« ディーリアス レクイエム M・デイヴィス指揮 | トップページ | バイロイト2018 勝手に総括 »

2018年8月25日 (土)

バーンスタイン 100年

Azumayama_a

清々しい夏の空と、緑。

ほんと、美しい。

この郷里の景色は、ここへ行くと、ずっといつまでもいることができる。

Bernstein_1970

レナード・バーンスタイン、生誕100年。

1918年8月25日、マサチューセッツ州生まれ。

1970年、大阪万博の年、海外のオーケストラやオペラが、こぞって来日。

そんななかで、ベートーヴェンの生誕200年も重なり、カラヤンはベルリンフィルでベートーヴェン・チクルス。
他のオーケストラも、ベートーヴェンが、そのプログラムに必ず載りました。

バーンスタインとニューヨークフィルの来日公演には、4番と5番の交響曲。
そのほかに、メインを「幻想交響曲」とするプログラムと、マーラーの第9のみとするプログラムが組まれました。

まだ小学生だったワタクシ。
すでに、伯父や従兄に感化され、クラシックマニアの端くれでした。

カラヤンが真っ先に好きになり、目をつぶって指揮真似をしたりの日々の中に、バーンスタインは、飛んだり跳ねたりの印象をまるで操作されるがようにして受けていて、ヨーロッパ本流からしたら違う、というイメージを受けてました。
 同時に、初めて聴いたバーンスタインのレコード。

Ccf20180825_00001

ベートーヴェンの第9であります。

従兄の家にあり、聴きました。

豪華なジャケットで、その重量と、そもそもの第9という音楽に関心しまくり。

でも、従兄の寸評は、歌が訛ってて気持ち悪い、バーンスタイン盤が欲しかったわけじゃなく、親戚のオバサンがもってきたもんだからしょうがないんだよ・・・的なコメントで、ワタクシは、即座に日本グラモフォンのカラヤン盤をお年玉で買った次第。

というわけで、わたくしの初バーンスタイン聴きは、ニューヨークフィルとのベートーヴェンの第9。
その後は、ニューヨークフィルとの旧ベートーヴェンは聴いてません。
いまいちど、子供の耳に届いた演奏を、おっさんの耳で聴いてみたいと思っておる。

その第9という意味では、1970年の来日公演を聴いた吉田秀和先生が、マーラーの第9が、あまり親しまれていなかった当時、曲の内容や、ブルックナーの第9との関連性などをふまえながら、バーンスタイン&ニューヨークフィルのことを論評していた。

ここから、マーラーという作曲家、マーラーの9番という曲への関心と、思い入れが始まったと言っていい。

で、高校生になって初めて手にしたバーンスタインのレコードが、マーラーの1番なんです。

Ccf20180825_00000_2

マーラー入門編の、交響曲第1番は、当時、バーンスタインをおいて、ほかになかった。

ワルターじゃなくて、自分はバーンスタイン。

ほかに、メジャーのレコードでは、クーベリック、ハイティンク、ショルティ、バルビローリ、ホーレンシュタインぐらいしかなかった。

初めて手にした、バーンスタインのレコードに、マーラーのレコード。
日々、興奮し、何度も訪れる爆発に、青春のエクスタシーを感じたもんだ。
そこには、指揮台でジャンプして、汗だくになるバーンスタインの姿も、脳裏に浮かびつつ。

この高校生の頃から、もともとアバドを信奉していた自分が、カラヤンから脱し、バーンスタインを全面的に応援し、好むようになった次第だ。
乾いた録音も、なんだか生々しくって、この曲のスタンダートともいえる演奏だ。

1974年のニューヨークフィルの来日公演では、試験があって、でも勉強なんか無視して、日程上行けた、ブーレーズ指揮の演奏会で、同時に来日していたバーンスタインの姿を、客席で至近に拝顔することができました。

そのあと、1979年のニューヨークフィルとの来演は、聴くことができなかったが、大学の友人が聴いて、ともかく大絶賛していたのがマーラー1番。

さてさて、そのあと長じて、1985年のイスラエルフィルとのマーラーの第9を聴いたことが、わたくしのバーンスタイン体験の、最初で、最強の思い出です。

映像のトリスタンも、あらためて観なくちゃ。

生誕100年。

バーンスタインは、指揮者としての功績もさることながら、作曲家としての偉大さも、あらためて評価され、大いに演奏会のプログラムに載るようになりました。

バーンスタインが50代で、中学生の自分は、知ることとなり、いまや生誕100年。
わたくしも、歳を経ました。
みんな、だんだん、いなくなっちゃう・・・・
バーンスタインは、青春と若き日、それから壮年時代の、よき伴侶でもありました。

|
|

« ディーリアス レクイエム M・デイヴィス指揮 | トップページ | バイロイト2018 勝手に総括 »

