アンドレ・プレヴィンを偲んで ②
ベルリンで、ユダヤ系の両親の元に生まれたが、音楽の素養は、弁護士で会った父親譲りのもので、5歳からピアノを学びはじめたことによる。
ナチス台頭で、パリに逃れ、そこから家族でアメリカへ。
そして作曲家の伯父のいるカリフォルニアのビヴァリーヒルズに住み、そこでピアノと作曲をさらに学び、学業がてらMGM映画の音楽の仕事も始め、19歳で映画音楽も担当するなど、めきめきと才能を開花させていった。。。
1948年頃、ハリウッドで活躍を始めたプレヴィンだが、ちょうどその頃は、コルンゴルトが映画音楽から、再度、本格クラシックの作曲に戻り、ウィーンで再起しようとしたものの、すでに時代に取り残されたことを悟り、ふたたび、ハリウッドに戻らんとしていたころ。
プレヴィンとコルンゴルト、このふたりの接点をこうして思うのもまた楽しいものです。
コルンゴルト 交響曲 嬰ヘ長調
J・ウィリアムズにも通じるコルンゴルトの本格シンフォニー。
プレヴィンは、ゴージャスでありながら、重厚かつしなやかな響きをLSOから引き出してます。
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さて、プレヴィンの初期のころの話、ジャズピアニストとして、一気にブレイク。
さらにモントゥーに師事して、1962年セントルイス響で指揮デビュー。
指揮者としてのレコーディングも同時に開始、指揮者、ピアニスト、ジャズピアニスト、作曲家としてのマルチな音楽家、アンドレ・プレヴィンの本格的なキャリアがスタートします。
アメリカばかりでなく、英国を中心にヨーロッパでの活動も盛んになり、ロイヤルフィルとロンドン交響楽団との録音もRCAレーベルに始まります。
1967年には、ヒューストン交響楽団の音楽監督に就任。
さらに、ケルテスの後任として、1968年、ロンドン響から、首席指揮者としての就任を乞われるます。
アメリカとイギリス、ふたつのオーケストラでの活動が始まったものの、妻がありながら、女優のミア・ファーローと同居していたことが保守的なヒューストンでゴシップとなり、プレヴィンはヒューストン響を3年で辞任することになり、この先、長年の蜜月となるロンドン響に専念することとなるわけです。
1968~79年に首席指揮者を務め、その後、85年にロイヤルフィルの音楽監督になったこともあり、ロンドン響とは、ちょっと疎遠になるものの、後に桂冠指揮者、そして最後には、名誉指揮者となりました。
ロンドン交響楽団とは、ほんとに多くの録音が残されてます。
首席指揮者時代は、EMIに、名誉指揮者時代はDGに。
ロンドン響との録音で、このコンビの多様な魅力が味わえる2つ音源。
プレヴィンは、バーンスタインのように、語りも巧みで、BBCで、一般向けのクラシック番組解説付きで放映し、それが大ブレイクして、そのカジュアルな雰囲気も相まって、大人気となりました。
その番組「ミュージック・ナイト」で取り上げた曲を集めた2枚。
自作の番組テーマ曲、ウォルトンの「戴冠式行進曲」、「魔法使いの弟子」、アルビノーニのアダージョ、「ヘンゼルとグレーテル」序曲、ラ・ヴァルス、スラヴ舞曲、「ルスランとリュドミラ」序曲、バーバー「弦楽のためのアダージョ」、ファリャ「三角帽子」、ドビュッシー「牧神の午後への前奏曲」、バターワース「青柳の堤」、J・シュトラウス「皇帝円舞曲」
このあと、何度かの再録音もある、プレヴィンのレパートリーの根幹がここにあります。
いずれも爽やかに、親しみやすく、音楽を聴かせてくれます。
今回は、ことさらに、バーバーのアダージョと、バターワースの作品が、とても心に沁みました・・・・
ロンドン響との、大きな功績のひとつは、ラフマニノフと並んで、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を手掛けたこと。
レコード時代に、ことさらにパノラマティックな作品の「海」と「南極」を入手し、ボールとのレコードとともに擦り切れるくらいに聴いた。
こういう大きな作品をわかりやすく聴かせることにかけても。プレヴィンは名人だった。
CD化され、ほかの番号も、さらに、ロイヤルフィルとの再録もすべて聴いたが、さまざまな作風のV・ウィリアムズの多彩さと抒情性を、これまたよく描いていて、RVW作品の自分にとっての、ひとつの道標ともなりました。
プレヴィンは、ロシア系の音楽も広範に取り上げ、大いに得意にしてました。
ロンドン響とは、チャイコフスキーの3大バレエを録音し、そのビューティフルな演奏に虜となりました。
またプロコフィエフは、交響曲とバレエ音楽を幾度も録音。
