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2017年11月11日 (土)

シベリウス 「クレルヴォ」交響曲 東京都交響楽団演奏会

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上野公園のイルミネーション。

コンサート後の、火照った心をクールに沈めてくれる。

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  東京都交響楽団第842回定期演奏会
  フィンランド独立100年記念

   シベリウス 「クレルヴォ交響曲」

          交響詩「フィンランディア」

     Ms:ニーナ・ケイテル

     Br:トゥオマス・プリシオ

  ハンヌ・リントゥ指揮 東京都交響楽団
               フィンランド・ポリテク男声合唱団
               合唱指揮:サーラ・アイッタクンプ

            (2017.11.8 東京文化会館)


シベリウス(1865~1957)の大作、クルルヴォ交響曲は、75分から80分もかかるうえ、フィンランド語による独唱と男声合唱を要することもあり、なかなか演奏機会に恵まれない。

フィンランド国、独立100年の記念行事の一環でもある、大いに意義に満ちたコンサートだったのであります。

簡単に、遠くても、親しみのある親日国フィンランドの歴史をざっくり紐解いてみる。
古代や先史時代はともかくとして、12世紀ごろにフィン人の国が形造られ、同時に隣国の強国スウェーデンとの葛藤も長く続き、やがて18世紀頃からは、ロシアの影響下におかれ、宗主国的な存在となる。
19世紀には、民族独立的な機運が芽生え、やがて1917年、ロシア革命に乗じて真の独立を果たす。

これが100年前。
そのあとも、ドイツ側について、ソ連との戦いになり、敗戦国ともなるが、東西からは巧みに一線を隔す存在になり、大らかな民主主義国家を貫いているが、近年は反ロシア的な動きで、NATO寄りに傾く政策を実施中・・・・とのこと。
前置き長いですが、愛国作曲家シベリウスの音楽を聴くうえで、そんなフィンランドの歴史を頭に置いておくことも肝要かと。

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「クレルヴォ交響曲」は、1891年、26歳のシベリウスがベルリンに留学中に、大叙事詩「カレワラ」のなかのクレルヴォにまつわる物語を素材に書き上げた劇的交響曲。

以前の自分のブログから、その物語の概略をここに引用します。

<戦いの英雄クレルヴォは、黄色い髪に青い眼のハンサムだった。あるとき森で出会った乙女に夢中になってしまい、思わず、こと、いたしてしまう。
ところが、自分の妹であったことがわかり、みずからの命を絶とうとする。
だが母親にいさめられ、思い直し、かつての父の敵を討つべく戦いに挑む。
はれて、戦に勝ち、クレルヴォはかつて妹と会った森の中で自決して果てる・・・。>

北欧の神話は、ともかくエグかったり、ぶっとんでたりしますが、ここでは、同じ北欧神話に素材を求めた「ニーベルングの指環」の結婚の女神フリッカ様が、プンプンとお怒りになる内容となっている。

Ⅰ「イントロダクション」、Ⅱ「クレルヴォの青春」、Ⅲ「クレルヴォと妹」、Ⅳ「クレルヴォ戦いに赴く」、Ⅴ「クレルヴォの死」の5楽章。

でも、物語の表層はそうであっても、そんなイケない色恋は、唯一第3楽章で、独唱によるクレルヴォと乙女の二重唱で表されるが、それもかなりシャープな音楽で、抗う乙女が序徐々にの夢心地に自分を語る部分だけがロマンティック。
妹と知ったクレルヴォが、痛恨の叫びをあげて悲嘆にくれる様は、ほんとに痛切。
スケルツォ的な4楽章が明るい基調なのを除けば、この作品は、全編、悲壮なムードに覆われている。
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こんなシベリウス若き日の渾身の作品を、リントゥの指揮のもと、都響は圧倒的なその力量でもって、弛緩することなく、緊張感にあふれた演奏でもって聴かせてくれた。