コメント

自分も1970年は小学生だったので、同年代ですね。
今思えば、バーンスタイン、カラヤンが現役だった頃が、
クラシック音楽界の黄金期だった気がします。
特に1960年代ですね。
アメリカではニューヨークフィルがバーンスタイン。
クリーヴランド管弦楽団がセル。シガコ交響楽団がライナー。
フィラデルフィア管弦楽団がオーマンディ。
ボストン交響楽団がミュンシュ 。
ヨーロッパでは、ベルリンフィルがカラヤン。
とにかく凄い時代でした。

投稿: よしお | 2018年9月 5日 (水) 12時00分

yokochanさん、あの歴史的瞬間に立ち合われたのですね。
今から33年前、1985年9月8日NHKホール...私は10代後半で、あの場に居ました。NHKホール周辺には、右翼団体の街宣車が来ていて「イスラエル・フィルは帰れ!!」とシュプレッヒコールをあげているのを横目にホールに辿り着きました。外の物々しさとは、別次元の特別な時間を体感しました。「神が降りて来る」と言う事はこう言う事なのだろうと感じました。
その後、国内のオーケストラはじめ、外来オーケストラ.色んな指揮者でマーラーの9番を体験して来ましたが、あの様な空気感を体験する事は未だにありません。今日、伝説の演奏と呼ばれていますが、体験出来た事を感謝してます。

投稿: さすらう人魚 | 2018年9月 8日 (土) 17時02分

よしおさま。
コメントありがとうございます。
そして、御配慮ありがとうございます。

1970年の錚々たる来日メンバーは、いま見ても、ため息がでますね。
子供の自分にとって、カラヤン第一だったわけでして、そのカラヤンが日本でベートーヴェンチクルスをやるってことが、とんでもない興奮の出来事でした。
 でも、その後に、レコ芸で知ったバーンスタインのかっこよさ。
その後の、クラシック音楽人生に、大きな影響を与えました。
セルとクリーヴランドのシベリウス、プレートルとパリ管、ワイセンベルクのチャイコフスキー、バルビローリ亡きあとの、ニューフィルハーモニア、みんな覚えてます。

そして世界に転じれば、ご指摘の名コンビ。

いまの、若手主体のポスト争いとは雲泥の違いのある、鉄板コンビがたくさんありましたね。
懐かしいです。
あらためまして、ありがとうございます。

投稿: yokochan | 2018年9月 8日 (土) 22時48分

さすらう人魚 さん、コメントありがとうございます。
同じ場に居合わせたのですね!

しかし、右翼団体の件は、記憶にありませんでした。
というより。当時は、街宣車が都内あらゆるところで活動していましたから、目的は違えど、見慣れてしまっていたのかもしれません。
ちなみに。今は街宣活動は、もっと紳士的になり右翼は右翼で異なったスタンスの活動をしているように見受けられます。

それはともかく、あの日のバーンスタインの存在そのものが放つオーラ。
後ろ姿も、なにもかもすごかったです!
楽員も去ったカーテンコールで、レニーが、コートを背中から羽織り、厳しい顔を保ちつつ、ひとりでてきたのを、今もって覚えています。

ほんと、すばらしい経験でしたね!!

