« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »

2019年8月

2019年8月24日 (土)

夏の音楽 その2

Radian

お盆の過ぎたあたりの夕方の空。

百日紅の花とマッチした空は、晩夏にふさわしく、秋の先取りも感じます。

夏の音楽も、もう季節外れすれすれ。
英国版に続き、大陸版で。

Image_20190824110001

 R・シュトラウス アルプス交響曲

  ルドルフ・ケンペ指揮 ロイヤル・フィルハーモニック

夏山の登山を、まんま音楽にしてしまったシュトラウスの交響曲。
登りと下りで、滝のシーンも雰囲気が違っていたりで、ともかく芸が細かい。
レコード時代は、ちょうどてっぺんのあたりで、盤面が切り替わることになり、感興を削ぐことおびただしかった。
CD時代の申し子のような曲でもあり、広大なダイナミックレンジの再生もCDならバッチリ。

ケンペの旧盤は、ステレオ録音の一番乗りだったかな?
わたくしが、この曲を聴いたのは、NHKのAM放送の音楽の泉かなにかで、ベームのモノラル盤を、曲の解説を交えながら場面ごとに流す放送でのものでした。
そして親戚の家にあった、このケンペ盤は、マッターホルンを普段とは違う側から見たパノラマ写真で、ジャケットを含め、中学生のわたくしを虜にしてしまったものでした。
その後は、もうたくさんの音盤に囲まれてまして、お気に入りは、この旧盤にケンペ新盤、メータLAPO、ハイティンク、ヤンソンスBRSOなどなど。
どの季節に聴いても、登山気分にさせてくれる。

00-respighi-luisi-1

 レスピーギ 交響詩「ローマの祭り」

  ファビオ・ルイージ指揮 スイス・ロマンド管弦楽団

ローマ三部作のなかの、いちばんハデめな音楽は、賑やかな夏祭りの音楽に感じる。
どっかーん、と爆発するような主顕祭の激したエンディングには、いつも興奮の坩堝と化すが、甘味な十月祭は、10月なのに、それこそ夏の夜っぽい、色気と物憂さを感じるセレナードです。
主顕祭もクリスマスシーズンだし、この曲の祭りは、実際には、夏以外のものが多いけれど、わたくしには、この曲の雰囲気は「夏の音楽」なんです。
 「噴水」も「松」も、きらびやかで、涼し気だったりで、なんだか夏っぽい。
レスピーギのほかの音楽も夏っぽい。

今日は、ルイージ盤を取り上げたけれど、好きな曲なもんだから、たくさん楽しんでますよ。
デ・サバータ、トスカニーニ、オーマンディ、バーンスタイン、マゼール、ヤンソンス、マリナー、ガッティなどなど

Berlioz

 ベルリオーズ  「夏の夜」

   Ms:ヴェロニク・ジャンス

 ルイ・ラングレー指揮 リヨン国立歌劇場管弦楽団

ベルリオーズのこの瀟洒な歌曲集も、その名のとおり、夏。
フランスの詩人、ゴーティエの夢見るような詩の内容に、しなやかに沿うような音楽をつけたベルリオーズ。
幻想交響曲のような派手めな音はここにはなく、抒情と洒落たセンスが漂う名品です。
ヴィラネル、ばらの精、入り江のほとり、君なくて、墓地で月の光、未知の島

透明感あふれる、ジャンスの歌は、心地よいばかりか、ベルリオーズの音楽の持つ抒情性と、ある意味、いびつな輝きとでも言おうか、屈折したクリスタルな光のようなものを感じさせてくれる。
古楽を歌う彼女ならではの美しい歌唱に、美しいフランス語です。
シンシナティ響の指揮者を務めるラングレーの指揮もおしゃれです。

Alfven-sym2-jarvi-1

  アルヴェーン 「夏至の徹夜祭」

 ネーメ・ヤルヴィ指揮 ストックホルム・フィルハーモニー

沈まぬお日様、北欧の夏。
大陸内陸部と違って、北欧には海と山、そして独特の民族音楽がある。
誰もが聴いたことある親しみある旋律からスタートする、全編楽しい曲。
冬は暗く、閉ざされてしまう北欧にあって、夏は明るく、開放的になる人々。
行ってみたいぞ、北欧の夏!
親父ヤルヴィと、本場オケのアルヴェーン全集は、ジャケットもステキだ。

Respighi-bernstein-1

  オネゲル 「夏の牧歌」

 レナード・バーンスタイン指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック

晦渋で、シリアスな音楽をその交響曲や声楽作品には感じるオネゲル。
でも、一方で、描写的な音楽は明快で、わかりやすさがあります。
ラグビーとか、パシフィック231とか。
そして、爽やかな「夏の牧歌」も、一陣の夏のそよ風のような音楽です。
両親のふるさと、スイス・ベルン州のベルナー・オーバーラントで書かれた、その地方の雰囲気そのまま。
行ってみたいな、スイスの野山。

