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2019年9月

2019年9月28日 (土)

バッハ 無伴奏ヴァイオリン・パルティータ アーヨ

Shiba-1

変わりやすい秋の空。

ちぎれたウロコ雲も秋っぽい。

これから深まる秋に、バッハの無伴奏。

Bach-ayo

 バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ

     Vn:フェリックス・アーヨ

       (1974.12.29~1975.01.02 @ローマ)

バッハの無伴奏といえば、ヴァイオリンかチェロ。
ヴァイオリンが、ソナタとパルティータで、チェロは組曲。
その楽器の特性を見事に読み込んで、これらの形式を選択して作曲したバッハ、今さらながらその慧眼に驚きと感謝を禁じえません。
あ、あとフルートにも孤高の無伴奏ソナタがありますね。
いっとき、フルートを嗜んだものですから、そのソナタ、最初のほうだけ結構吹きましたものです。

わたくしの無伴奏の初レコードは、フェリックス・アーヨのものです。
初出のときは、高くて手がでなかったし、なによりも、今では2CDで易々と手に入るシェリングやミルシュテインのレコードは3枚組で、6000円以上もしたし。
そして、バッハのシリーズとして2枚組、2,900円で出たアーヨ盤に飛びついたのは、もう40年くらい前。

たくさんの音源を集めましたが、このアーヨ盤が今でも好き。
ソナタのほうは、入手困難で、悶々としておりますが、よりアーヨ向きのパルティータがCD化されて、ほんとにうれしかった。

イ・ムジチのアーヨ、イ・ムジチの「四季」、アーヨの「四季」という塩梅に、アーヨといえば、イ・ムジチと四季から切り離せないイメージがついてまわりますが、そのアーヨも、イ・ムジチを出てから、クァルテットを結成したり、ソロ活動をしたりと活躍の幅を広げたものの、それらの記録があまり残されていないのが残念です。

そんななかで、貴重なものが、このバッハ。
初めて、レコード針を落とした時に、スピーカーから流れだすヴァイオリンの明るく、艶やかな音色に即時、心惹かれ、魅了されてしまいました。
いま、CDでこうして聴いても、その想いに変わりはありません。
CDだと、ノイズも気にしなくてよいし、より情報量が増した感じで、ダイナミックレンジも広く、高域から低域まで、ここまでまんべんなく朗々とヴァイオリンを鳴らすことのできるアーヨに感嘆してます。

それには、フィリップス録音の優秀さも、一役買っているようにも思います。
ローマでの録音とありますが、こちらは教会を会場としてのものなのです。
豊かな響きは、教会の高い天井にこだまするようにして、教会そのものが、ヴァイオリンと一体化して楽器の一部のようにして感じられるのです。
響きばかりで、ふにゃふにゃしては決しておりませんで、アーヨの芯のある力のこもったヴァイオリンの音色もしっかりと捉えているんです。
 某評論家がかつて言ってましたが、よき演奏は、録音もジャケットもよろしい、と。
ジャケットは再発時のものですが、まさに、その三拍子が整った音盤かと!

もっと、情的なものを抜いて、構成感を高め、緊迫した演奏も、この無伴奏には多くありますが、アーヨの艶っぽい、歌心のあるバッハも、日ごろの緊張や疲れを、優しく包み込んでくれるような感じがして、わたくしには大切なバッハの姿の一面を聴かせてくれるものと思います。
長大な「シャコンヌ」では、いかつめらしさは一切なく、滔々とあふれ出る音楽を素直に受け止めることができる。
 そして、明るく軽快さも感じる3番が一番アーヨらしい演奏かも。
言葉はなんですが、普段聴きできる、アーヨの無伴奏なのでありました。

Shiba-3

高い空にバッハ。

Vivaldi-ayo

ついでに、懐かしの「アーヨ、イ・ムジチの四季」も聴いてみました。
(画像はネットからからのお借りもの)

なんというレトロ感、いやしかし、いまや、これは新鮮だ!
ムーディに流れるようでいて、各章に、心が込められていて、明るい歌のイタリア感も満載。
1959年の録音ということも、いまさらながらに驚き。
世界のベストセラーは、いま聴いても健在。
なにかとポンコツ気味の自分も頑張らなくちゃ。

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2019年9月26日 (木)

コルンゴルト 「二つの世界の狭間で~審判の日」  マウチェリー指揮

20190925-c

1914年開業の東京駅。
その丸の内口の南北ドームの天井にあるレリーフ。

1945年の東京大空襲でによる火災で、かなりの被害を受け、戦後修復。
そして完全修復をともなう建て替えが、2012年になされ、このような美しいレリーフが復活。

8匹の羽ばたく鷲も印象的。
東京駅へ降り立つと、必ず見上げます。

Korngold

 コルンゴルト 「二つの世界の狭間で」~審判の日

   Between Two Worlds:Judgement Day

     P:アレクサンダー・フレイ

 ジョン・マウチェリー指揮 ベルリン放送交響楽団

         (1995.04 @ベルリン)

コルンゴルトの甘味でかつ、切れ味も感じる素敵な音楽を。

ヨーロッパの地から、アメリカへ渡ることとなった要因である、ナチス政権も末期となり、第二次大戦の終結を翌年に控える1944年の作品。

1938年、ナチスがオーストリアとドイツを併合するか否かの国民投票を無視するかのように、傀儡政権を立て、ウィーンに進出。
ユダヤ人たちは、次々とウィーンを脱出し、コルンゴルトも家族や親族をそのようにまず脱出させ、そして自らもアメリカに渡ることとなる。
コルンゴルトの音楽は、ほかのユダヤの出自の作曲家や、先端を走った作曲家などとともに、退廃音楽のレッテルをはられ演奏禁止処分をうけてします。

