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2019年1月18日 (金)

スメタナ 交響詩「わが祖国」 ビエロフラーヴェク指揮

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菜の花がもう満開の吾妻山。

1月4日に撮りましたが、現在、「菜の花ウォッチング」開催中。

再三、書いてますが、この町で、のほほんと育ったわたくしは、この山の麓にある小学校と、海沿いにある中学校に通ってました。

二宮金次郎像があって、木造の由緒正しき校舎はいまやありませんが、校庭には大きな楠の木がいまだに立ってます。

折に触れ帰っては、海と山を見て、郷里への想いを強くしてます。

ということで、「わが祖国」を。

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   スメタナ  交響詩「わが祖国」

     イルジー・ビエロフラーヴェク指揮

        チェコ・フィルハーモニー管弦楽団

            (2014.5.12 @スメタナホール、プラハ)

これまた何度も書いてるかもしれませんが、けっこう集めちゃう「わが祖国」。
最近でこそ、あまり訪問しなくなったCDショップで、必ずチェックしてみる棚が、「わが祖国」。
同じく、チェック先は、「幻想」に「チャイ5」に、「ディーリアス」を中心に英国もの全般。

「モルダウ」も素晴らしい名品だけれども、やはり連作交響詩としての「わが祖国」を通して聴くことの、音楽体験としての充実ぶりには及ばない。
しかも、レコード時代は2LPだったけど、CDでは、ちょうど1枚に収まる。
「第九」と同じく、CDになってからのメリットを、とても感じるのが「わが祖国」。

それから、自国のアイデンティティを鼓舞し、自国愛を歌うことで、それが等しく世界の共感をえるのが「わが祖国」。

そう、なんだかんだで、「わが祖国」なのであります。

6つの連作交響詩は、5年に渡って作曲され、ボヘミアへの溢れんばかりの思いがつづられ、モティーフも関連付けがなされ、結果として、ひとつの大きな流れをもつ大交響詩となりました。

1.「ヴィシェフラド」 モルダウ川沿いの古城、その城の栄枯盛衰を描く

2.「モルダウ」    スメタナが残した幻想的な注釈を読みながら聴くと
             新たな感動も

3.「シャールカ」   伝説の女傑シャールカが恋人に裏切られ、
           仲間の女戦士とともに、敵の男衆を皆殺ししてしまう
           ・・・怖いよ

4.「ボヘミアの森と草原から」 
           ボヘミアの自然賛歌と、市井の田舎の祝宴の様子
        
5.「ターボル」  キリスト教宗教改革の一派、フス教徒の拠点の街ターボル
        旧弊な教会サイドとの闘いは、チェコ民族の団結を強くした。

6.「ブラニーク」 フス教徒の戦士が眠る山、ブラニーク。
           国家存亡のとき、
           その亡国を思い戦士は蘇えり聖戦へ導くとされる
           ここに至り、戦士の動機と祖国への愛の旋律が合体し、
           高らかな勝利へ♪

過去の伝説と溢れる自然を交響詩に描きだしたスメタナ。
国のあふれる希望と期待を、その音楽に折り込んだ。
しかし、チェコがその後、大国に翻弄され苦難の道を歩んだのは、ドイツ・オーストリアに近いことや、その後すぐに東側に組み込まれたことで、歴史が示すとおりであります。

でも、苦難のときも、ビロード革命の末、民主化されたのちにも、常にチェコにあったのは、このスメタナの「わが祖国」であり、チェコ・フィルハーモニーであり、さらにチェコ出身の指揮者たちであったのです。

ちなみに、歴代のチェコフィルの指揮者たちは、チェコスロヴァキアの政治体制とまったく呼応するように、その進退を繰り返してます。
クーベリックは、戦後、共産体制になったことを受け、西側に亡命。
アンチェルは、68年のプラハの春のチェコ事件で楽旅中にカナダに亡命。
ノイマンは、東ドイツで活躍しつつも、アンチェルの後を受け、プラハの春に故国へ召還。
しかし、東側体制崩壊の1989年のビロード革命では、音楽面で大きな役割を担い、一貫してチェコのために生き抜いた。

以降は、チェコは、開かれた民主主義の国として、中欧の勤勉な国民のもと、穏やかな国として存在してます。
自国出身の指揮者として、1990年に就任したビエロフラーヴェクは、3年で退任し、その後、アルブレヒト、アシュケナージ、マカール、インバルを経て、2012年に、再びチェコフィルに復帰しました。
 その間、ビエロフラーヴェクは、国内ではオペラ、海外では世界中のオーケストラに客演し、なかでもBBCsoの首席指揮者になったことが、そのキャリアの上でも、最高のステップアップになりました。
フレキシビリティの高い優秀なBBC響は、ロンドンのなかでもLSOに次ぐ実力オケだと思ってます。プロムスでも多彩な演目をこなし、ビエロフラーヴェクは、イギリス国民のお祭り的なラストナイトを何年も指揮してました。

今回、取り上げた「わが祖国」は、ビエロフラーヴェクとチェコフィルが2014年のプラハの春音楽祭の恒例オープニングを飾った際の模様で、ゲネプロかなにかからの録音です。
最初の音楽監督就任時の1990年にも「わが祖国」は録音されていて、そちらも端正かつ、正しき演奏なのですが、時を経て、経験も経ての2014年盤は、それ以上に練れて、充実した内容となっておりました。