バーンスタインは、こんな作品でも気合が入ってますし、リアルサウンドです。

Rstrauss_ein_herdenleben_haitink__2

  ウェーベルン 「夏風の中で」
           ~大オーケストラのための牧歌~

 ベルナルト・ハイティンク指揮 シカゴ交響楽団

ウェーベルンの作品番号1のパッサカリア以前の初期作品で、番号はなし。
後期ロマン派風の作風で、シュトラウスやマーラーに近く、濃密な響きとともに、オーストリアアルプス風の爽やかなな風が吹き込んでくるような音楽。
以前、ヤンソンスの指揮の演奏でこの曲を書いたときには、この作品が生まれた経緯となった、モンドリアンの風景画を推察し、紹介しました。
オネゲルのラテン系の眼で見たスイス地方の景色と、ウェーベルンのオーストリア人から見たアルプス高原地方の景色との色合いの違い。
ともに爽快ではありますが、ウェーベルンの音楽にある陰りは、どこかに不安な眼差しも感じさせます。
その後の、無調、12音へと進んでいく作風の変化。
その前触れは感じることはできませんが、この作品も、ウェーベルンの当時あった立ち位置や、人々との交流関係をあらわすものであり、重要な作品に思います。

シカゴの完璧なアンサンブルと、ハイティンクのふっくらとした音楽づくりで聴く「夏風の中で」。
冷房のかけすぎで、「夏風邪」をひいてしまった方にも、そうでないひとにも、等しく爽やかであります。

Suk_a_summers_tale

   スーク 「夏の物語」

 キリル・ペトレンコ指揮 ベルリン・コーミッシュオーパー管弦楽団

ドヴォルザークの娘婿、ヴァイオリニスト・スークのお爺さんにあたる、作曲家スークも、その作風を途中で大きく変えた人です。
国民楽派的な民族色豊かな穏やかな作風から、当時の時代に即した、後期ロマン派風の作風へと転身。
そんな作風で満たされた大きな作品のひとつが、「夏の物語」。
このCDは、以前も取り上げ、そのあと、フルシャと都響のコンサートも聴きました。
夏の1日を、人生の長い生涯に置き換えたような、1日の始まりと暑い夏の暮れゆく終末、ロマンティックで濃厚な音楽であります。
右側のスークのタグから、過去記事を御照覧ください。

本日、8月23日に第9で、ベルリンフィルの首席指揮者としてのポストに正式に就任するペトレンコは、こうした曲や、あらゆるオペラにも精通した指揮者です。
あらたなコンビが、この先、どうなっていくか検討もつきませんが、願わくはこうした本格的な音楽を、どんどん取り上げて欲しいものです。

Mendelssohn_midsummer_night_dream_m

   メンデルスゾーン 「真夏の夜の夢」

  サー・ネヴィル・マリナー指揮 フィルハーモニア管弦楽団

夏の音楽の老舗。
シェイクスピアの戯曲をもとにした劇音楽で、いちばん親しみのある音楽。
もうなにも言うことはありませんね。
夢幻性、ユーモア、豊富な名旋律の数々、まさにロマン主義まっさかりの音楽です。

爽やかさんの代名詞、サー・ネヴィルとフィルハーモニア管の演奏、録音もとてもよろしい。

Mahler-sym3-mehta

   マーラー  交響曲第3番

    スビン・メータ指揮 ロサンゼルス・フィルハーモニック

多忙な指揮活動の間をぬっての作曲活動、その多くは夏に行われたが、この3番は、なかでも「自然賛歌」の音楽であり、牧場、森の獣、夜、天使、そして愛が、それぞれ、「私」に語るという音楽でもあります。
そして第1楽章は、パン(牧神)が目覚める「夏の音楽」であります。
果てしなく多くの演奏を聴いてきましたが、わたしにとって、3番のナンバーワンは、アバドのウィーン盤です。
レコード時代に発売即購入で、連日連夜聴いたものです。
そして、その後に入手したのが、メータのロスフィル盤。
くったくない、朗らかな、明快カリフォルニアサウンドで、デッカ優秀録音も含めて気持ちいいこと極まりない。
アバドよりは、「夏の音楽」を感じさせます。
が、アバドの持つ陰りの部分や、まろやかなウィーンサウンド、そして人間味にはかなわない。

夏の朝の、この曲を思い出は、実家に朝帰りしたとき、FMでラインスドルフ指揮のライブが流れていて、爽やかな夏の朝から、日差しが強くなっていって、眩しい太陽が真上に昇っていく様子を、この音楽を聴きながら体感したこと。
もう、30年以上前のことです。
愛する3番の好きな演奏・・・アバドの3種、メータ、バーンスタイン旧盤、ハイティンクCSO、ベルティーニ、レヴァイン。

Azuma-01

もう風は秋を先取り。

夏の音楽も、そろそろ聴き納め、とかいって年中聴いてますが。

まだまだ「夏の音楽」はあるとは思いますが、このあたりで筆をおきます。

夏の終わりは寂しいものです。

| | コメント (8)

