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2019年4月

2019年4月29日 (月)

バックス 交響曲「春の炎」 マーク・エルダー指揮

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春は、初夏の日差しを伴って、一挙に訪れる。

自然の織りなす色彩は、目にも鮮やかでなかには、人の手で変化し生まれた色合いもあるかもしれないが、「色」を作り出した神の差配に感謝です。

Elder

  バックス 交響曲「春の炎」~Spring Fire~

 サー・マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団

   (2010.3.18 @ブリッジウォーターホール、マンチェスター)

アーノルド・バックス(1883~1953)は、英国音楽好きのわたくしにとって大切な作曲家のひとり。
オペラ以外のジャンルの残された数々の作品、シャンドスレーベルのおかげで、そのほとんどを集めることができました。
生粋のロンドンっ子でありながら、ケルト文化を愛し、イギリス各地を旅して、自らの音楽の作風に反映させていった。

イギリスの作曲家ならではの抒情性と、神秘感あふれるミステリアスな雰囲気、そしてダイナミックな響き、自然の厳しさ、寂しさなども満載のその音楽。
前にも書きましたが、シャープでスモーキーなアイラ・モルトウイスキーを愛でるに等しい、そんなバックスの音楽です。

「春の炎」は、もう11年も前に、このブログで記事にしてますが、そのときの演奏は、ヴァーノン・ハンドリーとロイヤルフィルの演奏のもの。
今回は、英国音楽から、イタリアオペラやワーグナーまで、広範なレパートリーを持つエルダーの指揮によるもので。

7曲ある純粋交響曲の前、1913年のバックスの初期作品のひとつ。
5つの表題のついた楽章からなる、「森」を主人公にした交響詩のようなもの。

1.「夜明け前の森にて」
2.「夜明けと日の出」
3.「一日」
4.「森の国の愛」(ロマンス)
5.「メナド(maenads)」

1.夜明け前、雨が降り注ぐ森。雨の雫を感じさせるような美しく、夢見るような雰囲気。
2.印象派風の曖昧な幻想的な雰囲気から、徐々に音たちが立ち上がってくる日の出の生き生きとした様相。
3.ついにお日様も全開!春、爆発的に来りて、森は陽気な雰囲気に満たされて、あらゆる妖精たちが活動開始。
4.春の森は、愛の森でもある。まさにロマンス、ソロ・ヴァイオリンの甘い音色と、ソフトフォーカスなオーケストラの背景が美しい。
5.ギリシャ神話のディオニュソスを称える女性の取り巻きメナド。神話の中では、狂喜乱舞するという女性たちだが、超自然的な存在の象徴ともとられ、ここではダイナミックなオーケストレーションが駆使され、まるでR・シュトラウス的な眩さがあり、森は眩しくも賑やかな雰囲気につつまれる。

全曲33分、連続して演奏されます。
日本の、緩やかで、ほのぼのとした春とは大違いに、バックスの描いた春は、かくもミステリアスでかつ、ダイナミックなものでありました。

ハレ管のライブ録音である当盤。
ロンドンのオケともちょっと違う、少しばかりローカルな印象も、ケント・ナガノ以来、バリっとした現代的なオーケストラに変貌した。
でも、こうした英国音楽をハレ管で聴くと、いわゆる本場ものという思いを強くする。
音楽への共感の度合いが、指揮者とともに、やはり違うのであろう。
美しくも明るい演奏で、録音の生々しさも手伝って「春」の爆発力を感じます。

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このCDには、あと、ディーリアスの「春への牧歌」「北国のスケッチ」から「春の行進」。
そして、ブリッジの「春の訪れ」が収められてます。

いずれも素敵な曲であり、すてきな演奏です。

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青空も花々も、タワーもまぶしい~

4月最後の、そしてどうやら平成最後のブログ記事となりそうです。

過去記事

「ハンドリー指揮 ロイヤルフィル」

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2019年4月21日 (日)

ワーグナー 「パルジファル」 ブーレーズ指揮

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今日、4月21日は、復活祭。
キリスト教社会においては、降誕祭とともに、最大のお祝いの日。

おりしも、ヨーロッパ諸国では、野山には花咲きほこり、春の到来の喜びと冬への決裂を祝います。

イエスの受難と復活、音楽も数多く、特にこのイースターの時期には、受難曲とパルジファルが演奏されます。

わたくしも、例年、聴きます。

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  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

