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2019年3月

2019年3月18日 (月)

ベルク ヴァイオリン協奏曲 

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先週の河津桜と東京タワー。

芝公園の一角で、四季折々の花がきれいに整備され、美しく咲きます。

寒暖の差も大きく、その歩みは一進一退なれど、春はそこまで。

年中聴いてますが、とりわけ桜の季節に、そして沈丁花の香りが漂いだすころに聴きたくなるのがベルクの音楽。

何度かしか経験はないが、ベルクのオペラを観劇したあとは、歩く足元もふわつき、どこか割り切れない不条理さにさいなまれ、そして周辺の空気が甘く感じたりして、官能的な思いに浸りながら帰宅した思いが何度かある。

もう、33年前に初めて観た二期会の若杉さん指揮する「ヴォツェック」の帰り、モクレンの香りだったか。
そして、10年前に琵琶湖まで飛んで行った、「ルル」。
その時の帰りは、湖畔を散策しながら、ほてった頬を冷ましながら、怪しいまでに美しい湖面に浮かぶ月を眺めたものだ。

かようにして、わたくしのベルクへの想いは、香りや、光といった五感の一部とともに印象付けられているのだ。

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    ベルク  ヴァイオリン協奏曲

           ~ある天使の思い出に~


        Vn:ギドン・クレーメル

    サー・コリン・デイヴィス指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1984.3 ミュンヘン)

初めて買ったベルクのヴァイオリン協奏曲の音源が、クレーメル盤。
外盤で出て即、買った。
何度も、何度も聴いた。
とりわけ、日曜の晩、床に就く前に、グラスを傾けながら聴くと、より切ない感じになってたまらなかった。。

クレーメルの硬質な、ちょっと神経質な音色もいいが、ほんとは、も少し色が欲しいところ。
でも、デイヴィスとバイエルンの暖かな音色はいい。


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              Vn:ヘンリク・シェリング

    ラファエル・クーベリック指揮 バイエルン放送交響楽団


             (1968.5 ミュンヘン)

そして、その次に買ったのが、LP時代の名演、シェリングとクーベリックのもの。
気品ある端正なヴァイオリンに、クーベリックとバイエルンのこれまたマーラー仕込みの柔らかな響き、この融合にヨーロッパの音楽の流れと歴史を感じる。
この1枚は、ほんとうに気に入った。いまでも大好き。

そして、ベルクのヴァイオリン協奏曲を次々に入手、エアチェックも多数。

ちょいと羅列すると、渡辺玲子、パイネマン、ズッカーマン、スピヴァコフ、スターン、ブラッヒャー、ファウスト、アラベラ・シュタインバッハ、ツィンマーマン、テツラフ、ムローヴァ、堀、アモイヤル・・・・まだあるかも。

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        Vn:イザベル・ファウスト

    クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

               (2010.12@マンツォーニ劇場、ボローニャ)


アバドの指揮する3つの音源。
ソリストも、オーケストラも、いずれも違う。
ムローヴァ(ベルリンフィル、エアチェック音源)、ブラッヒャー(マーラー・チェンバー)、ファウスト(オーケストラ・モーツァルト)。
豊饒さと激性、でも豊富な歌いまわしのムローヴァ盤、気脈の通じた、元コンサートマスターとの自在かつ、緻密なブラッヒャー盤、そして、いまのところ、ベルクのヴァイオリン協奏曲で、一番と思っているのが、イザベル・ファウスト盤。
がっつりと音楽の本質に切り込むファウストのヴァイオリンと、モーツァルトを中心に古典系の音楽をピリオドで演奏することで、透明感を高めていったアバドとモーツァルト管の描き出すベルクは、生と死を通じたバッハの世界へと誘ってくれるような演奏に思う。

過去記事より、曲についてのこと。

1935年、オペラ「ルル」の作曲中、ヴァイオリニストのクラスナーから協奏曲作曲の依嘱を受け、そして、その2カ月後のアルマ・マーラーとグロピウスの娘マノンの19歳の死がきっかけで、生まれた協奏曲。

「ある天使の思い出に」と題されたこの曲がベルク自身の白鳥の歌となった。

第1楽章では、ケルンテン地方の民謡「一羽の鳥がすももの木の上でわたしを起こす・・・」が主要なモティーフとなっていて、晩年、といっても40代中年の恋や、若き日々、夏の別荘で働いていた女性との恋なども織り込まれているとされる。

