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2019年6月

2019年6月30日 (日)

ラヴェル 「シェエラザード」 アバド指揮

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もう盛りは過ぎましたが、街のあちこちでみかける紫陽花。

初夏の訪れとともに、開花し始め、梅雨に最盛期を迎える彩りあざやかな、日本由来の花。

G20で来日の各国首脳も、目にしたことでありましょう。

蒸し暑いが、梅雨のしっとりした風情は、紫陽花あってのものです。

かつてのむかし、西欧人が憧れた、神秘のヴェールにくるまれたアジアを想った音楽を。

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    ラヴェル 「シェエラザード」

      S:マーガレット・プライス

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1987.11 @オールセインツ教会、ロンドン)

ラヴェルの歌曲集「シェラザード」は、アジアをテーマにした3編の詩に寄せたもの。
ラヴェルの芸術仲間の、トリスタン・クリングゾールの同名の詩によるもので、そう、おわかりでしょうが、ワグネリアン風の色濃いお名前。
本名はアルテュール・ジュスタン・ロン・ルクレールという、これまた長~い名前。

世紀末ヨーロッパの知識人たちの、ジャポニスムに代表されるような、東洋へのあこがれと、エキゾチシズムは、たくさんの芸術作品を生み出しました。
1903年に作曲されたラヴェルの「シェエラザード」も、まさにそのひとつといっていい。

①「アジア」 ②「魅惑の笛」 ③「つれない人」

千夜一夜物語が、その根底にあるテーマだから、①「アジア」では、行ってみたい、船出してみたい、観てみたいを、連発するが、港のものうい風景や、回教寺院の尖塔などを見たいといいつつ、曲がって大きな刀で罪もない人の首をチョンするのを見たいなどと、恐ろしい想いも吐露する。
しかし、これらは、ときおり、大きな禍々しいフォルテがやってくるものの、おおむね、物憂げで、沈滞したムードに覆われている。

美しいのは②「魅惑の笛」で、まさに独奏フルートがとびきり美しい。
ほんとに美しい、ここでも、その物憂く、はかないムードは、ドビュッシーの牧神の午後にも通じる、白昼の幻想のようなものだ。
昼寝する主人の横で、恋人の笛の音色に耳を傾ける少女。
その様子が眼にうかぶ、静かな音楽です。

そして、その静けさは、弱音器を付けた弦楽器と夢幻な管のかなでる秘め事のような音楽、③「つれない人」にもつながる。
その詩がまた、刹那的でセクシャルな退廃感にあふれている。
女性に、つれなく別れを告げる異国の青年。しかし、その後ろ姿は女性的に腰をひねって・・・っていう意味シンぶり。
音楽も、後ろ髪ひかれるような甘味な余韻を残しつつ静かに終わる。

80年代後半に、ロンドン響とともに録音された、アバドのラヴェルシリーズに、この素敵な歌曲が含まれたことは幸いです。
精緻で、かつ明るく、情熱にもあふれた明快なラヴェルを残したアバド。
コンビの最終次期にもあたり、阿吽の呼吸で、ロンドン響の自発的なサウンドを引き出した。
 クリアで、歌いすぎることのない、冷静なM・プライスの歌声も、アバドのこの美しい「シェエラザード」には相応しいものだと思います。

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ロス・アンヘルスや、S・グラハム、そして、いまお気に入りの歌手、クレヴァッサの蠱惑の声で歌う「シェラザード」も好きです。

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      マリアンヌ・クレヴァッサ

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2019年6月26日 (水)

ヤナーチェク シンフォニエッタ アバド指揮

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毎度の場所です。

緑と海と空の青が美しいこの時期。

今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年ミラノ生まれですから、今年86回目の生誕日。

残念ながら、空のひととなってしまい、新譜もあまり出なくなってしまいましたが、レーベルにも恵まれ、若い頃から通算盤歴も長い指揮者でしたので、いまでも、たくさんの音源を繰り返し聴いて過ごすことができることに感謝です。