2019年8月15日 (木)

ブリテン 戦争レクイエム ハーデング指揮

Image1_20190815160401

もう何度か、ご紹介している少女像。

毎夏、町内はおろか、各地から寄せられる千羽鶴が飾られる。

家族が営むガラス工場が東京大空襲にあい、母と妹を失った少女。焼け跡から出てきたガラスのうさぎを手に、父と神奈川県二宮町に疎開。
駅に停めてあった貨物車両を狙った米軍の機銃掃射が、駅舎も襲い、そこで父を失う。
その時、亡くなったのは無辜の人々、5人。

二宮駅のホーム屋根の鉄骨には、今だ銃弾の跡があります。
わたくしの育った、小さな町も、海沿いということもあってか、相模湾方面から米軍機が終戦末期には飛来しました。
もちろん、お隣の平塚市が、軍事工場が多かったこともあって、空襲の被害はとても大きかったし、神奈川はもちろん横浜の空襲被害が大きかった。
そして、東京、名古屋、大阪の大都市圏も甚大な被害を受け、南方が陥落され、爆撃機が容易に本土各地にやってくるようになり、空襲被害は各地に拡大。
工場に加え、隣接する街々民家も、日本では木造であることこら、焼夷弾が使われ、一般国民の恐怖を煽る戦術を展開した。
 最期は、広島と長崎への原爆投下。
ふたつの原爆は、種類が異なり、アメリカはソ連に先んじて、投じることの効果も、さらに実験的な実証の狙いもあったわけだ。
空襲被害を受けていない、都市を選んでの、残酷な仕打ち。

一般人をこれほどまでに殺害したことは、戦争犯罪にほかなりません。
ドイツにはここまでやらなかったのは、民族差別的な思想もあったはずだ。
もちろん、日本軍もなにがしかの戦禍による、一般人の犠牲を巻き起こしたこともあるのは事実でしょう。

強い国であらんとしなくてはならない、アメリカは、日本の本気の強さ、手ごわさを身をもって知り、日本という国が二度とはむかってこないように、制度、教育、報道、あらゆる場面で、日本がすべて悪かったとの自虐思想を植え付けた。
 
戦後70年以上を経て、アメリカは、大切なパートナーとして、真の同盟国としての日本に、本当の意味での独立を促してます。
心優しい、われわれ日本人は、過去のことは水に流して、今をともに生きることを由とします。

二度と戦争になってはいけない。
日本がしたくなくても、強大化する某国が、太平洋への出口を狙っている。
そのための、ちゃんとした議論を正々堂々としていただきたい。
国民にも、すべてを知らして、理解させながら、反対意見もちゃんと聞きつつ、そんな国の運営を期待したい。

ちょっと保守的な、さまよえるクラヲタ人が、終戦の日に「戦争レクイエム」を聴きつつ、いつにないことを綴ってます。
もっと、もっと書いてしまいそうですが、レフト方面からボールが飛んできそうなので、これ以上、やめときます。

ただひとつ。
このガラスの少女像は、事実です。
どこかの国の少女像とは違います。

Image3

ガラスのうさぎ

D7obrlaxyae43zo

   ブリテン 戦争レクイエム

     S:エマ・ベル
     T:アンドリュー・ステイプルス
     Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

  ダニエル・ハーディング指揮 パリ管弦楽団
                ウィーン学友協会合唱団
                ウィーン国立歌劇場合唱団

         (2019.5.27 @ウィーン・コンツェルトハウス)

ハーディングとパリ管の、戦争レクイエムを引っさげてのヨーロッパ公演のうち、ウィーンでの演奏会をオーストリア放送協会のライブ放送で聴いたものを録音しました。
もん何度も聴きました。
これは、迫真の名演です。

ソプラノとテノールは、イギリス。
バリトンは、ドイツ人で、イギリス人が、フランスのオーケストラを指揮して、合唱はオーストリア。
まさに、ブリテンが望んだ、かつて戦った連合国と枢軸国の人々たちによる演奏。
ついでに、パリ管には日本人もいらっしゃいます。

音楽の演奏行為じたいもインターナショナル化した現在、ブリテンが作曲し、初演した当時と世界の枠組みはまったく変化してますし、こうした組み合わせも容易に仕立てることもできます。
それでも、超がつくくらいの集中力を感じさせ、全体をリードしていくハーディングの指揮振りには、なみなみならないものを感じます。
迫力あるディエスイレ、弦の刻みも克明で、パリ管の金管のシャウトもすさまじい。
一方で、ラクリモーサの哀しみも切度たかく、続く祈りも静謐。
ウィーンのお馴染みの合唱団も、とてもうまくて、絶叫にならずに、バランスもよろしく、とてもすてきです。
最期の、敵兵同士の邂逅と許しあいの感動的なシーンも、音楽を明快に聴かせるハーデングらしく、とても端麗な仕上がりだし、そのあとの平安に満ち、浄化されゆくエンディングも緊張を糸が途切れず、素晴らしいです。
会場をつつむ静寂も音楽の一部のようで、ライブならではの雰囲気を共有できるものです。