こうしてみると、可愛がっていたマノンの死への想いばかりでなく、明らかに自身の生涯への決裂と追憶の想いが、この協奏曲にあったとされる。

その二重写しのレクイエムとしてのベルクのヴァイオリン協奏曲の甘味さと、バッハへの回帰と傾倒を示した終末浄化思想は、この曲の魅力をまるで、オペラのような雄弁さでもって伝えてやまないものと思う。

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     バッハ     カンタータ第60番「おお、永遠、そは雷のことば」

        A:ヘルタ・テッパー
        T:エルンスト・ヘフリガー
        Bs:キート・エンゲン

     カール・リヒター指揮 ミュンヘン・バッハ管弦楽団
                   ミュンヘン・バッハ合唱団

                  (1964 ミュンヘン)


ベルクが、引用したバッハのカンタータ。
1723年の作曲で、イエスの行った奇跡を著した福音書をもとに、「恐怖と希望の対話」をえがいたもの。(解説書より)

死に怯える「恐怖」と、一方で、奇跡が起こる強い信仰を持つ「希望」との対話。
やがて、お互いが寄り添い、希望の喜びを歌う。

このカンタータの最後におかれたコラールが、ベルクがその旋律を引用したもの。
ここに聴くバッハの原曲も、憧れとどこか、終末観を感じさせるもので、リヒターのアナログ的な演奏も懐かしく、甘いものがある。
信仰とは、ときに、甘味なるものなのだ。

 「足れり、主よ、み旨にかなわば、割れを解き放ちたまえ!
  わがイエス来たりたもう。いざさらば、おお、世よ!

  われは天なる家に往くなり。われは平安をもて確かに往くなり。
  わが大いなる苦しみは地に葬られる。 足れり」  (訳:杉山 好)

ふたつの作品を聴きつつ過ごした日曜。

朝晩はまだ寒いが、日中は、暖かさに、鼻腔をくすぐる芳香を感じる。

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2019年3月10日 (日)

アンドレ・プレヴィンを偲んで ②

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サー・アンドレ・プレヴィン(1929~2019)を偲んで。

ベルリンで、ユダヤ系の両親の元に生まれたが、音楽の素養は、弁護士で会った父親譲りのもので、5歳からピアノを学びはじめたことによる。
ナチス台頭で、パリに逃れ、そこから家族でアメリカへ。
そして作曲家の伯父のいるカリフォルニアのビヴァリーヒルズに住み、そこでピアノと作曲をさらに学び、学業がてらMGM映画の音楽の仕事も始め、19歳で映画音楽も担当するなど、めきめきと才能を開花させていった。。。

1948年頃、ハリウッドで活躍を始めたプレヴィンだが、ちょうどその頃は、コルンゴルトが映画音楽から、再度、本格クラシックの作曲に戻り、ウィーンで再起しようとしたものの、すでに時代に取り残されたことを悟り、ふたたび、ハリウッドに戻らんとしていたころ。

プレヴィンとコルンゴルト、このふたりの接点をこうして思うのもまた楽しいものです。

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   コルンゴルト  交響曲 嬰ヘ長調 
    
 J・ウィリアムズにも通じるコルンゴルトの本格シンフォニー。
プレヴィンは、ゴージャスでありながら、重厚かつしなやかな響きをLSOから引き出してます。

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さて、プレヴィンの初期のころの話、ジャズピアニストとして、一気にブレイク。
さらにモントゥーに師事して、1962年セントルイス響で指揮デビュー。
指揮者としてのレコーディングも同時に開始、指揮者、ピアニスト、ジャズピアニスト、作曲家としてのマルチな音楽家、アンドレ・プレヴィンの本格的なキャリアがスタートします。

アメリカばかりでなく、英国を中心にヨーロッパでの活動も盛んになり、ロイヤルフィルとロンドン交響楽団との録音もRCAレーベルに始まります。
1967年には、ヒューストン交響楽団の音楽監督に就任。
さらに、ケルテスの後任として、1968年、ロンドン響から、首席指揮者としての就任を乞われるます。
アメリカとイギリス、ふたつのオーケストラでの活動が始まったものの、妻がありながら、女優のミア・ファーローと同居していたことが保守的なヒューストンでゴシップとなり、プレヴィンはヒューストン響を3年で辞任することになり、この先、長年の蜜月となるロンドン響に専念することとなるわけです。

1968~79年に首席指揮者を務め、その後、85年にロイヤルフィルの音楽監督になったこともあり、ロンドン響とは、ちょっと疎遠になるものの、後に桂冠指揮者、そして最後には、名誉指揮者となりました。