以外にもアバドの好んだ作曲家、ヤナーチェク。
そのもっとも有名な作品を今宵は聴きました。

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  ヤナーチェク シンフォニエッタ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1968.2 @ロンドン・キングスウェイホール)

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   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

          (1987.11 @ベルリン・イエスキリスト教会)

1966年がレコードデビューだから、ロンドン響との68年の録音は、アバド初期のデッカ録音。
日本では、71年にロンドンレコードから発売されたと記憶しますが、クラシック聴き始めの小学生だったので、まだまだ、ヤナーチェクなんて、ましてや、カップリングのヒンデミットのウェーバーの変奏曲なんて、まったく眼中になく、難しそうな音楽だろうと思っていた。
 アルゲリッチとのショパンで、すでにアバドのレコードは所持していましたが、このロンドン響とのシンフォニエッタを聴いたのは、CD時代になって早々のこと。
そして、ヤネーチェクのシンフォニエッタが、私の耳に飛び込んできて魅了されたのは、72年にクーベリックのDG盤が出たときのこと。
FMで聴いて、録音して、夢中になった。
そのあと、N響でも、マタチッチや岩城さんの放送があり、この作品の骨太な演奏に惹かれていった。

でも、すこし後に聴いたアバドのシンフォニエッタは、そのスリムなスマートさで、ぜんぜんイメージが違うものだった。
ロンドン響の、見事なブラスセクションをえて、切れ味抜群、でも、豊かな歌にあふれたヤナーチェクの演奏に驚いた。
明るい歌いまわし、そして、ロンドンならではの、インターナショナルなシンフォニエッタ。

そのあとの、ベルリンでの再録音は、ベルリンフィルの高性能ぶりを感じさせる、超高機能の演奏。
鉄壁ななかに、やはり、歌があって、朗々としつつ、民族臭も感じさせるような表情への細かなこだわりがある。
アバドが取り上げたほかのヤナーチェクの作品には、「死」がまとわるテーマの作品が多くて、運命的な死と、避けることのできない宿命や民族的な問題への直視があります。

若き日々のブリリアントな演奏から、ヤナーチェクの音楽への切込みの深さ。
さらなるオペラ作品など、アバドに挑戦してもらいたかったです。

ちなみに、85年頃のFM放送ですが、ウィーンフィルとのライブも、ライブラリー化してます。
丸い感じの演奏が、ベルリンとの鋭さと、ちょっと味わいが違っていておもしろいです。

ことしの、アバド生誕祭は、ちょっと渋いですが、「アバドとヤナーチェク」。
後任のラトルにもしっかり受け継がれていること、この歓迎すべき師弟関係は、アバド→ラトル→ハーデイングへと引き継がれていることを感じますがいかに。

アバドの生誕記念日に。

アバドのヤナーチェク 過去記事

「死の家から」

「死んだ男の日記」

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青い景色は、相模湾と真鶴半島に、遠く伊豆。


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2019年6月22日 (土)

ラフマニノフ 「鐘」 プレヴィン指揮

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吾妻山にある、もうひとつの神社が、「浅間神社」。

吾妻神社は、日本武尊と弟橘媛命にまつわる由緒ある神社ですが、こちらは、父の仇討で高名な曽我兄弟の姉、木花咲耶媛(このはなさくやひめ)が、仇討の大願成就の感謝を込めて、富士浅間神社を本社に、こちらに祀ったものとされます。

日本には、多くの神社があり、そこには古来、多くの日本人が、いろんな願いと感謝を込めて手を合わせてまいりました。

神社とお寺、その違いや、言葉はよろしくないですが、使い分けは、多く日本人はそう意識もせずに、日常行っていると思います。
初詣には、寺や神社に等しく出向きますし、供養はお墓やお寺に詣り、願掛けや感謝は、神社にお詣りします。
宗教と、民族的な信仰、このふたつを心のなかにうまく融合しているのではと思いますし、わたくしなんぞ、洗礼をうけているわけでもないのに、教会で手をあわせたり、キリスト教を背景とした音楽を聴き、涙することもあります。
柔軟かつ複雑な、日本人の思考は、こんなところからもうかがえるのかもしれません。
 お天道様が見ている・・、こうした自然や身の回りのものへの想いや感謝こそが、日本人の心にあるものだと思いますが、最近はどうも。。