ちょっと歌いまわしが巧すぎるゲルハーヘルに、いかにも英国テナーらしい、透明感あるステイプルスの声の溶け合いのバランスもいいし、ワーグナーを得意とするベルの真摯なソプラノも好ましい。

あと、ウィーンの響きの豊かなホールもよく録音で捉えられてます。
ネット放送のありがたみをここでも満喫できました。

B401cf2664044a77ace49cc4efc53cdf 

敵同士が戦場でまみえ、やがてともに、許しあいながら眠っていく・・・というこのレクイエムの最期のシーン。
最前線の兵士の戦場の場面をオーエンの詩に託し、あと、死者を弔うことは、ラテン語の通常典礼文にて描ききったブリテンの名作です。
作者自身の手を離れて、つぎつぎに名演・桂演が生まれます。
これもまた、名曲たるゆえんでありましょう。

過去記事

「ブリテン&ロンドン交響楽団」

 「アルミンク&新日本フィル ライブ」

 「ジュリーニ&ニュー・フィルハーモニア」

 「ヒコックス&ロンドン響」

 「ガーディナー&北ドイツ放送響」 

 「ヤンソンス&バイエルン放送響」

 「ネルソンス&バーミンガム市響」

「K・ナガノ&エーテボリ交響楽団」

「ハイティンク&アムステルダム・コンセルトヘボウ」


「デイヴィス&ロンドン響」


毎年、おんなじような記事内容です・・・


Image2

8月15日。
すべての戦没者に捧ぐ。

| | コメント (2)

2019年8月10日 (土)

夏の音楽 その1

Summer-4_20190810123401

私にとっての夏の風景。

こんな景色を眺めながら聴けたらいい「夏の音楽」の多くは、英国音楽の数々。

夏の音楽、その1は、これまで何度も書いてきた英国音楽をチョイスします。

やはり、ディーリアス。
四季おりおり、季節に応じた作品が多いのもディーリアス。

Delius_wordwaorth_20190810095501

  ディーリアス 「夏の庭園で」

    バリー・ワーズワース指揮 ロンドン交響楽団

ディーリアスが妻イェルカのために書いた愛すべき音楽。
まさに、自然を活かした英国庭園で過ごす、夏のひと時、みたいな印象そのままの音楽。
物憂い暑さ、蜂の羽音、遠くに子供たちの声・・・・
そうした描写的なシーンのなかにも、ほれぼれしてしまうような歌にあふれた旋律が滔々と流れる。
この旋律を客観的に美しく演奏したワーズワースやハンドレーが好き。
あと、愛おしく、想いのたけを注ぎ込んだバルビローリも。
でも、珍しくディーリアスを録音してたオーマンディは自分にはダメだった。

P9216792 Delius-handley

バルビローリとハンドレー、ともにハレ管のもので、ディーリアスの音楽は、いずれもジャケットも素敵。

Delius-groves

  ディーリアス 「夏の歌」

 サー・チャールズ・グローヴズ指揮 ロイヤル・リヴァプールフィルハーモニック

「夏の歌」、この曲も大好き。
ほどよく短いのもいいが、そのなかに凝縮されたドラマティックな夕焼けのような音楽。
海と山、夕暮れに別離、そんなディーリスの終生好んだ素材が詰まってます。
どうしても初聴きの、グローヴズ盤が忘れがたい想いでの演奏です。
あと、ここでも、バルビローリにハンドレー、あとA・デイヴィスも好き。

Delius_partsong

  ディーリアス 「夏の夜 水のうえにて歌える」

     エリジアン・シンガーズ・オブ・ロンドン

ディーリアスの数々あるパート・ソングはいずれも涼しげで、夏の木陰や、夕涼みのひとときにぴったり。
2つのパートソングからなるこの作品。
レコード時代、ロンドンレーベルから出たこの曲のレコード、キラキラした水面に浮かぶ舟が、とても印象的で、ハルシー・シンガーズの演奏だった。
オリジナルジャケットで復活しないかな。

あと、「川の上の夏の夜」とかもあり、ディーリアスの「夏の音楽」は、自分には「夏の音楽」の代表格です。

  ----------------------------

Elgar-1-elder-1

   エルガー 序曲「南国にて」

  サー・マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団

エルガーの夏の音楽は、大オーケストラによる「南国にて」。
南フランスからイタリアにかけて旅行したエルガーが、陽光も眩しく明るくきらめく風土に感化され書いた音楽。
かなりダイナミックな音楽でもあり、20分以上かかるし、演奏効果もあるから、コンサートの最後でも大丈夫。
でも、この曲の一番魅力的なシーンは、中間部のビオラソロによる美しいセレナード。
夏の月夜に、夢見るようなこの素敵な旋律はぴったりきます。
 エルガーの交響曲や、オーケストラ作品のカップリングによく入っているので、たくさんの音源を持ってます。
エルガーと無縁そうなムーティがスカラ座フィルと珍しくもこの曲を録音しているのも、この作品の「南国」っぷりをあらわしてますが、わたくしは、残念ながらその演奏は聴いたことがありません。

