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2018年9月29日 (土)

ラフマニノフ 交響的舞曲 スラトキン指揮

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柿と彼岸花。

秋本番・・・、と言いたいところですが、ややこしい気象が続きますね。

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  ラフマニノフ   交響的舞曲 op45 

    レナート・スラトキン指揮 デトロイト交響楽団

        (2012.2.9~ @デトロイト・オーケストラホール)


3つの楽章を持ち、さながら第4交響曲のような存在の交響的舞曲。
日本では、さほどではないけれど、昨今、海外のオーケストラでさかんに演奏されてます。
ネットで最近聴いただけでも、ヤンソンス、ネルソンス、V・ペトレンコ、女流のカネラキスなど、いくつも。
 2番はもう普遍的な名曲になってしまったけれど、次に来るのが交響的舞曲と3番だと思ってます。

過去記事からの引用となりますが、リズムとメロディの宝庫です。

>作品45aが、このオーケストラ曲に先立って書かれた2台のピアノ版。
ついで、1940年にオーケストレーションされたのが、この作品で、ラフマニノフの文字通り最後の作品となっていて、初演はこの作品を献呈されたオーマンディとフィラデルフィア管弦楽団によって行われている。
ラフマニノフはロシアを去ってのち、晩年はスイスとアメリカを行き来していたらしいが、その終焉の地は、ビヴァリーヒルズだそうな。
1943年に69歳で亡くなっているから、この作風は思えば保守的なものである。

バレエ音楽としても想定していたからから、その舞曲の名が示すとおり、全編弾むようなリズムが漲っていて、そのダイナミズムもふんだんに味わえる。
そして、当然にラフマニノフを聴く喜び、そう、甘味な旋律とうねり、むせぶような情念とメランコリー。
あぁ、ラフマニノフはこうあるべし、ともいえる作品であります。
当時埋もれていた第1交響曲の引用や、毎度、ほんとに毎度おなじみの、ディエス・イレの引用もしっかりある。

ピアノが活躍し、弾むようなリズムが印象的な冒頭から、中間部のサキソフォーンの泣き節が極めて印象的な第1楽章。
 ワルツ形式の第2楽章。最初は手探りで旋律を模索しつつ、徐々にワルツのリズムが姿をあらわし、ついに哀愁に満ちた旋律が全貌をあらわす。
これは一度聴いたら忘れられない。シベリウスの悲しいワルツにも似てるが、このラフマニノフの音楽は、憂愁に満ち満ちていて、もっと根っこが暗く感じる。
悲しい気分の時に、さらに落ちたいときにどうぞ。
 目まぐるしくも激しい音のぶつかり合いが聴かれる終楽章は、ちょっと掴みどころがないかもしれない。スピーディな展開の中に、終結のディエスイレの場面に音楽が収斂してゆき、ダイナミックに音楽を閉じる。<
      ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
2008年からデトロイト響の指揮者をつとめているレナート・スラトキン。
音楽一家の出身のスラトキンは好きで、これまでいろいろ聴いてきたけれど、もう74歳。
セントルイス響をアメリカ五大オーケストラに肉薄するぐらいに引き上げた80年代が、スラトキンの一番輝いていた頃かもしれない。
 ニューオーリンズ響→セントルイス響→ワシントン・ナショナル響→BBC響→ナッシュビル響→リヨン管→デトロイト
こんな変遷だけれど、どこか地味で、一時は、ニューヨークあたりのメジャーに行くのかとも思っていたけれど、思えば実力派ならでは、またビルダー的な存在ならではのポストの歴任かもしれず、いかにもスラトキンらしい。

