ワーグナー 「パルジファル」 ブーレーズ指揮
今日、4月21日は、復活祭。
キリスト教社会においては、降誕祭とともに、最大のお祝いの日。
おりしも、ヨーロッパ諸国では、野山には花咲きほこり、春の到来の喜びと冬への決裂を祝います。
イエスの受難と復活、音楽も数多く、特にこのイースターの時期には、受難曲とパルジファルが演奏されます。
わたくしも、例年、聴きます。
ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」
アンフォルタス:トマス・ステュワート ティトゥレル:カール・リッダーブッシュ
グルネマンツ:フランツ・クラス パルジファル:ジェイムズ・キング
クリングゾル:ドナルド・マッキンタイア クンドリー:グィネス・ジョーンズ
聖杯守護の騎士:ヘルミン・エッサー、ベンクト・ルントグレン
小姓:エリザベス・シュヴァルツェンベルク、ジークリンデ・ワーグナー
ドロテア・ジーベルト、ハインツ・ツェドニック
花の乙女:ハンネローレ・ボーデ、マルガリータ・クリアキ
インガー・パウシティアン、ドロテア・ジーベルト
ウェンディ・ファイン、ジークリンデ・ワーグナー
アルト独唱:マルガ・ヘフゲン
ピエール・ブーレーズ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
バイロイト祝祭合唱団
合唱指揮:ウィルヘルム・ピッツ
演出:ヴィーラント・ワーグナー
(1970.7,8 @バイロイト)
ブーレーズのパルジファルを、ほんとに久しぶりに全曲聴きました。
1970年のライブ録音は、たしか、72年にレコード発売されました。
ちょうど、その頃から、年末のNHKFMを通して、ワーグナーの音楽にはまり始めていた中学生だった。
レコードで5枚組。
当時のオペラを始めとする組物レコードは、豪華な装丁と分厚い解説書とで、手に取るとズシリとくる重さでした。
お小遣いも少なかった中学生だったので、レコード店で、この「ブーレーズのパルジファル」を憧れをもって眺めるしかなかったのです。
しかし、その翌年73年には、「ベームのリング」と「ベームのトリスタン」を入手して嬉々としておりました。
その「ブーレーズのパルジファル」を手に入れたのはCD時代になってから。
レコード発売から15年後の80年代半ばのことでした。
レコード5枚から、CD3枚に。
手にした感じも軽量だった。
時代の流れを感じつつも、今聴いても、ブーレーズのパルジファルは、鮮烈だし、色あせることない新鮮さを持って感動させてくれる。
ご存じのとおり、ともかく速い。
快調に聴くことができるが、でも、速すぎるという印象はまったくなく、パルジファルの音楽の魅力が、あますことなく、すべて押さえられていて、文句ありません。
それどころか、聖金曜日の音楽における抜群の高揚感は、ほかの演奏ではなかな聴くことができないほどで、大いに感動します。
対極の演奏に思われるクナッパーツブッシュにある神秘感や、滔々たる時間の流れと舞台の事象や、歌手の言葉に即して、刻々と変わる音の色合いのようなものは、ブーレーズの演奏にはありません。
オーケストラピットからは、整然とした響きが濁ることなく、明瞭に聴き取れ、明るいトーンの音色は神秘感よりは、現実的な音楽としての捉え方として再現されます。
これを聴くと、ワーグナーのパルジファルの先には、ドビュッシーがあり、ウェーベルンがあることを理解できます。
1951年からずっと続いた新バイロイト様式による、ヴィーラント・ワーグナーの演出は、53年にクレメンス・クラウスが振ったのを例外として、クナッパーツブッシュが常に指揮をしてきた。
1965年は、秋に亡くなってしまうクナッパーツブッシュが腰を痛めたため、クリュイタンスが指揮。
そして、1966年にブーレーズがパルジファルを初指揮するが、バイロイト当主のヴィーラントがクナッパーツブッシュ後の指揮をブーレーズに
ゆだねたのは、ラテン系の目線をワーグナーの音楽に持ち込むためだった。
その66年の音楽祭が始まるころ、ヴィーラント・ワーグナーはすでに体を壊してミュンヘンの病院にあって、実際の舞台を監督できていなかったわけで、そのヴィーラントは同年の10月に亡くなってしまうのです。
