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2018年12月 9日 (日)

ディーリアス 「高い丘の歌」 A・デイヴィス指揮

Shima_a

少し前、毎年11月は、伯父の命日の月で、一緒に眠る従姉の墓参と伯母へのお見舞いに群馬まで出かけます。

そして足を延ばして、四万温泉へ。

四万湖のあたりは、紅葉が終盤で、赤や黄色の絨毯をサクサクと踏み歩き散策しました。

母と姉とで、むかしのことをたくさんお話ししました。

嫌なこと、厳しいことはたくさんあれど、昔語りは幸せなことしか思い出しません。

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  ディーリアス  「高い丘の歌」

    S:オリヴィア・ロビンソン

    T:クリストファー・ボーウェン

  サー・アンドルー・デイヴィス指揮 BBC交響楽団
                       BBC交響合唱団

          (2010.10.15 オール・セインツ教会)


愛するディーリアス(1862~1934)の作品のなかで、もっとも好きな音楽がこの「高い丘の歌」。

「高い丘の歌」は、1911~12年にパリ近郊のグレ・シュル・ロワンで書かれた30分あまりの音詩。
ディーリアスの音楽って、まさに、「音による詩」と呼ぶに相応しい。
そして、その受け止め方は、聴く人の人生や暮らし、考え方、まわりの自然や見てきた風景、それらによってさまざま。

そう、特定の感情や事象に直接に紐つかないから、いつも新鮮だし、距離感もそこそこあって、自分の感情に飛び込みすぎない優しさがある。

わたくしは、そんな風にして、ディーリアスの音楽をずっと聴いてきました。

グリーグと知り合い、そして、ノルウェーの自然や風物を愛し、その海や厳しい大自然を思わせる音楽をいくつも書いたが、この曲もその一環。
でも、ノルウェーの大自然に接したことがない自分には、写真や映像で見るその自然を想像しつつも、自分の育ったお家から見えた風景や、街の自然を重ね合わせて聴くことできるのだ。
それが、自分にとっての「ディーリアスの世界」なのです。

「わたしは高い丘陵地帯にいるときの喜びと陶酔感を現そうとし、高地と広漠たる空間を前にしたときの孤独感とメランコリーを描こうとしたのだ。
ヴォーカルパートは自然における人間を象徴したのである」

                                                                 (ディーリアス:三浦敦史先生訳)

作者のこの曲に対する言葉。
この作品の魅力を一番物語っている。

丘陵、山や山岳とも違う、丘。
丘的なものも、日本の地味豊かな山々とも違って、殺伐として膨らみがただあるだけのものを想像したりもする。
唯一の英国訪問の際、ロンドンから車で発し、北上してバーミンガム方面へ、さらに南下してドーバー方面へと走りまくったことがありますが、郊外へ出て田園地帯を通過すると、丘のようなぽっこりした緑の小山が、そこここに見られたのでした。
そんな風景も、自分のなかでは英国音楽、とりわけ、ディーリアスやV・ウィリアムズを聴くときに思い浮かんだりするものなのです。

同じように、山を歩んだ音楽として、シュトラウスのアルプス交響曲がありますが、あちらは、もうリアルそのもので、音楽が登山という体験を、まんま表現しつくしている。
 ディーリアスのこちらは、写実的な要素がまったくないから、自分のなかのイメージで、思いのままに聴くことが出来る。
なんでも音や音楽にしてやろうという強引さは、これっぽっちもないので、ともかく優しく、寄り添ってくれるんだ。

何度も書くようで恐縮ですが、自分の育った家の前には、小さな山があって、その山の向こうには、富士山の頭だけがちょこんと見えてました。
夕暮れ時には、西側のその山の空が赤く染まって、ときに壮絶な夕焼けが見られることもありました。
そして、夕焼けのオレンジはやがて濃くなり、藍色にそまって暗くなっていくのです。
そんな風景を見ながら、私はディーリアスの音楽を聴いてました。
いまは離れて暮らしているけれど、ディーリアスの音楽は、また、そうした景色を呼び起こすことで、自分にとっての故郷へのノスタルジーをかり立ててくれるのです。
 この作品の最後、日が暮れ沈んでしまうくらいに、音楽がどんどんフェイドアウトしてしまう終わり方。
後ろ髪ひかれ、そして哀しく、自然の摂理の寂しさすらを感じさせます。

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1887年のノルウェー訪問以来、生涯で17回も同国を訪れていたディーリアス。
視力を失い、体が麻痺してしまった晩年でも、車いすでかの地の丘や日没の感じられる場所へ連れていってもらっていました。

作曲の8年後、1920年、アルバート・コーツの指揮で初演。
ドイツでドイツ人指揮者によって初演が企画されるも、大戦で流れた結果のロンドン初演。
ディーリアスは、そのあと、P・グレインジャーに、これは自分の最高の作品のひとつ
と語ったという。

コンサートでは、あまり取り上げらることがないのは、30分あまりのこの曲が、一夜の演目のなかのどこで演奏できるか、その答えがないからだと思ったりもする。
そして、多くの聴衆と一緒に聴くより、ひとり静かに聴くべき音楽だからであろう。

ビーチャム盤はまだ未聴ながら、4つめの「高い丘の歌」。
シャンドスへ、ヒコックスのあとを継いでディーリアスもシリーズ化している、サー・アンドルーの演奏。
デリケートなまでの繊細さで、この曲に対して、実に素晴らしい演奏を録音してくれたことに感謝です。
この美しい演奏をしっかりととらえた雰囲気豊かな素晴らしい録音にも感謝です。

Song_of_summer

今年は、この本の刊行もうれしい出来事でした。
まだ読んでる途上ですが、断片的に接することができていたフェンビーの著述が、こうして翻訳されて体系化されたことに、こちらも感謝です。
聴きなれたディーリアスの音楽に、さらに奥行きが深まりました。

過去記事

「フェンビー&ロイヤルフィル」

「グローヴス&ロイヤル・リヴァプールフィル」

「ロジェストヴェンスキー&BBC響」



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1か月前の晩秋。

街はいま、クリスマス。

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