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小さなお社ですが、新緑が実に映える清涼感あふれる美しさです。

Rachmaninov-bells

  ラフマニノフ  「鐘」op35

   S:シーラ・アームストロング T:ロバート・ティア
   Br:ジョン・シャーリー=クワーク

    サー・アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団
                  ロンドン交響合唱団
           合唱指揮:アーサー・オールダム

        (1975.10 キングス・ウェイホール ロンドン)

ラフマニノフの交響曲は3曲あるけれど、それ以外に、交響曲的な要素ををもった作品がふたつ。
三浦淳史先生の名づけで、合唱交響曲とも後世呼ばれる、この「鐘」。
そして、晩年のアメリカでの作品、「交響的舞曲」。

作品の総数としては、そんなに多くはないラフマニノフは、自身が名ピアニストであったゆえの、協奏曲を含むピアノ作品を中心に、交響的な作品、そして、歌曲を中心にした声楽作品、それに作品数は少ないながら、室内楽作品に、オペラということになります。
まんべんなく、あらゆるジャンルに作曲をしましたが、ひとフレーズ聴けば、もうラフマニノフとわかる作品たちばかり。

むせかえるような甘味なメロディーに、暗たんたる、ともに落ち込んでしまいそうな旋律、それらの繰り返しのくどさ。
弾むリズムに、跳ねるような3拍子、ジャンジャカジャン的な派手だけど、あえないエンディング。
そう、こんなラフマニノフ・ワールドがいつしか、病みつきになるんです。

終焉の地がアメリカであったこともあるが、その音楽が大衆的な人気をはくすようになったのもアメリカからだと思うし、ストコフスキーやオーマンディの功績も大きい。
そして、ラフマニノフの人気は、スクリーンにも使われ、英国、本国ロシア、ヨーロッパ、日本へと広がっていったものと思う。

そのアメリカで早くから聴かれ、親しまれていたのが、「鐘」。
英語圏では、「Bells」。
 エドガー・アラン・ポーの詩による作品だが、ポーの原作そのものでなく、英語の原語を、ロシアの象徴派詩人のコンスタンティン・バリモントのロシア語訳によったものに作曲された。
そしてアメリカでは、このロシア語訳のものを、さらにファニー・コープランドという女性が英語訳にしたものが、ペテルブルクでの初演7年後、1920年に、ストコフスキーとフィラデルフィアにより米国初演され、これが好評でアメリカで親しまれるようになったとか。
この曲の初レコードも、オーマンディとフィラデルフィアによるものです。
信心深く、宗教に熱心なアメリカ人の心に、この美しく、哀しく、そして明るい旋律が満載の「鐘」が、日常の教会で聞く鐘の音と、その人生が共にあるという、この作品の根底にある信条とが響いたのでしょう。

 この作品の作曲のきっかけも、よく書かれているようにユニークなものです。
「ある日、見知らぬファンから手紙をもらった。そこには、バリモントの露訳によるポーの詩「鐘」が書き写されていて、この詩とともに、是非作曲をしてほしいとあった。この詩に感動したラフマニノフだが、すぎには作曲にとりかからなかったものの、のちに完成したこの音楽を聴いた、手紙の主は、自分が思い描いたとおりに完成していたので、喜びのあまりに失神するばかりであった、と。
それは、ラフマニノフの熱烈なファンで、モスクワ音楽院に在学していた女性チェリストだと後に判明したとのこと、内気すぎて、憧れの作曲家に直接会いにいけなかった」
ラフマニノフのファンは、シャイだけど、熱い、そんなある意味これもラフマニノフらしいエピソードであります。

