« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »

2018年11月

2018年11月23日 (金)

ショスタコーヴィチ、バーンスタイン  ワシントン

Daiba_2

お台場のアメリカ。

もちろんレプリカですが、ちょっとウィキったところ、アメリカの自由の女神は、独立100年の記念に、フランスが贈ったもの。
さらに、その返礼として、パリ在留のアメリカ人、まさに「パリのアメリカ人」が、パリに建てたものもあります。
 東京のものは、1988のフランス年に展示され、この時は、大の親日家シラク大統領のもとでした。これが好評で、2000年より正式に、お台場に設置されたとのこと。
ほかにも、いろんなところにあるそうな。

いずれにしても、自由と民主主義の象徴なのであります。

アメリカのオーケストラシリーズ。

メジャーの5大オケは、あとまわしにして、それに次ぐエリート・イレブンとか一時いわれたオーケストラを聴いていこうという作戦です。
 これまで、ミネソタ管、デトロイト響、ピッツバーグ響と聴いてきました。

今回はアメリカの中心都市、大統領のおひざ元、ワシントンのオーケストラ、ナショナル交響楽団を。

Shostakovich_symphony_no_8_rostropo

 ショスタコーヴィチ 交響曲第8番 ハ短調 op.65

  ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ指揮 ナショナル交響楽団

             (1991年 ワシントン、ケネディーセンター)


正式名称は、ナショナル交響楽団(The National Symphony Orchestra)で、日本では、ワシントン・ナショナル交響楽団という呼称になってます。
国家とか、お国のオーケストラという意味合いなので、ワシントンをわざわざつけなくてもよろしいかと。
もちろん、民間のオーケストラですが。
ちなみに、ワシントンにあるメジャーリーグのチーム名も、ナショナルズという名称です。

 もともと、国事や、公的な祝祭日用のオーケストラとして1931年に創設。
大統領のオーケストラと呼ばれる由縁です。
キンドラー、ミッチェルと地味な指揮者を経て、このオーケストラがレコードなどで世界的に名前が出てくるようになったのは、アンタル・ドラティが1970年に音楽監督に就任してから。
ここでもオーケストラビルダーとしてのドラティの名がアメリカ楽壇に残されることとなります。
デッカの鮮やかな録音で、チャイコフスキーやワーグナー、アメリカ作品、さらにダラピッコラなんてのもありました。懐かしい。

そして、1977年に、ロストロポーヴィチが音楽監督を引き継ぎます。
当時、大統領は、カーターさんで、共和党から民主党に政権が変わった年。
そんな年、74年にソ連から亡命したロストロポーヴィチが、こともあろうに、大統領のオーケストラと呼ばれるナショナル響の指揮者になる。
 反体制で、言論人を多く擁護してきたロストロポーヴィチを起用するという、アメリカという自由な国の典型的な実例がここにあるわけであります!
その後、78年には、ソ連邦は、ロストロポーヴィチの国籍をはく奪するという対抗処置に出ます・・・

チェリストであり、ピアニストであり、指揮者でもあったロストロポーヴィチ。
自国の作曲家の作品を積極的に指揮して、広めることにも責務を感じていたと思います。

ソ連邦崩壊後、ナショナル響とロンドン響を振り分けて録音したショスタコーヴィチの交響曲全集。
その全部を聴いてませんが、ロストロポーヴィチならではの、濃厚な解釈と、そこここに聴かれるユニークな節回しなど、普段、わたくしが好んで聴く、欧州勢による純音楽的なスコアの解釈による、シンフォニックなショスタコーヴィチと異なるものを感じます。
 この8番も、ナショナル響が、ロストロポーヴィチの解釈にピタリと合わせていて、長大な第1楽章や4楽章のラルゴなど、実に深刻で暗澹たる音色を聴かせます。
一方で、スケルツォや行進曲調の楽章では、オーケストラの個々の奏者の妙技を引き出してますし、はちゃむちゃ感もお見事。