ロンドン交響楽団とは、ほんとに多くの録音が残されてます。
首席指揮者時代は、EMIに、名誉指揮者時代はDGに。

ロンドン響との録音で、このコンビの多様な魅力が味わえる2つ音源。

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プレヴィンは、バーンスタインのように、語りも巧みで、BBCで、一般向けのクラシック番組解説付きで放映し、それが大ブレイクして、そのカジュアルな雰囲気も相まって、大人気となりました。

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その番組「ミュージック・ナイト」で取り上げた曲を集めた2枚。

自作の番組テーマ曲、ウォルトンの「戴冠式行進曲」、「魔法使いの弟子」、アルビノーニのアダージョ、「ヘンゼルとグレーテル」序曲、ラ・ヴァルス、スラヴ舞曲、「ルスランとリュドミラ」序曲、バーバー「弦楽のためのアダージョ」、ファリャ「三角帽子」、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、バターワース「青柳の堤」、J・シュトラウス「皇帝円舞曲」

このあと、何度かの再録音もある、プレヴィンのレパートリーの根幹がここにあります。
いずれも爽やかに、親しみやすく、音楽を聴かせてくれます。
今回は、ことさらに、バーバーのアダージョと、バターワースの作品が、とても心に沁みました・・・・

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ロンドン響との、大きな功績のひとつは、ラフマニノフと並んで、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を手掛けたこと。

レコード時代に、ことさらにパノラマティックな作品の「海」と「南極」を入手し、ボールとのレコードとともに擦り切れるくらいに聴いた。

こういう大きな作品をわかりやすく聴かせることにかけても。プレヴィンは名人だった。
CD化され、ほかの番号も、さらに、ロイヤルフィルとの再録もすべて聴いたが、さまざまな作風のV・ウィリアムズの多彩さと抒情性を、これまたよく描いていて、RVW作品の自分にとっての、ひとつの道標ともなりました。

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プレヴィンは、ロシア系の音楽も広範に取り上げ、大いに得意にしてました。

ロンドン響とは、チャイコフスキーの3大バレエを録音し、そのビューティフルな演奏に虜となりました。
またプロコフィエフは、交響曲とバレエ音楽を幾度も録音。
切れ味のよさと、憂愁とを巧みに表出。
そして、ショスタコーヴィチも多く取り上げ、残した番号は、4、5、6、8、10、13番。
プレヴィンの持つ音楽性は、案外、低域を重たく表現することが多く、ショスタコの暗い響きをよくつかんでいました。

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プレヴィンとロンドン響との英国音楽もたくさん。
もちろん、ロイヤルフィルともありますが。
そのRPOとともに、エルガーの主要な管弦楽作品を残してくれました。
1番よりも、ノーブルさと憂愁さのまさる2番の方が、プレヴィンには合ってました。
N響では、取り上げてくれませんでしたが、コンセルトヘボウとのライブもFMで聴きました。
ホルストの「惑星」も、「エグドン・ヒース」も忘れ難いですが、親交のあったブリテンの「春の交響曲」が曲の内容とともに、そして爆発的な春の訪れを描くプレヴィンの指揮が素晴らしい1枚です。

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ロンドン響とは、オケのフレキシビリティも加わって、協奏曲の録音も数多いです。
合わせものが、とてもうまかったプレヴィン。
協調性と優しさ、ソリストを立てる巧さにおいて、みんなが共演を望んだ指揮者がプレヴィンです。
オーマンディ、マリナー、ハイティンク、アバドなども、みんな協奏曲の達人だと思います。
ルプとの、シューマン・グリーグ、アシュケナージとのラフマニノフにプロコフィエフなどが、その代表格でしょう。

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1976~84年には、ロンドン響と一次兼任で、ピッツバーグ交響楽団の音楽監督となります。

ピッツバーグは、ケチャップのハインツがオーケストラを支える資本のメインで、そのメインホールもハインツホールと言うくらい。
プレヴィンは企業の資本家筋とも実にうまくやって、さらに、レコーディングの檜舞台から遠ざかっていたオーケストラを、メジャーレーベルに復活させました。
ピッツバーグ時代のわたくしの思う代表作ふたつ。