アンフォルタス:トマス・ステュワート  ティトゥレル:カール・リッダーブッシュ
グルネマンツ:フランツ・クラス     パルジファル:ジェイムズ・キング
クリングゾル:ドナルド・マッキンタイア クンドリー:グィネス・ジョーンズ
聖杯守護の騎士:ヘルミン・エッサー、ベンクト・ルントグレン
小姓:エリザベス・シュヴァルツェンベルク、ジークリンデ・ワーグナー
   ドロテア・ジーベルト、ハインツ・ツェドニック
花の乙女:ハンネローレ・ボーデ、マルガリータ・クリアキ
     インガー・パウシティアン、ドロテア・ジーベルト
     ウェンディ・ファイン、ジークリンデ・ワーグナー
アルト独唱:マルガ・ヘフゲン

   ピエール・ブーレーズ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                バイロイト祝祭合唱団
        合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
        
        演出:ヴィーラント・ワーグナー

          (1970.7,8 @バイロイト)

ブーレーズのパルジファルを、ほんとに久しぶりに全曲聴きました。
1970年のライブ録音は、たしか、72年にレコード発売されました。
ちょうど、その頃から、年末のNHKFMを通して、ワーグナーの音楽にはまり始めていた中学生だった。

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レコードで5枚組。
当時のオペラを始めとする組物レコードは、豪華な装丁と分厚い解説書とで、手に取るとズシリとくる重さでした。
お小遣いも少なかった中学生だったので、レコード店で、この「ブーレーズのパルジファル」を憧れをもって眺めるしかなかったのです。
しかし、その翌年73年には、「ベームのリング」と「ベームのトリスタン」を入手して嬉々としておりました。

その「ブーレーズのパルジファル」を手に入れたのはCD時代になってから。
レコード発売から15年後の80年代半ばのことでした。
レコード5枚から、CD3枚に。
手にした感じも軽量だった。
時代の流れを感じつつも、今聴いても、ブーレーズのパルジファルは、鮮烈だし、色あせることない新鮮さを持って感動させてくれる。

ご存じのとおり、ともかく速い。
快調に聴くことができるが、でも、速すぎるという印象はまったくなく、パルジファルの音楽の魅力が、あますことなく、すべて押さえられていて、文句ありません。
それどころか、聖金曜日の音楽における抜群の高揚感は、ほかの演奏ではなかな聴くことができないほどで、大いに感動します。

対極の演奏に思われるクナッパーツブッシュにある神秘感や、滔々たる時間の流れと舞台の事象や、歌手の言葉に即して、刻々と変わる音の色合いのようなものは、ブーレーズの演奏にはありません。

オーケストラピットからは、整然とした響きが濁ることなく、明瞭に聴き取れ、明るいトーンの音色は神秘感よりは、現実的な音楽としての捉え方として再現されます。
これを聴くと、ワーグナーのパルジファルの先には、ドビュッシーがあり、ウェーベルンがあることを理解できます。

1951年からずっと続いた新バイロイト様式による、ヴィーラント・ワーグナーの演出は、53年にクレメンス・クラウスが振ったのを例外として、クナッパーツブッシュが常に指揮をしてきた。
1965年は、秋に亡くなってしまうクナッパーツブッシュが腰を痛めたため、クリュイタンスが指揮。
そして、1966年にブーレーズがパルジファルを初指揮するが、バイロイト当主のヴィーラントがクナッパーツブッシュ後の指揮をブーレーズに
ゆだねたのは、ラテン系の目線をワーグナーの音楽に持ち込むためだった。
その66年の音楽祭が始まるころ、ヴィーラント・ワーグナーはすでに体を壊してミュンヘンの病院にあって、実際の舞台を監督できていなかったわけで、そのヴィーラントは同年の10月に亡くなってしまうのです。

このときの演奏評を、愛読書のピネラピ・テュアリングの「新バイロイト」から引用します。
>バイロイト秘蔵のクナッパーツブッシュによるパルジファルに比べて、これ以上に著しく違っているケースをほかに想像することは難しい。ブーレーズのパルジファルは、敏捷で軽く(伝統的な荘重さに対して)、しかも思わず人を信服させてしまうようなものであった。
・・・・過去の演奏記録に比べて、タイミング(演奏時間)の幅広い変動にはびっくりしてしまうが、しかし、それでもブーレーズは見事な演奏を繰り広げた。ブーレーズといえあば、現代音楽が連想されるけれども、彼はパルジファルに対して真の愛情と感覚を持ち、パルジファルのなかに、ワーグナーの作品のみならず、オペラ作品全体を通じての転機を認めている。彼の演奏の仕方は、パルジファルを現代人の世界の中にしっかり定着させるようなやり方であるが、しかいそうかといって、ワーグナーの伝統主義者たちの感情を害するようなものでもないのである。<
51年以来、クナのパルジファルを聴いてきて、実際に66年の舞台に接した方の言葉として、とても意義あるものに思います。

