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2018年9月 2日 (日)

バイロイト2018 勝手に総括

Azumayama18

夏は気温もあがり、周辺は大気も不安定になるので、富士山はなかなか拝めません。

Azumayama16

右に目を転じると、丹沢・大山は、近いこともあって、くっきり。

8月が終わりましたが、まだまだ暑い。

でも朝晩の涼しい風が心地よい時分ともなりました。

ヨーロッパの夏の音楽祭も、プロムス、ベルリン芸術祭はまだ継続中ですが、バイロイト、ザルツブルクは終了。

Bayreuth_2018_2

バイロイト音楽祭2018、全作を視聴しましたので、自分勝手に、妄想も込めて総括します。

①「ローエングリン」

今年の新演出演目、すでにプリミエ直後に全曲視聴し、画像のみで想像し、演奏に関してはいくつかコメントもいたしました。
 → ワーグナー 「ローエングリン」 バイロイト&コヴェントガーデン

NHKでもすでに放送されたそうですが、ネット上で、バイエルン放送局が、上演後すぐに公開しましたので、わたくしも即座に観劇することもできましたので、少しばかり感想を書かせていただきます。

Lohengrin_3

変電所があったり、全体的にブルーであったり、ブリューゲル風の中世の意匠や、羽根
だったりで、現実と夢想の歴史をなぞっているかと、公開されていた画像で想像していたが、実際はかなり違うもので、最近になって出てきた画像が上のオレンジのお部屋のもの。

このお部屋は、夫婦のベッドルーム。
嫌がるエルザを変圧器の碍子のようなところへ巻きつけて、事を迫るローエングリン。
その前は、聖書を仲良く読む夫婦風だったが、イライラを隠せない旦那。
妻は聖書を手放さず、それをとりあげて、ベッドサイドの引き出しにしまってしまう。
それで、ローエングリンはメラメラして電線で緊縛に至るんだ。(演技も本気( ´艸`))
エルザ、めちゃくちゃ嫌がってる・・・

高圧の強力な電力をもたらした有能な電気技師。
テルラムントとの対戦では、まさに子供も喜ぶ空中戦をしたあげく、羽をもぎ取ってしまう。
オルトルートにも、エルザにも、よく見ると蝶やトンボのような柄が衣装に描かれている。
市民は、みんな電気技師の味方で、豊かな生活にうはうは。

驚き、というか、まさかの陳腐な幕切れは・・・
ローエングリンの最後のモノローグ、語るうちに、周辺は暗くなり、市民の持つ明かりもチカチカしてきて電気切れ。
エルザへの形見の品は、非常用電源っぽい。
勝ち誇るオルトルートは、やたらと元気がいい。
失意のうちに、しょんぼり去るローエングリンと引き換えに、出てきたのは、エルザの弟ならぬ、全身緑の葉っぱで出来た森林クンとも呼びたくなるようなゆるキャラ、手には、緑のモニュメントがチカチカ光っている。
 エルザとふたり、姉弟で、誇らしげに勝利とばかり、舞台前面に歩んでくる。

市民も、王も、みんなぶっ倒れてしまい、オルトルートはひとり生き残り、彼女自身は、ここはどこ?状態できょろきょろ。
期せずして、エコじゃない電気屋さんを追い出してしまったから、功労者なんだ。

なんじゃこりゃ。

ローエングリンで、なにも、こんなこと表現するこはねーだろ。
舞台・衣装デザインを担当したラウヒ夫妻が、長年準備してきたもので、アメリカの演出家シャロンは、ここ1年あたりの指名だから、後追いでの共同演出となったはず。

いまさら、自然エネルギーをモティーフにしてくることは、古臭いと思うし、なによりも、ワーグナーのト書きと、歌詞の内容がまったく無視されていて、矛盾だらけ。
自然エネルギーの可否は、この場で語る資格はありませんが、原発をやめたドイツは、風力・太陽光に力を注ぐ一方で、フランスからの電力融通もある実態。
悩めるドイツの社会問題を、芸術に反映させるのは、その表現のひとつの手法だが、あまりに安易にすぎないか。。。
 こうした仕掛けじみた、子供だましのような演出は、1度見て驚けば充分だな。
演出系の3人一緒のカーテンコールには、ブーも飛んでたし。

Lohengrin_1

ベチャーラのローエングリンと、マイヤーのオルトルートの二人が実に素晴らしい。
ほかの歌手も上々。
ティーレマンの指揮もさすがと思わせるところ多々あるが、テンポ設定が不自然なところが、映像で舞台を確認しながら聴くと感じるところあり。