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ロンドン響とのガーシュインが、実にナイスなんですが、あえてピッツバーグで。
ちょっと重心が低い感もありますが、フィリップスの見事な録音もあいまって、歌い心地満点のジャジーなガーシュイン
発売当時、ニッサンのブルーバードのCMに使われてました。
やりそうでやらなかったチャイコフスキーの後期交響曲を、ようやくピッツバーグで録音。
あせらず騒がず、堂々たるチャイコフスキーでした。

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ピッツバーグのあとは、ロンドンに戻り、ロイヤル・フィルハーモニー(RPO)の音楽監督に迎えいれられます。

ロンドンの5大オケのなかでは、やや低迷していたRPOを、これまたメジャーレーベルに再び登場させたのです。
EMI,フィリップス、テラークという幅広いレーベルに、かつてLSOと入れたレパートリーを再録音。
でも、LSOの旧録音の方が、よかったりもした部分もありました。
しかし、本格的なドイツ音楽を録音し始めたのもRPO時代であります。

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ブラームスの交響曲は、3番と4番しか指揮しなかった(はず)。
N響でも素晴らしかったけれど、このRPO盤は、意外なほどに渋く、かっちりとまとまっており、しなやかなロマンティシズムを感じさせます。
好きな4番のひとつです。
 そして、全曲は完成しなかったが、ベートーヴェンの交響曲をRPOで残しました。
こちらも至極オーソドックスで、クリアーな、もやもや感ゼロのベートーヴェン。
RPOの無色透明なサウンドがお似合いで、深みはないが、曲の良さし感じさせない演奏。
アックスとピアノ協奏曲全集を入れているので、交響曲の再発とともに、望んでおきたい。

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ロイヤルフィルと兼ねるように、再びアメリカへ。

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ロサンゼルス・フィルハーモニックには、1986~89年に音楽監督として、ジュリーニがヨーロッパへ帰ったあとの空席を救います。
ロス時代の録音は、フィリップスとテラークへ。

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テラークへのドヴォルザークの後期3大交響曲。
一番得意にしていた、8番。
ジャケットとともに、懐かしさと人なっこさを感じさせるハートウォームな佳演。
ちょっと乾き気味の録音のせいもあるけれど、カラッとしたロスフィルのカリフォルニアサウンドが実によろしい。
 同様に、明るめなプロコフィエフも機能性高いロスフィルあってのもので、ばっちり決まってる。5番よりも、6番の方がいい。
あと、アレクサンドルネフスキーもLSO以来、LAPOで再録しました。

アメリカのオーケストラとは、シカゴとフィラデルフィアでも録音を行いました。
終焉の地もアメリカでした。
ロスフィルを卒業しましたが、プレヴィンは、アメリカではバーンスタインに次ぐ、自国の巨星となったのでした。

プレヴィン最後の指揮者としてのポストは、オスロ・フィルハーモニーで、2002~06年。
ヤンソンスの後を継いだ訳ですが、さしたる録音は残しませんでした。
FMで放送された、ラフマニノフの2番を録音しましたが、相変わらずのプレヴィンらしい、聴かでどころのツボを押さえた見事な演奏でした。
ほかの録音も、今後、どこからか出てこないものでしょうか。

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プレヴィンは、ウィーンフィルとも相思相愛の仲でした。
ウィーンフィルとは、ザルツブルク音楽祭の来演のかたちで、一度来日し、モーツァルトだけの演奏会を行いましたが、これは聴きもらしました。
でも、この時行われた、キュッヘルを中心とするウィーンフィル四重奏団と、2曲のピアノ四重奏曲を演奏しました。
これを聴くことができましたが、それこそ至福のひととき。
ホール中が、まろやかなウィーンのモーツァルトの響きに包まれてしまいました。
CDでも、彼らの演奏は、とても大好きで、大切に聴いてます。

グローバル化しつつあったウィーンフィルの本来の響きや音色を、無理なく自然に引き出すことができたのが、プレヴィンだったのです。

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プレヴィンの軽やかなピアノも、ウィーンフィルのまろやかな響きも、ともに楽しめるのが、モーツァルトのピアノ協奏曲の17番と24番。
EMIにボールトの指揮でも、録音しておりましたが、ここでは、フィリップスの素晴らしい録音もあいまって、ほんとに素敵な、ステキすぎるモーツァルトが、一杯つまってます。
 そして、R・シュトラウス!
オーケストラ作品と協奏曲を、ほぼこのコンビで録音してくれました。
主だった作品はテラークレーベルに入れましたが、とりわけ、「アルプス交響曲」と「ドン・キホーテ」や「死と変容」、さらにフィリップスへの「メタモルフォーゼン」、DGへの「家庭交響曲」は素晴らしいと思います。
 でも、ここでは、オペラからの管弦楽作品を集めた珠玉の1枚を。
芳醇な「ばらの騎士」にうっとりとしてしまいますが、「インテルメッツォ」の軽やかさと、舞曲の心躍る楽しさ、そして、枯淡のような「カプリッチョ」、月光の音楽のしたたるような美音。
プレヴィンの音盤のなかで、シュトラウスのオペラ好きとしても、一番好きな1枚かもしれません。

