シュレーカー 「狂える焔」 ギュルケ指揮
六本木けやき坂
今年もこの坂の並木を銀と琥珀色に染める、そんな季節がやってきた。
日々がほんと早いし、体調もすぐれない。
そんな気持ちを、さらにひっ迫させるような緊迫の美にあふれた音楽を聴くのだ。
そして、ウィーン交響楽団、三連発シリーズだったのだ。
シュレーカー 歌劇「狂える焔」
領主ハインリヒ:ミヒャエル・パブスト 森林管:ゴラン・シミック
エヴァ:ルアナ・デ・フォル ローラ婆さん:エヴァ・ランドヴァ
ペーター:モンテ・ペデルソン クリストバルド:ハインツ・ツェドニク
牧師:ネーフェン・ベラマリック 貴族:セバスティアン・ホーレック
フュンクフェン:ヘルムート・ヴィルトハーバー
シュトラールブッシュ:ネーフェン・ベラマリック
ラッツェカール:セバスティアン・ホーレック
アンセルムス:ゴラン・シミック 従者:ヘルムート・ヴィルトハーバー
ペーター・ギュルケ 指揮 ウィーン交響楽団
ウィーン学友協会合唱団
合唱指揮:ヘルムート・フロシャウアー
(1989.3.15 @ムジークフェライン、ウィーン)
フランツ・シュレーカー(1878~1934)のオペラ作品を久しぶりに取り上げる。
キリスト教徒のユダヤ人を両親に、父が優秀で宮廷写真家の称号を得ていて、生まれたときはモナコにいた。
ツェムリンスキーの師フックスに学び、ウィーンとドイツワイマールて活躍し、9つのオペラ、オーケストラ曲、声楽作品などを残すも、いまやちょっとマイナーな存在になってしまった。
ナチスが退廃音楽としてレッテル貼りをして、目をつけられる1920年代後半までは、その作品がさかんに上演された人気作曲家であった。
ツェムリンスキーとともに、徐々にリヴァイバルしてきてはいるものの、かといってツェムリンスキーの「抒情交響曲」や「人魚姫」のような人気作はない。
そんな日陰者のシュレーカーが好きで、これまで、9作あるオペラのうち、5作品を取り上げてきました。
「狂える焔」は、9作中の6作目。
そもそも、「狂える焔」って誰がタイトルにしたのだろう。
「Irrelohe」で検索すると、「Irrenlohe」とあり、それはドイツ、バイエルン州、シュヴァンドルフ地区の駅と出てくる。
ニュルンベルクに通じる路線の駅名であり、小さな地区のようである。
このオペラをシュレーカーは、1919年に書き始め、いつもの常としてリブレットも自らが構想・作成しつつのものであったが、最後に行き詰まり止まってしまう。
そう、それこそタイトルがバシッと決まらない。
そんなとき、寝台特急で移動中のときのこと、駅名をコールするアナウンスに飛び起きた。
そう、それが「Irrenlohe」だった。
シュレーカーは、それこそ、これだ!と思い、このオペラを一気に完成させた。
1924年のこと。
同年、ケルンにて、クレンペラーの指揮により初演され、一定の成功を収めたものの、これまで成功続きだったシュレーカーのオペラにしては、人気の持続性に陰りが出始めた。
ナチスは党として発足していたが、勢力はまだまだ。
シュレーカーの音楽への飽きも、そしていっそう複雑化して行くシュレーカーの音楽への戸惑いも。同時期のR・シュトラウスは、「影のない女」や「町人貴族」「インテルメッツォ」などで、ワーグナーの敷いた道を確実に進化させ、より古典帰りを見せていただけに、その違いが歴然としている。
メロディも豊富で、ストーリーも簡潔なシュトラウスに対し、メロディよりは、大胆な和声とマイナーな調性を主体にしたほの暗いシュレーカーの音楽。
それと半ばワンパターン的な物語の筋立て。
以前にもブログで書いたけれど、「人間の欲望の尽きるところのない性(サガ)と、それへの肯定感」、こんなイメージがシュレーカーの書くドラマと音楽の背景にあるような思いがある。