演出と指揮では、ネズミ・ローエングリンの方が、音楽の読み込みがいい。
あともう一点、ドイツの今の問題は、流入した移民問題。
2000年のユルゲン・フリムのミレニアム・リングの演出でも、すでにトルコからの移民が、リング演出のなかに織り込まれていて、いまや、そこに難民が加わったドイツの病める姿を強く感じるわけだ。
最初は、3K的な仕事を担うつもりの移民が・・・・、もうやめときましょう。

②「パルジファル」

3年目のラウフェンベルク演出。時代設定を替えたカラーリング豊かな舞台に、ちょこちょこと政治色を絡めてくるこの人。

最初から、賞味期限が切れる寸前だった。
だって、中近東に、内戦やテロあたりをシンクロさせたから。
普遍性なし、この手の政治・社会問題はことに流動的だから。
状況は常に変わる。
やめときゃよかったのに。

P_2

ネルソンスに降りられてしまい、堅実なヘンシェルが2年振り、今年からビシュコフが何気にバイロイトデビュー。
カラヤンが後継候補に名前を出してから、もう数うん十年が経つが、ビシュコフは、その見た目の濃さとは裏腹に、以外と堅実かつ、外れのない、職人的な存在になっていった。
このパルジファルも、オーケストラがしっかり鳴っていて、全体の枠組みも誰が聴いても安心できるものだったから、歌手たちも歌いやすかったのでは。
しいて、いえば、何も新たな発見や驚きはなかった、無難すぎることか。

アンドレアス・シャガーの2年目のタイトルロールが、とてもいい。
アンフォールターースの2幕の叫びもばっちり。
今年、グルマンツにまわったグロイスベックも、美声を生かして若々しい雰囲気でよし。
パンクローヴァのクンドリーも凄みを増してるし、マイアーの病的アンフォルタスも素敵。

音源だけでは、歌手が素晴らしかったパルジファル。


③「トリスタンとイゾルデ」

4年目のカタリーナの演出。
舞台は、夢も希望もない、哀れなイゾルデの不倫の顛末、ということで、救われないトリスタンが気の毒、と思いつつ、毎年聴く、素晴らしいグールドのタイトルロール。

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 グールドさん、今年は、ジークムントも歌っていて、忙しい。
最終公演は、そのワルキューレとのからみもあって、パルジファルのシャガーが、トリスタンになったそうな。
ほんと、可愛そうだよ、グールドさん。
歌が立派すぎて、使いまわし。
来年は、こちらのトリスタンに加えて、新演出のタンホイザーも・・・・。

3年目のペトラ・ラングのイゾルデ、だんだんよくなってきた。
高音が、絶叫交じりになってしまうところも、だいぶ解消してきた。
ビジュアル的にオルトルートやブランゲーネのイメージが、いまだにあるも、耳で聴くイゾルデとしては、ほぼよし、次年度に期待。

ぺテルソンとクリスタ・マイアーのブランゲーネ、クルヴェナールは、もう完全なチームワーク的な存在で文句ない。
ルネ・パペの美声のマルケ、いいけど、悪い奴に印象操作されたこの演出では、可愛そう。

ティーレマンは、毎度、安心して聴けるトリスタンだけど、そろそろ違う指揮者でも聴きたい。

④「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

2年目の、バリー・コスキー演出。
映像がないので確認できないが、ちょこちょこ見直しがされた由。
第2幕の冒頭のピクニック場面が芝生でなくなったらしい。
あと巨大な顔のバルーンもよりリアルになった感じ。
このコスキー・マイスタージンガー、かなり芸が細かく、装置も演技も、美に入り細にいるので、シェローのリングのように、だんだんと改善され、成長していくのでは、と期待。

だがしかし、ユダヤ系のコスキーの主張は、楽しい舞台の表にも裏にも、反ユダヤだったワーグナーを皮肉ったり、ユダヤ系の指揮者レヴィをもてあそんだりと多面的。
そこに戦後処理の法廷をリンクさせたりとで、かなり政治色がありすぎで、ややこしいが、要は、ワーグナーの音楽や、その存在にまつわるものを、そこに関わった人物たちをも、マイスタージンガー=名歌手として、一緒くたに、舞台の上に展開してみた、というところだろう。
観客がそれを、どう受け止めるか、それぞれの出自・年代に応じてさまざまでしょう・・。
こんなフリーダムなイメージ発信が、コスキーのマイスタージンガーかも。