Holst_partsong

   ホルスト ふたつの東国の絵から、春と夏

     ホルスト・シンガーズ

「惑星」のホルストにも、小粋な作品がたくさんあります。
そして、先のディーリアスのように、英国作曲家ならではのパートソングも。
そのなかから、いかにも東洋好きのホルストらしい、東国の絵からインスパイアされたふたつの歌。
伴奏がハープで、これまた、さわやかで涼しげ。
このジャケットのとおりの音楽ですよ。
ダイナミックな惑星の作曲家とは思えない、楚々とした慎ましい音楽、これこそホルストの神髄です。

Bax_2_20190810095201

   バックス 交響詩「ティンタジェル」

  ブライデン・トムソン指揮 アルスター管弦楽団

この曲、夏ばかりか、年中聴いてる大好きな音楽。
コーンウォールにあるティンタジェルの街を訪れたバックス。
アーサー王伝説も残る、真夏の荒涼としたティンタジェル城跡。
海と風、日の光を感じさせる渋いけど、輝かしい音楽です。
ダイナミックなトムソン盤は、シャンドスの名録音のひとつで、7曲の交響曲を7枚のCDに、管弦楽曲もカップリングして、その素敵なジャケットとともに、わたくしの宝物。
バルビローリ、エルダー、ダウンズ、ともに好き。

Marriner_english2  

   ブリッジ 交響詩「夏」

 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

フランク・ブリッジの後期ロマン派風の作風は、その作品数はあまり多くはないが、いずれも自分には素晴らしいものばかり。
季節を描いた曲として、「春のはじまり」とこの「夏」もあります。
とても幻想的な音楽で、とりとめのない中に、夏の物憂さや、いずれ去る夏をいとおしむような雰囲気を感じます。
夏の、午後2時ぐらいの感じの音楽といえばいいでしょうか・・・
イギリスの四季の音楽を集めた、サー・ネヴィルの透明感感じる美しい演奏に、グローヴズの大人の演奏もステキ。

Britten-midsummer-nights-dream-davis

   ブリテン 歌劇「真夏の夜の夢」

  サー・コリン・デイヴィス指揮 コヴェントガーデン王立歌劇場

ブリッジの弟子だったブリテンは、パーセル以来のオペラ作曲家となった。
シェークスピアの戯曲を、先達のパーセルと同じくオペラ化しました。
これが幻想的かつ、抱腹絶倒の素晴らしいオペラなんです。
実際の舞台も観たし、ハイティンクのナイスなDVDも楽しみ、過去記事にしました。
音楽だけ聴いても、十分に楽しいし、ブリテンの筆の確かさと鮮やかさがわかります。
ちょろっと全部聴くわけにはいきませんが、つまみ聴きしても、クールな筆致のブリテンの音楽は、まさに真夏の夜のひとときの夢そのものを思わせます。
暑い夏の一夜、妖精たちに遊ばれてしまうのも一興です。
作曲者以外には考えられなかった頃に、ブリテンのオペラ録音に果敢に取り組んだデイヴィスの指揮で。

英国音楽作品には、まだまだ「夏の音楽」はたくさんあります。

Summer-1


| | コメント (2)

2019年8月 4日 (日)

ワーグナー 「タンホイザー」 ゲルギエフ指揮   バイロイト2019

Yasukuni-4

先月の靖国神社「みたま祭り」。

ここ数年、ずっと行ってますが、天候不順にもかかわらず、今年の人出は多かった!
特に、若い人や外国の方が多い。
英霊を弔う本来の場所ですが、こうして、多くの人々で賑わい、楽しむ姿は、これでよいのではないかと思います。

さて、7月の終わりから、欧米各地で音楽祭が始まりました。
なかでも、わたくしの最大の楽しみは、バイロイト音楽祭とPromsです。
いずれも、その音源は優秀な音質でネット配信されますし、映像もちょっと工夫すればリアルタイムに観劇することができます。

さっそく、今年のプリミエ、「タンホイザー」を観ましたので、記事にしてみました。
昨今の演出にあるように、映像も意識した、微に入り細に入り、かなり発信性の高いものだから、まだこれからその受け止めの考えも変わるかもしれませんので、第一印象というところで。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019112__

