ベルリーニ 「ノルマ」 カバリエを偲んで
大歌手のひとり、モンセラ・カバリエさんが、10月6日になくなりました。
享年85歳。生まれ故郷のバルセロナにて。
引退して久しいが、その全盛期の数々の名唱を聴いてきたわたくしのような世代には、寂しさもひとしおです。
歌手が亡くなるたびに思い、ここで記することですが、指揮者や器楽奏者の場合、現役を全うしつつ亡くなるというケースが多く、突然の悲しみにみまわれる訳ですが、歌手たちの場合は、一線を退いたのち、かなりの年月を経ての訃報を受け取ることが多いので、その喪失感は、耳に馴染んだその歌声とともに、じわじわとくることとなります。
人間の声は、聞く人の脳裏に記憶としてしっかりと刻まれるので、歌手たちの声もそれぞれに、人々の耳に残り続けることとなります。
そんな風に親しんだ声のひとつが、カバリエの声。
人間の声は、聞く人の脳裏に記憶としてしっかりと刻まれるので、歌手たちの声もそれぞれに、人々の耳に残り続けることとなります。
そんな風に親しんだ声のひとつが、カバリエの声。
ベルリーニ 歌劇「ノルマ」
ノルマ: モンセラ・カバリエ アダルジーザ:フィオレンツァ・コソット
ポルリオーネ:プラシド・ドミンゴ オロヴェーソ:ルッジェロ・ライモンディ
クロティルデ:エリザベス・ベインブリッジ フラヴィオ:ケネス・コリンズ
カルロ・フェリーチェ・チラーリオ指揮 ロンドン・フィルハーモニック
アンブロジアン・オペラ・シンガーズ
(1972.9 ロンドン、ウォルサムストウ)
ベルカント系のオペラをふだん、まったくといっていいほどに聴かないわたくし。
オペラ聞き始めのころは、なんでも貪欲に聴いたものだから、ベルリーニもドニゼッティもまんべんなく聴いたものですが。
そして、カバリエの訃報を受けて、まず取りだしたのが「ノルマ」。
美しい旋律と歌にあふれたベルリーニのノルマ。
70年代前半のカバリエの絶頂期をむかえた頃の歌声は、ともかく優しく、美しく、そして、このオペラのアリアのように清らか。
もともと、ドラマテックな声も充分に持っていたカバリエだけど、愛する男を信じる優しい女性から、不実な男と知り、怒りに燃えてゆき変貌してゆく主人公を見ごとに歌っている。
カラスの強烈なまでののめり込み具合はここにはないけれど、カバリエのノルマの方が、普段聴きできる親しみやすさがある。
そして、この演奏でのさらなる魅力は、コソットとの黄金コンビが聴けること。
コソットのアダルジーザは、同役での最高の歌唱に思います。
水もしたたるような素晴らしい歌声、声のディクションも純正そのもので、まさに本物!