 フィリップ・ジョルダンの指揮が、昨年と各段の進化。
演出との完全合意かもしれないが、昨年不自然に思われた、変な「間」やテンポ感がまったくなくなり、全体が緩やかか、のびやか、かつ、俊敏なかたちに収斂した感じ。
舞台の演出サイドも歩み寄り、指揮者も歌手も完全合意した結果での大きな成果と思われます。

M_1

フォーレのザックスの雄弁さと、まろやかな歌いまわし、さらに素晴らしい。
対する、ベックメッサーのクレンツィルの芸達者ぶりも、音源からでもただよってきます。
フォークトの完全に、耳に馴染みのできた騎士ワルターも安心安全。
ダーヴィット、マグダレーネ、ポーグナー、マイスターたち、みんなチーム化して万全。
そこに、久々にエヴァとして登場の、エミリー・マギーさん。
すっかりおなじみ、マギーさん、これもまた耳になじんだ安心感だし、その歌いまわしにレヴェルアップも。(シュヴァンネウィリムスは、気の毒だった・・)

てなわけで、マイスタージンガーの音楽面での安定感が光りました。

⑤「さまよえるオランダ人」

2012年から5年続き、1年空けて、また上演された使い勝手のいい「オランダ人」。
もう見慣れたけれど、グローガーの演出は、わたくしには陳腐なものにか感じない。
ビジネスマン、段ボール、女工さん、扇風機工場・・・、みんな好きじゃない。
「オランダ人」には、宿命と希望、そして愛による救済、といった不変のモティーフを明確に求めたい。

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2年目からずっとゼンタを歌っているメルベトがいい。彼女の必死の歌だけを聴いてると、あの舞台を思い起こさずに済むし。
日本でもウォータンや、いろんな役を歌っているグリムスレイが、今年バイロイトデビューしてオランダ人を歌ったわけだが、アメリカ発のバス・バリトンの系譜、T・ステュワート、R・ヘイル、J・モリスの流れを継いだような、なめらかな美声と馬力を感じ、嬉しくなりました。
他の歌手も長く歌い継いで、万全だし、ライン・ドイツオペラで着実に実績を積んでいる、アクセル・コバーのきびきびとした、実務的な指揮が、実に的確でいい。
シュタインや、シュナイダーの担ってきた堅実なバイロイトの音楽の分野を下支えするような、そんな存在になって欲しい。

⑥「ワルキューレ」

W1


不評だったカストルフのリングが終了したが、今年は、戦後バイロイト史上初、一作のみを取り出しての上演で、その目玉は、ドミンゴの指揮というもの。
この演目は、3回だけの上演。
バイロイトのライブ放送は、基本、初日のものが聴けるわけだが、その後の2回の上演がどうだったかは不明なれど、ドミンゴの指揮者としての登場、失敗の巻としかいいようがなかった。
 録音していち早く聴いたが、最初は、じっくりとしたテンポに、どこか聴きなれない内声部などの強調等、ユニークな演奏じゃないか、と思いつつ聴いた。
が、しかし、レヴァインばりの大らかテンポなれど、音楽の流れがどうもつながらない。
細かに張り巡らされたライトモティーフが、すんなりスルーされて、意味合いを持たずに通り過ぎてゆくし、逆にメロディにこだわりすぎて、全体を見失うような雰囲気も感じられた。
これでは歌手も、歌い手&演じ手としてもやりにくいだろうな。
カーテンコールでは、ひとりだけブーを浴びていた。
 その後の上演で、よくなったか否かは不明ですが、、

ちょっと辛口にすぎるけれど、オペラ歌手として、最大級の功績を上げ、あらゆるオペラのロールを極めた大芸術家だけれども、いきなりバイロイトでワルキューレを指揮するということはチャレンジの度合いが過ぎたものと思わざるを得ない。
それより、このような企画をした劇場運営局もどうかと、同じく思わざるを得ない。

トリスタンと掛け持ちのグールドのジークムント。立派過ぎて、耳は聴きなれたジークフリートやトリスタンに聴こえてしまう。
カンペのジークリンデが素敵で、フォスターのブリュンヒルデも文句なし。
ウォータンの声は暗すぎ。
あと、二期会の金子美香さんが、グリムゲルデでバイロイトデビューという朗報あり。

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さてされ、現地で観劇もせずに、毎度、こうして言いたい放題、あいすいません、あくまで、個人の意見です。