映画のひとコマ?
「オズの魔法使い」?
そんなイメージを想起させるこちらが、「タンホイザー」の序曲からすでに繰り広がられます。

  ワーグナー  歌劇「タンホイザー

 領主ヘルマン:ステファン・ミリング タンホイザー:ステファン・グールド
 ウォルフラム:マルクス・アイヒェ  ヴァルター:ダニエル・ベーレ
 ビテロルフ :カイ・スティーフェルマン 
 ハインリヒ:ヨルゲ・ロドリゲス・ノルトン
 ラインマール:ウィルヘルム・シュヴィンハマー 
 エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン ヴェーヌス:エレナ・ツィトコヴァ 
 牧童:カタリーナ・コンラディ
 ル・ガトー・ショコラ:ル・ガトー・ショコラ 
 オスカル:マンニ・ライデンバッハ

   ヴァレリー・ゲルギエフ指揮 バイロイト祝祭管弦楽団
                 バイロイト祝祭合唱団
            合唱指揮:エバーハルト・フリードリヒ
      
   演出:トビアス・クラッツァー

               (2019.7.25 バイロイト祝祭劇場)

配役のなかで、誰それ?ってのがあります。
そう、下段のふたり。

ひとりめのショコラちゃんは、ドラァアグ・クィーンで、いわゆる「オネエ」のこと。
そして、オスカルは、映画「ブリキの太鼓」に出てくる小人、発達が止まった大人で、映画では関わった人間がみんな死んでゆくという残虐なキャラクター。
このふたりと、ヴェーヌスがヴェーヌスブルクの住人で、そのヴェーヌスは、パンクファッションをまとったロックな女で、無法者っぽい。
この世界に紛れ込んだタンホイザーは、芸術の世界から放逐された人物で、ピエロの恰好をしていて、マクドナルドのドナルドみたい。

序曲が始まると、スクリーンに映し出されるのは、ヴァルトブルク城で、そこであのメロディーが奏でられるのだから、一安心って感じ。
その城をドローン撮影で上空から映しながら、やがて現れるのはキャンピングカーで、車には屋根にはウサギのおもちゃが載ってる。

画像はいずれもバイエルン放送局のものを拝借してます。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019108__

ドイツ紙の批評によると、故シュルゲンジーフの物議をかもした「パルジファル」演出に映像で出てきた腐れゆくウサギのこと、とありました。
そして車に乗るのは、先の3人組に、ピエロのタンホイザーで、みんな楽しそうで、自由を謳歌している。
しかし、ふとメーターを見ると、ガソリンがエンプティ。食料も尽きて、一行は、バーガーキングのドライブスルー、運転手のヴェーヌスが注文し、タンホイザーはカードを提示、ところがそのカードは偽物で、カードに記された言葉は・・・
一方、残りの二人は駐車場のほかの車からガソリンを盗む、そしてかたっぱしから、ある言葉の書かれたチラシをまいたり貼ったり・・・

「Frei im Wollen    Frei Im Thun   Frei im Geniessen」

「自由を望み 行動し そして楽しむこと」

こんなスローガンを掲げた、いわば自由と希望を掲げた連中で、ここではアウトローであったり、LGBTであったり、社会の局外者であったりするわけです。
そして、この演出で、何度も出てくるこの言葉こそ、ワーグナーが発したもので、そのワーグナーこそ、タンホイザーとローエングリンの作曲の間ぐらいの時期に、革命に身を投じお尋ね者となり、亡命していたわけである。

ここに視点を置き、ワーグナーとタンホイザーをかぶらせたのではないかと思います。
ヴェーヌスブルク(と思われる場所)にいるときから、タンホイザーは分厚いスコアを持っていて、それを投げつけたりすると、ヴェーヌスが拾ってあげたりと・・。

 さて、ガソリン泥棒と無銭飲食をした一行の前に立ちふさがった警備員。
タンホイザーが止めるもむなしく、その警備員をひき殺してしまい、タンホイザーは一気に冷めてしまいふさぎ込んでしまう。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019106__

そのあと、車を止めて、バーガー類をほおばる3人組、ニンフたちの合唱は、ラジカセから。
ついに、もうこんな生活やだと言わんばかりに、マリアの名前を叫んで、離脱するタンホイザー。
 倒れ込んだ野原に現れたのは牧童ならぬ、自転車に乗った市民。

Th-1

その導きで、行ったのは、緑の丘の上で、リアルバイロイト祝祭劇場の前庭。
合唱団は、上演を待つ観客で、暑いので、パンフレットをうちわ替わりにして扇いでる。
さて、つぎにあらわれ、ピエロのタンホイザーのかつての仲間の騎士たちは、劇場のスタッフたちで、首から認証カードを下げてる。
ここには、エリーザベトもあらわれ、タンホイザーにビンタを食らわせる。
 仲間にもどり、劇場に向かったタンホイザーを追って、車で侵入してきた、自由3人組、脱ぎ捨てられたピエロの衣装を拾って幕!