このときの演奏評を、愛読書のピネラピ・テュアリングの「新バイロイト」から引用します。
>バイロイト秘蔵のクナッパーツブッシュによるパルジファルに比べて、これ以上に著しく違っているケースをほかに想像することは難しい。ブーレーズのパルジファルは、敏捷で軽く(伝統的な荘重さに対して)、しかも思わず人を信服させてしまうようなものであった。
・・・・過去の演奏記録に比べて、タイミング(演奏時間)の幅広い変動にはびっくりしてしまうが、しかし、それでもブーレーズは見事な演奏を繰り広げた。ブーレーズといえあば、現代音楽が連想されるけれども、彼はパルジファルに対して真の愛情と感覚を持ち、パルジファルのなかに、ワーグナーの作品のみならず、オペラ作品全体を通じての転機を認めている。彼の演奏の仕方は、パルジファルを現代人の世界の中にしっかり定着させるようなやり方であるが、しかいそうかといって、ワーグナーの伝統主義者たちの感情を害するようなものでもないのである。<
51年以来、クナのパルジファルを聴いてきて、実際に66年の舞台に接した方の言葉として、とても意義あるものに思います。
ブーレーズは、66年から68年までの3年間、ヴィーラント演出のパルジファルを指揮しましたが、そのあとを継いだのが、69年のホルスト・シュタインで、70年には再度登場し、今回のCDの録音が残されました。
ちなみに、71年から73年までの3年間は、オイゲン・ヨッフムが指揮をして、そこでヴィーラント・ワーグナーの演出は終了となりました。
ブーレーズは、2005年と6年に、へんてこな演出ながら再登場してパルジファルを指揮しましたが、驚くべきことにその演奏の印象は70年のものとあまり変化しておらず、むしろ少し丸くなったような印象を受けました。
しかし、後述のとおり、さらにテンポが速くなってました。
演出のせいかもしれません。
60年代後半から70年代を通して活躍した歌手たち。
その前の、ヴァルナイやメードル、ニルソン、ヴィントガッセン、ホッターたちの大歌手の時代の次世代。
いずれも、ブーレーズの指揮にもうまく乗りつつ、伝統の上にあるワーグナー歌手たちの足跡にも応じた名歌唱と思います。
とりわけ、J・キングのパルジファルは素晴らしい。
この傷を癒すのは、のモノローグでの最後の一音、「den Schrein」を一番きれいに伸ばすのは、いろいろなパルジファル役を聴いてきたけど、キングが唯一。
声の威力と気品、そして苦悩ぶりも申し分なし。
フランツ・クラス、ステュワート、マッキンタイア、リッダーブッシュ、男声低音陣たちが、そろいもそろって美声なのもこのブーレーズ盤のユニークなところ。
そんななかで、ちょっと異質なのがジョーンズかも。
賛否あるけど、彼女の声は大好きなわたくしですが、この頃は、声のコントロールがまだ不十分で馬力が露呈してしまうところも見受けられる。でも、長いモノローグはボリュームを抑え気味にして聴くとなかなかに魅力的であった。
花の乙女や端役に、のちに大活躍する方や、かつてのベテランの名を見出すのもこの時代の良さでありましょう。
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バイロイトでの演奏タイム
トスカニーニ 4時間48分
クナッパーツブッシュ(1962) 4時間19分
ブーレース (1970) 3時間48分
シュタイン (1969) 4時間01分
ヨッフム (1971) 3時間58分
シュタイン (1981) 3時間49分
レヴァイン (1985) 4時間38分
ティーレマン (2001) 4時間20分
ブーレーズ (2005) 3時間35分
A・フィッシャー (2007) 4時間05分
ガッティ (2008) 4時間24分
F・ジョルダン (2009) 4時間14分
ヘンシェル (2016) 4時間02分
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何度聴いても、パルジファルはいい、そしてよくできてる。
神聖性をあえて取り外そうとする昨今の演出があるなか、この作品は耳で聴いてこそ安心できるのである。