独ソ戦下に書かれた8番。
1943年の作品。
世界は戦争という災禍に覆われてました。

Kenedy

ナショナル響の本拠地、ジョン・F・ケネディ・センター。
1971年、このホールのこけら落としのために作曲されたのが、バーンスタインのミサ曲。

バーンスタインとこのホールとの関係でいうと、もう1曲。
1976年のアメリカ建国200年を記念して作曲された「ソングフェスト」があります。
間に合わずに1年遅れとなりましたが、1977年の10月に、作者がナショナル響を指揮して初演、12月にレコーディングされました。
そう、まさにロストロポーヴィチの音楽監督就任の年でもあります。

Bermstein_song_fest

 バーンスタイン ソングフェスト

 ~6人の歌手とオーケストラのためのアメリカの詩による連作~

  S:クランマ・デイル       Ms:ロザリンド・エリアス
  Ms:ナンシー・ウィリアムズ T:ネイル・ロッセンシャイン
  Br:ジョン・リアードン     Bs:ドナルド・グラム

   レナード・バーンスタイン指揮 ナショナル交響楽団

           (1977.12 ワシントン、ケネディーセンター)

  Ⅰ.賛歌

①冒頭の賛歌 「 一篇の詩を」 フランク・オハラ
 
  Ⅱ.3つのソロ

②「高架線の向こうの駄菓子屋で」ローレンス・フェルリンゲッティ

③「もう一人の自分に」 ユリア・デ・ブルゴス

④「君の言葉に言おう」 ウォルト・ホイットマン

  Ⅲ.3つのアンサンブル

⑤「僕も、アメリカに歌う」 ラングストン・ヒューズ

 「ニグロでいいの」 ジューン・ジョルダン

⑥「大事な愛しい夫へ」 アンネ・ブラッドストリート

⑦「小さな物語」 ガートルード・スタイン

  Ⅳ.6重唱

⑧「もし君に食べるものがなかったら」 e.e. カミングス

  Ⅴ.3つのソロ

⑨「君と一緒に聴いた音楽」 コンラッド・アイケン

⑩「道化師の嘆き」 グレゴリー・コルソ

⑪ソネット「わたしがキッスしたのは?」エドナ・セント・ビンセント・マリー

 Ⅵ.賛歌

⑫締めの賛歌「イズラフェル」 エドガー・アラン・ポー

バーンスタインによって選ばれた、アメリカ建国前の17世紀半ばから、20世紀当時までの300年にわたる自国の詩につけた歌曲集で、それらをソロやアンサンブルでつないで行く巧みな構成。

光と闇もありますが、愛のこと、結婚のこと、日常の生活、個人・みんなの豊かな豊富、創造的な思いなどを歌い継ぎ、作曲時の建国100年という節目に、良きアメリカを包括的に振り返るという内容になってます。
 一方で、ピューリタンとしてやってきた彼らの社会に内包される、黒人、女性、同性愛者、移民などを含むマイノリティの問題も、ここで取り上げているところが、アメリカの良識であり、バーンスタインらしいところです。

曲はとても聴きやすくて、エレキギターや電子オルガンなども含み、多彩な響きがオーケストラから鳴り渡りますが、明るく屈託がない場面や、シリアスなシーンも多々。
バーンスタイン節がそこここにあふれてます。

 最後のポーによる「イズラフェル(天使のひとり)」賛歌の一節

  住みたいものだ イズラフェルのところに
  彼がいる天上に そう、彼もわたしの住む地上では
  あんなにうまく歌うのは無理だ
  地上のメロディを天上と同じようには
  それにひきかえ、私ならもっと大胆な調べがあふれ出てくるのだ
  天にのぼって、私が竪琴を奏でれば


         (かちかち山のたぬき囃子さまの記事より)

理想を高く掲げ、求め続けるアメリカです。

いや、でした、か。

ポリティカルコレクトネスのもと、すべてがフラットに、という観念に縛られすぎ。
過去にも遡って断罪される。

異なる信教の方のために「メリー・クリスマス」も言えない。

そんな堅苦しくなったアメリカに、Make America Great Again! と掲げる大統領が出てきた。

バーンスタインが100歳で存命だったら、いま、どんなアメリカを作曲するんだろう。

  -----------------

Washington_1_2

ワシントンD.C.