そして、登場人物たちも、ヒロインは、イタイ女性ばかりで、ちょっと病的かつお嬢様的。
それに対する男声陣は、エキセントリックボーイで煽情的。
こんなパターンがわかっちゃいるけど、やめられない、知っちゃったからこそやめられない、そんなシュレーカーなんです。
外盤の解説書を紐解いて、もう少し書きます。
この物語の時代背景と場所は、「18世紀のイルローエ城とその村」。
そしてこの城にまつわる伝説と、その城を燃やしてしまわないといけない一派。
ヒロインは、城主と愛に陥るが、老母と暮らす、その彼女の幼馴染は嫉妬に狂い、城主を襲うが、逆に殺されてしまう。老母は、それはおまえの弟だよ~と、言う間もなく城は放火され燃え盛るなか、愛する二人は未来へ歩みを踏み出す。。。。。
こんな内容のオペラなんだけれど、まるで、「トロヴァトーレ」。
老母はアズチェーナにあたり、ライバルは兄弟で、そして炎。
解説によれば、ヴェルディの描いた伝統的な運命ドラマに、映画チックなホラー要素を交えたのがシュレーカーのドラマ。
平和な村と、ミステリアスな城は、ドイツの国民オペラ時代のマルシュナーの「吸血鬼」や、城はないものの村人との関係で、「ドン・ジョヴァンニ」を想起させると。
さらに、炎は、シュトラウスが「火の欠乏」で、ワーグナーが「ワルキューレ」で、さらに、「黄昏」で、ヴァルハラ城の炎上で扱っていて、火は、浄化作用があって、このシュレーカー
のオペラでも城が燃えて、その一方で、二人の男女の愛が成就する、的な内容になっている。
ちなみに、ワーグナーは長調の調性で炎の場面は展開するのに対し、シュレーカーは短調。音楽に多分に狂気性をはらんでいるのもシュレーカーだ。
そして、このオペラのタイトルに戻ると。
「Irre」は、クレイジーとか狂った、「Irren」にすると誤ったとか間違ったと訳される。
「Lohe」は、焼ける、「Lohen」とすると炎。
なるほど、「狂った炎」となります。
ゆえに、シュレーカーは、「狂った焔」という駅名に飛び上がったわけなのであります。
第1幕
老いた母、ローラは、かつて私も若かった、と昔を歌うが、その息子ペーターは、人々があれこれ言うあそこに立つ城の秘密を教えてくれと頼む。
ローラはあの城は愛によって築かれたもの、かつて城主が水の精に恋をして、息子をもうけたが、彼女も亡くなり、父も亡くなり、息子は暗い狂気の炎を宿し、その血は代々に引き継がれている・・・
そして、ペーターは、自分の父はいったい誰なのか、村のものが自分を見る目がそう語っていると母に迫るが、彼女は、父はもう亡くなった、そしてすべては明日、明日に起こるだろうと、と言い残し奥に下がる。
そこへ旅の人、すなわちクリストバルトがやってきて、一夜の宿と酒を求める。
ペーターを見て、一瞬驚き、幽霊でもみたのかと独り言ちるが、ペターに求められるままに、30年前に、城で起きた出来事を語る。
婚礼の日、村中の鐘という鐘がなり、みんながダンスに興じた。そこに巻き毛の可愛い女性がいて、私は彼女を愛してしまった。しかし、そこに城主が異様な眼差しでもってあらわれ、彼女を遅い、連れ去ってしまったのだ・・・。
ペーターは、その彼女の名を訪ねると、クリストバルトは、「ローラ」と答え、ペーターは絶叫する。
残されたペーターのもとへ、幼馴染のエヴァが駆け込んでくる。守って欲しい、あの城のハインリヒが私をつけてくる、昨日も、今日もと。。、これを聞いたペーターは、押し倒され衣服もはがされ・・と狂気のように妄想するので、エヴァは、彼が正気なのか疑う。
エヴァは、そうではないの、あのハインリヒの瞳が忘れられない、寝ても覚めても彼の顔が忘れられないの、と語るので、ペーターは、あいつを愛してるのかと悟り、出ていけと叫ぶ、そして、もう終わった、死以外に残されていないと絶望する。