その二人の歌う素敵な二重唱は、すてきなこと、このうえなし。
ドミンゴの声は若く、輝かしい。
苦手意識はぬぐえないが、カバリエの歌で久々に聴くベルリーニのオペラ、美しいものでした。
そして、思い出のカバリエとコソットの名コンビといえば、これ。
チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」
NHKが招聘した、1976年のイタリア・オペラ団。
このあと、この企画は終了してしまったけれど、その最後に相応しい名舞台だった。
何度も、このブログで自慢してますが、高校生だったワタクシ、この舞台にくぎ付けとなりました。
カバリエとコソットの、ひとりの男(若かったカレーラス)をめぐる、恋のさや当て。
お互いに、その素性を隠しながら、はじめは静かなやりとりが、だんだんと激昂してゆくさまが、ほんと、手に汗ものでした。
こんな、おっかない女性たちの板挟みになる小柄なカレーラスが、ほんと気の毒に思えたのでした。
思い出のすみれの花を送り返され、哀しみに暮れるアドリアーナ。
この儚く美しいアリアを、カバリエは、あの絶妙のピアニシモでもって歌い、巨大なNHKホールの隅々に、耳を澄ます人々の耳に、響かせたのでした。
このあと、駆けつけたカレーラスのマウリツィオと、ドラーツィのミショネ、この3人によるセンチメンタルな幕切れに、わたくしは落涙したのです。
いまでも、忘れられない。
プッチーニ 「トスカ}
そして、「トスカ」のカバリエも思い出深い。
アドリアーナを聴いたその年、同じくカレーラスとの共演に、イタリアオペラに初登場のコリン・デイヴィスの指揮によるレコード。
これがまた、フィリップス録音の奥行き豊かな素晴らしい録音とともに、シンフォニックな、かっちりした「トスカ」だった。
ドラマティコとしての、存在感を、その前の「アイーダ」での歌唱で、普遍的にしたカバリエのスケール豊かで、かつ、絶妙の音域の上下を、オペラの歌唱に導入した見事な歌。
カラス&プレートルと並ぶ、「トスカ」の本流とも呼べるCDのひとつと、自分では思ってます。
わたくしが、カバリエのアドリアーナを体験する前年。
カラスが、ステファーノとコンビを組んで、日本で限定復活という「トスカ」上演計画がありました。
残念ながら、ほんとの直前で、カラスはキャンセルし、その代役の白羽は、カバリエにあたりました。
横浜の県民ホールでの上演で、NHKは、FMで生放送。
わたくしは、必死にカセットでエアチェック。
ピアノ伴奏もする、ヴェントーラというピアニスト兼指揮者と、新日フィルのバック。
このオケは、あまり冴えないものでしたが、そこそこの年齢に達してたステファーノのいまだに最高水準のカヴァラドッシは驚きだった。
それ以上に、例の弱音から、強い声まで、振幅の幅の大きい素晴らしい歌唱。
「恋に生き、歌に生き」のアリアでは、またも県民ホールを、ソットヴォーチェで満たしたのでした。
ヴェルディ 「アイーダ」
これが、実はカバリエの初レコード。
若獅子と呼ばれたムーティのデビュー間もないころの1974年の録音で、アバドがスカラ座で取り上げたそのキャストを、アイーダ役以外そのまま使って録音したことで、EMIに怒りを覚えたけれど、そんな思いは、この鮮烈なレコードを聴いて吹っ飛んだ。
「わが故郷」では、また絶妙のピアニシモが。
んでもって、アイーダとアムネリスの対決は、ここでもコソットとの最高コンビでした。
ドミンゴもピカピカしてますし、カプッチルリにギャウロウ、ローニと超豪華な布陣です。
ヴェルディ 「群盗」
ドラマは、むちゃくちゃだけど、ヴェルディ初期~中期の歌の宝庫のようなオペラ。
ガルデッリによるヴェルディの初期シリーズにも、カバリエは登場して、その鮮度の高い声を聴かせてました。
ワーグナーもあり。
正規音源では、メータとニューヨークフィルと、あとロンバールともアリア集を録音しています。
