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2018年7月

2018年7月28日 (土)

ワーグナー 「ローエングリン」 バイロイト2018&コヴェントガーデン

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もう日は経ちますが、今年も、靖国神社のみたままつりに行ってきました。

猛暑のなか、今年から屋台も復活し、老若男女・日本人も外人さんも、ほんとにたくさんの人出で、おおいに賑わいました。

そして、同じ時期、本格的な夏の到来とともに、海外では夏の音楽祭の始まりとなります。

ここ数年、ネットで同時配信され、遠い異国の地にあってもすぐさま視聴することができる。

Proms、ザルツブルク、そしてバイロイトが、わたくしの夏の楽しみです。

今年のバイロイトのプリミエは、「ローエングリン」。

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     ワーグナー  歌劇「ローエングリン」

 ローエングリン:ピョートル・ベチャーラ エルザ:アニヤ・ハルテロス
 テルラムント : トマス・コニュチニー オルトルート:ヴァルトラウト・マイヤー
 ハインリヒ :ゲオルク・ゼッペンフェルト 伝令:エギルス・シリンス
 
  クリスティアン・ティーレマン指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                       バイロイト祝祭合唱団
           合唱指揮:エーベルハルト・フリードリヒ
           演出:ユーヴァル・シャロン
           舞台・衣装:ネオ・ラウヒ&ローザ・ロイ

                   (2018.07.25 バイロイト)   


当初、発表されていたロベルト・アラーニャが降りてしまい、代わりに起用されたベチャーラ。
ドレスデンでティーレマンとも共演していて、実績もあり、このところ売れっ子テノール。
あと、18年ぶりにバイロイトに帰ってきたマイヤーも注目。
そして、このローエングリンを指揮することで、バイロイトで上演される主要作すべてを手掛けたことになるティーレマン。
もしかしたら、戦後バイロイトで全作コンプリート指揮者は初かも。

こんな風に、なんだかんだいって、バイロイトは毎年、話題にことかかない。

そして耳で聴いた演奏は、なかなか素晴らしいものだった。

まず、ベチャ-ラのタイトルロール。

10年ほど前に、チューリヒ・オペラの来日公演で、ばらの騎士でのテノール歌手を聴いているが、その時の印象ではきれいな声、ぐらいのもので、今回のローエングリンを聴いて、スピンとする、その力強い声とともに、あふれる気品に、かつてのジェス・トーマスを思い起こしてしまった。これからも楽しみな歌手。
 あと、久々のマイヤーさん。
相変わらずの魅力的な中音域に、やや硬質なキリリとした声。
凄みはあるが、憎々しさを覚えないのは、イゾルデの声で聴きなれたせいか。
でも四半世紀前のアバド盤でのマイヤーに比べると、味わいは増しものの、さすがに声の威力は減じた感じだ。
 ハルテロスのエルザは、まずまず。1幕は、ちょっと不調ぎみで、苦しかった。
あとになるほどよかった。
ドイツも猛暑らしくて、歌手たちは体調管理が大変だ。
ハルテロスも、もう13年も前だけど、新国でエヴァを聴いていたが、当時の日記を見てみたら大きな体で、よく声が出ている、なんて書いてて何とも言えない。
来年のエルザは、ネトレプコとの報もあるけど、どうなんだろう。
 テルラムントのコニュチニーと、ゼッペンフェルトのハインリヒは万全の歌いぶり!

ティーレマンの指揮は、快速。
いつも重厚長大なワーグナーを、ゆったりめのテンポで堂々と推し進めるのに。
1幕の前奏曲からしてそう感じるし、3幕の前奏も早い。
演奏タイムは、全幕で3時間22分。
あとで取り上げるネルソンスは、3時間30分、ペーター・シュナイダーが3時間38分。
なにもテンポの速い、遅いが演奏の良し悪しを決めるものではないが、オペラの場合演出や舞台の流れに即した解釈ともなることもありうるから、このあたりは、いずれ観ることができるであろう舞台映像で判断したい。
 ということで、ティーレマンにしては、全体に軽く感じたわけだが、それでも要所要所で、タメを設けたりするところが見事に決まったりするところは、彼らしいところではあります。

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 で、演出。
「青=ブルー」の世界。
青の舞台の画像のいくつかを見て思ったのは、ヴィーラント・ワーグナーのローエングリン。バイロイトを始め、ウィーン、ベルリンでも、東京でもおなじみのあの青。
生誕101年のヴィーラントへのリスペクトか?