第2幕
街角にて、牧師と貴族が出会って挨拶、しかし、貴族は、昨晩、自分の工場が火災にあったことを語り、そして毎年7月13日には火事が起こる、これは不思議ではないかと。
貴族が去ったあと、森林官がやってきて牧師と挨拶、森林官の娘エヴァはこのところ見ないねと話しかけると、彼女はわたしを恐れているようだ、ちょっと話を聞いてもらいたいと、今度は二人で歩み去る。
今度はラッツェカール、フュンクフェン、シュトラールブッシュの音楽家3人が、それぞれに楽器を持ってあらわれる。
昨晩は大成功、そして今度はあの城さ、われらが兄弟クリストバルトは最高の使い手さ!と気炎をあげる。
それを隠れて盗み見てしまったエヴァは驚愕し、ハインリヒのことを心配して、急いで知らせようと城へ走る。
次にあらわれたのは、ローラとクリストバルト。彼女はクリストバルトに、そんな昔のことは忘れて欲しい、私は平和に暮らしたいと語るものの、彼は、この日を迎えるのは、30年越しの夢だった、残酷なこの世、すべてのものはみんな罪人なのだ、平和は火のうちにこそやってくるのだ!と執念を燃やす。
ハインリヒは、城へ向かってくるエヴァの姿を認め、熱く歌う。もうこれ以上、自分の人生を背負いたくない、彼女を知って以来、腐った家族の憎しみや城へのバカげた話、そんなものも、城ももうたくさんだ!
そこへエヴァがやってくる。ハインリヒは執事アンセルムスに自分の想いを綴った手紙を持たせたが、その手紙と行き違いに、違う目的でもってやってきたエヴァ。
しかし、ふたりはお互いに惹かれ合い、熱い二重唱を歌う。
ハインリヒは呪われたアウトローで貧しいこんな自分でも本当に愛してくれるのか?と問うが、エヴァは強く、そんなものは終わらせましょうと強く答え、やがて、ハインリヒは結婚しようと求婚し、ふたりの愛は高まるのでありました。
戸口に佇むクリストバルト、ハインリヒに、婚礼でもあるのですか、迷ってしまったので門の中にはいってもいいかと聞くと、老人よ、どうぞと快く認めるが、エヴァは、嫌な予感と警告、しかし、もう彼の姿はない・・・・
そこへ、エヴァへの手紙を渡しそこねた執事が帰ってくて、当の本人が、ここにいるのでびっくりする。ハインリヒは将来のあなたの主人といって紹介、そして母や姉たちも呼んで、村にも知らしめ、盛大にと指示を出す。
外では、この様子を眺めながらクリストバルトが、イレローエ城を燃やしてやると独り言ちする。
第3幕
村の広場のローラの家、ペーターが帰ってくるが苦しそうにしている。
母は、ペーターに、お前は今日はどこへも行ってはいけないよ、あまえの足りない頭が何をしでかすか、アキシデントはいとも簡単におこるのだからと。
ペーターが家の前座っていると、エヴァが帰ってくる。
エヴァは、静かに聞いて欲しいと語りだす、自分たちは幼馴染だけれど、いまは、恐れにもにたものに取りつかれたようなの、それが愛と。しかし、一方のペーターも、昔からの思いでエヴァへの愛を語るものの、彼女は、そんな喜びのない感覚でなない、今までとは違うの、と諭すが、ペーターは、だんだんと狂気じみてきて、恨み節を歌う。
そして、お前に婚礼のダンスなど絶対にさせないと息まき、エヴァは、わたしを脅すのか、あなたの許しなんかいらない、とついに決裂してしまう。
ペーターは、ローラに、母さん、俺を逃げ出さないように縛ってくれーーといって家に入る。
婚礼のファンファーレや人々の合唱などがにぎやかに錯綜するなか、村の人物たちは、いろんな符合、30年前のこと、エヴァのことなどを語り、不安と期待で慌ただしくしている。
踊りの中では、ハインリヒがローラを称える。