District of Columbia、特別自治区としての称号、コロンビアは、コロンブスのこと。
大統領のお膝元、ワシントンは、ワシントン州の州都。
人口は、60万人ほどだが、周辺首都圏ゾーンとしては、600万人ぐらいの規模となります。

Washington_2

桜並木で有名なポトマック川を背に立つ、ケネディ・センター
その東に目を転じると、ホワイトハウスがあります。
ホワイトハウスを中心に、放射状の街づくり。
地図でも見ても合理的でかつ、美しい。

そして、アメリカの歴史に名を残した人物たちが、街のあちこちに、その名を刻まれている。
自己の建国以来の歴史に、誇りを持ち、それを高らかにしているアメリカという国。
世界の民主主義をリードする覇権国家。
日本の街には、こんなあけすけな名前の付け方の場所はない。

敗戦で尊い永き歴史を一時的に否定されそうになったが、いまや民主主義国家として、アメリカと同盟を組み、ともに自由な理念を世界にリードしていく国となった。

飛躍しすぎましたが、ワシントンの街と地図をつらつら眺めていて思ったことです。

Washington_3

ザ・アメリカのひとこま
観光HPより拝借してます。

クリスマスには、「ハッピー・ホリディ」じゃなくって、「メリー・クリスマス」と言いたいよ。
八百万(やおろず)の神のわがニッポンですからなおさら。

  ------------------

ナショナル響の指揮者の変遷。

ロストロポーヴィチ(1977~1994)、スラトキン(1996~2008)、I・フィッシャー(2008~2009)、エッシェンバッハ(2010~2016)、J・ノセダ(2017~)

実務的な実力者ばかり。
しかし、みんな録音が少ない・・・・
ノセダは、好評で、2025年まで、その任期を延長してます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年11月14日 (水)

アルヴェーン 交響曲第4番「海辺の岩礁から」 ヴェステルベリイ

Daiba_1

お台場の夕暮れ。

ある日、芝浦サイドから、歩いてレインボーブリッジを走破し、人工の砂浜ですが、静かに波が押し寄せる浜に映る、美しい夕焼けを堪能しました。

Alven_sym4

   アルヴェーン 交響曲第4番 ハ短調 OP.39
             「海辺の岩礁から」


       S:エリザベト・セーデルストレーム

       T:イェスタ・ヴィンベ

スティグ・ヴェステルベイ指揮 ストックホルム・フィルハーモニー管弦楽団

               (1979.2.20 ストックホルム)


スウェーデンの作曲家、ヒューゴ・アルヴェーン(1872~1960)は、後期ロマン派と民族楽派風なタッチとが織り合った作風で、主に管弦楽作品を中心に残した人。
1960年没というと、なんだかそんなに昔の人に感じないけれど、この時代の方としては、長命だったわけです。

5曲ある交響曲を、全部聴いてはみたが、やはり、自分的には、この4番が圧倒的に素晴らしく、このブログでも今回が4度目の登場なんです。
 というのも、大野&都響で、今年、聴いてきたツェムリンスキーの作品と、自分では姉妹的存在に思っていて、その締めくくりに、ぜひにも、あらためてじっくり聴いておきたかったのだ。
そう、ツェムリンスキーの「人魚姫」に「抒情交響曲」の姉妹です。

前者はまさに、海と人魚姫の伝説の物語、そして後者は、男女の愛と別離の物語。
そして、アルヴェーンの交響曲は、岩礁の岩場、まさに、北欧の海を背景にした男女の愛とその破綻。