人生の4つのシーン、そこに象徴される「鐘」。
ポーの原詩にはないタイトルが、バリモントの露訳では付けられていて、それが4つの楽章になっている。

①「誕生」      銀の鐘  澄んだそりの鈴
           若い命の輝きを讃える祝福の鈴の音

②「結婚」      金の鐘  甘く響く結婚式の鐘
           聖なる婚礼に響き渡る愛の鐘の音

③「人生のたたかい」 真鍮の鐘 けたたましい警鐘
           災いと恐怖の到来を告げる警鐘の音

④「死」       鉄の鐘  悲しみに沈んだ鉄の鐘
           永遠の別れを悲しむ弔いの鐘の音

この4つの章にある言葉どおりの音楽といえば、もうそれで足りる。
外盤なので、英訳歌詞をながめてもなんだかもどかしいので、もう流れる旋律と、いかにものロシア語に身をゆだねるだけでいい。

春の訪れともとれる、歓喜にあふれた①、まさに転がるような楽しい木管に、打楽器たち、そしてテノールも明るい。
いかにもラフマニノフらしい、甘味でロマンティックな②は、幸せな、夢見るようなソプラノ独唱を伴っていて、聴いてるこちらも、あんないい時代もあったなぁ~、と回顧したくなる気分。
スケルツォ的な③は、争乱を感じさせ、不穏は雰囲気だ。シャウトする合唱に金管がただ事でなく、聴いてて疲れるかも。
そして、イングリッシュホルンが、寂しくも無情にあふれた旋律を歌いだす④.
バリトンソロも、なかなかに沈痛だし、合唱の合いの手も重々しい、痛切な哀しみの連続で、思い切り落ち込むロシア人そのもの。
不条理さへの怒りも発しつつ、やがて死を受け入れ、曲は平安な慰めのムードに変わって行き、美しい夕映えのような最後となる。

多岐のキリスト教社会に住まう国々の方にとって、教会の「鐘」の音は、人生にとってきってもきれない、日々、そこにある存在なのです。
それを誰にでも共感を得やすく、わかりやすく、ポーのロシア語訳の力をえて音楽化したこの作品。
きっと欧米人にとっては、われわれ日本人以上に共感しやすい素材と、その音楽かと思います。

プレヴィンの西側ではオーマンディに次ぐ録音。
交響曲を親しみやすく、ビューティフルに演奏するように、この「鐘」も美味なるほどのに、鮮やかな指揮ぶりに思います。
イギリス人歌手たちもふくめ、ロンドン響も、その合唱団も、ロシア的な憂愁からは、ちょっと遠いのですが、でもこれもブリテッシュ・ラフマニノフ。
わかりやすく、明快、くったくのないラフマニノフであります。
録音が、やや古さを感じたりもしますが、プレヴィンのあの3つの交響曲のEMI録音の延長線上にある、そんな演奏であります。

日本人には、「鐘」は、除夜の鐘や、時を知らせるお寺の鐘、そんな風なイメージだけですが、でも身近なものにほかなりません。
そう、寺も神社も、日本人の心のよりどころであって、身近な存在です。

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2019年6月15日 (土)

ネットで聴く マーラー 交響曲全曲 

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ちょっと前ですが、つつじが咲いていた頃の吾妻山より。

春がちゃんとあったんだか、なんだかわからくなってしまった日本の四季ですが、一番、華やかでまぶしい季節が春から夏にかけて。

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こちらは、目先を転じて、相模湾。

真鶴岬と伊豆半島も。

Mahler

この本は、1987年、いまから32年前に、新刊で買って読んだもの。

「やがて私の時代がくるだろう」と生前に語ったマーラー。

レコード時代より、マーラーは聴いてきたが、その全貌を親しく聴くようになったのは、やはりCD時代になってから。
この本を読んだ頃、CDに音楽会に、聴くものは、ワーグナーとイギリス音楽と、マーラーとブルックナーばかり。
この本のタイトルにあるように、マーラーの「時代が来た」のでありました。

巻末に、出版当時で出ているマーラー全集が列挙してありますが、それは、バーンスタイン、クーベリック、ショルティ、ハイティンク、アブラヴァネル、ノイマン、インバル、テンシュテットの各全集。
 そして、現在は、いったいいくつのマーラー全集がることでしょうか!