ブーレーズは、66年から68年までの3年間、ヴィーラント演出のパルジファルを指揮しましたが、そのあとを継いだのが、69年のホルスト・シュタインで、70年には再度登場し、今回のCDの録音が残されました。
ちなみに、71年から73年までの3年間は、オイゲン・ヨッフムが指揮をして、そこでヴィーラント・ワーグナーの演出は終了となりました。

ブーレーズは、2005年と6年に、へんてこな演出ながら再登場してパルジファルを指揮しましたが、驚くべきことにその演奏の印象は70年のものとあまり変化しておらず、むしろ少し丸くなったような印象を受けました。
しかし、後述のとおり、さらにテンポが速くなってました。
演出のせいかもしれません。

60年代後半から70年代を通して活躍した歌手たち。
その前の、ヴァルナイやメードル、ニルソン、ヴィントガッセン、ホッターたちの大歌手の時代の次世代。
いずれも、ブーレーズの指揮にもうまく乗りつつ、伝統の上にあるワーグナー歌手たちの足跡にも応じた名歌唱と思います。
とりわけ、J・キングのパルジファルは素晴らしい。
この傷を癒すのは、のモノローグでの最後の一音、「den Schrein」を一番きれいに伸ばすのは、いろいろなパルジファル役を聴いてきたけど、キングが唯一。
声の威力と気品、そして苦悩ぶりも申し分なし。
フランツ・クラス、ステュワート、マッキンタイア、リッダーブッシュ、男声低音陣たちが、そろいもそろって美声なのもこのブーレーズ盤のユニークなところ。
そんななかで、ちょっと異質なのがジョーンズかも。
賛否あるけど、彼女の声は大好きなわたくしですが、この頃は、声のコントロールがまだ不十分で馬力が露呈してしまうところも見受けられる。でも、長いモノローグはボリュームを抑え気味にして聴くとなかなかに魅力的であった。
花の乙女や端役に、のちに大活躍する方や、かつてのベテランの名を見出すのもこの時代の良さでありましょう。

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バイロイトでの演奏タイム

 トスカニーニ             4時間48分
 クナッパーツブッシュ(1962) 4時間19分
 ブーレース        (1970) 3時間48分
 シュタイン        (1969) 4時間01分
 ヨッフム         (1971) 3時間58分
 シュタイン       (1981) 3時間49分
 レヴァイン       (1985) 4時間38分
 ティーレマン     (2001) 4時間20分
 ブーレーズ      (2005) 3時間35分
 A・フィッシャー    (2007) 4時間05分
 ガッティ         (2008) 4時間24分
 F・ジョルダン     (2009) 4時間14分
 ヘンシェル      (2016) 4時間02分  

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何度聴いても、パルジファルはいい、そしてよくできてる。
神聖性をあえて取り外そうとする昨今の演出があるなか、この作品は耳で聴いてこそ安心できるのである。

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 野辺の花、パルジファルは、これを見て、かつて自分を誘惑しようとした花たちがいたと歌う。

この聖金曜日の場面でクンドリー、洗礼を受け、はらはらと涙する。

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春の花は、色とりどりに美しく鮮やか。

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2019年4月20日 (土)

バッハ ヨハネ受難曲 ヨッフム指揮

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増上寺の鐘撞堂と桜。

2週前の桜ですが、今年は、長く楽しめました。

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   バッハ  ヨハネ受難曲 BWV245

福音史家:エルンスト・ヘフリガー イエス:ヴァルター・ベリー
ソプラノ:アグネス・ギーベル   アルト:マルガ・ヘフゲン
テノール:アレグサンダー・ヤング ペテロ、ピラト:フランツ・クラス

 オイゲン・ヨッフム指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
             オランダ放送合唱団

           (1967.6 @コンセルトヘボウ)