切れ味のよさと、憂愁とを巧みに表出。
そして、ショスタコーヴィチも多く取り上げ、残した番号は、4、5、6、8、10、13番。
プレヴィンの持つ音楽性は、案外、低域を重たく表現することが多く、ショスタコの暗い響きをよくつかんでいました。
プレヴィンとロンドン響との英国音楽もたくさん。
もちろん、ロイヤルフィルともありますが。
そのRPOとともに、エルガーの主要な管弦楽作品を残してくれました。
1番よりも、ノーブルさと憂愁さのまさる2番の方が、プレヴィンには合ってました。
N響では、取り上げてくれませんでしたが、コンセルトヘボウとのライブもFMで聴きました。
ホルストの「惑星」も、「エグドン・ヒース」も忘れ難いですが、親交のあったブリテンの「春の交響曲」が曲の内容とともに、そして爆発的な春の訪れを描くプレヴィンの指揮が素晴らしい1枚です。
ロンドン響とは、オケのフレキシビリティも加わって、協奏曲の録音も数多いです。
合わせものが、とてもうまかったプレヴィン。
協調性と優しさ、ソリストを立てる巧さにおいて、みんなが共演を望んだ指揮者がプレヴィンです。
オーマンディ、マリナー、ハイティンク、アバドなども、みんな協奏曲の達人だと思います。
ルプとの、シューマン・グリーグ、アシュケナージとのラフマニノフにプロコフィエフなどが、その代表格でしょう。
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1976~84年には、ロンドン響と一次兼任で、ピッツバーグ交響楽団の音楽監督となります。
ピッツバーグは、ケチャップのハインツがオーケストラを支える資本のメインで、そのメインホールもハインツホールと言うくらい。
プレヴィンは企業の資本家筋とも実にうまくやって、さらに、レコーディングの檜舞台から遠ざかっていたオーケストラを、メジャーレーベルに復活させました。
ピッツバーグ時代のわたくしの思う代表作ふたつ。
ロンドン響とのガーシュインが、実にナイスなんですが、あえてピッツバーグで。
ちょっと重心が低い感もありますが、フィリップスの見事な録音もあいまって、歌い心地満点のジャジーなガーシュイン。
発売当時、ニッサンのブルーバードのCMに使われてました。
やりそうでやらなかったチャイコフスキーの後期交響曲を、ようやくピッツバーグで録音。
あせらず騒がず、堂々たるチャイコフスキーでした。
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ピッツバーグのあとは、ロンドンに戻り、ロイヤル・フィルハーモニー(RPO)の音楽監督に迎えいれられます。
ロンドンの5大オケのなかでは、やや低迷していたRPOを、これまたメジャーレーベルに再び登場させたのです。
EMI,フィリップス、テラークという幅広いレーベルに、かつてLSOと入れたレパートリーを再録音。
でも、LSOの旧録音の方が、よかったりもした部分もありました。
しかし、本格的なドイツ音楽を録音し始めたのもRPO時代であります。
ブラームスの交響曲は、3番と4番しか指揮しなかった(はず)。
N響でも素晴らしかったけれど、このRPO盤は、意外なほどに渋く、かっちりとまとまっており、しなやかなロマンティシズムを感じさせます。
好きな4番のひとつです。
そして、全曲は完成しなかったが、ベートーヴェンの交響曲をRPOで残しました。
こちらも至極オーソドックスで、クリアーな、もやもや感ゼロのベートーヴェン。
RPOの無色透明なサウンドがお似合いで、深みはないが、曲の良さし感じさせない演奏。
アックスとピアノ協奏曲全集を入れているので、交響曲の再発とともに、望んでおきたい。
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ロイヤルフィルと兼ねるように、再びアメリカへ。
ロサンゼルス・フィルハーモニックには、1986~89年に音楽監督として、ジュリーニがヨーロッパへ帰ったあとの空席を救います。
ロス時代の録音は、フィリップスとテラークへ。
テラークへのドヴォルザークの後期3大交響曲。
一番得意にしていた、8番。
ジャケットとともに、懐かしさと人なっこさを感じさせるハートウォームな佳演。
ちょっと乾き気味の録音のせいもあるけれど、カラッとしたロスフィルのカリフォルニアサウンドが実によろしい。
同様に、明るめなプロコフィエフも機能性高いロスフィルあってのもので、ばっちり決まってる。5番よりも、6番の方がいい。
あと、アレクサンドルネフスキーもLSO以来、LAPOで再録しました。
アメリカのオーケストラとは、シカゴとフィラデルフィアでも録音を行いました。