 過去記事 →ヴィーラントの青

この舞台のコンセプトは、装置・衣装のラウヒ夫妻が長らく準備してきたものとのことで、演出のロサンゼルス・オペラのシャロンの起用の決定は、その準備以降のこととのことなので、この舞台と演出は3者の完全共作ということのようだ。

画像を見て、毎度想像をめぐらすわけだが、変電所が舞台で、ローエングリンは送り込まれた電気技師。貴族・豪族たちは、ディズニーのお伽の国の人物のようで、羽根が生えてる。それに対し、民衆たちは、バロック調のリアルな衣装で、それぞれが三者三様。
舞台背景もよく見ると絵画的。

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 せっかく電気をもたらしたのに、追われてしまう寂しいローエングリン。
それを見送るエルザの背には、サバイバル電源のようなバックパックが。
う~む、想像はこのあたりまでにして、映像を待ちたいと思います。
 聴衆のブーがほとんどなかったので、穏健な落としどころがあったのでしょうね。

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ワーグナー  歌劇「ローエングリン」

 ローエングリン:クラウス・フローリアン・フォークト
 エルザ:ジェニファー・デイヴィス  テルラムント: トマス・ヨハンネス・マイヤー 
 オルトルート:クリスティン・ゴアーク ハインリヒ :ゲオルク・ゼッペンフェルト 
 伝令:コスタス・スモリギナ
 
  アンドリス・ネルソンス指揮 コヴェントガーデン王立歌劇場管弦楽団
                     コヴェントガーデン王立歌劇場合唱団
           演出:デイヴィッド・オールデン

                   (2018.07.01 ロンドン)   


6月から、ロンドンでは、オールデン演出によるプロダクションが上演。
指揮は、バイロイトで実験ネズミのローエングリンを指揮したネルソンス。
そして、いまや世界一ローエングリンを歌っているであろうフォークトを迎え、エルザには、当初、ネルソンスの奥さんのオポライスが予定されていたが、こちらも降板し、アイルランド出身のジェニファー・デイヴィスという若い歌手が起用され、その彼女が一躍スターとなった(らしい)。
そんな上演の様子、音源だけは、BBCのサイトで期間限定ネット配信されてました。

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まず、ここでは、ネルソンスの安定感のある指揮ぶりを称えたい。
ティーレマンよりいいかも。オケの雰囲気は、バイロイトの方が劇場の鳴りも含めて上に感じますが、全体のとらえ方のバランスのよさと個々の場面の緻密な描き分けが、とても見事。歌手も、オーケストラもこんな指揮ならとてもやりやすいのではないでしょうか。
2幕のダークサイドチームたちの暗黒の緊迫感ある場面は見事。
そして、3幕の禁断の問いの場面での切迫感と無常感。
で、最後の大団円は、思いっ切り引っ張って、とてつもない効果を引き出してました。

歌手では、フォークトが完璧。いうことない。
若いジェニファーさん、どちらかというとリリックな声で、エルザやエヴァがお似合いの感じですが、ここぞという場面では、けっこう頑張ってます。
ゴアークというアメリカ人メゾによるオルトルートは、おっかないです。
ヴィブラートを巧みに用いて、亭主の尻をたたき、とエルザをたらしこみますが、ちょっと何度も聴くとくどい印象を受けるかもです。
お馴染みのマイヤーのテルラムントも聴きなれた声だけに、私には安心感がありますが、フォークトのような完璧感はちょっとないです。
バイロイトと同じく、ここでもゼッペンフェルト。

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さて、写真で妄想。
オールデンの実際の舞台は観たことがないけれど、社会性のあるテーマをぶっこんでくる演出家。
ここでは、20世紀に時代設定をもってきて、爆撃後の焼け跡復興が舞台っぽい。
2幕の婚礼シーンには、白鳥の彫像がナチスを思わせるし、3幕(死体が右に転がっているので)のローエングリンの告別の場面では、それらしき旗が。
国王は、顔色悪く、ダーティなイメージだし、ダークサイド組と聖なる組とでは、黒と白で対比。労働者たち、市民は表情が暗く硬い。

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戦後の暗い社会に現れた救世主に、ナチスの申し子を重ね合わせようと皆が願望したが、エルザの一言で、その白い戦士は帰って行く。
 こんなことを想像しましたぞ。
勝手な妄想ですので、お許しください。