その作曲年は、「人魚姫」が、1903年。
アルヴェーンの「岩礁」が、1919年で、「抒情交響曲」は、1923年となります。
ちなみに、シェーンベルクの「グレの歌」は、それらの狭間の1911年。
第一次世界大戦をはさむ、これらの年代。
ヨーロッパは、そのときどうだったのか・・・

こんな風に、同じ香りを持った作品を、世の出来事で対比して、見てみると面白いものです。

  --------------

アルヴェーンは、北欧の自然・風物を愛し、小島にサマー・ハウスを持って、そこで作曲に勤しんだらしい。
岩礁の多い海辺には、小舟を出し、そこで思索に耽り、この作品も構想された。

連続する単一楽章の作品だが、そこに込められた男女の愛の様相は、4つの場面にわけられ、まさにそれが、シンフォニーともいえる。
 ピアノとチェレスタ、ハープも含む大規模な編成で、このあたりも、ツェムリンスキーを思わせます。
 しかし、ユニークなのは、ツェムリンスキーの「抒情交響曲」のように、男女のソロが声楽パートして起用されるが、彼と彼女には、すなわち、テノールとソプラノには、言葉はなく、ヴォカリーズなのであります。
 「アァ~~」とか「はぁ~ん」とかでして、これがかえって悩ましく官能的。
初演時は、反道徳的とされ、それゆえに、当時、「シンフォニア・エロティカ」なんて呼ばれてしまった。
この時代の作品を聴きなれた、今のわれわれにとっては、エロティカでもなんでもなく、むしろ、作曲者がねらった、男女のソロが、まるでオーケストラの一員のような存在として、交響曲のひとつとして、ちゃんと聴くことができるのだ。

「この交響曲は二人の人間の愛の物語と関係があり、象徴的なその背景は外海へ転々と広がる岩礁で、海と島は闇と嵐の中で、互いに戦いあっている。また月明かりの中や陽光の元でも。その自然の姿は人間の心への啓示である。」

 記事のたびに載せるアルヴェーン自身の言葉。

①若い男の燃える、さいなまれるような欲求

②若い女の、穏やかで夢見るような憧れ~月明りに照らされた大きな波のうねり

③太陽が昇り、ふたりの最初で、しかも最後の幸福な一日

④強風によって揺さぶられ、悲劇的な週末が訪れる~幸福は破滅する


こんな4つの物語が、それぞれの楽章になってます。

なんど聴いても陶然としてしまう、この曲が大好きなわたくし。

レコード時代の終わりごろ、まだ健在だった、そして、クラシック好きの聖地だった、秋葉原の石丸電気で見つけたレコード。
聴いたこともない曲に、作曲者。
ジャケットのステキさもあって、何気なく購入し、そして帰って聴いてみたら、ずばり直球で大好きなサウンドだった。 
 前にも書いたかもしれないが、シェーンベルクやウェーベルンに始まり、ベルク、そして遡ってマーラーに行き着いた頃。

スウェーデン人だけの本場の演奏。
クールでクリスタルな声、セーデルストレームに、その後、ワーグナー歌手に成長するヴィンベイのこの当時はリリックな美声。
 そしてヴェステルベイの心のこもった、そしてよく旋律をうたわせた素晴らしい指揮に、ストックホルムの澄んだ音色のオーケストラ。
申し分ない演奏であります。
数年前に、スウェーデンプレスのCDを入手に、宝のようにしてます。

これを含めて、4種の音源をもってますが、あらためて、同じストックホルムのオーケストラを指揮した、N・ヤルヴィのものを聴いてみたら、てきぱきと曲が進捗し、角が取れすぎて濃密さも少なく感じた。
逆にスヴェトラーノフは、いい雰囲気だけれど、音楽の言語がロシアにすぎる感が。
で、以外といいのがウィレンとアイスランド響のクールさでした。

