シューベルト 交響曲第5番・第8番「未完成」 アバド指揮
2019年、平成31年の始まりに。
今年は、御代替わりの年で、自分とほぼ同世代の天皇陛下がご即位される。
自分にとっても、こうして年を重ねてきて、感慨深い1年となりそうです。
かつて停止したこともありました。
いまでは自分の音楽の体験録ともいえるようなこのブログですが、14年目となる今年も、ゆっくりとですが、稚拙ながらの言葉を連ねてまいりたいと思います。
今年の1枚目は、まさかの新譜登場、アバドの若き日のシューベルトです。
シューベルト 交響曲第8番「未完成」
交響曲第5番
クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1971.5.31 @ムジークフェラインザール、ウィーン)
2018年に、突然登場したアバドの新譜ですが、実はこれ、わたくしはかつての昔に聴いていたのです。
音楽にひたすらのめり込んでいた高校時代。
FM放送の番組表をメインとするFMファンや、週刊FMを購読してましたが、NHKFMの番組表のなかに、アバドとウィーンフィルの「未完成」がプログラムのひとつにのってました。
「あれ? アバドとウィーンには、未完成のレコードはないはず?」
73年か74年だったかと思う。
完全なアバドファンだった自分は、アバドの録音のすべてを把握していたから、その当時、「アバドの未完成」の録音はない、というのが、当たり前の前提でした。
平日の昼時のレコードでのクラシック番組でしたが、運よく、テスト週間で早帰りで、疑心暗鬼で聴くことができました。
しっかり「アバドとウィーンフィルの演奏で」と放送されました。
でも、当時より、アバドの全てを知っていたつもりのわたくしは、これは間違いだ、ベートーヴェンの8番とデータを取り違えているんだと思いつつ聴き、聴き終え、クリップスとウィーンフィルの演奏であろうということで、納得させた当時の自分でした。
でも、こうして、71年のオーストリア放送協会での録音の復刻を聴いてみると、時代的な裏付けもふまえても、きっとあのNHK放送は、この音源であったろうということを確信したのが、これを聴いた昨秋のことなどでありました。
かつて停止したこともありました。
いまでは自分の音楽の体験録ともいえるようなこのブログですが、14年目となる今年も、ゆっくりとですが、稚拙ながらの言葉を連ねてまいりたいと思います。
今年の1枚目は、まさかの新譜登場、アバドの若き日のシューベルトです。
シューベルト 交響曲第8番「未完成」
交響曲第5番
クラウディオ・アバド指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
(1971.5.31 @ムジークフェラインザール、ウィーン)
2018年に、突然登場したアバドの新譜ですが、実はこれ、わたくしはかつての昔に聴いていたのです。
音楽にひたすらのめり込んでいた高校時代。
FM放送の番組表をメインとするFMファンや、週刊FMを購読してましたが、NHKFMの番組表のなかに、アバドとウィーンフィルの「未完成」がプログラムのひとつにのってました。
「あれ? アバドとウィーンには、未完成のレコードはないはず?」
73年か74年だったかと思う。
完全なアバドファンだった自分は、アバドの録音のすべてを把握していたから、その当時、「アバドの未完成」の録音はない、というのが、当たり前の前提でした。
平日の昼時のレコードでのクラシック番組でしたが、運よく、テスト週間で早帰りで、疑心暗鬼で聴くことができました。
しっかり「アバドとウィーンフィルの演奏で」と放送されました。
でも、当時より、アバドの全てを知っていたつもりのわたくしは、これは間違いだ、ベートーヴェンの8番とデータを取り違えているんだと思いつつ聴き、聴き終え、クリップスとウィーンフィルの演奏であろうということで、納得させた当時の自分でした。
