ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」 ジュリーニ指揮
令和元年の初記事。
東京タワーの麓には、毎年、この時期たくさんの鯉のぼりが泳いでます。
333匹の鯉のぼりと、1匹だけの「さんまのぼり」。
1枚目の写真に「さんま」、います。
秋に例年開催の三陸大船渡市とのサンマ祭とのコラボです。
平成の一番の記憶は、わたくしには、東北を中心に襲った東日本大震災のこと。
逃げようもない自然災害の無慈悲さを痛感しました。
そして、国民が絶望と悲しみにおちいる中、先の天皇陛下がテレビで励ましのお言葉を発し、その後被災地を巡ってお声をかけた。
日本は、その象徴としての天皇の下、まさにひとつだということを確信した。
この令和の時代にもいかなる災害が待ち受けているのか?
心の備えも忘れずに、過ごしたいと思う。
そして、日本人としての心も必ず忘れずに。
ドヴォルザーク 交響曲第9番 ホ短調 「新世界より」
カルロ・マリア・ジュリーニ指揮 シカゴ交響楽団
(1977.4,2,6@オーケストラホール、シカゴ)
「新世界」でスタート。
クラシック入門、聴き始めに必ず通る登竜門的な名曲。
今更ながらに、聴いてみると、しみじみと、ほんといい曲だとつくづく思う点で、わたくし的には「田園」と双璧です。
マーラーとブルックナーが人気の主流を占めるなか、それらに並んで、コンサートでも、外来オケでもよくプログラムにのります。
でも、同じドヴォルザークの「8番」のほうが、演奏頻度は高くなったかも。
そんな「新世界」を聴きつくしたリスナーに、いまこそじっくり聴いて欲しい、そんな演奏がジュリーニのシカゴ盤。
丁寧かつ克明な音楽造り。
この時期、72年頃から、レーベルをまたがって、「第9」を連続的に取り上げ、録音しました。
ベートーヴェン、シューベルト、ブルックナー、ドヴォルザーク、マーラーです。
「悲愴」も晩年作という意味では同一ですが、その多くをシカゴ響と。
作曲者の晩年、ないしは、最後期の作品ということに着目して力を注いだ70年代後半のジュリーニは、自身の円熟と重ね合わせるようにして、各作曲家の晩年作品を深く切り込むようにして録音しました。
この時期において、優秀なシカゴ響は、その思いになくてはならぬものでした。
ショルティがシカゴ響の音楽監督になるとき、ショルティが要望したことのひとつは、ジュリーニが主席客演指揮者となること。
60年代から、ジュリーニはシカゴとは相思相愛の仲で、剛毅な音楽造りのショルティは、きっちりした造形のなかに、歌心をにじませたジュリーニの存在が必要だったし、コヴェントガーデンで親しく接したジュリーニのことが大好きだったのかもしれません。
ジュリーニは、ロスフィルの音楽監督のオファーを受けるまえ、シカゴを離れることになったが、ポストを辞したあとも、客演指揮者のトップの扱いを受けつづけ、アバドとともに、シカゴのアイドルであったんだろうと思う。
現音楽監督、ムーティにも通じるイタリア人指揮者との親和性。
ドイツ系、ハンガリー系の指揮者によって培われたシカゴの歴史に、マルティノンも含むラテン系の指揮者たち。
多民族国家のアメリカが生んだ世界最高補のオーケストラ、その指揮者たも多士済々、そのフレキシブルな柔軟さも、まさに最高峰です。
そんなシカゴ響から引き出したジュリーニの「新世界」の響きは、一点の曇りもなく、明晰でありながら、全体に荘重な建造物のごとくに立派なもの。
聴きつくしたお馴染みの「新世界」がこんなに立派な音楽だったとは!と、これを初めて聴いたときに驚いたものです。
いま聴いても、その思いはかわりません。
ことに、第2楽章ラルゴは、旋律線をじっくりと歌いむ一方、背景との溶け合いもが実に見事で、ほんとに美しいです。
終楽章も決してカッコいい描き方でなく、堅実にじっくりとまとめあげ、こうでなくてはならぬ的な決意に満ちた盛り上げやエンディングとなってます。
ちなみに、フィルハーモニア盤も、次のコンセルトヘボウ盤も聴いたことありません。
ジュリーニはDG時代が好きなのですもので。
新世界は、どんな演奏でもいい曲ですから感動します。
でも力演ほど醒めてしまうし、飽きてもしまう。
譜面どおりでは面白くない。
このジュリーニのように指揮者の強い意志でもって聴かせるのも一興だが、案外、こじんまりと、薄めの編成でサラッとやってしまうのもいいかもしれない。
昨年、ネットで聴いた、ティチアーティのスコットランド室内管との退任コンサートでの新世界が、とってもよかった。
まだまだ、いろんな「新世界」の可能性が開かれているのであります。
平成から令和にかけての連休。
天気はどうも冴えませんが、明るく、わくわく感をともなった、御世代わりをわれわれ日本人は体験できました。
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