短期間に、ふたつの優秀なローエングリンの上演の様子を聴くことができました。
ネットとはかくもありがたいものです。

さぁ、この夏も各地の音楽祭聴き、いそがしーーー。

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2018年7月22日 (日)

ウェーバー 「魔弾の射手」 二期会公演

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オペラ公演に、スタンド花はよく見る光景ですが、特定の出演者に、ここに写った何倍も。

元宝塚のスター女優、大和悠河さんが出演することで、客層も一部普段と違う感じに。

わたくしの注目は、やはり、コンヴィチュニーの演出。

これで、「タンホイザー」「エフゲニー・オネーギン」「サロメ」に次いで4作目のコンヴィチュニーのオペラ。

ハンブルク州立歌劇場との共同制作だが、1999年プリミエの演出のもの。
DVDにもなっているが、そちらは未視聴。
ザミエルは、男性俳優が演じていて、今回の日本版では、コンヴィチュニーは、女性でやるとしたため、ズボン役もこなす、大和さんのザミエル役がやはり大きな見ものとなったわけだ。
大和さんは、オペラも大変にお好きで詳しいともききます。

「魔笛」や「フィデリオ」のように、セリフも伴う、ジングシュピールだから、原語上演とはうらはらに、セリフ部分は日本語で行われ、逆に英語の字幕が流された。

そして、このセリフ部分で、なんといっても圧巻かつ群を抜いていたのは、やはりザミエルの大和さん。
声の抑揚、声量、客席への届かせ方などなど、まったく見事。
それに対し歌手たちのセリフはまだまだのところもあった。生真面目すぎるというか、あざとく感じてしまったのだ。
思えば、かつてのオペラ録音では、セリフ部分を本業の声優が演じることが多く、歌声との違いにギャップを感じることもあった時代があった。
 ところがいまや、オペラを楽しむ手法に、映像も加わり、歌手たちには緻密な演技力や表情、そして語りも必要になった。
 ほんと、オペラ歌手のみなさんは、たいへんだと思います。

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   ウェーバー  歌劇「魔弾の射手」

    オットカール侯爵:大沼 徹    クーノー:米谷 毅彦
    アガーテ     :嘉目 真木子 エンヒェン:冨平 安希子
    カスパール    :清水 宏樹   マックス  :片寄 純也
    隠者        :金子 宏    キリアン  :石崎 秀和
    花嫁の介添   :田貝 沙織、鳥井 香衣、渡邊 仁美、長谷川 光栄

    ザミエル:大和 悠河      ヴィオラ・ソロ:ナオミ・ザイラー

      アレホ・ペレス指揮 読売日本交響楽団
                   二期会合唱団
                   合唱指揮:増田 宏昭

      演出:ペーター・コンヴィチュニー

                     (2018.7.21 @東京文化会館)


コンヴィチュニーの演出は、当初は読み替えが過ぎて語りすぎ、との印象を持っていましたが、実際に舞台に接するうちに、その印象の受け方が変わってきて、とても楽しめるようになった自分を発見することとなりました。
 知的な遊び心から発して、大胆すぎる解釈などへ、表現の幅に制約がなく自由すぎるところが面白い。
時代設定もいじるが、そのイジリ方には、現在のわれわれの生きる世の中の事象にリンクしていて、その考え方にのっとればおかしくない。
作者が、登場人物たちに与えた行動や感情にもメスを入れ、それを現代の視点で読み替える。
作品の根幹的な意図を決して外したり、崩壊させようとはせず、音楽とちゃんと符合。
また、舞台と客席を一体化してしまうのも、スリリングなところ。
もちろん、作品によっては、わたしは拒絶反応を起こすものもあるかもしれませんが、今回の「魔弾の射手」は、コンヴィチュニーの演出の意図がとてもわかりやすく、意欲的な舞台がほんとうの面白かった。

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フランス革命のあと30年。
偉そうで独善的な侯爵と雇われ人、森林官との上下関係、農民、市民のなりと存在、さらには、ドレスを着て死んだように横たわっていた人々は上流の方々か。
そんな人々の存在とあり方も、この演出では垣間見させてくれた。
 また上下するエレベーターは、その階に存する人物や社会を。
通常の村の出来事は4階、最後の場面は6階、もちろん、狼谷は地下、アガーテは神聖的な扱いで最上階の7階。(全部ウォッチしてたわけじゃないけど、エレベーターは劇中動きました)
 さらに、狼谷は、恐怖の怪しい森に囲まれた場所ではなく、もうそこは自然破壊され、壊れたものが散在する雑然とした空間。
そうした空間世界を作り出した人間の心の闇の象徴がザミエルで、彼(彼女)はいろんな姿に七変化する。
さらに、人当たり良く、にこにこした隠者は、われわれ観客の中にいて、舞台に上がっていってはお金を振り撒き、ザミエルすら買収しようとする。
この社会崩壊の繰り返しの無限ループを魔弾に込めた演出と思った次第。