秋に聴く北欧の大人の音楽。

 高負担高福祉国家のスウェーデンは、 「IKEA」とか「H&M」の発祥の国でもあって、「北欧の顔」的な憧れの国ですが、移民政策にも寛容で、しかし、いまやその移民問題で治安も含め大変なことになっている。

海外のオーケストラ、ことにアメリカなどは、映像などで、そのメンバーを見るとあらゆる国のメンバーが中華系を中心に構成されている。
ナショナリズムを説くような信条は、まっぴら持ち合わせていないが、世界のオーケストラが巧くなり、そして音もグローバル化していく流れに不安を感じます。

スウェーデン産の音楽と演奏を聴いて、思うこと、これあり。

 「ウィレン&アイスランド響」

 「N・ヤルヴィ&エーテボリ響」

 「スヴェトラーノフ&ロシア国立響」

Toyosu

お台場の対岸、芝浦から。
正面は、豊洲市場。
船の左手は、建設中のオリンピックの選手村。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年11月 3日 (土)

東京都交響楽団定期演奏会 シュレーカー、ツェムリンスキー

20181024tmso

 パソコンが逝ってしまったり、データも吹っ飛んでしまったりで傷心の日々。
遅ればせながら、超楽しみにしていたコンサートのことを書きます。

  東京都交響楽団 第864回定期演奏会

 シュレーカー      室内交響曲

 ツェムリンスキー   抒情交響曲

              S:アウシュリネ・ストゥンティーデ

      Br:アルマス・スヴィルパ

    大野 和士 指揮 東京都交響楽団

         (2018.10.24 @東京文化会館)

今年1月の「人魚姫」に続く、大野さんと都響のツェムリンスキー。
そして、シュレーカーとくれば、もう、わたくしのド・ストライク・ゾーンのコンサートなんです。

秋の装いが深まりつつある上野の森の晩、見上げれば月が美しい。

そこで響いた、後期ロマン派の終焉と、不安と焦燥、そして煌めく世紀末、それらを強く感じさせるふたりの作曲家の音楽。
その響きに身をゆだね、心身ともに開放され、我が脳裏は、100年前のウィーンやドイツの街を彷徨うような、そんな想いに満たされたのでした。

 シュレーカーの音楽をオペラを中心に聴き進めてきました。
9作あるオペラのうち、6作はブログにしました。
残る3作のうち、2つは準備中ですが、あとひとつが録音もない(たぶん)。
しかし、こんなわたくしも、「室内交響曲」は、存外の蚊帳の外状態でした。
音源も持ってるつもりが、持ってなかった。
 コンサートに合わせて予習しましたが、初期のブラームスチックな曲かと思いきや、「烙印された人々」の前ぐらいの時期で、わたくしの大好きなシュレーカー臭満載の、濃密かつ、明滅するような煌めきの音楽なのでした。

 文字通り、室内オーケストラサイズの編成でありながら、打楽器各種はふんだんに、そしてお得意のピアノに、チェレスタに、ハルモニウムが通常ミニサイズオケの後ろにぎっしり並んでる。
 連続する4つの楽章は、いろんなフレーズが、まるでパッチワークのように散り交ぜられ、それらが、混沌としつつも、大きな流れでひとつに繋がっているのを、眼前で、指揮姿や演奏姿を観ながら聴くとよくわかる。
それらの中で、オペラ「はるかな響き」と「音楽箱と王女」に出てきたような、聴きやすい旋律が何度か顔を出すのもうれしい聴きものでした。
 大野さんの、作品をしっかり掴んだ指揮ぶりは安定していて、都響のメンバーたちの感度の高い演奏スキルも見事なものでした。
 シュレーカーの音楽を聴いたあとに感じる、とりとめなさと、どこか離れたところにいる磨かずじまいの光沢ガラスみたいな感じ。
いつも思う、そんな感じも、自分的には、ちゃんとしっかり味わえました(笑)

