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2018年10月 8日 (月)

フィンジ エクローグ、チェロ協奏曲 A・デイヴィス指揮


9月のお彼岸に、彼岸花の群生(といっても町で植えたわけですが)を見てきました。

お家からすぐです。

個々には、怪しい雰囲気の花だけど、緑に赤、集めてみるととても美しいです。

日本の野山や路傍には、必ず咲いてます。
生命力のある花だし、古来、害獣を防ぐ効能があることから、お墓や田畑の境界に植えていったといいます。

夏が終わり、深まりつつある秋への、ちょっと寂しい想い。

高い空を見上げつつ、秋に聴くに相応しい音楽を。


Finzi_davis_1

 フィンジ  チェロ協奏曲 イ短調

      ピアノと弦楽オーケストラのための「エクローグ」

        ノクターン~新年の音楽

       「大幻想曲とトッカータ」~ピアノとオーケストラ


     チェロ:ポール・ワトキンス

     ピアノ:ルイ・ロルティ

  サー・アンドルー・デイヴィス指揮 BBC交響楽団

            (2018.2.3,4 ワトフォード)

ジェラルド・フィンジ(1901~56)の音楽を聴き始めて、もう14~5年は経つけれど、しばらくなかったフィンジ作品の新録音の登場に小躍りしてしまった自分。
しかも、シャンドスレーベルが、その英国音楽の録音の使途としたアンドルー・デイヴィスの指揮によるものです。

短い生涯で、ただでさえ寡黙な作曲家だったのに、自己批判も強く、いくつかの作品やスケッチを破棄してしまい、40数曲の作品しか残さなかったフィンジ。
どの作品も、いずれも優しく、ナイーブな感性に貫かれ、英国抒情派と呼ぶにふさわしい存在。
フィンジは、ディーリアスと同じように、みんなで、よってたかって、聴きまくるというよりは、静かに、ひとり、ひっそりと聴くような、そんな作曲家であり音楽であります。
 とかいって、ワタクシ、本ブログで、二人の作品を書きまくって、ほめちぎっておりますが・・・・。
ロンドンっ子で、イングランド南部ハンプシャー州アッシュマンズワースで、50代半ばにして悪性リンパ腫がもとで亡くなってしまう。

父を9歳にして亡くし、その後も兄や弟という最愛の肉親も相次いで亡くなる。
さらに父の影をみたかもしれない音楽と心の師であった、アーネスト・ファーラーをも戦争で失ってしまう。18歳までにして、このように親しい人との別離を経験してしまったフィンジ。
こんな切なく悲しい体験が、フィンジの心に哀しみの思い出となって蓄積ということはかたくない。
それでも、作曲家を志し、いろんな先輩作曲家や演奏家(なかにはボールトもいる)と関係を築き、徐々にその名を音楽界にあらわしていくようになります。
 先に書いた通り、慎重な筆の進め方だったので、だいたい、年1~2作のぺースで、30歳代にはロンドンでもそこそこ名の通った作曲家となります。
 歌曲や、このCDに入ってる「ノクターン」などがそうです。
あとピアノ協奏曲も若い頃の作品ですが、これが未完に終わり、「エクローグ」として残されます。

その30代前半、バークシャー州のオルドボーンに移り、そこでなんと、リンゴの研究を始める。さらに39年には、ロンドンの西部、ハンプシャー州ニューベリー郊外アッシュマンズワースに移住し、ここでの田園生活で残りの生涯を過ごすことになります。

Ashmansworth

そこでは思索に満ちた作曲活動とともに、果樹園を手にいれての果樹栽培という園芸家としての才能もあらわします。

Finzi_fomer

 そこでは、アマチュア演奏家を集めて、いろんな作品を演奏したりしたそうです・
いまも現存するフィンジの家の画像を見ると、そんな慎ましくも微笑ましい田園生活ぶりが伺えます。
 フィンジ好きが、いまでもここで、小さなコンサートを催しているようです。
FINZI FRIENDS

第二次大戦後は、筆のペースも少しあげ、クラリネット協奏曲を書いたりもしますが、先に記した通り、フィンジに残された命はあと少ししかありませんでした。。。

チェロ協奏曲は、フィンジがずっと書きたかったジャンルの音楽で、もうあと5年から10年ぐらいの余命と宣告されていた時期に、バルビローリの勧めに応じて、書き始め、1955年に完成させたのが38分に及ぶ大作。
同年7月、チェルトナム音楽祭で、C・ビューティンの独奏、バルビローリとハルレ管によって初演された。
翌年56年のプロミスで、バルビローリび急病を受けて指揮台に立ったJ・ウェルドンの指揮によりロンドン初演。
しかし、そのあとすぐに、フィンジは亡くなってしまう。

以下は、以前の記事より引用。

>3つの楽章のうち、1と2の楽章で30分あまり。
そのふたつの大きな楽章の素晴らしさと、終楽章の舞曲風な明るい楽しさの対比が、妙に心に残る。

シリアスで、自在なスタイルで作曲することの多かったフィンジが、協奏曲の王道にのっとり揺るぎないソナタ形式で書いた第1楽章。
ラプソデックであり、かつヒロイックなチェロ独奏は、思いのたけを思い切りぶちまけているようで熱く、それを受けてオーケストラも孤独の色濃く壮絶。
辛いけれど、聴きごたえ充分で、大河ドラマの主題歌のようにドラマテックな音楽に驚く。