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オペラといえば、プレヴィンの指揮したオペラ作品は、ラヴェルの2作と、「こうもり」ぐらいしかないかもしれません。
イタリアオペラやワーグナーとも無縁。
R・シュトラウスのオペラを録音するような話もたしかありましたが、実現はしませんでした。
 むしろ、オペラは自ら作曲をする方でありました。
「欲望という名の電車」は、映像で一度観たのみで、詳細はあまり覚えておらず、語れません。
いつか音源も入手したいところです。
自作では、「ハニー・アンド・ルー」がCDも実演も、両方聴いてますので、好きな作品です。

ジャズの分野は、またいずれ、日を改めたいと思いますが、あんまり聴いてません。

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さて、われわれ日本人にとってうれしかったのは。NHK交響楽団の首席客演指揮者となっていただいたこと。
もしかしたら、後期のことゆえ、賞味期限切れとも思われたりもしました。
元来、首が悪く、猫背の症状もさらに悪化していた2007年以降、常に来日して、プレヴィンの元来のレパートリーを数々、披露していただきました。

ここぞとばかり、その、ほぼすべての演目を貪るように聴きました。
お得意の、弾き語りのモーツァルト、ラフマニノフの2番や、ショスタコ、プロコフィエフのいずれも5番、ブラームスに、R・シュトラウス・・・、ともかく、プレヴィンの、これまでの集大成ともいえる音楽を、N響にて聴くことができたのです。

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老いて、背中も曲がり、かつての、スマートで、しゃきーーんとしたプレヴィンとは大違いの、好々爺的な指揮姿でしたが、N響から引き出す、その音楽は、まさにプレヴィンの音楽そのものでした。

プレヴィンの音楽を、ずっと聴いてきて、最終的に、老いたりとはいえ、日本のN響で、最後の輝きを残してくれたことに感謝したいと思います。


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  3月10日の、芝公園の梅

あとね、この3CD。
コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。

この作品に、3つの録音を残したのも、プレヴィンならではで、ほかにはいません。

ソロに合わせつつ、コルンゴルトのほろ苦い、甘味な世界を描きつくしている、プレヴィンの指揮でした。

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オケごとに、プレヴィンの音楽を振り返りたいとも思いましたが、更新も遅れがち、書けるときに一気に書きました。
長文失礼しました。

サー・アンドレ・プレヴィンの魂が永遠でありますことを♰

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2019年3月 1日 (金)

アンドレ・プレヴィンを偲んで ①

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愛すべき音楽家、そして、日本にもおなじみの音楽家、アンドレ・プレヴィンが、2月28日、亡くなりました。

享年89歳、あと少しで90歳を前にして。(1929~2019)

ロンドン交響楽団の黄金時代を築いたプレヴィン、その死を悼むページがどこのオーケストラのサイトよりも先に出てました。

このブログで、何度も書いてるかもしれませんが、わたくしの敬愛する指揮者は4名、音源も多数聴いてきたし、実演も、記事数も多いマエストロたち。
アバド、ハイティンク、プレヴィン、マリナー。

次々に物故してしまう。
自分もどんどん歳を重ねるとともに。

彼らの演奏を、常に新しいものを聴きつつ楽しんできたけれど、それが止まってしまうことの悲しさよ。

アメリカにとどまって、ローカルなオケを楽しみながら指揮したり、作曲活動も、ゆったりと行っていた、ここ数年。
でも、その活動の報が、まったくキャッチできなくなっていた、この2年ぐらい。

来るべきものが来た、そんな感じです・・・

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今宵は、まず、プレヴィンがあってこそ、世に広まり、いまやコンサートの人気曲のひとつとなったラフマニノフの交響曲を聴いて、プレヴィンを偲んでみました。
ほんとに美しい演奏です。

時間が許せば、ここしばらく、プレヴィンの音楽をたどってみたいと思います。

サー・アンドレ・プレヴィンの魂が、常しえに安らかにありますことを♰

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