1幕の概要を長く書きすぎてしまった。
でも、この1幕でもって、全体の伏線も理解できるし、演出の意図もよく見えるのであえて詳細に。

2幕は、劇場の裏側にカメラが。出を待つエリーザベトは、従来のお姫様の姿で、舞台は、まるきりかつてのウォルフガンク・ワーグナーの伝統的な舞台のパロディーのようで、安心できるもの。
エリーザベトに対するウォルフラムの様子は、あきらかに好意以上のものがにじみ出てる。
 一方、スクリーンでは自由3人組が、劇場のバルコニーに登り、例のスローガンを掲示。
さらに劇場内部に潜入する。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019114__  

ヴェーヌスは、出演間際の女性合唱団員がトイレに入ったのを襲い、しばき上げ、衣装を盗んでなんと、ちょろちょろと合唱団として舞台に登場してしまい、口パクで歌う。
このあたりの、ヴェーヌス役のツィトコワちゃんの、演技のオモシロさやカワユサに笑い。( ´艸`)
 一方の、オネエとオスカル組は、劇場内を冒険、歴代指揮者たちの写真が飾られるところで、テーレマンを見て腰を振るショコラ、あとレヴァインにも反応してました( ´艸`)
観客に笑い声も巻き起こったようです。笑えるタンホイザーなんて( ´艸`)

タンホイザーの自爆シーンでは、ヴェーヌスがパンクな本性をあらわし、乱入したほかのふたりと踊りまくり、例の言葉の紙をまき散らす。
大騒乱となったところでの、エリーザベトの感動的な制止のシーン、彼女はなんとリストカットしたあざを振りかざすんだ。
 反省と後悔の念のタンホイザー、責める人々、こんな重唱のなか、カタリーナ・ワーグナーがスクリーンで登場、劇場スタッフからの連絡を受けて、彼女は、警察に通報。
パトカーが列をなして、劇場に向かい、警察官が舞台になだれ込む。
ローマへ、の一言とともに、領主ヘルマンの指令をもって、タンホイザーは、警察当局にしょっぴかれる。
残されたヴェーヌスは愕然とし、オスカルは座り込み、ショコラはレインボーの旗をハープにかぶせ抗議。
そう、自由が奪われた2幕の最後のひとまく。

Th-3  

ローマ巡礼行の音楽が流れる中、タンホイザーがまとっていたピエロの服が残る廃墟のようになったキャンピングカーの前で、オスカルはブリキの太鼓を鍋がわりに缶詰料理を。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019102__

そこに着の身着のままの体、お姫そのままのかっこうの空腹のエリーザベトがあらわれ、オスカルと遭遇し、料理を食べさせてもらう。
死にゆくエリーザベトに、人を死に導くオスカルという映画通りの流れ。
未練たらたら、エリーザベトに近づくウォルフラム。
そこへ、巡礼の合唱とともに、やってきたのは、まるで移民たちのよう。。。。。
そこにタンホイザーの姿はなく、エリーザベトは失意のうちに、アリアを歌い、なんと上着を脱いで下着姿に。
その傍らで、ウォルフラムは、ピエロの服と赤いかつらをかぶり、それを見たエリーザベトは喜び、そして車に引き入れ、ふたりは、いたしてしまうシーンが、リアルにえがかれる。
悔悟に暮れて歌うウォルフラムの「夕星の歌」。
タンホイザーになれなかった、自由を謳歌できなかった、いや、タンホイザーなったふりをしたことへの悔恨か。
歌う中、エリーザベトは車を出て、腕の古傷を押さえながら倒れ込み、オスカルがなだめる・・・

Th-7

舞台は回転し、成功者ショコラとブランド時計の巨大な看板のもと繰り広がられる。

Th-8

そこへ、移民風に薄汚れ、ビニール袋をもったタンホイザーが。
ウォルフラムは、ビニール袋から、もう年季の入ってしまった分厚い楽譜を恭しく取り出し、ローマ物語での教皇の話のあいだ、その楽譜を抱きしめたり、優しくなでたりする。
ところが、タンホイザーは、その楽譜を取り上げ、まるで教皇に断罪されたのがその楽譜であるかのように、丸めて地面に投げつける。
それをまた広い、大事に抱きかかえるウォルフラム。
最後は文字通り、やぶれかぶれで、ヴェーヌスブルクの音楽が流れ込むなか、ふたたび手にした楽譜を、ビリビリに引きちぎり、それをウォルフラムが必死に押しとどめるが、ついには、火をつけて焼いてしまう。

Th-6

そして登場のヴェーヌスは、なんと目無し帽をかぶったテロリスト然とした姿。
例の言葉の書かれたプラカードを掲げ、タンホイザーも一緒になって、それを掲げる。
ウォルフラムの、渾身の、それこそ愛情もこもった「エリザベート」の一言と、亡きがらを指さす姿に、タンホイザーも一変。
オスカルに見守られ、車中にあった血に染まったエリザベートをおろして、タンホイザーは彼女とともに横たわり、ウォルフラムは、彼女のお姫様の服を優しくかけてあげる。

Tannhaeuserbayreutherfestspiele2019104__

見守るヴェーヌスの眼も、これまでと違った表情になった。
スクリーンでは、軽くピエロの化粧の残ったタンホイザーと仲良く車に揺られるエリザベート、ふたりの笑顔を写しつつ、旅の始まりと、終わりのような印象をあたえつつ、幕となる。