「生と死」を見つめ、「愛」の人だったマーラーが、オーケストラの演奏能力向上とCDとで、あらゆる世の人間の共感を生み、なくてはならない作曲家ということになったのでした。

そして、いま、さらにネットの普及により、世界中で演奏されているマーラーを、リアルタイムに自宅にいながらにして聴くことができるようにもなったのです。

そこで、今回は、ここ数ヶ月の間に、ネット上で聴いたマーラーのことを書いてみました。

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交響曲第1番「巨人」

  マーク・ウィッグルスワース指揮 BBCナショナル・ウェールズ管弦楽団

                (2019.6.4 @ カーディフ)

 イギリスの指揮者で、尾高さんのあと、BBCウェールズを率いた指揮者で、オペラにもたけ、CDでもショスタコーヴィチの名演をたくさん残している、地味だけど実力のある指揮者。
カーディフのホールの響きがイマイチな点はあるけれど、よく歌い、爆発力も十分な集中力あふれる演奏。
今年、ウィッグルスワースは東響に客演して、この同じ1番を指揮する。
BBC放送は、イギリス国内の演奏会を中心に、約1か月ぐらいの期間、無料配信している。
別番組にオペラチャンネルもあって、コヴェントガーデンやメットの舞台も音で聴くことが出来る。

交響曲第2番「復活」

 S:アンネ・シュヴァンネウィルムス Ms:アリス・クート

  マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団 ハレ合唱団

                (2019.5.23 @マンチェスター)

 ハレ管と、20年近く蜜月にあるマーク・エルダーの実力と円熟を感じることが出来る。
エルダーは大曲を聴かせどころのツボを押さえて、巧みに演奏することのできるオペラ指揮者でもある。
全曲が弛緩することなく、気合も十分で、熱いマーラーだった。最後の盛り上がりも素晴らしい。
ちなみに、このコンビの、ワーグナーの演奏も自主レーベルに数が増えてきて、ついに「リング」も完成した。
エルダーはバイロイトでも、マイスタージンガーを指揮した経歴のある指揮者なんだ。
こちらもBBC Radio3より。
さらに、ネットでは、スラトキンとポーランド国立放送響、ノットとバイエルンユースオケとの「復活」も聴くことが出来ました。

交響曲第3番

     Ms:ケリー・オコナー

 アンドレス・オロスコ=エストラーダ指揮 シカゴ交響楽団

                (2018.10.12 @シカゴ)

 シカゴ響は、自身のサイトで、定期演奏会のほとんどを公開している。
マーラーもたくさんありますが、そんな中から清冽な演奏の3番を選択。
活躍の場を、どんどん拡げているエストラーダの指揮で。
エストラーダは、コロンビア出身で、ヴァイオリンからスタートし、20歳でウィーンに渡って、スワロフスキー門下のラヨヴィッチに学んだ。
ウィーン・トーンキュンストラを経て、現在は、ヒューストン響とフランクフルト放送響の指揮者を務めるほか、ウィーン響の首席にも内定、今年は、ウィーンフィルと日本にやってきます。
そんな俊英ですが、中南米出身ということで、情熱バリバリの熱い指揮者かと思っていたら、いろいろ聴いたがぜんぜん違う。
至極、まっとうで、どこもかしこも自然体で、素直な演奏なのだ。
音楽をわかりやすく、明解に聴かせる才能があるとみた。
そして、シカゴはめちゃくちゃうまい。録音もよし。

交響曲第4番

     S:ゲニア・キューマイアー

 ワレリー・ゲルギエフ指揮 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団

                (2019.1.22 @ハンブルク)