でも第2楽章は、あの優しくシャイなフィンジが帰ってきて、静かに微笑んでくれます。
このいつまでも、ずっとずっと浸っていたい音楽はいったいどのように形容したらよろしいのでしょうか。
冒頭、オーケストラによって、この楽章の主要旋律が、どこか懐かしい雰囲気で静かに奏でられる。
あまりの美しさに、手をとめて、目をとじて、じっと聴いていたい。
今日のいやなこと、昨日の悲しいこと、明日ある辛いこと・・・、そんなことは、もういいよ、といわんばかりにフィンジの音楽が包みこんでくれます。
楽章の終りに、メイン主題がチェロによって静かに繰り返され、オーケストラがピアニシモで儚くそれに応え、静かに終わります。泣きそうになってしまいます。

そして、チェロの上昇するピチカートで開始される舞曲風の第3楽章。
明るいけれど、2楽章と違った意味で、どこか懐かしい。
ふたつの楽章からすると軽めだけど、クラリネット協奏曲の終楽章と相通じる飛翔するような音楽。
洒落たエンディングが待ち受けております。<

シャープな印象だけれど、内省的な第1楽章を、今回のワトキンスの大らかだけど、芯のしっかりしたチェロで聴くと、フィンジの見据えたゆらぐ不安と未来のようなものが、しっくりと描かれているよな気もします。
そして、フィンジ節満載の2楽章は、チェロも、サー・アンドルーのオーケストラも美しさの極みで、そして儚い。
終楽章の軽めなあり方も、この演奏でよいと思います。
 ワトキンスは、エルガーのチェロ協奏曲もCDで持ってますが、何と言っても指揮者としても活躍しており、都響でエルガーの3番を聴きました。→ワトキンス指揮都響

お馴染みの泣ける音楽の筆頭、「エクローグ」。(牧歌)
 清純無垢の汚れない美しい音楽で、これを聴いて心動かされない人はありえませぬ。
言葉にすることができません。
 作曲家ラッブラは、この作品を称して「乱れぬ落ち着き」としたそうでありまして、それは落ち着いた悲しみの抒情という意味でまったくその雰囲気を言い得ているものといえましょう。
1929年、ピアノと弦楽のための協奏曲の2楽章として造られたものだが、1952年に、全体を未完として、エクローグとして残されることとなったが、死後の1957年まで、出版されることも演奏されることもなかった・・・・。

 ここでのロルティのピアノは、エクローグという曲にもまして繊細です。
デイヴィスの指揮する弦楽オーケストラも含めて、これまでの、エクローグの演奏音源の中で、一番といっていいほどに、静かで、内省的で、ドラマもなく、劇的でもなく、そして何もありません。
 こんなエクローグは、聴くまで想像もしてなかった。
現在の英国楽壇のメジャーな演奏家たちによる静かすぎるフィンジの演奏。
 ささやくような、その演奏。
いやでも、耳を澄まさなくてはなりません。
そこに浮かび上がるフィンジの抒情のひとしずく。
ほんとに、美しく、そして儚く、どこか哀しい。

ノクターン」は、常に助言者でもあり、仲間でもあった、ヴォーン・ウィリアムズを思わせる、ちょっと古風な言い回しの、篤信あふれる音楽。
弦が主体の祈りの気持ちが、ときに篤く、そしてちょっと寂しさも。

 BBC響の緻密なサウンドでもって、この古風な雰囲気の作品が蘇るような、そんなアンドルーさんの指揮ぶり。

幻想味溢れるピアノが聴ける、ちょっとジャジーで、即興的な雰囲気も感じる「大幻想曲とトッカー」。タイトルから想像がつくように、大バッハを意識した作品です。

1920年代後半に、書かれた若書きの幻想曲に、ずっと後年、1953年にトッカータを書いて追加した作品で、合わせて16分あまり。
「エクローグ」との作品の関係性も、フィンジのピアノ協奏曲の完成形という意味でもあります。

 (以下過去記事を基に編集してます)

静的でナイーブな落ち着きを持った「エクローグ」と異なり、この「幻想曲とフーガ」は、技巧的で自由で即興的な雰囲気が漂い、とりわけ幻想曲では、バロック的な華やかさとバッハ風の峻厳さを感じます。
 これを聴くと、わたしは、キース・ジャレットのピアノを思い起こします。
思えば、キースもバッハの人。
ピアノによるソロが長く続きます。
そんなジャジーな幻想曲を聴いてると、フィンジとは思えなくなってきます。

そして、ウォルトンに影響されて付け足すこととなったトッカータは、一転、オーケストラによる爆発的な開始で、ピアノ協奏曲の第3楽章のようなフィナーレ的な効果を持つ華やかなものです。
 その後、数十年を経ながらも、フィンジは、前半の幻想曲のフレーズを、後半オーケストラとピアノで、シリアスの奏でて、やがてトッカータが帰ってきて爽快に終了するように書きました。

このように、前半と後半が、巧みに結びついたこの曲に、「エクローグ」は入り込む余地はありませんでした。
やっぱり、別々に聴きましょう。
まして、ロルティのピアノは、ここでは冴えまくっていて、エクローグの時の静的な雰囲気とはかなり違います。
デイヴィスの指揮するBBC響も、バリッと冴えてます。

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フィンジの代表的な作品に、最新の録音による名演が加わったことを、心から喜びたいと思います。
 と、同時に、もっと違った演奏、例えば、もっともっと耽溺的な哀しすぎる演奏をも、心の中では求めているのも事実です。

Higanbana_1

秋の日に。

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