何度も、書き思うことだが、あの戦争がなければ、音楽界はまた別な側面が残されていたであろうと。
ただし、戦争を肯定するつもりはさらさらないが、あの大戦で、世界はひとつの秩序を一時的には生み出したことも事実。
いま、その一時的な秩序も東側体制の崩壊で見せかけのものであったことが露見し、残った勢力の横暴で、あらたな混迷が生まれていることは、言わずもがなのことであります。

ヨーロッパとアメリカ、ふたつの間、そして、クラシカル作曲家と映画音楽の作曲家、ふたつの側面。
さらには、舞台と新興著しい映画産業とのふたつの側面。
これらに「挟まれた」のがコルンゴルトでもあります。
CDジャケットのコルンゴルト一家の旅装写真も、まさにそんな側面をよくあわらしていると思います。

「二つの世界の狭間で」は、1944年上映の同名の映画のために書かれた音楽です。
音楽自体は、1時間以上の大編となりますが、そこから、指揮者のマウチェリーが、14曲からなるシーンを選び出して編んだ演奏会用組曲が、この作品であります。
 マウチェリーが生まれたのも、1945年ということで、ハリウッドで活躍中だったコルンゴルトの音楽や、その周辺の時代の音楽に強いシンパシーを抱いていることも理解できます。
同じコルンゴルトのオペラ「ヘリアーネ奇蹟」の名盤をはじめ、デッカの「退廃音楽シリーズ」の中心的指揮者だった。
あと、ハリウッド・ボウル管弦楽団との演奏もいくつか録音があります。

さて、この映画における「二つの世界」とは?
それは、戦時の世界とそうでない世界、そして、天国と地獄。

1940~41年、ロンドンはドイツ軍による大空襲を受けた。それは「THe Blitz」と呼ばれる。
戦火を逃れるため、アメリカ行きの船に乗船しようとした、オーストラリア人のピアニストと、その彼を支える献身的な妻のふたり。
ところが、彼らは乗船拒否にあってしまい、このまま死と隣り合わせのロンドンにはもういたくないと、自決をしてしまう。
 そして、気が付くと、船に乗っていて、まわりには、爆撃で殺された人々。
そう、死後の世界へ。
そこへ、天の「審判者」がやってきて、亡くなった女優と、ジャーナリストの彼氏が審判へ、取引を持ち掛けたりして失敗したりもする。
そして、キリスト者にとって御法度の自殺をしてしまったピアニスト氏には、永遠に航海から逃れられないという罰を受ける。
しかし、夫とずっと一緒に居たいという妻の熱い懇願に、審判者も折れ、ふたりは、元のロンドンのアパートに戻ることとなり、めでたしメデタシ。

実際の映画に、このコルンゴルトの素敵な音楽がついたら、さぞかし、と思われますが、こんな要約だけを見ると荒唐無稽に過ぎて思うかもしれません。
14の各曲に、この要約のようなタイトルが、それぞれにつけられていて、それを頼りに聴くと、コルンゴルトのナイスな筆致もよくわかります。
ライトモティーフ的に、登場人物や愛情をあらわすテーマが使われ、それらの旋律を追うことでも、ドラマ理解の一助にもなります。
 オペラ作曲家であり、銀幕の作曲家でもあったコルンゴルトの面目躍如たる所以です。
また、「死の都」や「ヘリアーネ」「カトリーン」といったオペラの雰囲気もあり、わたくしにはそれらを思い起こすことでも、楽しい聴きものであります。

もう15年以上前に買ったCDですが、久しぶりに真剣に聴きました。
ジャケットの右側にある帯タイトルに、「Entartete Music」=退廃音楽、とあります。
このシリーズ、廃盤となり、いまではまったく入手困難のものも多数。
その半分も聴いておりません、復刻を望みたいところです。

20190925-d

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2019年9月22日 (日)

ショパン 24の前奏曲 グヴェタッゼ

Kibana-3

いつものお山にある、キバナコスモスの群生。

これはこれで、とても美しい。

オレンジと緑というと、わたくしには、かつての湘南電車を思い起させます。
子供時代は、床がまだ油の引いた板張りで、扇風機もついていたし、おとなのオジサンたちは煙草吸いまくりだったし。
あと、車両の連結部が怖かった。

あと、この色の配色は、川崎が本拠地だった「大洋ホエールズ」ですな。
高校時代にアンチGとなり、川崎時代からのファンであります。
現在のベイスターズの洗練さとは、かけ離れた野暮ったいチームでしたが、何が起きるかわからない爆発力がありましたな。
しかし、昨日はチクショーめ、です。

オレンジひとつで、いろいろな想いをかき立てられる。
それはノスタルジーでもあります。

んで、ショピンと書いてChopin=ショパン。

Chopin-gvetadze

   ショパン 24の前奏曲 op.28

      ニーノ・グヴェタッゼ

      Nino  Gvetadze

 (2017.06.12 @フリッツ・フィリップス・ムジークヘボウ、アムステルダム)

ショパンは好きだけれど、ふだん、オペラとかオーケストラ作品ばかり聴いているので、その決して多くない全作品をCD棚に網羅しているにも関わらず、最近はなかなか聴くことがなかった。
5年ぶりのショパン記事であります。