この音源は、一部未入手なのですが、メータのリング抜粋に、「ブリュンヒルデの自己犠牲」が挿入されてまして、ドイツ系の歌手にない、サラっとしたクセの一切ない歌唱は、新鮮ではありましたが、耳当たりばかりが良すぎて、あまり残るものもなかったのも事実でした。
イゾルデを歌った若い頃の音源を目にしたことがあります。
予想される内容ですが、全曲なら一度聴いてみたいです。
R・シュトラウス 「サロメ」
1968年の録音。
若い頃は、ドイツ物をかなり歌っていて、なかでもシュトラウスは、マルシャリンやアラベラなど、各タイトルロールを演じていました。
そんなシュトラウスへの適性を感じさせるこの「サロメ」。
少女であるサロメが、ヨカナーンを知ることで、怪しい女に変貌していく、そんなシュトラウスの狙いを、このカバリエの歌唱は見事に歌いだしていると思う。
ともかくキレイで、後に怪しい。
マッチョのミルンズのヨカナーンに、バリッとしたキングのナラボートも面白い。
ノルマ: モンセラ・カバリエ アダルジーザ:フィオレンツァ・コソット
ポルリオーネ:プラシド・ドミンゴ オロヴェーソ:ルッジェロ・ライモンディ
クロティルデ:エリザベス・ベインブリッジ フラヴィオ:ケネス・コリンズ
カルロ・フェリーチェ・チラーリオ指揮 ロンドン・フィルハーモニック
アンブロジアン・オペラ・シンガーズ
(1972.9 ロンドン、ウォルサムストウ)
ベルカント系のオペラをふだん、まったくといっていいほどに聴かないわたくし。
オペラ聞き始めのころは、なんでも貪欲に聴いたものだから、ベルリーニもドニゼッティもまんべんなく聴いたものですが。
そして、カバリエの訃報を受けて、まず取りだしたのが「ノルマ」。
美しい旋律と歌にあふれたベルリーニのノルマ。
70年代前半のカバリエの絶頂期をむかえた頃の歌声は、ともかく優しく、美しく、そして、このオペラのアリアのように清らか。
もともと、ドラマテックな声も充分に持っていたカバリエだけど、愛する男を信じる優しい女性から、不実な男と知り、怒りに燃えてゆき変貌してゆく主人公を見ごとに歌っている。
カラスの強烈なまでののめり込み具合はここにはないけれど、カバリエのノルマの方が、普段聴きできる親しみやすさがある。
そして、この演奏でのさらなる魅力は、コソットとの黄金コンビが聴けること。
コソットのアダルジーザは、同役での最高の歌唱に思います。
水もしたたるような素晴らしい歌声、声のディクションも純正そのもので、まさに本物!
その二人の歌う素敵な二重唱は、すてきなこと、このうえなし。
ドミンゴの声は若く、輝かしい。
苦手意識はぬぐえないが、カバリエの歌で久々に聴くベルリーニのオペラ、美しいものでした。
そして、思い出のカバリエとコソットの名コンビといえば、これ。
チレーア 「アドリアーナ・ルクヴルール」
NHKが招聘した、1976年のイタリア・オペラ団。
このあと、この企画は終了してしまったけれど、その最後に相応しい名舞台だった。
何度も、このブログで自慢してますが、高校生だったワタクシ、この舞台にくぎ付けとなりました。
カバリエとコソットの、ひとりの男(若かったカレーラス)をめぐる、恋のさや当て。
お互いに、その素性を隠しながら、はじめは静かなやりとりが、だんだんと激昂してゆくさまが、ほんと、手に汗ものでした。
こんな、おっかない女性たちの板挟みになる小柄なカレーラスが、ほんと気の毒に思えたのでした。
思い出のすみれの花を送り返され、哀しみに暮れるアドリアーナ。
この儚く美しいアリアを、カバリエは、あの絶妙のピアニシモでもって歌い、巨大なNHKホールの隅々に、耳を澄ます人々の耳に、響かせたのでした。
このあと、駆けつけたカレーラスのマウリツィオと、ドラーツィのミショネ、この3人によるセンチメンタルな幕切れに、わたくしは落涙したのです。
いまでも、忘れられない。
プッチーニ 「トスカ}
そして、「トスカ」のカバリエも思い出深い。
アドリアーナを聴いたその年、同じくカレーラスとの共演に、イタリアオペラに初登場のコリン・デイヴィスの指揮によるレコード。
これがまた、フィリップス録音の奥行き豊かな素晴らしい録音とともに、シンフォニックな、かっちりした「トスカ」だった。