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歌手たちでは、ふたりの女声が一番素晴らしかった。
ヒロイン・アガーテの嘉目さんの清潔な歌と、確かな歌唱と美しいそのお姿。
チャーミングなエンヒェンだけど、コンヴィチュニーの演出では独自の存在となる、そんなエンヒェンをしっかりした歌声で届けてくれました。彼女も美人さんです。
 男声陣は、ちょっとお疲れかしら。
なんたって猛暑の中の14時公演。
期待した片寄さんのマックスが意気が上がらず、ほかの低音陣もちょっと冴えなかったかも。
そんな中で、カスパール役の清水さんは、なかなかの全力投球の悪漢ぶり。

大和さんのザミエルは、前述のとおり、スタイル抜群で切れ味満点の演技にお声。
あと、ヴィオラのザイラーさん、わざとダミ音で弾いたりと、なかなかの役者ぶり。
 それと、合唱団の力強さは特筆してよいでしょう。
先週の東響コーラスも絶賛したけれど、日本の合唱団のレベルは、オーケストラとともに、各段に新化していると思う。

ペレスさんは、全体に快速でもたれず、歌手たちにも優しい、オペラ指揮者らしいところを見せてくれました。演出の意図もしっかり汲んでのオーケストラピットでの存在。
迫力よりは、しなやかに歌わせる、それから抒情的な場面を美しく響かせる指揮に思いました。
読響の音色がこんなにキレイに美しく響くなんて驚きでもありました。
チェロのソロもとても素敵でした。

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舞台の様子を。
自分の備忘録ですので。
どんなに強烈な印象を受けても、数年たつと忘れてしまう。
そんなときに、自分の書いたものを読み返してみて、思い出したりもする。

舞台の様子は、産経さんの下記サイトにて画像とともに確認できます・

 ⇒ https://www.sankei.com/entertainments/news/180713/ent1807130010-n1.html

舞台左手には、赤いエレベーターが据えられていて、スポットを浴びている。
7階あって、地下とあるべきところには、「狼」との表示が。
舞台が暗くなって、いつの間にピットの指揮台に立ったのか、序曲が荘重に始まる。
そして、エレベーターの階数表示は6階。
曲の進行とともに、暗い雰囲気となり悪魔の力を思わせる部分になると、エレベーターは急降下を始め「狼」に。
そして最後、長~いパウゼ(ほんとに長かった)のときに、一気に4階(確か)まで駆け上がり、華々しく序曲を終結。

第1幕

マックスの放つ弾が外れるところは、降ろされた斜幕に穴が開く(なんの形か、オウムか?)。キリアンと農民たちに混じって、いや、それを先導するようにしていたのは、長い棒を持ったザミエルと動物の面をかぶった楽師たち。
かれらにそそのかされたかのような農民たちは、ほんとにいやらしく「へっへっへ」と歌う。
ことに女性の農民たちは、ちょっと猥雑な雰囲気。

クーノーとカスパールが加わる場面は、そんなにかわったところはなし。
マックスの有名な苦悩のアリアでは、周辺が真っ暗になり、緑色のスポットがマックス周辺にあたる。
その足元に、舞台したからザミエルが顔を出し、歌の内容に即して、葉っぱでなぞったり、マックスの銃を取り上げて舐めたりと、おちょくる。

そのあと、カスパールと飲む場面でも、給仕としてちょこっと登場のザミエル。
カスパールの邪悪な歌(この歌は、フィデリオのドン・ピツァロ、オテロのイャーゴを思わせる)に続き、銃で巨大な漫画みたいな大鷲の影を打つと、ほんとに漫画みたいな大鷲のぬいぐるみがドカンと落ちてくる。