さる音楽仲間のご厚意で聴いた1枚が、とても鮮烈だったので、ここに当ブログ3度目の「前奏曲集」を取り上げることとしました。

長調と短調の繰り返し、バッハの「平均律」をリスペクトしつつ書いた前奏曲集。
ばらばらに書かれたとの説もあるものの、ハ長に始まり、その関係短調をおきつつ、5度循環で24の調性を並べた緻密な構成。
それらが、とりとめなく聴こえるけれど、真ん中の折り返しで、長調・短調、お互いに♯と♭が6つの調性となっていて、きれいな対称構造となっているところが素敵です。
そして、ショパンならではの、詩情と幻想にあふれているのが素敵なのであります。

ジョージア(かつての名はグルジア)出身のニーノ・グヴェタッゼは故郷のトビリシに学び、オランダへ出てそちらで研鑽を積み、リスト・コンクールで大いに評価され、アムステルダムを中心に活躍する注目のピアニスト。
 エキゾチックな黒髪の美人で、その技巧の冴えもさることながら、見事なまでの緊張感を持って、一音一音を大切に、磨き込むようにして奏でるそのピアノは、抒情の滴りとともに、ショパンのほの暗い側面や情念をすら描きだしてやみません。
高名なる「雨だれ」も、そこだけが浮き立たずに、全体の24曲の長短の流れのなかに、しっとりと収まるべくしておさまってます。
そう、24曲の前奏曲、それぞれがそれだけでも個々に成り立っているように聴こえる、そんな聴き方もできる一方、全体を通して聴くことで、有名な旋律も、浮かびあがることなく、その瑞々しさもあいまって、一服の詩集を読んでみたような気分になりました。
 カップリングのスケルツォ2番もいいです。

彼女の音盤はまだ少ないですが、すでにある得意のリストやラフマニノフの続編、そしてシューマン、ショパンのほかの作品などを録音して欲しいです。

ショパンがマジョルカ島で、この作品を完成したのは、1938年。
ベートーヴェンの没後から、まだ11年。
ワーグナーは、「リエンツィ」を書いてる頃。
日本では、幕末の天保年間、維新まで30年。
高度に発達していた江戸の文化ですが、当時の日本人がショパンを聴いたら、その詩情の深さに、きっと共感したでしょう。

しかし、親日国ポーランドのオーケストラが今年も含めて、たびたび来日するけれど、その演目が毎度、判で押したようにショパンの協奏曲とか、新世界やブラームスばかり。
パデレフスキのピアノ協奏曲なんて佳作だし、シマノフスキ、カルヴォーヴィチ、そしてブレイク中のヴァインベルクもポーランドだよ。
そろそろ招聘側の見識も問わねばならぬ、ね。

Kibana-1

 初秋の日の、雨模様にショパン♬

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2019年9月19日 (木)

ディーリアス 弦楽四重奏曲 去りゆくつばめ ブロドスキーSQ

Lave

こんな、初夏から夏にかけての1枚が、懐かしく思われる今日この頃。

季節の変わり目は、四季に応じてあるけれども、冬から春のわくわく感、春から夏の沸き立つ解放感。
そして、夏から秋へは、寂しさと楽しかった日々への寂寞の想いがあります。
さらに、秋から冬は、備えと身支度を伴って身が引き締まります。

9月17日から21日頃を、暦でいう七十二侯のうち「玄鳥去」にあたります。
そう、元気に飛び交っていた「つばめ」たちが、南の暖かい地に飛び去る季節を言うのです。

Delius-elgar-brodsky

  ディーリアス 弦楽四重奏曲

    ブロドスキー・カルテット

               (1982)

ディーリアス唯一の弦楽四重奏曲。
第一次大戦によるドイツ軍の侵攻により、永遠の地と定めた、フランス、グレからオルレアンに一時避難、しかし、一時ドイツ軍が引いてグレに戻ったものの、ビーチャムの勧めもあって、イギリスへと渡った。
ちょうどその頃、書かれた四重奏曲で、1916~17年の作品にあたります。

もうひとつ。1893年に書かれた四重奏曲があって、そちらは破棄されてしまったので、現存するのはこちらだけ。
当初は、3楽章構成であったが、すぐにスケルツォ楽章を加えて4楽章形式としました。

4つの楽章からなる、正統的な四重奏曲で、そのの緩徐楽章である、第3楽章がフェンビーによって編曲された、弦楽合奏による小品「去りゆくつばめ」の原曲。

Slow and wistfully」~ゆっくりと、物憂げに~と但し書きされた、美しくも儚い楽章。

弦楽合奏で聴くより、四重奏で聴くと、より耳をそばだてることになり、去りゆくつばめ、去りゆく秋を想い、気分はまさに物憂くなります。
そんな想いを、軽く和らげ払拭させてくれるような快活な4楽章が続くことに。
こちらは、速く、勢いよく、と題されてます。
さかのぼるようにして、1楽章のメロディーが再現されたり、総括的な終楽章となりますが、やはり、心に残るのは、先の3楽章。
3楽章を最後にしてもよかったのでは、なんて思ったりもします。

のびやかな1楽章は、どこか憂いを含みながらも、英国田園詩情を漂わせてくれます。
民謡調の中間部が素敵な追加された2楽章のスケルツォ。
そして、Late Swallows「さりゆくつばめ」が来るわけです。

正統的な四重奏曲と書きましたが、ベートーヴェンの中期などのかっちりとしたものと比べると、はるかに感覚的な音楽で、その流れに身を任せることが出来ない聴き手には、退屈な音楽としかうつらないででしょう。
ですが、これがディーリアスの魅力です。