 こちらは、北ドイツ放送局のサイトから。
エルフフィルハーモニーホールは、同時に映像公開も積極的で、youtubeでも見れます。
この4番と、後半が「大地の歌」という、いかにもゲルギエフらしい精力的なプログラム。
でも、天上と別離というふたつのテーマを一夜に聴かせる、なかなかのプログラムでもあります。
ゲルギエフがミュンヘン・フィルの指揮者になったときは驚いたが、自主レーベルで、次々に出てくるCDも聴いたことはないが、ドイツ物ばかり。
今年はバイロイトデビューもあるし、ゲルギエフもドイツ化か?
しかし、ここで聴く4番は、やはりゲルギエフらしい、妙にサラッとした引っかかりの少ない何事もおこらない演奏に感じた。
でも、4番のようんいピュアな作品は、あまりいじくりまわさずに、ストレートに解釈したほうがいい。
そんなときには、この演奏はいいと思う。
ミュンヘンフィルは、やはりドイツの音。エルプのホールも実によい響きだ。

交響曲第5番

  ラファエル・パヤレ指揮 アルスター管弦楽団

              (2019.5.24 @ベルファスト)

 こちらもBBCのネット放送から。
アルスター管弦楽団といえば、北アイルランドのオーケストラで、シャンドスレーベルに、数々の滋味ある英国音楽の録音を、CD初期から録音してきたオーケストラだ。
ブライデン・トムソンヤ、ヴァーノン・ハンドリーとの録音の数々、現在は、R・パヤレという若者が首席指揮者を務める。
パヤレ君は、そう、あのドゥダメルと同じく、ベネズエラが生み出した俊英で、ほぼ同期。
エルシステマを経て、シモン・ボリバルのオケも率いつつ、西欧に飛び出していった指揮者。
現在は、アメリカのサンディエゴ響の首席と、こちらの英国のアルスター管の指揮者を務めていて、アメリカのメジャーなどにも客演機会を増している、注目の指揮者。
 ドゥダメルが、その音楽の面白さにおいて、自分的には急速に魅力を失いつつある昨今。
同じ環境のパヤレが、地味ながら、ローカルなポジションから確実な歩みを始めたことに着目。
こちらの5番は、なかなかに快速。
ビヴラートを極力排し、すっきりと、スマートなマーラーを作り上げた感があります。
濃厚な悩めるマーラー像からは、ほど遠い楽譜の素直な、今風な再現かと。
 オーケストラがやや浮き足だってますが、日本からは遠い場所でのマーラーの新しい演奏に感激。
パヤレ君、デトロイト響での同曲が、youtubeで観れますので、ぐぐってみてください。

交響曲第6番

  アンドリス・ネルソンス指揮 ボストン交響楽団

              (2015.5  ボストン)

6番は、昨今、特に演奏される曲目となりました。
最近では、セナゴーとBBCスコテッシュのものが配信され、そちらも録音して楽しみましたが、まだまだスケール不足。
 で、アーカイブから少し遡って、ボストン交響楽団のネット配信から、ネルソンスの指揮で。
BSOのアーカイブは、視聴可能期間を定めて、かなり自由に聴くことができていましたが、この2年くらいは厳しくなり、ボストンFM局の番組配信でしか聴くことができなくなりました。
アメリカとの時差を計算して、その時間帯で待機することは、まず難しいですが、ヨーロッパ諸国よりは、時差が大きいので、半日遅れれで、朝勝負となります。
 それはともかく、ネルソンスとBSOの6番は、実に、イケてます。
流れよし、タメもよし、爆発力も、刹那的な甘味な味わいもよし、です。
あとは、年齢を経た味わいだけですが、これはまだまだ楽しみな領域の、「若手」といっていい存在の指揮者です。
映像などで見るとわかりますが、ネルソンスの指揮には、オーケストラを縦横に操る素質が兼ね備えられていると感じます。
 6番のネット聴きでは、あとハーディングのウィーンフィルとのもの、同じくバイエルンとのものも充実の限りです。
ここでのボストン響のうまさと響きのよさは格別です。

交響曲第7番

  サカリ・オラモ指揮 BBC交響楽団

             (2019.5.24 ロンドン バービカン)