終焉の地もアメリカでした。
ロスフィルを卒業しましたが、プレヴィンは、アメリカではバーンスタインに次ぐ、自国の巨星となったのでした。
プレヴィン最後の指揮者としてのポストは、オスロ・フィルハーモニーで、2002~06年。
ヤンソンスの後を継いだ訳ですが、さしたる録音は残しませんでした。
FMで放送された、ラフマニノフの2番を録音しましたが、相変わらずのプレヴィンらしい、聴かでどころのツボを押さえた見事な演奏でした。
ほかの録音も、今後、どこからか出てこないものでしょうか。
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プレヴィンは、ウィーンフィルとも相思相愛の仲でした。
ウィーンフィルとは、ザルツブルク音楽祭の来演のかたちで、一度来日し、モーツァルトだけの演奏会を行いましたが、これは聴きもらしました。
でも、この時行われた、キュッヘルを中心とするウィーンフィル四重奏団と、2曲のピアノ四重奏曲を演奏しました。
これを聴くことができましたが、それこそ至福のひととき。
ホール中が、まろやかなウィーンのモーツァルトの響きに包まれてしまいました。
CDでも、彼らの演奏は、とても大好きで、大切に聴いてます。
グローバル化しつつあったウィーンフィルの本来の響きや音色を、無理なく自然に引き出すことができたのが、プレヴィンだったのです。
プレヴィンの軽やかなピアノも、ウィーンフィルのまろやかな響きも、ともに楽しめるのが、モーツァルトのピアノ協奏曲の17番と24番。
EMIにボールトの指揮でも、録音しておりましたが、ここでは、フィリップスの素晴らしい録音もあいまって、ほんとに素敵な、ステキすぎるモーツァルトが、一杯つまってます。
そして、R・シュトラウス!
オーケストラ作品と協奏曲を、ほぼこのコンビで録音してくれました。
主だった作品はテラークレーベルに入れましたが、とりわけ、「アルプス交響曲」と「ドン・キホーテ」や「死と変容」、さらにフィリップスへの「メタモルフォーゼン」、DGへの「家庭交響曲」は素晴らしいと思います。
でも、ここでは、オペラからの管弦楽作品を集めた珠玉の1枚を。
芳醇な「ばらの騎士」にうっとりとしてしまいますが、「インテルメッツォ」の軽やかさと、舞曲の心躍る楽しさ、そして、枯淡のような「カプリッチョ」、月光の音楽のしたたるような美音。
プレヴィンの音盤のなかで、シュトラウスのオペラ好きとしても、一番好きな1枚かもしれません。
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オペラといえば、プレヴィンの指揮したオペラ作品は、ラヴェルの2作と、「こうもり」ぐらいしかないかもしれません。
イタリアオペラやワーグナーとも無縁。
R・シュトラウスのオペラを録音するような話もたしかありましたが、実現はしませんでした。
むしろ、オペラは自ら作曲をする方でありました。
「欲望という名の電車」は、映像で一度観たのみで、詳細はあまり覚えておらず、語れません。
いつか音源も入手したいところです。
自作では、「ハニー・アンド・ルー」がCDも実演も、両方聴いてますので、好きな作品です。
ジャズの分野は、またいずれ、日を改めたいと思いますが、あんまり聴いてません。
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さて、われわれ日本人にとってうれしかったのは。NHK交響楽団の首席客演指揮者となっていただいたこと。
もしかしたら、後期のことゆえ、賞味期限切れとも思われたりもしました。
元来、首が悪く、猫背の症状もさらに悪化していた2007年以降、常に来日して、プレヴィンの元来のレパートリーを数々、披露していただきました。
ここぞとばかり、その、ほぼすべての演目を貪るように聴きました。
お得意の、弾き語りのモーツァルト、ラフマニノフの2番や、ショスタコ、プロコフィエフのいずれも5番、ブラームスに、R・シュトラウス・・・、ともかく、プレヴィンの、これまでの集大成ともいえる音楽を、N響にて聴くことができたのです。
老いて、背中も曲がり、かつての、スマートで、しゃきーーんとしたプレヴィンとは大違いの、好々爺的な指揮姿でしたが、N響から引き出す、その音楽は、まさにプレヴィンの音楽そのものでした。
プレヴィンの音楽を、ずっと聴いてきて、最終的に、老いたりとはいえ、日本のN響で、最後の輝きを残してくれたことに感謝したいと思います。
3月10日の、芝公園の梅
あとね、この3CD。
コルンゴルトのヴァイオリン協奏曲。
この作品に、3つの録音を残したのも、プレヴィンならではで、ほかにはいません。