グレからイギリスに去る時、夫人イェルカによれば、ディーリアスは「つばめと別れるのがとてもつらい」と言っていたそうです。
季節の時候として、遅くまで残って飛び交うつばめも、次々に去っていく。
それを見ながら思うディーリアスの脳裏には、戦時避難したおりに接した負傷兵や避難者たちの姿もあって、戦没者への想いもありました。

昨日の雨が上がり、朝から青空が雲の中から顔を出してます。
空もだんだん高くなってきました。

Delius_del_mar

 「去りゆくつばめ」弦楽合奏版で好きなのは、慈しむようなバルビローリと、楚々としたノーマン・デル・マーのもの。

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2019年9月16日 (月)

フランク 交響曲 カラヤン指揮

Radian_20190915091201

ふつうのコスモスと、キバナコスモスがいっしょくたに咲いてたので、適当に撮ってみました。

こうした混合ミックスも美しいもんです。

Franck-karajan-1

  フランク 交響曲 ニ短調

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 パリ管弦楽団

      (1969.11 @サルワグラム、パリ)

自分にとって懐かしの1枚。

小学生高学年のときだったと思う。
テレビで、N響の演奏会でフランクの交響曲を聴いた。
指揮は、岩城宏之か、森正だった。
1楽章の循環しまくる主題がカッコいい、3楽章までしかない交響曲の、その3楽章の明るい主題もカッコいい。
そんな風にして、フランクの交響曲に目覚めた。

ほどなく中学生になって発売された、カラヤンのレコード。
親にせがんで買ってもらった。
当時は、カラヤンが大好きで、ワーグナーも好きだった。
友達からは、「カラグナー」と呼ばれた。
アンチ・カラヤンに転じたのは、高校時代になって、アンチ巨人になったと同じような反発心からだったかしら・・・

このレコード、擦り切れるほどに聴いた。
ダブルジャケットだったけれど、紙質は薄っぺらいものだった。
でも、いい匂いだった。
その匂いとともに、カラヤン初のパリ管のフランクの響きが、ずっと脳裏に残って、いまに至る。

CD化された初期のもので、久しぶりに聴く。
匂いは、ここにはないが、同じ響きがよみがえってきた。

ん?
でも、なんだか重すぎやしないか?
パリ管の瀟洒な響きを期待すると裏切られる演奏であることは、ずっとイメージとして持っていた。
でも、右側から聴こえてくる低弦が重い。
EMIの録音のせいも多分にあると思うが、やはりカラヤンの指揮によるところも大きいのだろう。

過去記事をご覧いただければお分かりになると思いますが、ワタクシ、フランクの交響曲フェチなんざんす。
手放してしまったものも多いが、通算25枚ぐらいは揃えたと思う。
おもしろいもので、この作品には、ベルギーやフランスのオーケストラによる地元系やローカル系のCDも多い。
ちなみに、ロンバール(ボルドー)、プラッソン(トゥールーズ)、バルトロメイ(リエージュ)、ノイホルト(フランダース)、ベンツィ(アーネム)、デゥトワ(モントリオール)、なんかがそうです。
そうした演奏を主体に好むようになってきたから、余計にカラヤンの演奏が、「重い」と感じるようになったのかもしれない。

カラヤンは、このカラヤン向きと思われるフランクの交響曲を1度しか録音せず、ベルリンで演奏したかどうかも不明です。
独特の陰りと、響きの豊かさ、輝かしさも持ち合わせるこの交響曲は、カラヤンの得意とするところであるはずなのですが。
 パリ管の初代芸術監督、ミュンシュの急逝で、1969年から2年間、その任にあたったカラヤン。
その第一弾が、ドビュッシーやラヴェルでなく、フランクであったことが興味深いです。
そう、指揮者とオーケストラ、両方の持ち味が活かせる選曲であったに違いありません。
重低音の弦から、きらびやかな木管などの広域まで、ピラミッド型の安定感ある、それこそ重厚な音楽づくりのカラヤンのもと、オーケストラは、指揮者の厳しい手綱から、ちょこっとはじけるようにして、各奏者たちが随所に名人芸を聴かせる。
そこが、あまり多く録音を残すことがなかった、このコンビの面白いところかもしれません。
 オケがベルリンだったら、曲がベルリオーズだったら、という想いは置いておきましょう。

かなり深刻だけど、大きく構えたカラヤンのカッコよさが引き立つ第1楽章、そして年を経て聴く、2楽章のこの演奏の素晴らしさは、パリ管ならではだし、終楽章の最後の輝かしさは、やはり素晴らしいものがあります。

パリ管は、プレートルとボドに補佐されながら、カラヤンの次はショルティ、バレンボイム、ビシュコフ、ドホナーニ、エッシェンバッハ、ヤルヴィときて、ハーディングです。
フランス系の自国の指揮者が一度もその首席にはなっていない。
そして、いいコンビのハーディングも、パイロットになる彼の夢のための指揮者卒業で終了。
首席客演はヘンゲルブロック。
 どこへ行くパリ管。

フランク交響曲 過去記事

「バレンボイム指揮 パリ管」

「バルビローリ指揮 チェコフィル」

「コンドラシン指揮 バイエルン放送響」

「ノイホルト指揮 フランダースフィル、ベンツィ指揮 アーネムフィル」

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2019年9月15日 (日)

ツイッター始めました

お知らせ

クラヲタツイッター始めました。

右のサイドバーにリンク貼ってます。

適当につぶやく程度ですが、お暇な方はお付き合いください。

Neko

足が好きな親戚のねこ🐱

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2019年9月14日 (土)