冒頭、沈鬱な雰囲気のなか、クレルヴォの主題ともとれる旋律があらわれ、その後の展開がかなり地味なところが、まだまだ若書きともとれ、聴き手もいきなりだれてしまうところ。
しかし、終盤、その主題が決然と出現して褐が入るわけだが、このあたりの起伏のつけ方は、指揮者の腕の見せ所で、あたたまりきらないオーケストラを奮い立たせたように思う。

緩徐楽章的な2楽章は、北欧を感じさせる、いかにもシベリウス的な音楽で、都響の弦の美しさを味わえましたし、展開部でのリズミカルな木管は、これまたシベリウスならではの様相で、曇り空にしばしの明るさが兆したように聞こえます。

曲の中心で、一番長い3楽章では、いよいよ男声合唱と独唱が入る。
フィンランド・ポリテク男声合唱団、サッと立ち上がり、歌い始めると、さらにホールの空気が北欧化。フィンランド語の語感も、意味はさっぱりながら、やっぱりネイティブは違うと思わせます。
クレルヴォと乙女との出会いを歌ったあと、メゾとバリトンの二重唱も交えて展開。
 バリトンのプリシオが、実に素晴らしくて、自分の系譜を語るところでの豊かな声の響きび魅せられたし、この楽章の最後の悲痛の歌声と厳しい感情の吐露では、こちらまで緊張してしまい苦しくなってしまった。
その後のリントゥの大きな指揮ぶりによる劇的なエンディングも痺れたし、聴き手の多くは、ここでほぼ、この演奏と音楽にのめり込むようになったと思う。
 ケイテルさんのメゾは、声質的に、もう少し軽い方がよかったし、若干届きにくいかとも思ったけれど、長いソロと、まるでR・シュトラウスを思い起こさせるような、素敵な木管の背景にも聴き入ることができましたよ。
しかし、合唱のときも、ソロのときも、オーケストラは全員、それを支えつつも、いろんな動きをしていて、大変なものだと思いつつ拝見し、さらに、そのすべてを俯瞰し、統括する指揮者って、ほんと凄いものだな、いまさらながらに思ったりもしました。。

続く戦いへの旅立ちは、これまでの緊張を、ちょっと紐解く明るさがあり、聴き手のわれわれも、牧歌風のなじみやすい旋律にちょっと一息といったところ。
長身のリントゥさんも、指揮台で弾むようにしてました。

終楽章では、ワタクシは痺れっぱなし。
死地を求めるクレルヴォの様子を歌う合唱に、オーケストラは静かに、そして徐々に力を増してゆく、クレルヴォの主題にまつわる旋律を奏でる。
この展開に、私はゾクゾクしてきて、感動に震えました。
 そしてオーケストラのユニゾンで、あの旋律が勇壮にして、忽然と奏されたとき、わたくしはもう、わなわなと震えるほどに。
あとの厳しい、壮絶なエンディングは、もう手に汗握りっぱなしで、合唱に、オーケストラに、そして渾身の指揮棒にと目が離せませんでした!

すべての音が鳴りやんだあと、拍手もおこらず、しばしの静寂。
しかし、そのあと盛大なブラボーと熱い拍手が巻き起こったのは言うまでもありません。

この曲ひとつでも十分なのに、せっかくの本場の男声合唱だから、そして、フィンランド独立を祝うにふさわしい曲、「フィンランディア」が高らかに演奏されました。
都響もタフです!
中間部のフィンランド賛歌を静かに、でも心の底から歌う合唱団のお顔は、どこか彼方を思いながら夢見るように見えて、とても素敵なものでした。

オケが去ったあと、合唱団が順番に舞台を後にしますが、われわれ聴衆は、立ち上がって、最後の一人まで拍手でお送りしました。
彼らも、われわれの思いが伝ったのでしょうか、手を振ってくれましたし、ホールを出るときに、再び出会った彼らも、本当にうれしそうにしてました。

素晴らしい演奏会でしたnote

Bunka

 過去記事

 「デイヴィス&ロンドン響のクレルヴォ」


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