今年の受難節はちょっと遅めで、聖金曜日が4月19日、復活祭が4月21日。

信者ではありませんが、キリスト教は、身近な宗教で、幼稚園の頃からプロテスタント系の教会の着いた園に学び、大学もミッション系だったので、キリスト教系の学問も必須授業だったりした。
そして、それ以上に、クラシック音楽を親しむうえで、音楽と宗教の関係は密接であり、教会を訪問したり、宗教美術をながめたりするときには、必ず、頭の中に音楽が流れる。

そして、ショックだったのは、大切なイースターを迎える矢先に、パリのノートルダム大聖堂が火災にみまわれてしまったこと。
パリの人、いやフランス人の心の支柱でもあった聖堂が炎につつまれるのを、祈りながら、涙とともにみつめる市民の姿を見て、こちらも泣きそうになった。

同じように、日本人からしたら、法隆寺や薬師寺、東大寺、京の神社仏閣など、いや、それどころか身近にある神社のお社がそんな被害にあぅたらどうだろうか。
あらゆる神に祈りを捧げてきた日本人。
わたくしも、そのなかのひとりで、神さまにも、仏さまにも、イエスや神さまにも、同じように祈る、神さまに対して見境のない典型的な日本人であります。

それぞれの宗教の真の信者の方には申し訳ありませんが、日本人にとっての神さまとは、相対的に「心のよりどころ」であり、古来より自然の中にあるすべてのものに、その恵みの感謝の念を抱いて生きてきたがゆえの存在ではないかと思います。
そして、何千年と続く皇統の御代がずっとお側にあることも、日本人の心には常に安寧をもたらすご存在として大きいのだと思う。

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さて、ヨハネ受難曲ですが、福音史家と各ソロが主体の「マタイ」に比して、「ヨハネ」は合唱の比重が高く、その意味では劇的な要素が高く感じます。
それゆえに、聖書のイエスの捕縛から磔刑の一番劇的な福音劇を、叙事的に緊張感を持って鋭く描いたのは「静」のマタイであり、それをダイナミックに劇的に描いたのが「動」のヨハネであると思います。

個々には触れませんが、イエスの「こと果たされし」と最後の言葉を受けて歌うアルトのアリアには泣かされます。
ヴィオラ・ダ・ガンバのソロを伴った切々たるその歌、その哀しみは時空が止まってしまったかのような深みを感じます。

古楽器を伴った奏法に耳が慣れてしまった昨今、かつての従来奏法による、しかも大編成による演奏に接すると、実家に帰ってきたような安心感と、慣れしたんだおふくろの味、みたいな思いにつつまれます。
コンセルトヘボウの暖かな音色とホールトーン、懐かしい歌手たちの正統的な歌唱も、そんな思いに拍車をかけます。
ヨッフムの温和で、全体を包み込むような優しいタッチの音楽づくりは、健全きわまりないバッハ演奏にふさわしく、ドイツ・ヨーロッパのどこにでもある教会できっと演奏されたらかくも、と思わせます。

マタイと並んで、こんなヨッフムのバッハも、やはり自分には大切だし、日常使いとして、これからも聴いていきたい演奏のひとつだと思いました。

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春は、一挙にやってきて、花々を開かせます。

過去記事

「ヘレヴェッヘ盤」

「シュナイト指揮 コーロ・ヌーヴォ演奏会」

「リヒター盤」

「シュナイト指揮 シュナイト・バッハ管弦楽団」

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2019年4月 7日 (日)

モーツァルト レクイエム ハンニガン指揮

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先週の吾妻山。
まだまだ、桜のつぼみは固くて、数輪がほころんでいただけ。
今頃は、きっと5分咲きぐらいかな。

ネットでミュンヘンフィルの演奏会を鑑賞したので、そちらを記事にしてみます。

指揮は、最近、レパートリーを広げつつある、指揮もするソプラノ、バーバラ・ハンニガン。

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  シェーンベルク 「地上の平和」

  ベルク     ヴァイオリン協奏曲
           ~ある少女の思い出に~

       Vn:クリスティアン・テツラフ

  モーツァルト  レクイエム

    S:エリザベス・カラーニ Ms:トゥーリ・デデ
    T:トーマス・エルヴィン Br:エリック・ロセニウス

  バーバラ・ハンニガン指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
               ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団

           (2019.3.9 ガスタイク、ミュンヘン)

