ヴィヴァルデイ 四季 カラヤン指揮
もう、とっくに散ってしまった八重桜。
例年なら、GWまで楽しめることもあるけど、今年はつつじも南関東ではもうおしまい。
東北・南北海道まで北上した桜前線も足早やにすぎた。
3月の観測史史上、一番高かった気温の影響とも。
このようにして、日本の四季が、寒いのと、暑いのとに二分化されつつあるように感じます。
で、カラヤンの「四季」ですよ。
ヴィヴァルディ 協奏曲集 「四季」
Vn:ミシェル・シュヴァルベ
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(1972.8 @サンモリッツ)
で、カラヤンの「四季」です。
1973年春、「カラヤンの四季」が発売されたとき、わたくしは、アンチ・カラヤンの中学生だった。
強過ぎる巨人に対する反発にも似て、アンチを気取った中坊は、「カラヤンの四季」の登場に、「カラヤンよお前もか!」という思いで、おしゃれなジャケットには、大いに気を惹かれつつも手を出すことは、CD時代、かなりを経てから。
はいはい、そうですとも、オペラのカラヤンはずっと凄いと思ってましたが、オーケストラ作品でも、カラヤン様は凄いことを、酸いも甘いも噛み分けるようなオジサンになってから痛感いたしましたとも。。
そんな一環の「カラヤンの四季」。
イ・ムジチのを越えられないから、「四季」はやらない、ともされたけれど、一家に1枚ともされた当時の定盤、アーヨ&イ・ムジチ盤とは違う次元で、当時最高レヴェルのヴィヴァルディを作り上げたところがカラヤンらしいところ。
レガート多めの滑らかかつ、耳触りのよさが勝るところはカラヤンならではだが、サンモリッツの教会の豊かな響きを背景に、チェンバロの音色を控えめにして、ヴァイオリン・ソロと弦楽合奏の豊かな溶け合いの妙を、カラヤンは心憎いまでに聴かせてくれる。
いまの、古楽器や、ヴィブラート少なめの奏法からすると、豊饒にすぎるかもしれないし、ピッチも高めに感じるが、当時は、こんなニュアンス豊かな演奏がバロック音楽の一面でもあったように思う。
こんないくぶんムーディーな四季もまた、ヨーロッパの貴族社会の目からみた「ヨーロッパの四季」のように感じる。
それは、宮殿や館の窓から見るような「四季」で、春には花瓶に美しい花が飾られ、夏の厳しい暑さや雷鳴は、石造りの館の中からはあまり感じない。
でも、豊饒の秋には、たくさんの収穫物がテーブルの上にはならび、狩りの犬の吠え声も遠い。そして、寒い冬は、あたたかい暖炉でぬくぬくと、窓の外は厳しいけれど。
こんな、四季もヨーロッパの一面だし、「カラヤンの四季」は、ともかく美しいのだ。
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コメント
おー、カラヤン
ロッシーニの序曲とか弦楽ソナタよござんした
ウィーンフィルのドボ8 よごさんしたねぇ
しかし、シューベルトの交響曲全集
あれは一回だけ聞いて、処分したなぁ
モーツァルトは33番36番とウィーンフィルの40番は良かったけど あとはナンジャラホイでしたのなぁ
しかし、カラヤンの言行録はおもろいですなぁ
オナゴにもきわどいのありましたがねぇ
投稿: 真坊 | 2018年4月30日 (月) 22時36分
お久しゅうございます。よこちゃん様。GWのただ中いかがお過ごしでしょうか?春を通り越して一気に夏かと思いきや、本日はしとしと雨で肌寒い。でも四季のはっきりした日本は やはり良い。私はイムジチの四季を聞いておりまする。ズビン・メータ指揮イスラエルフィルの公演中止が発表されました。泣く泣く払い戻しにいきましたよ。残念です😭体調不良との事で心配です。また来日が叶いますように。
投稿: ONE ON ONE | 2018年5月 3日 (木) 12時20分
真坊さん、カラヤンは、どんな通俗名曲でも真剣勝負で大曲なみの演奏に仕立てあげましたね。
なにもそこまで、と思うこともしばしでしたが、いまやこんな大指揮者はおりません。
往時の大指揮者たちが現存していたら、たちまち、マスコミの餌食になってしまうことも多々ありなん・・ですね。
投稿: yokochan | 2018年5月 5日 (土) 08時31分
ONE ON ONEさん、こんにちは、お久しぶりです。
関東は暑いですよ。この連休は好天続きです。
こんな季節に四季もいいものです。イ・ムジチの四季もいくつもありますが、いずれも懐かしい感じです。
それと、メータさん、心配です。2月ぐらいからキャンセル続き。じっくりと養生していただきたいですね。
あと、DeNA,もどかしい試合が続いていて、もやもやします!
