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2019年7月

2019年7月21日 (日)

バーンスタイン ミサ曲 オールソップ指揮

Sodegaura-1

ずっと曇り空と雨続きなので、晴れの5月の空と海ですっきり。

この海辺の近くの中学校に通っている頃に、ダイジェストだけど聴いたのが、バーンスタインのミサ。

当時は、あまりに異端すぎて、ロックにすぎて、クラシカルなクラヲタ少年にはその内容には理解も及ばない音楽だった。

Bernstein-mass

  バーンスタイン  ミサ曲

   司祭:ジュビラント・サイクス

   ボーイソプラノ:アッシャー・エドワード・ウルフマン

  マリン・オールソップ指揮 ボルティモア交響楽団
               モーガン州立大学合唱団
               ピーボディ児童合唱団

         (2008.10.21 ボルティモア)

バーンスタインのミサを取り上げるのは、2011年9月についでこれで2回目。
そのときは、作曲者自身の演奏で。
この記事が、われながらよく書けたし、現在も同じ思いで、付け足すこともないので、一部修正しながら引用します。

「このミサ曲の時代背景。
アメリカは、ニクソン大統領治下、ベトナム戦争中。

少し前は、R・ケネディの暗殺、沖縄返還合意・・・・。

ソ連との両極関係にありながら、悩める大国は、戦争に疲れ病んでいった。

その時代のアメリカを念頭に置きながら聴く、バーンスタインのミサ曲。

もう死語にも匹敵するカテゴリーのミサ曲を、それも指揮者でもある近代の作曲家が真剣に取り組むなんて、しかも、カトリックの音楽をユダヤ人が手掛けるなんて。

交響曲第3番「カディッシュ」は、作曲中に起きてしまったJ・F・ケネディの暗殺を受けて、故ケネディに捧げた。
1968年のことである。

 そして、それと同時に構想を練りつつあったミサ曲は、ケネデイ未亡人ジャックリーヌ・オナシスの依頼により建てられたケネディ・センターのこけら落しとして作曲が進められることとなった。

そして、1971年に出来あがったその曲は、ミサ曲の概念を打ち破る劇場音楽としての上演形式であり、クラシック音楽のカテゴリーに収まりきらない、ロックやブルース、ダンスを取り入れた総合音楽的様相を呈した大作となったわけである。

バーンスタインは、この作品を「歌い手、演奏家(楽器)、ダンサーのための劇場用作品」と称している。

1971年9月8日の初演。


ミサ典礼文をこんな感じで歌い踊り演じちゃうことに、聴衆は冒瀆よりは、新鮮な感動と共感を覚えた。

教会内の厳めしい形式的な秘義を劇場に解放してしまった・・・とでもいえようか。
こんな発想をすることができたバーンスタインの天才性と大胆な進歩性。

曲は、ラテン語によるミサ典礼文を基本に置きながら、そこに英語によるバーンスタイン自身とS・シュワルツによって書かれた台本がからんでくる。

キリエ、グロリア、クレド、サンクトゥス、アニュスデイ、これら通常典礼文がしっかりあって、それらは時にロックのようにシャウトして歌われたり、ブルース風だったり、ゴスペルだったり、現代音楽風だったりのバラエティ豊富な展開。

その間に絡んでくるのが、追加された歌唱部分で民衆たる合唱やソロによるものと、ミサ全体を司るCerebrant(司祭)のバリトンによる歌唱。


前半部分は、典礼も挿入部分も主を賛美し、神の栄光を称える

司祭は冒頭、「Sing God a simle song・・・・・」~「神に、シンプルに歌を捧げよ!生のあらんかぎり、主を讃える歌を歌おう・・・・」と実に美しい讃歌を歌う。

この曲、わたしは気にいってまして、カラオケで歌いたいくらい。

中学生の頃に発売されたこのミサ曲の、特別サンプル17cmLPをCBSに応募してもらったが、その冒頭がこれ。
何度も何度も聴きました。変な中学生でした。


しかし、典礼の合間合間に、人々の神への不信や不満が芽生えてきて、「何いってんだ!」とか「早く出てこ~い」なんて好き勝手歌い始める。

不穏な空気が後半はみなぎってくる。

クレド=信仰告白に対しては、「告白すりゃぁ、それでいいってか!」「感じてることは表に出せない、見かけなんて嘘ばかり。ほんとうのもの、主よそれがわからねぇ・・・」と不満をぶつける。