ネットの恩恵に、最近、ますます感謝してます。
リアルタイムで、その演奏や映像を確認できる。
しかも、年々、技術も向上し、画質・音質ともにかなり高品質だ。
バイエルン放送局は、今年からサラウンド放送を始めた。
これらのコンテンツは、もちろん自分が楽しむものだけに限定されているわけですが、ほんと海外の放送局、とくに、ドイツと英国の局には感謝感謝。
 我が国はというと・・・、いいですもう。

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来年のバイロイト2019の、新演出は「タンホイザー」。
指揮は、ゲルギエフですよ・・・
演出は、38歳のトビアス・クラッツァー(Kratzer)という人。
面白そうだけど、いやな予感に、みた感じ。

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ここでもまたグールド。
タンホイザー復帰という安全策に、売り出し中の若いノルウェーのソプラノ、ダヴィットセンのエリザベト。さらに、マリンスキーからグヴァノバのヴェーヌス。

あと、「ローエングリン」のエルザに、ネトレプコとストヤノーヴァの声がノミネートされていて、他の演目は、「マイスタージンガー」に「トリスタン」「パルジファル」。
ベルリン・コーミッシュオーパーですから、こんなの当たり前ですが、ラモーのオペラを演出したトビアス・クラッツァーの舞台の様子。

早くも、来年のバイロイトに向けて、気持ちが動いてます(笑)

元気でいなくちゃ。

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コメント

いつもありがとうございます。
バイロイト音楽祭は過去に数々の名演があります。
特に1960年代のライブ音源が貴重です。
ただ年代的にモノラル音源が多いのは残念ですね。
やはり最近はライブ映像が観ていて楽しいです。
当然ですが、演出は音源だけでは観ることが出来ないので。

投稿: よしお | 2018年9月 9日 (日) 09時00分

よしおさん、こんにちは。
こちらにもコメントありがとうございます。
73年頃から、NHKの年末バイロイト放送を聴き、録音するようになりましたが、いまでも自分のライブラリーに断片的に残る音源を聴くと、その音の良さに驚きます。
あの劇場の木質のトーンが、録音に映えるのでしょうね。
61年のクナッパーツブッシュのパルジファルなどは、まさに名演奏・名録音の典型と思います。
 最近のオペラ演出は、映像で残されることも前提としているところもあるやに思われ、やたらと手が込んでて細かくなりすぎているようにも思います。
 とかいいながら、楽しんでますけど(笑)

投稿: yokochan | 2018年9月14日 (金) 08時16分

そうですね。
クナッパーツブッシュのパルジファルは名演奏、名録音ですね。
ステレオ録音で残されたことは幸いでした。
冒頭から祝祭劇場の空気感が伝わって来ます。
当時のバイロイトライブ録音はベーム、サヴァリッシュ等も
ステレオ録音で残されており、貴重な記録ですね。

投稿: よしお | 2018年9月16日 (日) 14時52分

よしおさん、こんにちは。
フィリップスとDGによるバイロイト録音は、ほんとうにありがたいですね。
オルフェオがバイエルン放送局の豊富な音源から、すこしづつ復刻してくれるのもありがたいです。

投稿: yokochan | 2018年9月17日 (月) 14時27分

最近はオペラは視覚付きで楽しむのが、すっかり当然になってしまい、愚生の10~20代の頃とは隔世の感がございます。ロッド-アンテナしかないラジオで、故-後藤美代子アナの案内で、日曜15児からの『オペラ-アワー』に、ワクワクしながら囓り付いていました者と、しましては‥(笑)。あっ、『児』→『時』の打ち間違いでした。失礼致しました。
この前もスマホでのニコニコ動画で、ドミンゴの日本デヴューとなりました、レオンカヴァッロ『I-Pagliacci』の第2幕の劇中劇の、カニオ登場から幕切れを、観ておりました。EテレがNHK教育と言っていた頃、全曲放送して貰って視た覚えがありまして、約43年ぶりの再開でありました(笑)。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月15日 (水) 11時00分

覆面吾郎さん、こちらにもコメントありがとうございます。
オペラの楽しみ方が、劇場以外では、映像が主体となった昨今、声とビジュアル、細かな演技も歌手には求められるようになり、オペラ歌手ってタイヘンだなぁと思うことしきりです。
わたくしも、後藤さんの声が脳裏にしみついており、イタリアオペラの来日のFM実況もさんざん楽しみました。
ドミンゴが一夜で、トゥリッドウとカニオを歌った画期的なデビューも後藤さんのアナウンスでたのしみました。

投稿: yokochan | 2019年5月16日 (木) 08時43分

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