でも、こうして、71年のオーストリア放送協会での録音の復刻を聴いてみると、時代的な裏付けもふまえても、きっとあのNHK放送は、この音源であったろうということを確信したのが、これを聴いた昨秋のことなどでありました。
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そう、ウィーン情緒を感じ取れる、まさにクリップス風の柔らかなシューベルト。
でも、ここにある歌心は、アバドの知的ななかにもあるイタリア心とも裏返しにあり、柔らかな中にも、劇的な局面も聴いてとれます。
「未完成」においては、遠い昔の自らの懐かしの記憶でありますミュンシュとクリップス、その間にあるような演奏だと、このアバド盤を聴いて思ったりもしました。
「第5」は、もう、ウィーンフィルのウィーンフィルである音色が満載。
CDのリブレットに、当時のオーケストラメンバーの一覧が掲載されてますが、をれを見ても懐かしいウィーンフィル。
そう、ウィーン情緒を感じ取れる、まさにクリップス風の柔らかなシューベルト。
でも、ここにある歌心は、アバドの知的ななかにもあるイタリア心とも裏返しにあり、柔らかな中にも、劇的な局面も聴いてとれます。
「未完成」においては、遠い昔の自らの懐かしの記憶でありますミュンシュとクリップス、その間にあるような演奏だと、このアバド盤を聴いて思ったりもしました。
「第5」は、もう、ウィーンフィルのウィーンフィルである音色が満載。
CDのリブレットに、当時のオーケストラメンバーの一覧が掲載されてますが、をれを見ても懐かしいウィーンフィル。
いまや絶滅危惧種的と化した、オーケストラの個性的な味わいがここにあると聴いてとれました。
グローバル化したオーケストラの世界。
ウィーンフィルも例外でなく、70年代は、まだまだかつてのウィーンの音色を保ってました。
鄙びたオーボエ、柔和なフルート、甘味なクラリネット、もっこりしたファゴット。
ホルンも丸くて耳に美味。
そして琥珀の弦楽器は、ムジークフェラインの響きそのもの。
そして、歌、また歌のアバドの指揮。
あぁ、なんて美しいんだろう。
正月1日の朝から、耳のご馳走をたらふくいただきました。
もう帰ってこない組み合わせのシューベルトでした。
グローバル化したオーケストラの世界。
ウィーンフィルも例外でなく、70年代は、まだまだかつてのウィーンの音色を保ってました。
鄙びたオーボエ、柔和なフルート、甘味なクラリネット、もっこりしたファゴット。
ホルンも丸くて耳に美味。
そして琥珀の弦楽器は、ムジークフェラインの響きそのもの。
そして、歌、また歌のアバドの指揮。
あぁ、なんて美しいんだろう。
正月1日の朝から、耳のご馳走をたらふくいただきました。
もう帰ってこない組み合わせのシューベルトでした。
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コメント
今年もよろしくお願い申し上げます。
アバドの音源は総じてウィーンフィルとの録音が好きです。
ベートーヴェンの交響曲全集もウィーンフィル盤の方をよく聴きます。
常任指揮者だったベルリンフィルとの録音は何故かあまり聴きません。
ブラームスの交響曲全集も4曲別のオケを指揮した方が好みです。
そう言えば、同じ企画がクーベリックのベートーヴェン交響曲全集にも
ありましたね。
投稿: よしお | 2019年1月 3日 (木) 10時53分
よしおさん、遅ればせながら、こちらこそよろしくお願いいたします。
アバドは、ウィーンとの若いころからの付き合いが長いので、お互いの個性が一体化しているように思います。
ベルリンでは、やはり就任当初はオケに遠慮がちだったかもしれません。しかし、病に倒れる前後から、ベルリンフィル自体がアバドに心酔していったかのようなコンビになったと思います。
そして、ウィーンもベルリンも等しく大好きで聴いてます。
ウィーンともブラームスを全曲やってほしかったですし、晩年には、ルツェルンでブラームスを企画していたのに残念です。
投稿: yokochan | 2019年1月 6日 (日) 11時15分