (木) 08時46分

パヴァさんも初来日は1971年度の『リゴレット』の公爵役でしたとか。この時まだ駆け出しのルッジェロ-ライモンディがフパラフチレと、ドニゼッティ/『ラ-ファヴォリータ』の修道院長バルダッサーレの二役で、日本初見参を果たしておいでだったらしいです。最後となった1976年度の『Cav&Pag』で日本デビューのドミンゴの映像、YouTubeで断念的な拝見は叶いましたけれども、DVDにならないのが、残念かつ勿体無い限りです。

投稿: 覆面吾郎 | 2020年2月29日 (土) 13時01分

NHKイタリアオペラは、71年から意識しだして、レコ芸の舞台写真を眺めて、想像して過ごしました。
76年の公演で買った豪華なプログラムに過去公演の全記録が掲載されていて、そのメンバーのすごさに感嘆したものです。

投稿: yokochan | 2020年3月 3日 (火) 08時36分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: フラヴィアーノ・ラボー イタリアン・テノール:

« ブルックナー 交響曲第8番 ショルティ指揮ウィーンフィル | トップページ | ベートーヴェン ピアノ協奏曲全曲 ブレンデルの古い盤 »