投稿: yokochan | 2018年5月 5日 (土) 08時36分
そうですか…私もアンチカラヤンでしたね。今でもそんなに好きはないですが、アンチと言うほどではありません。晩年に近かったと思いますが、ベルリンフィルを率いての日本公演で民放でベートーベンの運命を放送したのを覚えています。あまり知識も無いころでしたので「凄い指揮者だ」という評判で期待して視聴したのですが、そのときは、私の耳には今一つでした…。そんな思いでもあってカラヤンのベートーベンは今でもあまりいいとは思えないんですね。 カラヤンの四季は聞いたことがなかったので、聞いてみたいです。私は少しバイオリンをたしなむのですが、四季のソロバイオリンは意外?に難しいですね。
投稿: | 2018年5月19日 (土) 18時59分
失礼しました。香川のudonでした。
投稿: udon | 2018年5月19日 (土) 19時00分
udon さん、こちらにもありがとうございます。
カラヤンの第5の放送、わたしも見ました。
大阪のシンフォニーホールのもので、テレビ朝日系の放送でした。当時はアンチまっしぐらだったので、斜に構えて観てましたが、いまの耳でまた見てみたいものです。
カラヤンのスピーディーなベートーヴェンは、いまはそんなに嫌いじゃないですよ(笑)。
数年前から、カラヤンを見直し中でして、この四季や、あとクリスマス・コンチェルトやバッハなんかも悪くないと思ってます。
投稿: yokochan | 2018年5月25日 (金) 08時41分
そうですね…今はyoutube でいろいろと聞けますので、私も時々カラヤン・ベルリン・フィルの演奏を聞きますが、当時は現代的な演奏(深みが無いという揶揄もあったと思いますが)と評されていましたが、今、聞いてみますと、「濃い演奏」という印象が先にきます。音の厚みが濃厚で、フレーズもたっぷり伸ばす印象。最近は古楽器も隆盛ですし、今の演奏のは各楽器があまり混じり合わないようにして、フレーズも短め、という傾向のような気がするのですが…いかがでしょうか? シェーンベルクの浄夜、シュトラウスの4つの最後の歌など、後期ロマン派のカラヤンはいいなと思っています。
アバド⇒ラトルに変わったときのベルリン・フィルはどのおうにお感じになりましたか?
投稿: udon | 2018年5月25日 (金) 09時06分
udonさん、こんにちは。
そうです、カラヤンは濃いですね。バーンスタインとはまた違った意味で。むしろベームの方が淡白で、より今風な感じもしたりも、曲によってはします。
われわれ聴き手の耳の変遷にもよるところも大きいと思いますし。
ラトルに変わったとき、すぐにサントリールで聴く機会を得ましたが、音の厚みが増した、そして、軽やかさよりは重厚さを感じました。
ブラームスを二人で聴く比べると、より分かるような気がしますが、私は歌謡性の高いアバドの明るいブラームスの方が好きではありますが、、ラトルのすごさを認めつつも。
ラトルはロンドン響で、より進化しそうな気がします。
投稿: yokochan | 2018年6月 3日 (日) 10時32分