そして1914年創立のデトロイト交響楽団。
自動車産業の豊かな資本を背景にスタートしたけれど、当初はさえないオーケストラだったらしい。
そこへ着任したのが、フランスからのポール・パレーで、パレー時代にデトロイト響は黄金期を迎えることになり、そのあと、エールリンク、チェッカートと経て、アンタル・ドラティの時代に、第二の黄金期を迎えます。
ドラティのあとは、渋いヘルヴィッヒを経て、ネーメ・ヤルヴィとなって、録音も復活。
そしてスラトキンとなるわけです。
前回取り上げたミネソタ管でも、ドラティがいい仕事をしているわけですし、今後のアメリカオケ特集のなかで、どれだけ登場するか、楽しみです。

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  デトロイトは、ミシガン州にあり、五大湖のエリー湖とヒューロン湖の間あたりに位置し、エリー湖につながるデトロイト川の対岸はカナダであります。
単独では70万人ぐらいの人口ですが、広域都市圏で見ると450万人という大都市。
いうまでもなく、フォードから端を発し、ゼネラル、クライスラーとアメリカの自動車産業の拠点であった都市ですが、アメリカの自動車産業の衰退もあり、人口は減少の傾向にあり、重ねて、治安もあんまりよくないらしい。
野球はデトロイト・タイガース、日本の姉妹都市は豊田市。
タイガースには、一時、野茂や木田が在籍していたし、日本のタイガースとの関係も深い。
こんな風に、工業・自動車で日本につながるデトロイト。

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                                                     (デトロイト響のHPより拝借)
 
オーケストラホールもなかなかにいい雰囲気の建造物で、こんな画像を眺めながら、デトロイト響の音を聴くのも楽しいものです。
昨年、来日したが聴き逃しました。

リズム感のある音楽を振らせたら、スラトキンは随一の存在だと思う。
デトロイト響の持つ機能性と、音楽を生き生きと、わかりやすく聴かせる指揮者スラトキンとのラフマニノフ。
切れ味もいいし、濃厚になりすぎずに、甘味な歌いまわしも爽やかですらある。
 第二楽章のワルツでは、デトロイトの都会的な夜景を思い、聴くと、なかなかに憂愁を感じさせる切なさがあります。
録音がややデッドで、音が生々しい感じで、少し潤い不足なのが残念だが、オーケストラの抜群の巧さは十分に感じます。

Detroit_3
                                   (Discover Detroit より、ウォーターフロント)
ほかの交響曲3曲、40年前のセントルイス響との演奏に比べ、構えの大きさと深みは増してます。
でも、あちらで聴かれた、熱気と気迫は捨てがたい魅力がありました。

スラトキンとデトロイト、マーラーでも全曲やってくんないかな。。。

Radian_1

実家の近所の果樹園の柿。
秋の味覚、楽しみ。
台風来ないで!

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コメント

アメリカのオーケストラはとにかく音を大きく鳴らす傾向があり、ヨーロッパのオケとは一線を画すところがありますが、その中でもセントルイス交響楽団、ワシントン・ナショナル交響楽団、デトロイト交響楽団の首席指揮者や音楽監督を70年代からずっと歴任してきたスラットキンさんだけあって、N響メンバーが大汗流して演奏していたのが印象的でした。コントラバス奏者の動きがやたら激しい姿を目の当たりにして驚愕しました。コンマスの堀さんもさすがに演奏終演後、汗を拭っていました。

東京の洗練されたオケの演奏より、野暮ったく垢抜けしない
神奈川フィルの演奏ばかり聞いていると、音楽オタクのさまよえる神奈川県人さんの音楽を聴く耳も鈍ってきてしまいますよ。へたな生演奏を聴くより、私が開発して好評のオーディオ装置で、折り紙付きの名演を聞いて、音楽オタクの耳を修正されることをお勧めします。

投稿: ご~けん | 2018年9月30日 (日) 13時48分

ご~けんさん、こんにちは、コメントありがとうございます。

シカゴ響を始めて聴いたとき、文化会館が地鳴りするほどの響きに驚きを覚えましたが、でも、とても音楽的でした。
一概に、アメリカのオケが、大きな音というのは、一面的かと思います。
同じシカゴでも、アバドが振れば、抑制の効いたピアニシモと、強大なフォルテの両方をバランスよく聴かせます。
要は指揮者次第だし、スラトキンも、BBCやフィルハーモニアでは、瀟洒な英国音楽を粋に聴かせてます。
 いろんな見方があっての、音楽の楽しみ方です。