第2幕

斜幕を下ろして、巧みに場面転換。裏方さんたちも大活躍するさまが見える。
エレベーターは6階。
大きなテーブルで編み物をするアガーテ、エンヒェンは、左手の階段から降りてくる。
階上の先祖の絵が落ちた設定となっている。
テーブルに乗ったエンヒェンの快活で可愛いアリエッタが終わると、会場の最前列にいた完璧なスーツ姿の紳士が立ち上がり、ブラボーとともに、花束を舞台の彼女に投げつける。
エンヒェンは、それを花瓶に生ける。
この二重唱の場面での、ふたりの女性の描き分けの対比は、衣装も含めてじつに見事。
やんちゃなエンヒェンは、イケメンの載った雑誌を眺めてきゃぴきゃぴしてるし、アガーテは花嫁衣裳を広げて繕い中。

アガーテの美しいアリアの場面は、それこそ、この日、一番雑念がなく美しかった。
舞台の4本の蝋燭、降りた斜幕に輝く星たち、そこから窓から顔を出すようにして、マックスを待ち受けるアガーテ。

マックスがやってくると、行くぞ、行かせない、気をつけていってらっしゃいの、ややこしい三重唱になるが、倒れた衣装ケースからザミエルも登場し、マックスを誘導。

 さて、エレベーターが「狼」まで下り、舞台転換。
舞台中央にはテレビ。そのうえにはデカいフクロウがいて目が光ってる。
ザミエルを呼び、探すカスパールはテレビのブラウン管の中。
疲労困憊の様子。
現れたザミエルは、今度は白いスーツ姿で、大きなファイルを持ってテレビの横の椅子に腰かけ、画面内のザミエルの交渉に受け答えするが、そのときにきりりとした身のこなし、足の組み替えのキレのよさなどお見事。
 テレビを強制終了して去るザミエルと入れ違いにカスパール、そしてまたお面をかぶり動物化した悪魔の手下たち。
そして恐る恐る登場のマックスだが、この場面になかなか入れない。
しかも、自分の母の霊(子役)や、入水自決しようとするアガーテの姿が見えて戸惑う。
このとき、悪の手下たちは、顔を覆って、聖なるものには弱いところを見せたりする。
 いよいよマックスも加わり、弾丸の製造に入るが、テレビの上の鍋に、いろんなものを仕込み、1弾ずつ数えるカスパールに、横のフクロウは反応し、そして不気味な濁り声で反復して数が読み上げられていく。
 最後の方になると、舞台奥から雑多な人物たちがうようよ出てきて、ゾンビのようにダンスする。
そして、最後の7弾目が出来上がり、読み上げられると、カスパールもマックスも、そしてゾンビたちも一斉にぶっ倒れ、会場内から、それかた会場へと向けて強力な照明が照らされ、わたしの周辺も白昼のような明るさ。
そこへ、舞台奥からザミエルが、今度はバスタオルルックで、アタッシュケース片手に登場し、倒れている人の間をすり抜け、舞台脇のエレベーターへ消えて行った。
舞台天井近くには、デジタルクロックが時を刻み始めた。

 休憩・・・・25分間の休憩中も、ロビーやトイレ、いたるところで、時間を刻む音が



第3幕

4階。マックスとカスパールの会話は、幕を下ろしたまま、スピーカーを通じて。
幕が上がると、大きな壁の前に、客席に背中を向けたまま、ドイツの、民族衣装的な可愛いいでたち。そのまま祈りと安寧を求めるカヴァティーナを歌う。
正面を向き歌ううちに、紳士が投げた花束が、ポロリポロリと一輪ずつアガーテの手から抜け落ちてしまいにすべてを落としてしまう。
先の紳士も、指差しで注意するものの・・・・

エンヒェンがやってきて、怖い夢を見たという従姉を慰める、そして可愛いロマンツェを歌う。
ここで、大きな壁の横から出てきたのが、赤い角を付け、大きなスリットの入ったドレスを着た悪魔(ザミエル)が舞台上でヴィオラソロを演奏。
彼女、歌に合わせ、エンヒェンの意志かのように、アガーテの心の隙に入り込もうとする。
歌の中で、十字を切るとか言葉が出てくると、楽器で顔を覆ったりもするし、いろいろといたずらも。

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                                (ハンブルグの舞台から)

村の付き添いたちは、さきの壁の上にのぼり、かわるがわるに花嫁にまつわる歌を歌う。
エンヒェンが、下の階から花嫁の花冠を受け取って戻ってくる。
緑色の箱を置いて、目を離した隙に、階下から手が伸びてきて、箱をすり替えてしまう。
それを見ていた、先ほどの観客の紳士は、ダメダメ、気が付いてと、舞台に促す。
死の花冠に動揺し、泣きそうになってエンヒェンだけど、介添え人たちと、落ち散らばった花を集めて、冠を編みアガーテにかけてあげる不安が一杯の表情と舞台。