しかし、司祭はそれに対し、「祈りましょう」・・・としか答えることができない

「選べるのだったら、一本の木だってよかったんだ。人間になんてなるんじゃなかった・・」と病んだ発言。

あんたは、またやってくると言ってた。いったいいつ来るのよ!いつまでわたしたちを苦しませているのよ、世の中はひどいことになっているよ・・・」


途中、ベートーヴェンへのオマージュのような章もあって、第九の旋律が流れる。
 

それでも司祭は、「祈りましょう」と、聖体拝領を行ってミサの儀を進める


 次ぐアニュスデイは、通常のミサやレクイエムでは神妙かつ優しい曲調なので、そう思って聴くと、まったく裏切られることになる。

民衆と個人ソロが入り乱れて、不平不満大会となって沈黙する神への怒りへと変貌してゆき、暴徒化してゆく。
音楽も、大音響となって収拾がつかなくなる・・・・・。

そこへ、司祭が「PA・・CEM、Pacem」と叫び、赤葡萄酒に満たされた聖杯を床に叩きつけ、聖杯は大きな音を立てて砕け散る。

「平和、平和を」と叫んだ司祭

これからが、司祭の最大の歌いどころ。15分以上をソロで歌い抜けなくてはならない。

法衣服を脱ぎ、「粉々に砕けてしまった、物事はなんて簡単に壊れてしまうんだ。」と悲しそうに、そして空しく歌う。

「まだ待っているのかい?・・・、 だが君たちは、君たちなんだ、何が君たち歌い手たちに出来たかを、それを歌い、それを祈るんだ・・・・」

司祭は、舞台の下に消えてゆく。

前半に出てきたオーボエの神秘的なソロの音楽を、こんどはフルートソロが静かに奏で、やがて最初はボーイ・ソプラノの少年合唱で、次いで民衆やソロ、そして再び一般人のなりで現れた司祭役も加わって感動的なSecret Songsが始まる。

Lauda」、すなわち、誉め讃えの言葉が繰り返される感動的なエンディングは、マーラーの千人交響曲の神秘の合唱にも似ている。

だが、それと違うところは、「汝に平安あれ」と囁かれ、「全能の父よ、耳を傾けてください、われわれを祝福し、ここに集まったすべての人を祝福してください、アーメン」と静かに歌を閉じ、ナレーターが最後にミサの終了をアナウンスする壮麗さとは無縁の渋い印象的な終わり方だ。

The Mass is ended; go in Peace


不穏な時代にも、いつも人の心にある祈りと平和への思い。

沈黙の神への問いかけは、自分の心への問いかけに等しい。

ある意味、宗教の概念を超えた素晴らしいミサ曲だと思います。」

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初演時のバーンスタイン自身の録音から、48年。

作曲者以外の演奏なんて、考えられないという年月は去り、いま、バーンスタインの作品は幅広く演奏され、録音されるようになった。
このミサ曲にも、いまや、K・ナガノ、K・ヤルヴィ、オールソップ、セガンと、多くの音盤が出ました。
今回聴くオールソップ盤は、手兵のボルティモア交響楽団との演奏会のあと、同じホールで録音されたもので、演奏会の熱気そのままの、意欲と共感に満ちた感動的な演奏になってます。
サイクスの司祭の、繊細でありながら没頭的な歌唱は、かつての初演時のアラン・タイトゥスに迫るもの。
オーケストラも巧いし、雰囲気が豊か。
ほかのメンバーも文句なし。

Alsop-baernstein

オールソップは、数あるバーンスタインの弟子の一人でもあり、タングルウッドでクーセヴィツキー賞を受賞したことがその所以であります。
ここでは、バーンスタインとともに、小澤征爾の薫陶も受けてます。
女性指揮者としては、シモーネ・ヤングとともに、トップを走るオールソップ。
ニューヨーク生まれの彼女、コロラド響に始まって、これまで、ロングアイランドフィル、ボーンマス響、2007年よりのボルティモア響、サンパウロ響、そして、今年から、ウィーン放送交響楽団の指揮者となり、アメリカとヨーロッパで大活躍なのです。