演奏タイムは、90年も14年も、ともに77分ほどで、ほぼ同じ。
あれこれ細かいことはせずに、王道のストレートな解釈なのですが、後年のものは、ともかく恰幅がよくなった感じで、堂々としているのです。
 この連作は、チェコの自然や生活、遺跡をそのままに歌い上げた1,2,4と、歴史の史実を掘り返してみせたような生々しい3,5,6とで、2種類の性格があるように思います。
それらをともに、きっちりと描きわけている点でも完璧だし、チェコフィルに沁みついた心の歌ともいうような旋律やモティーフが、それぞれに、あるがままに歌われること、同じアイデンティティを持った者同士でないとできない自然さであります。
 ふたつのこの連作作品の性格要素が、最後の「ブラニーク」で感動的に結実し、高らかに歌い上げられるとき、いつも以上に心よりの高揚感に満たされました。
優等生的解釈ながら、その正統ぶりには、誰しも真似できない近づき難いものに思われました。

かえすがえすも、病気とはいえ、ビエロフラーヴェクの早かった死が悔やまれます。
思えば、チェコフィルのチェコ出身指揮者たちは、みんな早世でありました。

ビエロフラーヴェクの後を継いだのは、セミョン・ビシュコフ。
チャイコフスキーの交響曲を順次録音中のようです。

フルシャとネトピル、若い次の世代も着実にきてます。

しかし、中欧・北欧・東欧、ロシアの作曲家たちって、祖国への熱い思いを、思い切りその作品に反映させているし、国民たちもそれを愛し、誇っています。
国民たちは、その思いを、同じく愛国心として吐露しています。
 なんだかうらやましい。
日本では。。。。

Azuma_02

今回、スコアを見ながら聴きましたが、ほんと、よく書けてる。
波乱万丈のスメタナ、失聴していたとは驚きです。

そして、チェコフィルの音は美しい♪

わが故郷から。

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コメント

yokochan様、また失礼いたします。
還暦過ぎの現在まで東京以外の地で暮らしたこともなく、また半世紀ほどを都心部で過ごしている身としては文字通りの「わが祖国」をお持ちの方々が心底羨ましく感じます。四季の花々を前景に富士山を臨むことが出来る故郷は素晴らしいの一言ですね。強いて自分にとっての原風景を挙げるならばヴルタヴァ(モルダウ)ならぬ隅田川かも(苦笑)。
最初に購入した「わが祖国」全曲は高2の頃、クーベリック/BSOのDG盤でした。オレンジ色のカートンボックスでしたが、ヒューエル・タークイ氏によればクーベリックのBSO就任記念盤としてリリースされるはずだったのがドタキャンで小澤さんに決まったとか。それはともかく「高い城」冒頭の2台ハープから幼い心を鷲掴みにされたので'75年のバイエルン放送響との来日公演を狙ったのですが、思案の末マーラー9番の日を選びました。ところがご存知かと思いますが、予定されていた日比谷公会堂ではマーラーは出来ないとのクーベリックの判断で最終日の文化会館へと日程変更になり、学校を早退してあたふたとチケットの変更に駆けつけた次第です。
まあ首尾良くマーラーに接し、これもまた十年後のバーンスタインの名演に次ぐ感銘を受けたのですが、「わが祖国」は'91年のチェコ・フィルとの公演を聴き逃したのが痛恨事です。アルトゥスの良質なライヴ盤はありますが。
またビエロフラーヴェクのチェコ・フィル復帰後の早すぎる死も残念至極です。これから真の夕映えが訪れるはずだったのでしょうに。
それにしてもこの「わが祖国」や「美しく青きドナウ」「フィンランディア」などを聴くにつけ、希んでも詮ないことながらそういった音楽作品を持たない国民の不幸を感じざるを得ませんね。
いつもながらとりとめの無いコメントで失礼しました。今後も楽しみにしております。

投稿: Edipo Re | 2019年1月19日 (土) 05時36分

Edipo Reさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。
「わが祖国」は、ほんと、良くできた作品で、久しぶりに全曲を通し聴きすると、心より感動します。
 そもそもの、この作品との出会いは、お書きになってらっしゃる、クーベリックとバイエルンの来日公演のFMやテレビ放送です。マーラーは、日比谷から上野に場所変えがなされましたが、わが祖国は文化会館のまま。
神経質そうなクーベリックの登場でしたが、曲が進むごとに、顔が紅潮し、熱気にあふれてゆく指揮姿を今でも覚えてます。
 クーベリックのボストン就任がなされなかったのは、同時期のメットの関係とリンクしているのではないかと思います。
 クーベリックも祖国の運命にともに翻弄された指揮者のひとりでしたね。
そういう意味では、ビエロフラーヴェクも。
チェコフィルの「わが祖国」に、また外すことのできない名盤が加わわりました。

 わが故郷と言える場所があること、たしかに、恵まれているかもしれませんが、千葉と東京にも縁が強くて、どこもかしこも好きですし、故郷のひとつとも言えたりもします。
いえいえ、春のうららの墨田川も、とてもうらやましい風景です!

投稿: yokochan | 2019年1月21日 (月) 08時54分

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