BBC放送のメインオケ、BBC交響楽団。
ロンドン響に次ぐ実力派だとずっと思ってるけど、ソロがこけたりと、少しやらかしてますが、その機能性の優秀さは、ネット放送でもよくわかります。
オラモが就任してから、もう長いですが、このコンビも安定的で、北欧ものから、英国もの、そしてBBCならではの現代もの、広大なレパートリーのなかで、昨今はマーラーを多く取り上げてます。
さまざまな顔を持つ奇矯な雰囲気の7番を、全体の見通しをよくつけて、最後の明るいフィナーレにむけて、たくましい音楽づくりだ。
オラモの指揮者としての急速な成長をここに感じました。
この指揮者と、BBCのこのオケ、BBC放送でいろいろ聴いてますが、いずれもいい。
もっと注目されていい指揮者とオケであります。
 あと7番では、2011年と古いですが、若きセガンとバイエルン放送響との鮮度高い演奏も聴けました。

交響曲第8番「千人の交響曲」

  ロリン・マゼール指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

             (2009.6.23 ニューヨーク)

ちょっと古いですが、8番となると、なかなかネット放送は少ない。
マーラー・オケともいえるニューヨーク・フィルの楽団HPから、過去のアーカイブも含め、最近の演奏会まで、かなりの音源が聴けます。
なかでも、マーラーの全交響曲がありまして、その指揮者陣も豪華そのもの。
 マゼールは、ウィーンフィル、ニューヨークフィル、フィルハーモニアとで3度のマーラー全集を完成してますが、ニューヨークのものはCDではなく、ネットでの配信販売。
で、この8番は、90分をかけた、マゼール節満載のユニークな千人です。
オケもよく、この指揮についていくもんだと思わせます。
でも、歌手は辛そうで、ちょっとデコボコ。
そんな、まさにライブならではの楽しみが味わえる演奏で、最後の方の崇高ともいえる感動の高まりを、聴衆と一緒に味わえるんだ。
ともあれ、ニューヨークフィルのライブがふんだんに楽しめる、アメリカという自由な国に感謝。

交響曲「大地の歌」

  Ms:マグダレーナ・コジュナー T:ステュワート・スケルトン

 サー・サイモン・ラトル指揮 バイエルン放送交響楽団

             (2018.1.25 ミュンヘン)

  Br:クリスティアン・ゲルハーヘル T:ステュワート・スケルトン

 サー・サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団

             (2017.12.14 ロンドン)

  Br:クリスティアン・ゲルハーヘル T:クリスティアン・エルスナー

 ベルナルト・ハイティンク指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

             (2016.10.6 ベルリン)

「大地の歌」は、大人気で、今年に入ってからもいくつか放送されてますが、ここ数年でのハイライトは上記3つでしょうか。
期をはさまずに、ラトルのふたつの「大地の歌」は、メゾ版とバリトン版で、というところがいかにもラトルらしい。
対するスケルトンのテノールは、馬力と破壊力はあるけど、ちょっと不安定。
ゲルハーヘルの微に入り細に入り的な歌唱は、繊細で見事なもの。
そして、奥様、コジュナーも劇性を排し、しなやかかつ、こちらも繊細な歌でありました。
オケの音色自体は、暖かいバイエルンに軍配があがるが、機能性豊かでラトルの棒に反応豊かななのはLSO.
優秀はふたつのオーケストラを率いるラトルの柔軟かつ、強靭な音楽づくりに感銘を受けます。

しかし、音楽の味わいという意味では、ふくよかなハイティンクの滋味にはかないません。
ロンドン、バイエルン、ベルリンという3つのオーケストラで聴く「大地の歌」、ネットは豪華かつ選択肢も豊富です。
バイエルン放送局(BR Klassik)は、もっとも安定的に音楽と映像を配信してくれる局です。
ベルリンフィルも、アプリをダウンロードすると、定期的な配信を聞くことができるし、ドイツの各局の放送を念入りにチェックすると、いろいろ聴けます。

そして、さきごろ、この秋で、勇退を表明をしたハイティンクに敬意と感謝を捧げたいです!!