ヴォーン・ウィリアムズ 音楽へのセレナード

Cosmos-3

今年は、最初は涼しく、その後の暑さが厳しすぎたせいか、吾妻山の早咲きのコスモスは少し精彩に欠くような気がしました。

でもその名の通り、初秋に咲く、この花の色合いや佇まいはとても美しい。

Rvw

こんな教会の中で演奏された曲をネットで聴きました。

そう、英国音楽好きを自称しておきながら、こんなに美しい音楽を知らないできた。

いや、でもメロディーはなぜか知っていた。

しかも、6月から8月にかけて、イギリスでの演奏会でのものを3種類も。

  ヴォーン・ウィリアムズ 音楽へのセレナード

        ~16人の独唱者とオーケストラのための~

 ステファン・クレオバリー指揮 ブリテン・シンフォニエッタ
                キングズ・カレッジ・コーラス
       (2019.06.29 ケンブリッジ、キングズ・カレッジ教会)

 マーク・エルダー指揮 ハレ管弦楽団
            ハレ合唱団
            (2019.05.23 マンチェスター)

 マーティン・ブラビンス指揮 BBCスコティッシュ交響楽団
               BBCシンガーズ
             (2019.08.13 ロイヤル・アルバートホール)

短い間に、3回も演奏されます。
そう、それにはいわれがあります。

指揮者ヘンリー・ウッドの指揮活動50年を記念して、ほぼ同年代だった朋友のヴォーン・ウィリアムズは、この素敵な作品を1938年に作曲した。
ヘンリー・ウッドは、指揮者として、作曲家・編曲者として、そして、音楽プロデュースにおける改革者として、ビーチャム、さらには、ボールトやバルビローリらの先人として英国音楽界にその足跡を残した人です。
プロムス、すなわちプロムナードコンサートの第1回目の指揮者でもあり、その後もクィーンズホールから現在のロイヤルアルバートホール(RAH)に至るまで、ずっと指揮者として活躍し、いまは、プロムスの期間中、そのホールに胸像が掲げられてます。
そのウッドの生誕150年が今年だったわけです。(1869~1944)

今年のプロムスでは、ブラビンスの指揮で演奏され、6月には、キングス・カレッジを長年率いたクレオバリーのフェアウェルコンサートのなかで、そして5月には、ハレ管のマーラー2番の、驚きのアンコールで演奏されました。

このように、ウッドと所縁があることで、今年多く演奏され、放送も多く聴くことができ、この作品がことさらに好きになった次第です。
聴いたことがあるメロディ、CD棚を探しまくり、いくつかある交響曲の全曲のカップリングにもないかと思ったが、残念ながら手持ちのCDにはありません。

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作曲時に選ばれた16人の歌手とオーケストラによるこの作品、歌手たちはソロであったり、重唱であったりで、
 のちに、ソロを4人とし、合唱とオーケストラによるものへと編曲。
さらに、ヴァイオリンソロを伴うオーケストラ版にも編曲されました。
わたくしは、きっと、このオーケストラ版をどこかで聴いたのだろうと思われます。

歌詞は、シェイクスピアの「ヴェニスの商人」からとられてます。
この物語は喜劇でありながら、ユダヤ人とキリスト教者との当時の微妙な関係が描かれたりもしているのですが、ヴォーン・ウィリアムズはそのあたりはスルーして、この戯曲に出てくる音楽にまつわるシーンから美しい言葉を取り上げました。

物語の概略は、ヴェニスの商人、その親友が結婚をしたがっているが資金がない、それを用立てるために、ユダヤ人高利貸しから借金をするが、期日に返すことができずに、証文通りに、心臓を差し出すことになってしまう。その裁判で、裁判官に扮した親友の婚約者の機知によって助けられ、高利貸しは財産没収とキリスト教への改宗を命じられてしまうというオハナシ。

ここで、ヴォーン・ウィリアムズが選んだシーンは、①婚約者が裁判に勝利して、家に帰ったとき、幸せにあふれた気分で月を見上げ、もれてくる音楽を聴いたときの気分、②もともと父に反発していたた高利貸しの娘が、判決で得た父の没収財産の半分を得て、婚約者のキリスト教徒の若者と駆け落ち、夜空を見ながら天体の音楽を語り合う、このふたつです。

曲の最初は、美しい、美しすぎるメインテーマが、ソロ・ヴァイオリンによって奏でられます。
そう、あの「揚げひばり」をお好きな方なら、すぐに、このメロディーは忘れられないものとなります。
優しさと慈悲にあふれた旋律です。
そのあとに、こんどは16人の重唱で。

 「月明かりが、ここにのぼり、そこに眠るなんて、
  なんて甘い想いなのでしょう
  ここに座りながら、音楽が。
  私たちの耳に忍び寄るように
  静かな夜、甘いハーモニー・・・」

ソプラノソロが、of sweet harmony と寄り添うように歌います。

このソロと、その歌詞は、曲の最後にも歌われ、まさに癒しのサウンドを持って印象的に静かに終了する重要なモティーフです。

曲は途中、ヴォーン・ウィリアムズならではの、ミステリアスな進行を伴った神秘サウンドもあらわれますが、最終は、幸福なムードのなかに終わります。
13分ぐらいの曲ですが、何度もいいますが、ほんと美しい。

「天体の音楽は人には聴こえない」とシェイクスピアの原詩にはありますが、ヴォーン・ウィリアムズは、それをわれわれの耳に届けようとしたのかもしれません。

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3つの演奏、ともに素敵です。
クレオバリーの教会での演奏は、雰囲気そのものが素晴らしく、響きもいい。
エルダーは、マーラーで歌ったソプラノがそのまま歌っているのか、ソロが素晴らしく感動的。
プロムスのブラビンスは、巨大な響きのいいホールを美しい響きで満たしてしまい、賑やかな聴衆を静まりかえらせてしまったくらいに、集中力あふれた演奏。