幕が降り、舞台転換の合間、今度は赤いネクタイにスリムなダークスーツのザミエルが出てきて一席ぶつ。ヨーホー・トララララと。
1階前列正面にたくさん陣取ったファンの皆さんに投げキッスをすると歓声が。
勇壮なホルンに乗って幕があがると、ザミエルはスーツのまま狼。
口からは、赤いネクタイが舌のようにベロンと出てる。
舞台には、ドレス姿の男女が死んだように横たわっていて、「狩人の合唱」の合間、その日地たちの間を縫うようにザミエルは動き、踊る。

そして、狩りの供宴の終盤、村人総出。
オットカール様に、むちゃくちゃ恐縮して呂律が回らないクーノー。
され、マックスが最後の4発目を狙う先は、上空で小さく光る電球。舞台は暗くなり、動く電球のみ。低くなったところを射撃。
明るくなると、カスパールとアガーテが倒れている。
動揺する一同だが、しばらくするとアガーテが息を吹き返し復活。
虫の息のカスパールは、約束が違うぞ、天を呪うと、そこにザミエル登場。
恐ろしがる人々の前で、カスパールの胸元から緑色の長いスカーフのようなものを引っ張りだし去っていく。
狼谷の突き落としてしまえとの命令一下、人々はエレベーターにカスパールを運び込み下りボタンをオン。
 さてさて、真相を語らざるを得ないマックスが口を開き、オットカールは見た目も露骨に腹立たしくあたり、追放令を出そうとする侯爵にとりなしをする人々も。
 そこで、ご意見を、ということで、客席の紳士が登場。
最初は、遠慮がちに、でもだんだんと当たり前のようにして。
氏の登場に驚く舞台さんや、エンヒェンら登場人物たち。
まるで、ハンス・ザックスのように、最後のいいとこ、かっさらう勢いで、舞台中央に進行。
やがて、侯爵と、そしてクーノーに、懐から名刺入れのようなものを出して、金色の名刺大のものを渡す。それを見ていた他の登場人物たちも、次々にそのカードを欲しがり、あっという間に全員に行きわたる。
 さあ、オペラも大団円。
祈りを中空を見て簡単に捧げた後は、紳士、すなわち「隠者」の合図で、舞台両脇からシャンパングラスの乗った盆を持って、アテンダントのお姉さんたちがぞろぞろ登場して皆にグラスを。
さらに、「隠者」は、エレベーターから、「狼谷」のふたり、カスパールとザミエルを呼び出し、コミカルな動きで登場したふたりにもシャンパングラスをふるまう。
一同、キラキラした雰囲気にて、にこやかに舞台は終了。

                   幕

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夏らしいスタンド、でもって、え?美樹ちゃん!

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夏はユリだなぁ、って、増田恵子って、ケイちゃん!

ワタクシのようなオジサンにもうれしい大和さんのオペラデビューにございました!

オペラって、ほんとに素敵。

楽しかった。

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2018年7月16日 (月)

東京交響楽団定期演奏会 エルガー「ゲロンティアスの夢」 ジョナサン・ノット指揮

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暑い、暑い夏の夜、涼し気な水辺。

大いなる感銘に心開かれ、爽快なる気持ちに浸ることができました。

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  エルガー  オラトリオ「ゲロンティアスの夢」 op.38

      T:マクシミリアン・シュミット
     Ms:サーシャ・クック
     Br:クリストファー・モルトマン

   ジョナサン・ノット指揮 東京交響楽団
                  東響コーラス
           合唱指揮:冨平恭平
           コンサートマスター:グレブ・ニキティン

                    (2018.7.14 @サントリーホール)

ともかく感動、曲中、わなわなしてきて嗚咽しそうになった。

2005年、同じく東響の大友さん指揮のゲロンティアスを聴き逃してから13年。
実演でついに、それも理想的かつ完璧な演奏に出会うことができました。

CDで普段聴くのとは格段にその印象も異なり、この音楽の全体感というか、全貌を確実に掴むことが出来た思いです。

この半月あまり、ネット視聴と、その録音でもって、バイエルン国立歌劇場のペトレンコの「パルジファル」と、サロネン&フィルハーモニアの「グレの歌」をことあるごとに聴いていた。6月末から7月にかけて、演奏・上演されたそれらの、わたくしの最も好む音楽たち。
 そしてほどなく、こちらの「ゲロンティアス」。