交響曲第9番

  マンフレート・ホーネック指揮 ピッツバーグ交響楽団

             (2019.1.20 ピッツバーグ)

ピッツバーグ就任10年以上、こちらも絶好調のコンビ。
ピッツバーグ交響楽団のHPから、ここでも、過去のアーカイブから最新のものまで、すべての演奏会の様子を聴くことが出来る。
過去の音楽監督、プレヴィン、マゼール、ヤンソンスの指揮によるものも、ちょこっとあります。
ホーネック&ピッツバーグの演奏もふんだんにあり、ニューイヤーコンサートでは、お得意のウィーンものを、ユーモアたっぷりのMC役もしながら、楽しく聴かせてくれます。
いずれの演奏も、ピッツバーグの実力を背景に、雄弁かつ聴きごたえのあるものばかりで、聴衆も熱狂的にこれを称え、一体化してます。
ピッツバーグという大都市に、このコンビが愛されているのがネットを通じてもよくわかるんです。
 そして、最新の彼らのマーラーが第9。
そのうちCDとしても出てくると思いますが、これが完成度の高い、そして熱気と気合に満ちた演奏なんです。
終楽章なんか、30分近くかけての想いの丈を注ぎ込んだ名演でした。
このPSOサウンドのサイトのなかで聴ける彼らのマーラーは、1、2、5番があります。

第9は、ネット放送でも多数。
手持ちにした音源でも、サロネン&シカゴ、ハイティンク&ニューヨーク、ベルリン、コンセルトヘボウ、ブロムシュテット&バンベルクなどなど、たくさん!
個人の楽しみとして、こんなにありがたいことないです。

交響曲第10番 

  トマス・ダウスゴー指揮 BBCスコテッシュ交響楽団

          (2017.8.12 proms2017 ロンドン)

10番は、クックによる全曲。
一昨年のプロムスのライブで、2ヶ月におよぶ、この英国全体の夏の音楽イベントは、BBCと冠されるだけあって、全演奏会がネット視聴ができます。
10遍の全曲版は、レパートリーにしている指揮者がまだ多くはないこともあり、演奏会での機会は少ない。
そんななかで、この1~2年でのネット放送では、このダウスゴーのものと、セガンとオランダ放送フィル、同じセガンとバイエルン、コロンとデンマーク国立管、このあたりを聴く事ができました。
なかでは、セガンのふたつの演奏が、作品への共感の度合いも強く、美しい演奏なのですが、ここでは、ダウスゴーを取り上げました。
 この演奏は、テンポが速く、スッキリとしており、すべてにふっ切れたような、ある意味達観したような感じなんです。
マーラーの音楽に、これだけ、思い入れや感情移入を避けたような演奏って、逆にとても新鮮なのだ。
こういうすっきりとしたマーラーもありです。
このコンビによるマーラーは、あと1番と5番を録音してますが、いずれもよいです。
ただ、プロムスの聴衆のカジュアルな聴き手は、あんまり知らない曲だと、楽章間で拍手をいれてしまいます。
この10番でも拍手だらけで、困ってしまうものの、軽い感じで、そんな聴き方もいいかもです。

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さて、こんな長文書いてしまいましたが、こんなにたくさん、いつ聴いているんだ?との声もあるでしょうね。
日本時間で夜中のライブ放送の場合は、パソコンをつけっぱなしにして、録音をして、あとで編集します。
パソコンから音だけ録音するソフトがありますし、編集も実に簡単なんです。
さらに、聴くのは、仕事の合間合間で聴きます。
零細なひとり事務所なので、そのあたりは、仕事のペースで自由自在というわけです。

ネット配信の音質も格段によくなり、CDを聴くようにして、高音質PC視聴ができるようになりました。
世界で繰り広がられてる演奏会やオペラがリアルタイムで聴ける、こんな喜びはかつてでは考えられなかったことです。
欧米の放送局や、オーケストラなどが、こうして音楽のネット配信や放送に、格別のしばりもなく、積極的なのにくらべ、わが国はどうでしょう。。。
放送法に守られ、さらに一方で、自由なネット空間でも課金を試みようとする局のオーケストラが、遠い存在としてしか感じられません。
貧乏ヒマなしのワタクシには、N○○響よりは、BBC響の方が、昨今は、親しいオーケストラと感じるようになりました。

Azumayama-05_1

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