ボールトのCDを今度は聴いてみよう。

Cosmos-2

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2019年9月 6日 (金)

バイロイト2019 勝手に総括

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もう秋の気配ただよう、いつものお山のうえ。

8月も終わり、日々、夏も後退して行きます。

そして、バイロイト音楽祭も終了しましたので、恒例のお勝手シリーズをしてしまいます。
いずれも、高音質のバイエルン放送局のネット配信を聴いての感想です。

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  ワーグナー 歌劇「タンホイザー」

ヘルマン:ステファン・ミリング タンホイザー:ステファン・グールド
エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン ヴェーヌス:エレナ・ツィトコヴァ
ウォルフラム:マルクス・アイヒェ 

  指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ 
  演出:トビアス・クラッツァー

         (2019.07.25)

NHKでも放送されたようですし、多くの方が、このオモロイ演出を目の当たりにされたことと思います。
すでに、自分としては語り尽くしました。(タンホイザー2019
その時の思いと同じですが、3幕の本来の筋にある、ローマ帰りの巡礼たちは、私は「難民のようだ」と思って書いたのですが、2幕で警察当局に逮捕されたタンホイザーのことを考えれば、ムショ帰りの釈放された面々とみるべきなのだろうか?
 演出家が、それらを含めて、自身の演出・解釈を語っているものを見ても読んでもないですが、でもその姿格好からするとどちらともとれるのも面白いのかもしれない。
かたや、1幕での巡礼の合唱が、バイロイト祝祭劇場に集う観客、まさに、緑の丘のバイロイト巡礼者そのものだったのも笑えます。
その対称としての、3幕の巡礼者の姿が、まったく真逆の人々であること、すなわち、スノッブな人々と、社会に見捨てられたような人々であったこと。
 このあたりにも、クラッツァーの訴えたかったメッセージも含まれているものと思われます。
ともあれ、情報満載の忙しい舞台でありました。

歌手は、いずれも素晴らしかった。
とくに、女声ふたりは、あとで聴き返しても華のある見事なものです。
来年の配役を見ると、今年、急遽起用されたツィトコヴァは出演しない様子で、残念!
映像出演もあるから、来年は本来のグバノヴァで撮り直し、とのことだろうか。
でも彼女は、オルトルートでも1日、代役で歌いましたので、今年大活躍。
 あと、今年はティーレマンも1回指揮したりして、お騒がせのゲルギエフも降板で、ここ数年、指揮者が降りた場合などを救ってきた、実務的な手堅いオペラ指揮者、アクセル・コバーが登場予定。
ますます、かつてのホルスト・シュタイン的存在になってきた。

大好きなツィトコヴァの写真集を作りましたのでどうぞ。

Zhidkova

ブイヨン公妃、ブランゲーネ、フリッカ、オクタヴィアン、そしてカーテンコールのヴェーヌス

Lohengrin

  ワーグナー 歌劇「ローエングリン」

ローエングリン:K・フローリアン・フォークト エルザ:カミラ・ニールント
オルトルート:エレナ・パンクラトヴァ テルラムント:トマス・コニュチニー
ハインリヒ:ゲオルグ・ゼッペンフェルト

  指揮:クリスティアン・ティーレマン
  演出:ユーヴァル・シャロン
  舞台装置・衣装:ナエオ・ラウヒ&ローザ・ロイ

         (2019.07.26)

2年目の「ブルー」なローエングリン。
電気技師ローエングリンは、エルザとオルトルートによって駆逐されてしまい、最後は、ブルー軍団のひとりだったエルザは、禁句を口走ったあとは、オレンジ色のドレスに替わり、よみがえった「グリーン」まみれな弟のゴットフリートとともに、持続可能なエネルギー社会に変えるような雰囲気のエンディング。
 ブルーの発電ローエングリンは、打ち破れて去り、豊富な電力を享受してきた民衆は全員ぶっ倒れ、ブラック軍団のオルトルートは、生き残り、ここはどこ?わたしは誰?的にきょろきょろ。
1回観れば、充分的なこのローエングリン演出に、今年も批判の声が多かったようです。
自然エネルギーに舵をきったドイツながら、さまざまな問題が噴出中ななかでの、このローエングリン。
政治色や社会問題を盛り込む場合の賞味期限を考えさせるもので、舞台より演奏の良さで持っているような感じです。
歌手は大幅に入れ替え。
放送された初日が、フォークトだったので、お馴染みの彼の繊細なタイトルロールを聴けたかれど、今年は去年のベチャーラとのダブルキャスト。
来年は、アンドレアス・シャガーの名前ふだけが、クレジットされてます。
さらに、当初は、ストヤノーヴァとネトレプコが予定されながら、ふたりとも降りて、ニールントとA・ダッシュのふたりがエルザ。
ニールントの安定した歌唱は、とても安心感があり、清楚感もあってよろしい。
去年のマイヤーのあとの、オルトルートは、パンクラトヴァで、おっかない雰囲気も十分で、なかなかドスの聴いたお声も立派でした。
クンドリーも全部歌った彼女、1日だけ、ツィトコヴァに交代、さらに、コニュチニーもT・マイヤーに1日交代したようなので、やはり、この夏の猛暑は、歌手には厳しい環境だったのでしょうか。