いずれもテノールが主役で、苦悩と、その苦悩のうちから光明をつかむ展開とその音楽づくり。
今回、ゲロンティアスをじっくりと、そしてノットの指揮で聴くことができて、それらの作品(もっともグレは、発想はほぼ同時期ながら、作曲はゲロ夢の少しあと)との親和性を強く感じた次第でもあります。
あと、いつも想起するのが、ミサ・ソレムニス。感極まる合唱のフーガ。

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いつでも機会があったのに、ノットの指揮を聴くのは実に2006年のバンベルク響との来日以来のこと。
武満徹に、濃密な未完成、爆発的なベト7の演奏会で、その時の柔和な横顔に似合わぬ強い指揮ぶりをよく覚えてます。
 ところが、久しぶりのノットの指揮姿は、流麗かつ柔らかなもので、そこから導きだされる音楽は、どんなに大きな音、強い音でも刺激的なものは一切なく、緻密に重なり合う音符たちが、しなやかに織り重なって聴こえるほどに美しいのでした。
ドイツのオペラハウスから叩き上げの英国指揮者。
根っからの歌へのこだわりが生んだ、緻密ながらも歌心ある演奏。
それに応える東響のアンサンブルの見事さ。
完全にノットの指揮と一体化していたように思います。

それから特筆すべきは、東響コーラスの見事さ。
暗譜で全員が均一な歌声で、涼やかで透明感あふれる女声に、リアルで力強い男声が心に残ります。
時に聖句を持って歌うか所があるが、それらは本場英国の合唱さながらに、まるでカテドラルの中にいて聴くような想いになりました!

 あと、ノットの選んだ3人のソロ歌手も、非の打ち所のないすばらしさ。

ドイツ人とは思えない、イギリス・テナーのような歌声のシュミット。
エヴァンゲリストやバッハのカンタータ、モーツァルトのオペラ、フロレスタンなどを持ち役にするリリックなテノールですが、無垢さと悩み多き存在という二律背反的な役まわりにはぴったりの歌声でした。

声量は抑え目に、でも心を込めた天使を素敵に歌ったのがアメリカ人のクックさん。
最後の業なしたあとの告別の場面は、涙ちょちょぎれるほどに感動しました。
バッハのカンタータから、大地の歌、カルメン、ワーグナーまでも歌う広大なレパートリーを持った彼女ですが、そのチャーミングな所作とともに、清潔な歌がとても気にいりました。

出番少な目でもったいないぐらいに思ったのが、極めて立派な声で決然とした歌にびっくりしたモルトマン。この方は英国人。
英国バリトンは、柔らかく明るめの基調の声の方が多いが、モルトマン氏は、明瞭ながらもかなり強い声。ドン・ジョヴァンニやヴェルディのバリトンの諸役を得意にしているそうだから、きっとそれらもバリッといいことでしょう!

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しかし、ほんとに、いい音楽。

わなわなした箇所いくつか。

①いきなり前奏曲で、荘重な中からの盛り上がりで。

②ゲロンティアスが、サンクトゥスと聖なる神を称えつつも許しを祈る場面。
 この何度も繰り返し出てくるモティーフが大好きで、ときおり歌ってしまうのだ。

③第一部最後に、決然と歌いだすバリトンの司祭。背筋が伸びました。

④わなわなはしなかったけれど、悪魔たちの喧騒、そしてHa!
 生で聴くと、スピーカーの歪みや周りを気にせずに、思い切り没頭できるのさ。

⑤悪魔去り、天使たちが後の感動的な褒めたたえの歌を、前触れとして、ささやくように歌うか所。

⑥そして、ついに来る感動の頂点は、ハープのアルペッジョでもってやってくる。
 合唱のユニゾンでPraise to the Holiest in the light
  キターーーーーー、もうここから泣き出す。

⑦いつもびっくりの一撃は、これも生だと安心さ。

⑧最後のトドメは、最後の天使の歌と、静かな平和なるエンディング。
 祈るような気持ちで聴いてました。

ノットの指揮棒は、しばらく止まったまま。

ホールも静まったまま、誰ひとり動かない。

そっと降ろされるノットの腕。

しばらくして、それはそれは大きな拍手で、ブラボーはあるが、野放図さはなし。
間違いなくホールの聴き手のずべてが、感動に満たされていたと思う。

本当に素晴らしかった、心に残るコンサートでした。

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終演後、澄み切った味わいの日本酒を。

遠来の音楽仲間と語り合いました。

 過去記事

「エルガー ゲロンティアスの夢 ギブソン指揮」

「ジョナサン・ノット指揮 バンベルク交響楽団演奏会2006」

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2018年7月 1日 (日)