近現代ものを歌う、特異なソプラノ、いや、それも超ド級のテクニックと涼やかで、超クールな美声の持ち主、というイメージのハンニガン。
「ルル」と「グラン・マカーブル」の印象もものすごく強くて、その迫真の演技もすさまじいし、その身体能力もまったく驚きの彼女。

歌いながら指揮もし、指揮ながら歌う。
そんな指揮者としての彼女の、指揮者としての歌わない演奏会。

プログラミングが素敵すぎる。
シェーンベルクの合唱曲に、得意とするベルクの作品、そして自らは歌わないモーツァルトの彼岸のレクイエム。
レクイエムまたは、永遠といったテーマが貫かれてます。

透明感にあふれたシェーンベルクに、怜悧ななかにも、雄弁さを感じさせるテツラフのソロが素晴らしいベルク。
ベルクにおいては、オーケストラはさほどに個性的ではないけれど、終楽章の美しさと和声の響かせ方はなかなかのもの。

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指揮棒を持たずに、しなやかに指揮をするハンニガン。
動画でも多く見れますが、その指揮姿はかなりまっとうで、拍子を取りつつ、片手はしっかり音楽表現を振り分けていて、指揮者としてのその才覚は、大いに納得できるものです。

演奏時間45分ぐらいで、快速モツレクといっていい。
しかし、単なる無味乾燥なテンポの速さだけではなく、ヴィブラートを極力排した見通しの良さから浮かびあがってくる、磨きあげられた音ひとつひとつの光とその影の陰影の強さ。
かなりの集中力と緊張感の表出、音楽への踏み込みと強さとその意思を感じました。
そして、際立つリズムのよさと、明解さ。
アクセントも効きすぎるくらいに効いて、聴きなれたモツレクが極めて新鮮に聴こえました。

そして、面白いのは、後半のジェスマイヤーの手による部分。
ここでは、思い切りメリハリをつけて、繰り返しのマンネリ化を感じさせないように、一気呵成な感じ。
でもかえって、後半の霊感のなさが浮き彫りにされてしまうことも・・

しかし、素敵な指揮ぶりだな、バーバラさん。

Hannigan

彼女は、今度は、ストラヴィンスキーの「レイクス・プログレス」の集中して取り組んでます。
音楽の選択肢が、これまでの女性指揮者にはなかったものだ。

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女性指揮者の活躍が目立ってきた。

ポストを持って、世界を駆け巡る女性指揮者は、これまで数えるほどしかいなかったが、ここ数年は個性的な指揮者も続々登場し、活躍の場も広がっている。
ベテランのお馴染みの女性指揮者と、ハンニガンをのぞく、活躍中の彼女たちを集めてみました。

①イヴ・クウェラー(米)シュトラウスの「グンドラム」をはじめ、オペラ指揮者として成功
②マリン・オールソップ(米) 南北アメリカにポストを持ち、ロンドンでも大活躍、CD多し、取り上げる作品も有名どころから渋いところまで網羅。
③シモーネ・ヤング(豪) 母国とドイツでオペラ指揮者 リング、ブルックナー全曲を初録音した女性 ハンブルクオペラの音楽監督は画期的。
④スサンナ・マルッキ(フィンランド)オペラにたけ、ヘルンシンキフィルの首席指揮者に
⑤アロンドラ・デ・ラ・パーラ(メキシコ) 母国やアメリカから飛び出し、豪のクィーンズランド響の音楽監督へ
⑥エマニュエル・アイム(仏) クリスティ門下 バロック、古楽の指揮者
⑦アヌ・タリ(フィンランド)パヌラ門下 妹とともに自身でオケを創設
⑧ミルガ・グラジニーテ=ティーラ(リトアニア) ネルソンスのあとのバーミンガム市響の指揮者 DGの専属に 彼女は海外配信で一番多く聴いてる。プログラミングも知的だし、音楽の鮮度は抜群。
⑨カリーナ・カネラキス(米) オランダ放送フィル首席に ここ数年Promsで聴いてきたが、オーソドックななかに光るものが
⑩ソフィ・イェアンニン(スゥエーデン) メゾソプラノで、BBCシンガーズの指揮者 バロックから近現代まで、彼女の今後に注目したい
⑪Xian Zhang シャン・ジャン(中国)ミラノのヴェルディ響、NYPOの副指揮者を経てニュージャージー響の音楽監督
⑫Elim Chan エリム・チャン(香港) ハイティンクに師事 スコテッシュ管の首席客演、今年からアントワープ響の音楽監督
ベアトリーチェ・ヴェネッツィ(伊) ヴェルディ音楽院卒 プッチーニ音楽祭首席客演指揮者 オペラに強し プッチーニCD登場予定
オクサーナ・リニフ(ウクライナ) オペラの叩き上げ、グラーツ歌劇場の音楽監督に
ヨアナ・マルヴィッツ(独)ピアニスト 指揮はハノーファーから出発して、いまやニュルンベルク歌劇場の音楽監督に