でも、しばらく遠ざかってますが、神奈川フィルに対するご意見は見捨てることができません。
実際にお聴きになってのお話しでしょうか?
 へたな生演奏うんうん、東京の洗練されたオケ・・・
なにをもってそのようなご意見をここにお書きでしょうか。
わたくしは、都内のオケは、今現在も大方聴いいてますし、その耳で神奈川フィルを聴いております。
 神奈川フィルをお聴きのリスナー、そして、わたくしに対する失礼なお書きぶりに脱力します。

わたくしには、オーディオは、フィルターにすぎませんし、貧乏人ですから、お金は、演奏会やCDに振り向けます。
いいんです、それで。
今後、神奈川フィルの聴き手と、わたくしの耳をおちょくるコメントは許すことはできませんので、お含みおきを!!

投稿: yokochan | 2018年9月30日 (日) 22時07分

また横から失礼致します。ブログ主様同様、私も'77年に上野でショルティ&シカゴ響のマーラー5番を聴いた時、その音量には仰天しました。地鳴りどころか天井が吹き飛ぶかとさえ思ったほど。
ですがアメリカのオケが皆同じような音量を競っているわけもなく(無論必要とあらば途方もないパワーを発揮しますが)クリーヴランド管は落ち着いた中間色ですし、フィラデルフィア管は鮮やかな音彩を保っています。スラトキン自身もブログ主様の言われるようにプロムスなどでは英国のオケと息の合ったコンビですし、フランス国立管とは洒脱なデュカを披露していました。
一方'70年代の国内オケはというと在京団体でさえ技術音色ともにお世辞にも洗練されたなどとは形容出来ず、ガッカリして会場を後にすることもしばしばでした。無論その後半世紀近くを経た各オケの進歩は言うに及ばずでしょうが。神奈川フィルはあいにく未聴なのですが恐らく良い意味の地方色を保っているものと推察します。世界中のオケが画一化しつつあるという指摘も少なくない中で、それはむしろ貴重なことでは?
ご~けん様自ら開発されて好評とのオーディオ装置とやらがいかなる代物かは見当もつきませんが、失礼ながらご自分で好評とのたまうところからすると、ご自身こそ音楽オタクならぬオーディオオタクでいらっしゃるのではありませんか?いや仮にそうであられたとしても一向に差し支えなく、結局は個人の愉しみなのですから不遜極まるもの謂いは控えられた方がよろしいかと存じます。乱文にて失礼…。

投稿: Edipo Re | 2018年10月 1日 (月) 14時28分

Edipo Reさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
わたくしの聴いたシカゴのマーラー5番は86年ですが、ほんとびっくりしました。アンコールのドビュッシー祭りもすごかったです。
でも、力でねじ伏せるばかりでなく、硬軟自在、といった感じでした。
アメリカのオーケストラは、それぞれに個性があって楽しいですね。そして、指揮者によってその個性も七変化って感じです。
 日本のオーケストラも、いまや下手な欧州のオケより、よっぽど充実してます。
わたくしが、神奈川フィルをよく聴いていた頃は、故シュナイトさんの指揮によるもので、厳しい氏による徹底した指導で、南ドイツ仕込みの指揮者の狙いと、オケの持ち味である華奢な美音が結びついて、他では聴かれぬ素晴らしい音色が出来上がってました。
メンバーも指揮者も変わりましたが、若々しさも加わり、また違う個性が生まれていると思います。
 かように、オケの個性や音色はさまざま。
それをいろんな方法で楽しむのが、音楽好きの喜びですね。

投稿: yokochan | 2018年10月 5日 (金) 08時09分

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