新日本フィルハーモニー定期演奏会 ベルク&マーラー リットン指揮

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梅雨明けの暑い夕暮れ、こんな景色が望めるホールに行ってきました。

久々のトリフォニーホールは、ベルクとマーラーの世紀末系、わたくしの大好物が並ぶ、新日フィルの定期でした。

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   ベルク    歌劇「ルル」組曲

           アルテンベルクの詩による歌曲集

   マーラー    交響曲第4番 ト長調

            S:林 正子

    アンドリュー・リットン 指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団

                (2018.6.29 @すみだトリフォニーホール)


林正子さんを、3曲ともにソリストに迎えた、わたくしにとって魅惑のプログラム。
昨年のマルシャリンが素晴らしかった林さんのソロ、感想を先に言ってしまうと、マーラーよりベルクの方がよかった。
それは彼女の声質や、ホールでの聞こえかたからくる印象かもしれませんが、透明感と、一方で力強さのある声がストレートにわたしの耳に届いたのがベルクの方でした。
マーラーは、よく歌っていたけれど、オーケストラとのバランスや、間がちょっとかみ合わないような気もして、それはリットン氏の指揮にも要因があったようにも感じます。
 短い場面だけれど、ファムファタールたるルルを可愛く、そして小悪魔的に、宿命的歌わなければならない「ルルの歌」。幅広い音域を巧みに、でも柔らかさも失わずに聞かせてきれたように思います。
 一方のもうひとりの役柄、ゲシュヴィッツ伯爵令嬢の哀しみも、虚無感とともに、とても出てました。

 アルテンベルクは短い歌曲集だけれど、いまだに、何度聴いても、全貌がつかめません。
生で聴くのが初めてで、今回、たっぷり大編成のオーケストラが時に咆哮しても、知的に抑制され、歌手もその中で、楽器のように生かされているのを感じました。
そして、イメージやフレーズが、ヴォツェックに親和性があることも、よくわかったし、オペラの形態で追い求めたシンメトリーな構成をも聞き取ることができたのも実演のありがたみ。
林さんの、これまた抑制された歌声は、クールで切れ味も鋭いが、暖かさもただよわす大人の歌唱で、完璧でした。
 ベルクは、この歌曲集を、1912年に作曲しているが、作曲の動機は、マーラーの大地の歌を聴いたことによるもの。

時代は遡るが、後半はベルクからマーラーへ。

マーラーを得意にしているリットンさん。
手の内に入った作品ならではの、自在な音楽造りで、もうすっかり聴きなじんだ4番が、とても新鮮に、かつ、面白く聴くことができました。
強弱のつけ方、テンポの揺らしなど、細かなところに、いろんな発見もありました。
新日フィルも、それにピタリとつけて、とても反応がよろしい。
 1楽章の集結部、ものすごくテンポを落とし、弱めに徐々に音とスピードを速めていって、にぎやかに終わらせるという、聴きようによってはあざとい場面を聴かせてくれたが、実演ではこんなのもOKだ、面白かった。
 2度上げで調弦されたヴァイオリンと2挺弾きのコンマスの西江さん、繊細かつ洒脱でとてもよろしいかった2楽章。こちらも、細かなところにいろんな仕掛けがあって楽しい聴きもの。
 で、一番よかったのが、天国的なまでに美しかった3楽章。
美しいという形容以外の言葉しか浮かばない。
よく良く歌わせ、思い入れも、タメもばっちり、わたしの好きな、この3楽章の演奏のひとつとなりました。
 終楽章は、先にも書いた通り、歌が入ることで、ちょっとバランスがどうかな、となりましたが、これまた、心がホッとするような平安誘う、静かなエンディングと、大きな拍手までのしばしの間を楽しむことが出来ました。

ルル組曲の最初の方が、エンジンかかりきらない感じはありましたが、愛好するベルクの「ルル」を久々にライブで聴けた喜びとともに、マーラー⇒ベルクという世紀またぎの音楽探訪を、夏の一夜に堪能できました♪

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ホールを出ると、こんなクールなスカイツリー。

幸せな気分を後押し。

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