そんななかローラは、オペラ冒頭の歌、かつての若い頃の想いをつづるが、ペーターは、脱兎のごとく家を飛び出していってしまい、またたく間に踊りのなかに紛れてしまう。
そして、ハインリヒとエヴァのまえに飛び出したペーターは、エヴァと踊ろうと手を差し伸べた彼に向って、おまえは踊ることができない、俺が許さねぇとすごむ。
ハインリヒは、わけもわからず、この男は何をいってるのだと戸惑うが、ペーターは、遠くのローラを指さし、俺のかぁさんだ、かつてお前の父親が、結婚式の母を奪ったのだ、お前の父親はきっと地獄にいるだろうよ。
ハインリヒは、戸惑い、エヴァは、彼は嘘をついているよと対抗するが、ペーターはさらに毒づき、おい、おまえ、兄よ、すべてのものを共有だ、彼女は今夜、明日はお前、そして目には目を、歯には歯をと復讐に燃える。
丸腰のハインリヒを助けるものいない、ペーターはこの女は俺のものだとわめくが、ハインリヒは、神のお力をと、全力を振り絞って体当たりして首を絞めて、ペーターを殺してしまう。ローラは、ペーターの名を叫び、これはあなたの兄弟なのよと泣き崩れるが、そのとき、鐘が鳴り響き、城に火の手があがる。
クリストバルトは、イレローエが燃えていると炎を背景に小躍りするが、そのさまは、他所からきた魔物のようであった。
叫び、助けを求める人々。狂乱の音楽。
しかし、それも静まり、音楽も平和的なムードに満たされてゆく。
ハインリヒとエヴァのふたり。
ふたりは改めて愛が大きくなり、赤く染まった空も明けていくのを感じ歌う。
黄金の門が開くのを見たわ、灰や血が燃え盛る炎から明るい光に浄化されたの。
愛の輝き、夜と恐怖から解放された「幸福な炎」。
わたしたちの一日が始まった、いま日の光は自分たちのなかにある!
輝かしい音楽で幕!
幕
こんな内容のドラマです(対訳がないので、だと思います)
炎による悪しきことの浄化。
そう、前褐のとおり、ワーグナーの「神々の黄昏」にも通じる概念であり、火の修行を経て愛の高みで結ばれる、モーツァルトの「魔笛」にも似たり。
ドイツやイタリアのオペラの歴史を集大成して、自身がすぐれたオペラ指揮者であり、オペラ作曲家であったシュレーカーのオペラ作品。
こんな風に、わたくしは連日聴き、ようやく記事にできるようになりました。
思えば、これまで聴いたシュレーカーのオペラと同じような音楽のパターンはちゃんとあります。
先に書いたように、エキセントリックなテノール役に、それに惹かれる妙に無垢なソプラノ。
対する適役は、同じようにエキセントリックだけど、やたらと陰りをもっていて宿命的な運命を背負っているバリトン。
あと、当事者の肉親だけれども、妙に冷静でいて傍観者になってしまう裏方のような当事者。(本当は、いろんなこと、すべてを知っているのに・・・)
こんな主人公たちがそのパターン。
で、音楽面でのパターンは、扇情的でありつつ、すべてが断片的で、連続する旋律は少なめ。少しづつのフレーズが積み重なって、美的なモザイクのような音楽になってて、クライマックスなどでは、それが同時進行してややこしい流れとなる。
で、そのオペラには、祭りや祭典のシーンが必ずあって、飲めや歌えや的なにぎやかなバックグランドが築かれる。
今回は、ほんと長いですね。
あと一息、演奏について。
このCDは、1989年、ウィーンでの演奏会形式ライブ録音で、埋もれていたこの作品をちゃんと演奏した蘇演であります。
ベーレンライター版が定着するまえ、独自の校訂を行ったペーター・ギュルケ。
スウィトナーのベートーヴェンがその版だったろうか?N響でも第九を指揮していたはず。
そんなギュルケの危なげのない指揮は、こうした未知の作品の演奏にはぴったり。
で、なんたってウィーン響が機能的かつ美しいし、その響きがいまほどにインターナショナルじゃなくて、ゴシックなシュレーカーの音楽にふさわしく、ほどよく錆びれている。