ティーレマンの指揮は、昨年よりもグレートアップしていて、充実の極み。
抒情と繊細さ、重厚なる響きに、思い切ったタメ、心涌きたつダイナミクス、さらさら流れたゲルギエフの指揮とは大違いのティーレマンでした。

Tristan

  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

トリスタン:ステファン・グールド イゾルデ:ペトラ・ラング
マルケ王:ゲオルゲ・ゼッペンフェルト
クルヴェナール:グリール・グリムズレー
ブランゲーネ:クリスタ・マイヤー

  指揮:クリスティアン・ティーレマン
  演出:カタリーナ・ワーグナー

        (2019.08.01)

ひたすら気の毒なトリスタンを表出した、当主カタリーナ・ワーグナー演出も5年目で、来年2020年は上演されない模様。
この演出を音楽面でずっと引きたててきたグールドのトリスタンですが、安定の歌唱でありつつ、ちょっと声が疲れ気味とも感じた。
全体に、暗い色調だし、幾何学的な装置などにも、出口の見えない閉塞感を感じる舞台との印象は、映像でみたときからずっとぬぐえない思いだ。
結局、イゾルデの不倫みたいな感じに仕立てて、マルケもそれを受け入れ許す懐の大きさもなく、残酷な君主ぶりを出す、ということで、つまらん妙な読み替えにしか思えないのがわたくしの思いです。
カタリーナさんは、バイロイトでは、マイスタージンガーとトリスタンしか演出していないが、2020のリングぐらい、思い切ってチャレンジすればよかったのに・・・と思います。

ペトラ・ラングのイゾルデ、4年目を迎えたけれど、よくなることを期待したけれど、やっぱり私の好みではなさそう。
絶叫系の高音は厳しい。
来年は、ワルキューレでのブリュンヒルデが予定されてるけど、叫びが不安・・
クリスタ・マイヤーの味のあるブランゲーネと、ゼッペンフェルトの特異な役回りのマルケが今年もよかった。

で、ここでも、ティーレマンの安心感満載の指揮は相変わらずよかった。
いまのところ、毎年文句なしだった、ティーレマンのトリスタン。

Meister

 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ザックス:ミヒャエル・フォレ ポーグナー:ギュンター・グロイスベック
ベックメッサー:マルティン・クレンツィル
ヴァルター:K・フローリアン・フォークト
エルザ:カミラ・ニールント ダーヴィット:ダニエル・ベーレ
マグダレーネ:ヴィーケ・レェーンクル

  指揮:フィリップ・ジョルダン
  演出:バリー・コスキー

       (2019.07.27)

こちらは、3年めのマイスタージンガー。
ワーグナーだらけの登場人物に、そのワーグナーにまつわる人物や、建物、事物、歴史などをたっぷりと、しかも事細かに絡み合わせた、外見は、まさに喜劇的な演出だけど、実は、とても深くて恐ろしい演出。
劇中で、その人物が変化するのにも、興味深いし、意味付けもあるので見ごたえや、考える面白さも与えてくれる。
ワーグナー→ザックス→ワーグナー、リスト→ポーグナー、コジマ→エヴァ→コジマ、ヴァルター→ワーグナー→ヴァルター、レヴィ→ベックメッサーなどなど、目まぐるしく変身・変化する。
 歌合戦の場が、ニュルンベルクの戦後裁判所であることや、連合軍にそこが支配されていることも、相当なパンチの効いたパロディであり、ザックスの大演説が、まさに法廷の証言台そのものから始まり、やがて舞台にぎっしり載ったオーケストラ(実は合唱団)を背景に歌い、やがて、それを指揮してしまい偉大なワーグナーへと変じてしまう大エンディング。
指揮するワーグナーの足元には、コジマ(エヴァ)が腰をかけている。

初年度は、面白いだけの目まぐるしい演出と思ったが、何度か見るうちに、いろんな仕掛けや、問いかけがそこにあると思うようになった。
でも、今年、2幕の拍手にはブーイングも聞かれた。
ユダヤ人を思わせるバルーンのことかな・・・

3年目、完全にチーム化した歌手たち。
いずれも、役になりきっていてお見事。
細やかな歌いまわしで、滑らかな美声も聴かせるフォレのザックスに、自在さと、バリトン的なデフォルメされた声で勝負できてしまうフォークト。
相変わらず、ベックメッサーそのものの、狡猾な雰囲気だけど、どこか抜けている、そんな風な歌唱ができてしまうクレンツィル。
来年は、ウォータンにまわるため、今年で終わるグロイスベックの美声のポーグナー。
このプロダクションのエヴァは、ニールントで決まり、と思わせる彼女、来年も続投。(今年は1回マギーが登板)
 そして、ますます好調、軽快さも見せるジョルダンの劇に付随した巧みな指揮も、歌心満載で実によかった。
タンホイザーは、ジョルダンでよかったのではないの?

