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2019年6月26日 (水)

ヤナーチェク シンフォニエッタ アバド指揮

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毎度の場所です。

緑と海と空の青が美しいこの時期。

今年もめぐってきました、クラウディオ・アバドの誕生日。

1933年ミラノ生まれですから、今年86回目の生誕日。

残念ながら、空のひととなってしまい、新譜もあまり出なくなってしまいましたが、レーベルにも恵まれ、若い頃から通算盤歴も長い指揮者でしたので、いまでも、たくさんの音源を繰り返し聴いて過ごすことができることに感謝です。

以外にもアバドの好んだ作曲家、ヤナーチェク。
そのもっとも有名な作品を今宵は聴きました。

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  ヤナーチェク シンフォニエッタ

   クラウディオ・アバド指揮 ロンドン交響楽団

          (1968.2 @ロンドン・キングスウェイホール)

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   クラウディオ・アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

          (1987.11 @ベルリン・イエスキリスト教会)

1966年がレコードデビューだから、ロンドン響との68年の録音は、アバド初期のデッカ録音。
日本では、71年にロンドンレコードから発売されたと記憶しますが、クラシック聴き始めの小学生だったので、まだまだ、ヤナーチェクなんて、ましてや、カップリングのヒンデミットのウェーバーの変奏曲なんて、まったく眼中になく、難しそうな音楽だろうと思っていた。
 アルゲリッチとのショパンで、すでにアバドのレコードは所持していましたが、このロンドン響とのシンフォニエッタを聴いたのは、CD時代になって早々のこと。
そして、ヤネーチェクのシンフォニエッタが、私の耳に飛び込んできて魅了されたのは、72年にクーベリックのDG盤が出たときのこと。
FMで聴いて、録音して、夢中になった。
そのあと、N響でも、マタチッチや岩城さんの放送があり、この作品の骨太な演奏に惹かれていった。

でも、すこし後に聴いたアバドのシンフォニエッタは、そのスリムなスマートさで、ぜんぜんイメージが違うものだった。
ロンドン響の、見事なブラスセクションをえて、切れ味抜群、でも、豊かな歌にあふれたヤナーチェクの演奏に驚いた。
明るい歌いまわし、そして、ロンドンならではの、インターナショナルなシンフォニエッタ。

そのあとの、ベルリンでの再録音は、ベルリンフィルの高性能ぶりを感じさせる、超高機能の演奏。
鉄壁ななかに、やはり、歌があって、朗々としつつ、民族臭も感じさせるような表情への細かなこだわりがある。
アバドが取り上げたほかのヤナーチェクの作品には、「死」がまとわるテーマの作品が多くて、運命的な死と、避けることのできない宿命や民族的な問題への直視があります。

若き日々のブリリアントな演奏から、ヤナーチェクの音楽への切込みの深さ。
さらなるオペラ作品など、アバドに挑戦してもらいたかったです。

ちなみに、85年頃のFM放送ですが、ウィーンフィルとのライブも、ライブラリー化してます。
丸い感じの演奏が、ベルリンとの鋭さと、ちょっと味わいが違っていておもしろいです。

ことしの、アバド生誕祭は、ちょっと渋いですが、「アバドとヤナーチェク」。
後任のラトルにもしっかり受け継がれていること、この歓迎すべき師弟関係は、アバド→ラトル→ハーデイングへと引き継がれていることを感じますがいかに。

アバドの生誕記念日に。

アバドのヤナーチェク 過去記事

「死の家から」

「死んだ男の日記」

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青い景色は、相模湾と真鶴半島に、遠く伊豆。


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コメント

『Abbado-Decca-Years』と言うユニヴァーサル-ミュージックの、お手軽価格ボックスでこの若きアバドの好演拝聴しました。DGに移ってからレコーディング-アーティストとして、グングン伸びたせいか、少なくとも国内LP時代の市場ではひっそりと扱われていた音源でした。でもまぁ、大成する音楽家の初期録音には、その萌芽が見て取れるのは明らかです。ブルックナーの『第1』、ブラームスのカンタータ『リナルド』もよろしいですし、ギャウロフの伴奏を務めた『ヴェルディ-オペラアリア集』も、これを聴かないとヴェルディ愛好家じゃないよ!と力説したい程の、名演です。このセットが1セットでも多く音楽ファンの手に行き渡って欲しいな‥と、念じております。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年9月13日 (金) 07時36分

覆面吾郎さん、こんにちは。
デッカとDGにほぼ同じころに録音デビューしたアバド。
その音源を、ほぼコンプリートしましたが、デッカ時代のものは、自分のクラシック聴き始めと、アバド発見の頃とがかぶり、とても愛着があります。
今年、生誕90年のギャウロウとのものは、アバド初オペラということで、狂喜した覚えがあります。
本ブログでは、当盤の記事は、今年の生誕記念で取り上げようと思いますが、「好きなアリア、バりトン、バス編」で触れました。
いつもコメントありがとうございます。

投稿: yokochan | 2019年9月16日 (月) 08時22分

『レコード芸術』誌上の特集『リーダーズ-チョイス、読者版!名曲名盤Advance』の10月31日締め切り曲目が、ヒンデミットの『ウェーバーの主題による交響的変容』でしたので、前述のセットに含まれました、アバド&ロンドン交響楽団のディスクを選び、コメントのハガキ投票を試みました。さて、如何相成りますか(笑)。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年11月 8日 (金) 08時36分

レコ芸を立ち読みで済ませるようになって久しいですが、そんな渋い作品が、読者選定の名曲名盤のチョイスに選ばれるようになったのですね。
 アバドLSO盤に私も1票。
ベルリンと再録しませんでしたので、貴重です。
ライバルは、バーンスタインとブロムシュテットでしょうか。。

投稿: yokochan | 2019年11月11日 (月) 08時41分

最近『レコ芸』誌にそう言うスタンスをお取りになる方々が増え、些か寂しいですね‥。愚生の場合、特選盤CDをプレゼントして戴いた事もあり、御礼の気持ちを込めて、時々購入しております。執筆陣が若返り、極端に独りよがりな論調ばかり繰り出す老人文筆家が、殆ど天に召された為ある種健全な内容になって来たな‥と言う印象もございます。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年11月11日 (月) 23時40分

1970年より、ずっと購入してましたが、その頃は、320円とかのお値段、それがCDがついたりして、1500円ぐらいになり、なによりも保管場所が家のなかに見いだせなくなったことも、辞めた要因です。
そして海外情報や新譜もネットで拾える時代になったことも大きい要因であります。
ですが、古いレコ芸を引っ張り出して眺めるのも、現在の楽しみのひとつではあります。
いまのレコ芸が、将来、そんな読み方に耐えうる内容かというと??と思ったりもしてますが・・・

投稿: yokochan | 2019年11月12日 (火) 08時12分

かつてのレコ芸は、石井宏さんの『素顔のモーツァルト』、柴田南雄さんの『素顔のベートーヴェン』等の連載に、教養主義的な充実度を感じさせられたのも、やはり1970年代のクラシック音楽享受層の人々が、そう言う物を求めておいでであった事の証でしょうか。一部の月評担当者の方の論調に、妙な権威主義的な臭いを感じ、ある種の反発と胡散臭さを覚えた覚えもございますが‥(笑)。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年11月12日 (火) 11時03分

同誌の執筆者も、特定の会社に明らかにおもねているのが、見え見えなのは戴けませんよね。DGがポリドール社から出ていた時分に、誉め誉めコメント連発でしたT-Uさんとか‥(笑)。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年11月19日 (火) 11時39分

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