80~90年代の歌手たちも、自分には懐かしく、いまの映像主体に重心を移した歌唱とは違い、各々、深みがあるように思った。
なかでも性格テノールのツェドニクが素晴らしい。
放火犯のクレドたる2幕の信条告白はなかなかのもので、とんでもなく疚しい。
あとヒロインのデ・フォルの清純さのなかに、熱を帯びた情熱を感じさせる感情豊かな歌唱。それと懐かしいランドヴァーの母親の声。クンドリーのイメージもその声から浮かびましたよ。
あと特筆は、没頭的だけど、なめらかなバリトンの声を聴かせるペデルソン。
で、ハインリヒ様のヘルデンは、ちょいと一本調子。
しかし、皮肉にも、運命のもとにあったハインリヒの常に切迫した役柄には合っているという符合。
ここ数年、音楽だけは何度も聴いて耳になじませ、その後、徐々にリブレットを解析。
国内情報の少ない気に入った作曲家、気に入ったオペラを楽しむには、ともかく何度も何度も聴くこと。そうして後に、そのオペラが大好きになり、むこうからいろんなものを発信してくれるように感じるようになります。
こんな風にして、3~6か月、じっくり楽しむのです。
以前は、こうして、好きなオペラの拡充に努めてました。
まだまだたくさん、手持ちの未開拓作品あります。
体調管理に気をつけて、ゆっくりと聴いていきたいと思ってます。
この度は、長尺の記事を起こしまして申し訳なく思います。
シューレーカーのオペラ(記事ありはリンクあります)
「Flammen」 炎 1901年
「De Freme Klang」 はるかな響き 1912年
「Das Spielwerk und Prinzessin」 音楽箱と王女 1913年
「Die Gezeichenten」 烙印された人々 1918年
「Der Schatzgraber」 宝さがし 1920年
「Irrelohe」 狂える焔 1924年
「Christophorus oder Die Vision einer Oper 」
クリストフォス、あるいはオペラの幻想 1924年
「Der singende Teufel」 歌う悪魔 1927年
「Der Schmied von Gent」 ヘントの鍛冶屋 1929年
「Memnon」メムノン~未完 1933年
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コメント
お早うございます。
コルンゴルトを極めた次は、
シュレーカーのオペラ完全制覇を
目指しておられるようですね。
しかし未完のものも入れて10作も
作っていたとは不覚にも知りませんでした。
プッチーニやホルストに匹敵する数ですね。
余談ですが、ブログ主様とお付き合い頂くようになって
今年で10年になります。
こんなダメ人間の若輩にいつも優しく接してくださる
ブログ主様にはもう感謝の言葉もございません。
2008年7月のベーム指揮のペレアスの記事に書き込み
させて頂いたのが最初の出会いとなりました。
今後ともよろしくお願いいたします。
フェイスブックでもご交流いただけますでしょうか?
こちらでは本名で友達リクエストさせて頂きます。
不束者ですが、今後もよろしくお願いいたします。
不良文学音楽中年越後のオックス
投稿: 越後のオックス | 2017年12月14日 (木) 05時49分
図書館秘書が卒業目途たったとのこと、おめでとうございます。
偏り多く、投稿もコメントも極めて不定期ですが、よろしくお願いします。
毎日、なかなか忙しいので、ほかの方もそうですが、短めのコメントでいただけると助かります。
いただいておりながら勝手でございますが。
投稿: yokochan | 2017年12月24日 (日) 10時32分