Alsop-bso

ウエストサイドストーリーを指揮するオールソップさん。
ナクソスに録音したバーンスタイン音楽もたくさんあって、バーンスタイン愛にあふれてます。

さて、アメリカのオーケストラシリーズの一環でもある今回の記事。

ボルティモア響の歴史は、1916年の市立オケとしてのスタートにさかのぼり、100年ほど。
歴代の指揮者のなかで、有名な方は、アドラー、コミッショーナ、ジンマン、テミルカーノフ、そして、オールソップという流れです。
コミッショーナとジンマンとの演奏には、多くの音源が残されてます。
テミルカーノフの時代は、7年ほどのようですが、録音も見当たらず、どんなコンビだったのでしょう、気になります。
現在は、名誉指揮者となっております。

アメリカのオーケストラのランク付けが、かつてはよくされていて、5大オーケストラとして、シカゴ、クリーヴランド、ボストン、フィラデルフィア、ニューヨークであることは、今でも変わらないかと思います。
それ以外に、エリート・イレブンなんて言われかたの時期もあり、その5つに、ピッツバーグ、ロサンゼルス、サンフランシスコ、デトロイト、ヒューストン、ミネソタの6つ。
しかし、スラトキンが就任して、セントルイスが大ブレイクし、5大オケに迫る実力を見せた時期もありました。

いまは、どうでしょう。
歴史や、レコード時代からの録音の多さ、大物指揮者との関係などから、5大オーケストラは変わりはないかもしれないが、その他の都市のオーケストラも、5大オケにひけをとらない、人気と実力をつけて、それぞれに街に愛される特徴あるオーケストラとなっていて、ランキングなんて、ばかばかしく思えてきたりもします。
ワシントン、シンシナティ、ダラス、アトランタ、シアトル、バッファロー、そして、ボルティモア響。

手元にあった1986年のレコード芸術に、アメリカのオーケストラ徹底研究とかいう特集があるけれど、ここでは、5大オケだけの特集になっているんです。
いまとは隔世の時代、いまの時代、世界のあらゆるオーケストラが楽しめるのは、ネットの普及と、ナクソスとテラーク、シャンドスレーベルのおかげかもしれません。

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Baltimore-4

 メリーランド州にあるボルティモアは、人口65万人の都市。
歴史的には、南北戦争の舞台にもなり、国家や星条旗もこの街が発祥という。
そう、アメリカ人にとって、なくてはならぬ街なんです。
海岸線にも近い、パタプスコ川に面した、工業と貿易港で栄えた街でもあります。
だから、この街は、シーフードの街でもあり、とりわけ、カニ料理がおいしいらしい!

Baltimore-2

メジャーリーグは、強豪のオリオールズで、いまはちょっと低迷中みたで、日本人選手もいない様子。
ちなみに、姉妹都市は川崎市。
有名な出身者では、音楽家としてフィリップ・グラスとヒラリ・ハーン。
エドガー・アラン・ポーはボストン生まれながら、ボルティモアが気に入り永住。
さらに、政治家としてボルトンさんも、ボルティモア出身。

Alsop-2

アメリカのオーケストラの指揮者は、メジャーリーグとも交流が必須。
ナイスな、オールソップさん。

行くとこは、この先ないだろうけど、カニを食べて、オリオールズ観て、現地のホールでボルティモア響を聴いてみたい。
バーチャルアメリカ、オーケストラ紀行、次はどこへ。

Sodegaura-2

梅雨明けも、あともう少しだ。

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2019年7月 7日 (日)

R=コルサコフ 「シェエラザード」 ハイティンク指揮

Ajiai-tower-1

毎日、雨かどんより曇り空。

しかも、蒸し暑い。

毎年書いてることですが、かつての日本の梅雨は、春でもない、夏でもない、初夏の独特の季節でした。
しとしと降る雨に、涼しさを伴った、しっとりした風情ある日本の梅雨のひとコマは、もう失われてしまったのかもしれません。

ラヴェルの同名の曲を聴いたら、より高名なこちらを久しぶりに聴いてみた。

Haitink-scherazade

  R=コルサコフ 交響組曲「シェエラザード」 op53

    Vn:ロドニー・フレンド

  ベルナルト・ハイティンク指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

        (1972.1.24 @ウォルサムストウ、ロンドン)

若い頃は、こうした名曲が大好きで、気に入ると、毎日でも何度でも聴いていたものです。
やがて、好きなジャンルや作品がどんどん拡張されてくると有名曲路線から離れていくようにもなります。
でも、急に聴きたくなって、そうした有名曲を聴いてみると、その素晴らしさに唖然とすることがあります。
そして、それを初めて聴いたころ、熱中した頃の思い出もよみがえってきたりもします。
で、また離れて、また聴いての、そんなことを繰り返しです。