     -----------

シュレーカー(1878~1934)、ツェムリンスキー(1871~1942)、ともにオペラ中心の作曲家であり、指揮者であり、教育者でもありました。
そして、ともに、ユダヤ系であったこともあり、活動期に登場するナチス政権により、他国に逃れたり、活動の制限を受けたりもしたし、シュレーカーの音楽にあっては、退廃音楽とのレッテルを貼られてしまう。
このふたりの音楽を並べて聴く意義を休憩時間にかみしめつつ。

後半は、オーケストラがステージ一杯にぎっしり。

黒い燕尾服に、シックな黒いドレス、リトアニアからやってきた、大野さんとも共演の多い二人の歌手は、指揮者の両脇に。

そして、始まったティンパニの強打と金管の咆哮。
この曲のモットーのようなモティーフ。
これを聴いちゃうと、もう数日間、このモティーフが頭に鳴り続けることになる。
この厭世観漂う、暗い宿命的な出だし、大野さん指揮する都響は、濁りなく豊かな響きでもって、この木質の文化会館のホールを満たした。
上々すぎる出だしに、加えてスヴィルパのバリトンがオーケストラを突き抜けるようにして豊麗なる歌声を聴かせるではないか。
不安に取りつかれたようなさまが、実に素晴らしい。
 それに対し、2楽章でのソプラノ、ストゥンティーデは、その出だしから声がこもりがち。
途中、強大化するオーケストラに、声が飲み込まれてしまう。
でも、のちの楽章では、しっかり復調したように、なかなかに尖がった、でもなかなかの美声を聴くことができて、とても安心した。

不安と焦燥から、こんどは濃密な愛を語る中間部。
バリトンの歌う、「Du bist mein Eigen、mein du,・・・」
「おまえは、わたしのもの、わたしのもの、わたしの絶えることのない、夢の中の住人よ」
もっとも好きなところ、まさに抒情交響曲と呼ぶにふさわしい場面。
胸が震えるほどステキだった。
 さらに、ソプラノがそれに応える、「Sprich zu mir , Geliebter」
「話してください、いとしい方」
復調のストゥンティーデのガラスのような繊細な歌声、それに絡まる、ヴァイオリンソロや、ハープにチェレスタといったキラキラサウンド。
耳を澄まして、そして研ぎ澄ませて、わたくしは、陶酔境へ誘われる思いだった。

でも、早くも男は愛から逃れようとし、女は別れを口にする。
大野さんのダイナミックな指揮のもと、激しいオーケストラの展開、打楽器の強打に、ビジュアル的にも目が離せない。
ここでのストゥンティーデの、カタストロフ的な絶叫も、ライブで聴くとCDと違ってスピーカーを心配することがなく、安心して堪能。
静的ななかでの、強大なダイナミズムの幅。
素晴らしい音楽であり、見事な都響の演奏と感じ入る。

最終章は、バリトンの回顧録。
スヴィルパさん、とてもマイルドな歌声で素晴らしい。
わたくしも、これまでの、この演奏のはじめから、振り返るような気持ちで聴き入りました。
そして、わたくしは、愛に満ちたマーラーの10番を思い起こしてしまった。
ときおり、あのモットーが顔を出しながらも、濃密でありながら、どこか吹っ切れたような、別れの音楽。
 ふだん、CDでは、あまり意識してなかった、オーケストラのグリッサンドが、この演奏ではとても強調され、そして効果的に聴こえたことも特筆すべきです。

静かに、しずかに終わったあとのしばしの静寂。
ひとこと、「ブラボ」と静かに発しようと思ったけど、そして、いい感じにできそうだったけれど、やめときました。
心のなかで、静かに声にするにとどめました。

この作品の良さを、心行くまで聴かせてくれた素晴らしい演奏でした。
大野さんの、この時代の音楽、オペラ指揮者としての適性をまた強く感じたこともここに記しておきたいです。

甘やかな気持ちで、ホールを出ると、月はさらに高く昇ってました。

Ueno

近くで軽く嗜んでから夢見心地で帰りました。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

« 2018年10月 | トップページ | 2018年12月 »