野辺の花、パルジファルは、これを見て、かつて自分を誘惑しようとした花たちがいたと歌う。
この聖金曜日の場面でクンドリー、洗礼を受け、はらはらと涙する。
春の花は、色とりどりに美しく鮮やか。
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コメント
平成最後の晩、単なる思いつきで「パルジファル」のハシゴをいたしました。ともにHDDに残っていた'16年バイロイトと'14年メトの第1幕のみですが、指揮と歌手はいずれもそれなりですが場面転換でどちらも申し合わせたように大昔のイームズ「パワーズ・オブ・テン」そっくりの映像を使ってるのには正直呆れました。かつてのクナはピット内で見せた動きのみで(実際に客席からは見えない)はるかに多くの啓示を与えたと思うのですが。
キングの外題役はクーベリック盤もありますね。'80年の収録で何故かお蔵入りしてたのが今世紀になってから突然リリースされたかと。
ただ、つまるところ'62年のクナ盤に行き着く感が。映像ではLDを処分してしまいましたが'81年バイロイトのシュタインで。世界情勢を採り入れたとか称する演出家のエゴ丸出しの小賢しい昨今のワーグナー演出よりも、ヴィーラントの時代の様式がしっくり来るのはあながち年齢のせいだけではないのでしょうが。
人生の最期にワーグナーで何が聴きたいかと問われたら、間髪を入れず「パルジファル」と応えます。「共に悩みて悟りゆく、純粋無垢の愚か者」たり得る日、もしくは出会える日が果たして訪れるのでしょうか…。
投稿: Edipo Re | 2019年5月 1日 (水) 02時40分
Edipo Reさん、こんにちは。
ご返信遅くなってしまいました。
昨今の雄弁すぎる、いや、情報過多の映像も伴った細かすぎる演出では、クナのような悠久たる大河のような繊細かつ巨大な演奏は起こりえないですね、まったく。
ウォルフガンク演出も、初期の新バイロイト様式から、G・フリードリヒ、シェローの流れに乗ったようで、しかし霊感不足のオーソドックスな舞台造りになってしまいました。
その後のバイロイトは承知のとおりですね。
わたくしも、舞台は観ずとも、ヴィーラント演出が、音楽がすべてを語り尽くしているワーグナーにとって最良のものと常々思ってます。
そして、同じく、年々、歳を重ねるたびにパルジファルへの思いを深くしております。
コメントありがとうございました。
投稿: yokochan | 2019年5月 7日 (火) 08時23分
お騒がせでございます。恥ずかしながら『パルシファル』は4783707なる番号の、Deccaのショルティ-ワーグナー集大成セット中の録音しか、所持してありません。世評高いクナのステレオ-ライヴ、カラヤンの唯一の録音も手にして無いので、貴サイトに送信を寄せる資格は、皆無ですそれでも、時間の空いた時にCD一枚分をノン-ストップで接すると、管弦楽曲集のアルバムとは異なるも、ズッシリとした手応えと言うか、作曲者の意図のような物が伝わるな‥とは思えました。『異なるも』→『異なる物』の間違いです。失礼おば御許し下さい。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月14日 (火) 11時01分
覆面吾郎さん、こんにちは。
パルジファルは、ワーグナーの作品のなかでも、しいてはあらゆるオペラのなかでも、格別な存在だと思います。
まさに神聖なる祭典劇であり、宗教を超えて、人間の心の弱さと強さを映しだした内容かと思います。
日々、ワーグナーを聴いてきましたので、どの作品もわが血となり肉となっている感がありますが、歳を経て、パルジファルだけは・・という思いです。
投稿: yokochan | 2019年5月16日 (木) 08時29分
本当にスペインを舞台にした作品なのかな?と、思ってしまいますね、この『パルシファル』(笑)。『聖金曜日の音楽』を終えた後の、葬送のごとき重々しい男声合唱、魔法の花園が荒野と化す場面‥。荘重さ、気高さと言った要素は多分に感じ取れます。
投稿: 覆面吾郎 | 2019年5月18日 (土) 11時26分