投稿: yokochan | 2018年9月 8日 (土) 22時55分

横から失礼致します。バーンスタイン生誕百年については、小生も多々思うところがありました。ブログ主様と同級の自分がクラシック音楽に本格的に蒙を開かれたのは中学の終わり頃でしたので、バーンスタイン(当時はバーンステイン?)の名を最初に強く心に刻んだのは中1の夏の「ウエストサイド物語」のリヴァイヴァル公開時だったのですが、ほどなくして作曲家として以上に指揮者としてのレニーに強く惹かれるようになったのです。何故かカラヤンに対しては当初からアンチでした。
ですから'70年は間に合いませんでしたが'74年9月1日のマーラー5番、さらにはあの'85年9月8日の9番こそはわが生涯における最高の音楽体験と確信しております。あの晩NHKホールの客席にいた全ての聴衆は、今日まで同じ思い出を共有していることでしょう。
ところで当日のデモに関してですが、その2年前のメータとの来日時にも同様の騒ぎがあり(イスラエルフィルとして23年ぶり)不測の事態を恐れた外務省があろうことか招聘元のNBSに公演中止を申し入れるなどということが。まああの硬骨漢で知られた代表の故・佐々木忠次氏がそんな要請を請けるはずもなく公演は予定通り行われ、この'85年も無事開催されたのでしょうが。
ただ2年前同様の不穏な動きは一部で報じられていたので、当日は公園通りを避けて原宿駅から会場に向かったので騒動には直接遭遇しませんでした。そしてデモの主体となっていたのは既成右翼ではなく、反シオニズムに勝手な共闘を表明していた過激派残党の一部勢力だったと記憶しております、
それでもホール内にはトランシーバーを手にした私服警官の姿も目立ちましたので、何かただならぬ緊迫感が充満していたようにも感じました。そのような気配がもしかしたらバーンスタインにも伝わり、あの歴史的大演奏に繋がったのかもなどと後年思いましたが。終演後かなりの時間が経ってからロビーに出、一服つけて(この翌年までスモーカーでした)いたら、なお辺りを警官が点検中でした。
それにしても、終楽章の最期の音が空間に溶解し、ヴィオラトップのD.ベニャミーニが弓を外してバーンスタインが両腕をゆっくりと下ろしてから最初の拍手が出るまでどれほどの長い時間が経過したのでしょうか。幾多の演奏会でしばしば不快なフライング拍手にも出くわしてきましたが、結局は演奏のそして音楽の底力かと感じさせられます。
つい先月、酷暑の中転居を余儀なくされ、未だ段ボールの山に埋もれているのですが、その25日に偶然段ボールの一つを開けたら何と一番上に発見したのはレニーが'79年10月に唯一BPOを振ったこの曲のCDでした。直ぐに全曲聴き、感銘は最初のNHK-FMでの印象と変わりませんでしたが、6年ほど前にイスラエルHericonからリリースされた'85年8月25日、すなわちNHKホールの公演の2週間前でレニーの67歳の誕生日当日のライヴ盤は未だに聴く決心がつきません。さほど永くはない我が残余の日々に、果たして決断出来るのかどうか。不安を抱きつつ…。
長文にて失礼致しました。今後も更新、楽しみにしております。

投稿: Edipo Re | 2018年9月 9日 (日) 01時28分

Edipo Reさん、こんにちは。
コメントをどうもありがとうございます。

わたくしの場合の少年期は、ビジュアルからのカラヤンでした。3枚目のレコードがカラヤンの田園で、ほどなく、いまは亡き厚生年金会館で、第5・第9のカラヤン映画を視聴して虜になりました。
その後にバーンスタインが自分に視野に入ってきて、しばらくは、双方を好んで聴いていたと思います。

イスラエルフィルとの公演の当時の模様、詳細にお書きいただき、感謝です。
警備の模様や、最後のホールをおおった静寂など、記憶を同じくしてたどらせていただきました。
 BPOとのライブも思い出があります。
NHKFMの放送を、当時高かったクロームテープを奮発して購入し、万全の録音ができました。
それがまさか正規音源になるとは思いもよらなかったことでした。
 そしてIPOのライブも登場したことも驚きですが、まだ未購入です。わたくしも聴くのが怖いような不安があります・・・
さらに、最近、むかし録音したボストン響とのライブのカセットを発見し、PCに取り込みました。
ヨーロピアンサウンドのBSOが、なかなかの荒れっぷりで、すごい演奏でした。

ゆっくりですが、ブログ更新してまいりますので、またご覧いただけましたら幸いです。

投稿: yokochan | 2018年9月14日 (金) 08時09分

yokochanさん、79年BPOのDG正式音源と、NHK-FMで放送されたものは別テイクと言う話があります。クロームテープに撮ったはPCに取り込んでおかれた方が良いです。
Edipo Reさん、当時の詳細なエピソード多謝です。

投稿: さすらう人魚 | 2018年9月16日 (日) 10時55分

さすらう人魚さん、こんにちは。
もしかしたら、件のクロムテープは処分してしまった可能性もあります・・・。
あーーなんてことでしょう。
先だって大幅な断捨離をしたもので。(T_T)

投稿: yokochan | 2018年9月17日 (月) 14時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/151893/67095240

この記事へのトラックバック一覧です: バーンスタイン 100年:

« ディーリアス レクイエム M・デイヴィス指揮 | トップページ | バイロイト2018 勝手に総括 »