             幕

幕が閉じると、ブラボーを圧するブーイング。
ともかく、パロディーのきいた演出で、タンホイザーとワーグナーを重ね合わせ、さらには、バイロイトに集う観客、既定の演出や演技者を既存の観念とし、それらとは、真逆の世界に住まう連中を自由を謳歌する人々と位置づけ対立軸に持ち込んだ。
死による浄化も、最後には自由と希望を得る手段のようにも見えかねない。
わたしのような浅い思考力では、演出家クラッツアーの狙いや考えはわかりません。
 最初、画像や映像の断片しかみなかったときは、SNSなどで、批判をしたものだが、全編観たことで、その考えは少し変わった。

最初から最後まで、いろんな伏線をひきつつ、一本筋のとおった考え抜かれた演出だと思うようになった。
ただ、そこにLGBTや移民、テロなどの問題を絡めることで、その筋にもややこしさや、政治色が生まれることになった。

あと、スクリーンの多用は、ここまでやると禁じ手のカードを切りすぎた感がある。
舞台で再現できない、ありえへんストーリーをこれではいくらでも作れてしまう。
荒唐無稽な「リング」なんて映画チックにいくらでも制作できちゃうだろう。

そして、実際に歌い、演奏されてる音楽と舞台や映像との齟齬と乖離は、いかんともしがたい。
2幕のエリーザベトの必死の嘆願の感動的シーンは、リストカットの傷を見せられたり、かたわらで繰り広がられるヴェーヌスとタンホイザーの淫らな動きなどを見せつけられ、音楽の力を削いでしまうのだ。
何度も書くが、ワーグナーの音楽は、それだけで、すべてを表現しつくして雄弁なので、ごちゃごちゃいじくりまわさないで欲しい!と

オモシロくて楽しめる演出だったけど、やっぱりイヤだな。
でも、昨年の、環境問題をテーマにしたような「ローエングリン」よりは、よっぽど訴えかけは強いけどね・・・
未消化部分が多いので、またなにか書くかもしれません。

    --------------------------

Th-9
         (楽しそうな一行♪ 運転手はヴェーヌスさ!)

歌手は、こんなめんどくさい演出なのに、歌に演技に、実に素晴らしかった!
なかでも、ヴェーヌスのツィトコワ。
本来は、グバノヴァの予定であったが、彼女の怪我で、急遽ツィトコワが初日に立つことになったという。
小柄な彼女の強い声によるヴェーヌスは、安定していて、先に書いたように、その所作が可愛く、おもしろい。
新国にも以前、よく登場していて、私は以前よりファンなんです。
オクタヴィアン、フリッカ、ブランゲーネを観ました。音源では、ブイヨン公妃も素敵です。

あと、デビューのダビットソンのエリーザベトは、堂々たる声で、まさにプリマドンナ風。
最近のクールでスマートな歌唱ではなく、ちょっと一昔前のなつかしさを感じる一本気な声。
同じく北欧出身の先達たちのように、今後の活躍が予想されます。

あと、アイヒェの友愛と、それこそ複雑な愛情にあふれたウォルフラムをマイルドな声で歌い、揺れ動く優柔不断の演技もサマになってます。
グールドの安定感あるタンホイザーも素晴らしく、このタフで息の長い歌手の存在はありがたいものです。
演出の意図をよく理解して、大きな体で迫真の演技です。

 さて、演奏サイドで、唯一、ブーを浴びてたのがゲルギエフ。
聴きなれないところが強調されたり、音を一部引き延ばしたりと、いままで聴いてるタンホイザーとはちょっと違うようにも感じました。
テキパキと流してしまうことの多いゲルギエフのいつもの指揮とも、違う、一部はなかなかの力演に思える場面もありました。
報道では、バイロイトの劇場の独特の響きに苦戦していたとのこともあります。
そして、ザルツブルクとヴェルビエの各音楽祭をかけ持って飛び回っているこの夏のゲルギエフの多忙さで、ろくに練習もできていない、との指摘もあり、リハーサルにも遅れたりとか言われちゃってます。
 それに黙ってられないゲルギエフは、反撃し、そんなことはない、ワーグナーの音楽に真摯に取り組んでる、と反発してます。
しかし、どうやら来年はもう登場しないとのうわさも・・・・・

まぁ、こうしていろいろあるのが、バイロイトの、ことさら新演出の楽しみ。
来年は、「リング」の新演出年。
演出は、オーストリアのヴァレンティン・シュヴァルツと、指揮は、日フィルでおなじみのピエタリ・インキネン。

炎夏のヨーロッパ。
バイロイトも猛暑で、このタンホイザー初日には、暑さに対する抗議デモなんてのも行われちゃってます・・・・?

Yasukuni

日本では、祭りの季節。

日本の夏です。

| | コメント (0)

« 2019年7月 | トップページ | 2019年9月 »