ドラマティコとしての、存在感を、その前の「アイーダ」での歌唱で、普遍的にしたカバリエのスケール豊かで、かつ、絶妙の音域の上下を、オペラの歌唱に導入した見事な歌。
カラス&プレートルと並ぶ、「トスカ」の本流とも呼べるCDのひとつと、自分では思ってます。
わたくしが、カバリエのアドリアーナを体験する前年。
カラスが、ステファーノとコンビを組んで、日本で限定復活という「トスカ」上演計画がありました。
残念ながら、ほんとの直前で、カラスはキャンセルし、その代役の白羽は、カバリエにあたりました。
横浜の県民ホールでの上演で、NHKは、FMで生放送。
わたくしは、必死にカセットでエアチェック。
ピアノ伴奏もする、ヴェントーラというピアニスト兼指揮者と、新日フィルのバック。
このオケは、あまり冴えないものでしたが、そこそこの年齢に達してたステファーノのいまだに最高水準のカヴァラドッシは驚きだった。
それ以上に、例の弱音から、強い声まで、振幅の幅の大きい素晴らしい歌唱。
「恋に生き、歌に生き」のアリアでは、またも県民ホールを、ソットヴォーチェで満たしたのでした。
ヴェルディ 「アイーダ」
これが、実はカバリエの初レコード。
若獅子と呼ばれたムーティのデビュー間もないころの1974年の録音で、アバドがスカラ座で取り上げたそのキャストを、アイーダ役以外そのまま使って録音したことで、EMIに怒りを覚えたけれど、そんな思いは、この鮮烈なレコードを聴いて吹っ飛んだ。
「わが故郷」では、また絶妙のピアニシモが。
んでもって、アイーダとアムネリスの対決は、ここでもコソットとの最高コンビでした。
ドミンゴもピカピカしてますし、カプッチルリにギャウロウ、ローニと超豪華な布陣です。
ヴェルディ 「群盗」
ドラマは、むちゃくちゃだけど、ヴェルディ初期~中期の歌の宝庫のようなオペラ。
ガルデッリによるヴェルディの初期シリーズにも、カバリエは登場して、その鮮度の高い声を聴かせてました。
ワーグナーもあり。
正規音源では、メータとニューヨークフィルと、あとロンバールともアリア集を録音しています。
この音源は、一部未入手なのですが、メータのリング抜粋に、「ブリュンヒルデの自己犠牲」が挿入されてまして、ドイツ系の歌手にない、サラっとしたクセの一切ない歌唱は、新鮮ではありましたが、耳当たりばかりが良すぎて、あまり残るものもなかったのも事実でした。
イゾルデを歌った若い頃の音源を目にしたことがあります。
予想される内容ですが、全曲なら一度聴いてみたいです。
R・シュトラウス 「サロメ」
1968年の録音。
若い頃は、ドイツ物をかなり歌っていて、なかでもシュトラウスは、マルシャリンやアラベラなど、各タイトルロールを演じていました。
そんなシュトラウスへの適性を感じさせるこの「サロメ」。
少女であるサロメが、ヨカナーンを知ることで、怪しい女に変貌していく、そんなシュトラウスの狙いを、このカバリエの歌唱は見事に歌いだしていると思う。
ともかくキレイで、後に怪しい。
マッチョのミルンズのヨカナーンに、バリッとしたキングのナラボートも面白い。
シュトラウスを録音したバーンスタインとのワンショット。
フランス国立管との、サロメと歌曲。
このDGの1枚もカバリエらしい美しい1枚。
そして生き生きとしたバーンスタインの指揮に、フランスのオケの明るさも。
R・シュトラウス 4つの最後の歌
アラン・ロンバール指揮 ストラスブール・フィルハーモニー
1977年頃の録音。
ロンバールとは、このほか、タンホイザーとトリスタンの一部を録音している。
多分にムーディに聴こえるカバリエのシュトラウスだけれど、言葉への思いは、そこそこに、シュトラウスの音符をこれほどまでに美しく歌い上げた歌唱は少ない。
カバリエの美声を聴くのに相応しい音楽、そしてその逝去を偲ぶにこの美しい音楽は相応しい。
わが若き日々に、オペラの奥行き深い楽しみを教えてくれたカバリエさんの数々の歌声。
カバリエさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。
フランス国立管との、サロメと歌曲。
このDGの1枚もカバリエらしい美しい1枚。
そして生き生きとしたバーンスタインの指揮に、フランスのオケの明るさも。
R・シュトラウス 4つの最後の歌
アラン・ロンバール指揮 ストラスブール・フィルハーモニー
1977年頃の録音。
ロンバールとは、このほか、タンホイザーとトリスタンの一部を録音している。
多分にムーディに聴こえるカバリエのシュトラウスだけれど、言葉への思いは、そこそこに、シュトラウスの音符をこれほどまでに美しく歌い上げた歌唱は少ない。
カバリエの美声を聴くのに相応しい音楽、そしてその逝去を偲ぶにこの美しい音楽は相応しい。
わが若き日々に、オペラの奥行き深い楽しみを教えてくれたカバリエさんの数々の歌声。
カバリエさんの魂が安らかでありますこと、お祈りいたします。
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コメント
カバリエはヴァンゲリスのアルバム「エル・グレコ」でも歌ってました。
全盛期に比べると声が衰えてて侘しい気もしましたがヴァンゲリスもファンだったのかな。
ただフレディ・マーキュリーとも共演してるしポップスにも興味があったのかもしれませんね。
投稿: | 2018年10月22日 (月) 22時30分
またお邪魔致します。小生もベルカント系には昔も今も関心が薄いので、残念ながらカバリエとは実演も含め疎遠なままでした。思い出すのは余りにも有名な話ですがメト(?)でトスカを演じた際、大詰めでクッション代わりのトランポリンの弾みが良すぎて、サンタンジェロ城の城壁の向こうにカバリエ女史の巨体が見え隠れするままに場内爆笑のうち幕が降りたとのエピソード。故人にはまことに失礼ですが、何故かトスカには妙な伝説が多いですね。
確かコヴェントガーデンではヴィシネフスカヤの鬘に蝋燭の火が燃え移り、場内騒然としたところ拷問を受けているはずのドミンゴが飛び出して来てコップの水をジュッとぶっかけて消火し事なきを得たとか。
また先年メトのリュック・ボンディ新演出プレミエをWOWOWで試聴していたのですが、やはり大詰めでカリタ・マッティラが宙吊り状態で曝されたまま幕が降りたので妙な代物だなあと思っていたら、再演時には舞台全体が暗転したので納得しました。初日ゆえのアクシデントだったのでしょうね。
あと、記事でも取り上げておられたバーンスタインとのサロメ終幕と歌曲も想い出深い一枚です。それまでニルソンで馴染んでいた猛女的な役作りと違う少女らしさを際立たせたサロメは新鮮な驚きでした。ベーレンス&カラヤンの全曲盤とどちらが先にリリースされたのだったかな?こちらが全曲でないのが残念でしたが、その後のサロメ像に一石を投じたのかも。
いずれにせよ若い日から親しんで来たビッグネームの訃報に接するのは、皆平等に歳を重ねることの宿命なのでしょうが寂しさがつのる一方ですね。改めてカバリエ女史のご冥福をお祈りするばかりです…。
投稿: Edipo Re | 2018年10月24日 (水) 00時44分
ヴァンゲリスのアルバムは恥ずかしながら知りませんでした。
フレディー・マーキュリーとのバルセロナは、あのカバリエが!っと驚いたものです。
芸の幅、表現の幅のとても広い歌手でした。
投稿: yokochan | 2018年10月26日 (金) 08時45分
Edipo Reさん、こんにちは。
おっしゃるとおり、トスカの飛び込みには、秀逸な逸話がたくさんありますね。
一方で、NHKイタリアオペラのテレビ放送で見た、スリムな美人、カヴァイヴァンスカの赤いドレスが、明けた青い空に舞う美しさを忘れることができません。
カバリエのシュトラウスは、この逝去で、あらためていろいろ聴いてますが、詩や言葉でなく、歌声の美しさで聴かせるすてきなものと再認識してます。
投稿: yokochan | 2018年10月26日 (金) 08時56分