ソロに合わせつつ、コルンゴルトのほろ苦い、甘味な世界を描きつくしている、プレヴィンの指揮でした。
オケごとに、プレヴィンの音楽を振り返りたいとも思いましたが、更新も遅れがち、書けるときに一気に書きました。
長文失礼しました。
サー・アンドレ・プレヴィンの魂が永遠でありますことを♰
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コメント
プレヴィンは昔来日した時に雑誌のインタビューで過去のジャズミュージシャンとしての活動を質問された時、
「ハリウッドの仕事もジャズもあくまで生活の為にやっただけ!私は純粋なクラシックの音楽家ですから!」
と憤然と答えてたのが印象に残っています。
当時の僕は、アカデミー賞を受けた立派な仕事なのに全否定する事もないじゃないか、と釈然としない気分でした。
ただロンドン時代は保守的な音楽批評家から「プレヴィンはポップスの音楽家」的な批判も受け、一部楽団員からも冷淡な反応だったそうですからそういう過剰な反応になったのかもしれません。
その後はジャズピアニストとしてアルバムを出したり、晩年は映画の仕事についてもニコニコしながら語っていたので、そこら辺のこだわりも無くなったのでしょうね。
投稿: | 2019年3月22日 (金) 07時53分
コメントありがとうございます。
ご返信遅くなってしましました。
かくいうわたくしも、LSOの指揮者になったときは、そのポップな服装や髪形、容姿などから、少しばかり反発したりもした記憶がございます。
当時は、小沢さんもはじめ、アバドも、長髪でしたし(笑)。
プレヴィンを好んで聴くようになってから、ジャズや自作品なども視野に入ってきて、「音楽家」としての純粋なプレヴィン像を愛するようになりました。
投稿: yokochan | 2019年4月 6日 (土) 17時18分
プレヴィンさんも遂に帰天され、遺された膨大なディスクも文字通り『遺産』として、受け取るしか無くなってしまいました。協奏曲の弾き振り、同じく指揮のみ、著名なピアニストとの連弾、そして勿論交響曲の指揮と、多彩な御活躍をされ、19世紀生まれのロマン主義、表現主義、新即物主義のマエストロとは一味違う、殊更奇をてらわないけどフレッシュなアプローチ、今でも好きで評価させて戴いております。個人的に愛でるディスクは、EMI原盤のロイヤル・フィルを振り、J・P・コラールと共演の『サン・サーンスピアノ協奏曲全集』でして、プレヴィンの美質が実に良く出ている気が致します。勿論、LSOとのホルスト『惑星』も威圧的にならず、ムード調にも陥らず絶品であります。まだまだ挙げたい録音ございますが、今日はこの辺で‥。
投稿: 覆面吾郎 | 2020年3月22日 (日) 07時49分
プレヴィン去って、はや1年。
その後、ヤンソンスまで亡くなってしまうとは!
お気に入りの指揮者の逝去は、ずっと聴いてきただけに喪失感が大きいです。
元来のクラシック音楽家とは違うスタートをきったプレヴィン。
ロンドン響の指揮者になったことは、そのファッションも含めて、保守的なクラシック音楽業界に新鮮な驚きをもたらしましたね。
これから先、バーンスタインやプレヴィンのようなマルチな音楽家が出てくることはないかもしれませんね・・・
投稿: yokochan | 2020年3月24日 (火) 08時45分
NHK交響楽団との意外な演目は、マーラーの交響曲第9番でしょうか。他に彼のマーラーは、第4番の録音しか無く、youtubeに誰か、映像記録を載せていて、「マーラーを余り採り上げ無かった」指揮者の貴重な演奏です。彼と同時代の、R=シュトラウス作品の管弦楽曲の殆どを録音した経験を、ここで生かしたのか、マーラーに対する彼の関心の薄さは、謎です。
申し訳ないですが、プレヴィン関連で、私はバーンスタイン指揮・プレヴィンのピアノ独奏の、ショスタコーヴィチ作曲のピアノ協奏曲第1番のCDしか、持っていません。
投稿: 荻原理 | 2020年7月28日 (火) 00時31分
荻原理さま、こんにちは、コメントどうもありがとうございます。
N響とのマーラー第9、コンサートは所用で行けず、FM放送も逃してしまいましたところ、わたくしもyoutubeで発見しております。
同じころ、オスロフィルともやっていて、非正規ライブ盤は出ておりますが未聴です。
ご指摘のとおり、マーラーと距離を置いていたように見えるプレヴィンですが、4番以外は、ほんとに想像がつかないです。
同様に、ブルックナーにも無縁のプレヴィンでした。
投稿: yokochan | 2020年7月29日 (水) 08時33分