ハイティンクのシェラザードをこのブログで取り上げるのは2度目で、最初の記事は2006年ですから、もう13年も経つ。
いやはや、時の経過の早いこと。
そのときは、ハイティンクが、シカゴ交響楽団の首席指揮者に選ばれたことを喜び、そんなハイティンクのたゆまぬ歩みを振り返ったりもしました。

Haitink-90

そして、そのハイティンクが90歳にして、先ごろ、65年間にわたる指揮活動の引退を表明しました。
最後の演奏会は、9月にロンドン(Proms)とルツェルンで、ウィーンフィルとブルックナーの7番。
その前、8月には、これもルツェルンで、ヨーロッパ室内管とマーラーの4番。
ブルックナーとマーラーで、指揮者としての活動に終止符。
いかにもハイティンクらしい勇退の仕方です!

ここにあらためて、ハイティンクの略史を。

   1929       アムステルダム生まれ
   1954             オランダ放送フィルにて指揮者デビュー
   1957~1961        オランダ放送フィル 首席
   1961~1987   アムステルダム・コンセルトヘボウ 主席(64から音楽監督)   
   1967~1979   ロンドン・フィル首席(芸術監督)
   1977~1988   グライドボーン音楽祭 音楽監督
   1987~2002       コヴェントガーデン歌劇場 音楽監督
   1994~2000   ECユース管 音楽監督
   2002~2005   ドレスデン・シュターツカペレ 首席指揮者
   2007~2008   シカゴ交響楽団 首席指揮者             

   常連指揮者    ボストン交響楽団 首席客演指揮者        
            ウィーン・フィル、ベルリン・フィル、ロンドン響、バイエルン放送
            ニューヨークフィル、フランス国立管、バイエルン放送響、パリ管
            オランダ放送フィル、ヨーロッパ室内管、モーツァルト管
            ルツェルン祝祭管

こんな感じで、ひとつのポストを長く勤め上げ、やがて鉄壁のコンビとなる。
しかし、後年は音楽界の重鎮として、請われて空白を埋めるようなポストに就くようになり、さらに、アバド急逝のあとのコンサートを臨時で救ったりもしたりと、ともかく世界各地でハイティンクが求められるようになったんです。

そんなハイティンクのフィリップス録音時代は、コンセルトヘボウとロンドンフィルのふたつを振り分けて、いくつもの名盤を残してくれました。
アムステルダムとロンドン、ハイティンクの二都物語、なんてレコ芸の記事もありました。

ロンドンフィルとの仲が解消してしまったのは残念ですが、このコンビで好きな音盤はたくさんあります。
リスト、惑星、ストラヴィンスキー、ベートーヴェン、モーツァルトなどのオペラの数々にV・ウィリアムズ。
そんな中から、2度目のおつとめ、「シェエラザード」を選択。
重たい雲を眺めながら聴く千夜一夜物語。

決してストーリーテラー的な面白い、絢爛豪華な演奏じゃない。
誠実に譜面どおりに音楽を再現してみせた結果が、落ち着いたたたずまいの、ノーブルかつ渋めの「シェエラザード」となりました。
ことに、第3曲「若い王子と王女」は、ロンドンフィルの弦の美しい響きをあらためて体感できる。
1度目の記事でも書きましたが、このときのコンサートマスター、ロドニー・フレンドのソロが、しとやかかつ繊細で美しいヴァイオリンを聴かせます。
フレンドさんは、のちにニューヨークフィルのコンサートマスターに引き抜かれますが、ロンドンフィルの黄金時代は、このフレンドがいたハイティンクの頃だと確信してます。

一方で、ハイティンクには、コンセルトヘボウでも「シェエラザード」をやってほしかった。
コンセルトヘボウで「シェエラザード」を聴きたい、そんな思いは、コンドラシンの指揮で解消されましたが、そこでは、クレバースのヴァイオリン、フィリップスの録音という、まさにハイティンクが振ってもおかしくない理想的な音盤となりました。

ともあれ、あと数回のハイティンクの演奏会。
その成功と、そこに居合わせることのできる方々の幸せを祈りたいと思います。

Ajiai-tower-3

あと半月ぐらいかな。
青空が続く日々がやってくるのは。

過去記事

「ハイティンク&ロンドンフィル」

「メータ&ロスフィル」

「オーマンディ&フィラデルフィア」

「小澤征爾&シカゴ、ボストン」

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