日本
松尾葉子、三ツ橋教子、西村智実、田中裕子、斎藤友香理、藤本亜希子

以外と知らない、そして聴いたことが少ない日本人女性指揮者たち。
国内で長く活躍する人に加え、海外で活躍中の指揮者たちも増えてきた。
世界の彼女たちも含め、日本のオケもポストを設けて欲しいとも思います。
そして、われわれ聴き手も変わらなくては。
 
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相模湾と富士、かすかに残った菜の花、で、いまは満開の桜。です。

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2019年4月 6日 (土)

バッハ ブランデンブルク協奏曲第5番 アバド指揮

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満開の桜、あとは散るだけとなりましたこの週末。

桜の名所には驚くほどの外国の方が。

日本人のわれわれと同じように、桜を愛で、写真を撮り、その下で楽しんでいる。

桜の咲く日本が誇らしい。

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そして、今週は、5月1日からの新年号「令和」の発表に日本中が沸いた。

清々しく、涼やかでもあり、また美しい語感も伴った年号だと思います。

なによりも、万葉集を由来とする点も、とても麗しい。

富める者も、そうでないものも、聖も貧も等しく万人の歌を集めた1300年以上前の歌集。

来たる新年号を思いつつ、そして30年の平成の時代、今上天皇の残りのご在位のことなどを考えつつ、爽やかな晴天のもと、桜と東京タワーを愛でつつ逍遥いたしました。

そんな気分に、バッハのブランデンブルク協奏曲、それも第5番が晴れやかでぴったり。
しかも、ちょっとギャランとな雰囲気だし。

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  バッハ  ブランデンブルク協奏曲第5番 

   クラウディオ・アバド指揮 ミラノ・スカラ座管弦楽団

          (1975.5 1976.11 @ミラノ)

   Vl:ジュリアーノ・カルミニョーラ

   Fl:ジャック・ズーン

   Cemb:オッタヴィオ・タシトーン

  クラウディオ・アバド指揮 オーケストラ・モーツァルト

         (2007.4.21 レッジオ・エミーリア)

スカラ座の音楽監督だったころに、なぜか録音されたアバドのブランデンブルク協奏曲の全曲。
親しい仲間のようだった、スカラ座の面々との、和気あいあいとも感じ取れる親密なアンサンブル。
この頃、「マクベス」や「シモン」といった深刻なドラマを伴うオペラを日々上演していたコンビの、このバッハの演奏は一種の解放感のような「歌」あふれた雅さを感じ取ることができる。

スカラ座フィルハーモニーを創設し、定期演奏会も充実させたアバド。
スカラ座フィルとも、マーラーを録音して欲しかった。
2012年に奇跡のカンバックを遂げたときの「6番」の録音など、残ってないものかな・・・

Abbado-bach  

スカラ座との録音の32年後、孤高の境地の境地に到達したアバドが、自ら創設したオーケストラ・モーツァルトとブランデンブルク協奏曲をライブにて再録音した。
ソロやメンバーに、ルツェルンの仲間たちを交え、若い奏者とベテランが等しく、アバドのもとに集った、こちらは凝縮された緊密なアンサンブル。
古楽奏法で、奏者も刈り込んで、透明感と弾むようなリズム感あふれる若々しい演奏。
スカラ座とのコンサートスタイルの、いわゆる当時の演奏は、あれがオーソドックなものだった。
試みに、愛聴するシューリヒトや、リヒターの演奏を聴いても、タイムの上でも、だいたい同じスタイル。
押しも押されぬ大家となっても、積極的に演奏の在り方を追い求めたアバド。
ベルリンで取り上げた、マタイやロ短調も、その晩年に指揮をしたかったかもしれません。

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門の向こうに見事な桜🌸

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増上寺の桜🌸

ココログが全面リニューアルして、使い勝手がいまだにわかりにくく、いまいちな週末。

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