Parsifal

  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

アンフォルタス:ライアン・マッキニー パルジファル:アンドレアス・シャガー
グルネマンツ:ギュンター・グロイスベック
ティトゥレル:ウィレム・シュヴィンハマー
クリンゾール:デレク・ウェルトン クンドリー:エレナ・パンクラトヴァ

   指揮:セミョン・ビシュコフ
   演出:ウヴェ・エリック・ラウフェンベルク

          (2019.07.30)

まず、喜ばしいことは、来年2020年には、この「パルジファル」演出はないこと。
4年目で、通常は5年サイクルだけど、また一休みして出てくるのかな?
「パルジファル」は、バイロイトを想定して、そしてしばらく聖地以外の上演を禁じていただけあって、この音楽祭にとっては特別な存在だった。
戦後の新バイロイトにあって、ヴィーラント・ワーグナーの伝説的な演出が、1951年から1973年まで23年間上演され、その後のウォルフガンク・ワーグナーの第一次演出が8年、物議をかもしたゲッツ・フリードリヒ演出が6年、その次のウォルフガンク・ワーグナーの第二次演出がその反動のように13年。
 そのあとは、ほかの諸作品と同じような扱いとなり、シュルゲンジーフが途中取りやめで4年、ヘアハイムが5年ということに。
そう、ワーグナー兄弟のあとは、長く続く演出が求められなくなって、「パルジファル」がバイロイトの専売特許でもなくなり、世界的にもカジュアル化してしまった感があります。
 まぁ、特別扱いをすることはありませんが、やはり、作者が想いを込めた舞台神聖祭典劇というタイトルぐらいは、バイロイトでは、それこそ、いつまでも神聖扱いして欲しいと思うワーグナー好きであります。

次のパルジファルは、また繋ぎで、このラウフェンベルクがちょこっと出てくる可能性はあるけど、それこそカタリーナさんに、当主の務めとして演出して欲しいもの。
だが、それは、黄昏が続くワーグナー家&バイロイトにトドメを指してしまうような予感もあります・・・・

中東を舞台に、内戦やテロ、宗教のいさかいなどを盛り込んだこの演出、映像で観たときから、あまりいい気分はしなかったし、何を言いたいのかわからん場面も多々。
結末のいかにも的な宗教的和解と、光のなかに終える場面は感動とは遠い。
あと、イエス化したアンフォルタスや、十字架コレクターのようなクリングゾルに、聖槍が十字架型だったりするのもおもろくない。
でも、花の乙女たちとの楽しそうな入浴シーンや、感動の失せる聖金曜日の背景の水浴シーンは、ちょっと好きかも(笑)

一方、演奏での今年の「パルジファル」は、集大成といえるくらいに、完成形に達した素晴らしいものといっていいかも。
ネルソンスの降板から始まった、このプロダクションを救ったのは、実務的なヘンシェルの安全かつ無難な指揮だった。
2年続いて、昨年からのビシュコフの指揮。
昨年は、多くを感じさせない、手探り的な指揮だったけど、今年はどうだろう。
きわめて積極的な、能動的な雄弁なパルジファルをビシュコフは仕立てあげたと思うのだ。
個々の場面を、ややデフォルメさせ、劇性を高めつつ、その場面が持つ意図やありかたを、全体のなかにうまく落とし込んだ感じなのだ。
各幕にある、ここはと思う聴かせどころを、いずれも外さず感動的に仕上げ、歌手たちにも無理なく歌わせれ、オケと舞台が見事に一体化した。
とりわけ、2幕のパルジファルの覚醒、3幕の聖金曜日の奇跡の感動的な高揚感は、とても素晴らしかった!

シャガーのパルジファルも、素晴らしい。
2幕の覚醒の「アンフォールタース」の絶叫が、ユニークかつ、彼のパルジファル歌唱の流れのなかで、とても活きている。
あんな舞台なのに、よきパルジファルを歌い・演じている。
そして、グロイスベックの若々しくも、活動的な雰囲気のグルネマンツに、明るいほどに悩めるマッキニーのアンフォルタスもいい。
クリングゾル、クンドリーのコンビも素敵だ。

なんだかんだで、最終放送日の「パルジファル」の音楽面での充実ぶりが光った2019年バイロイトでありました。

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来年2020年のバイロイトは、「リング」が新演出、「タンホイザー」「マイスタージンガー」「ローエングリン」が上演されます。
タンホイザーがコバー、マイスタージンガーがジョルダン、ローエングリンがティーレマンとコバー。
そして、「リング」は、30歳のオーストリアの新鋭ヴァレンティン・シュヴァルツの演出と、39歳のフィンランド出身のピエタリ・インキネンで、大幅な若返り。
 歌手も楽しみな布陣で、グロイスベックのウォータン、フォークトのジークムント、シャガーとグールドの分業ジークフリート、ラングとケーラー、ゲールケ3人分業のブリュンヒルデなど、夏の歌手の負担減ともとれる計画みたいだ。
あと、2001年以来の、「第9」がヤノフスキの指揮で。

Ring

インキネンはリングの指揮経験もあるし、日フィルでもラインの黄金をやってるし、最近ワーグナーにのめり込んでるので楽しみ。
しかし、30歳のシュヴァルツは未知数で、2017年に賞を取り、演出家としてドイツやウィーンで活動を始めたばかりの、これからが旬となろうかと思われる人。
彼を一本釣りしたのが、カタリーナ・ワーグナーで、ずいぶんと大胆なことをなさる。
「アラベラ」の映像の一部や、いくつかの画像、最近のダルムシュタットでの「トゥーランドット」の様子などを見てみたが、奇抜さは少なめであるものの、舞台の色調がいずれも暗くて、ダークな感じの印象。
 4つのオペラを一挙に造り上げなくてはならない、この若者に課せられた使命は大きすぎるし、カタリーナの当主としての眼力も問われるわけだ。
子供の頃から、両親とオペラに通い、家ではショルテイのワルキューレを聴いていたという、シュヴァルツのワーグナー演出家になりたいという大きな夢を後押しするバイロイト。
遠い異国にあって、なんだかとっても羨ましくもあり、これこそが、ワーグナーの伝統を守りつつ、更新していこうとするバイロイトの在り方なのかもしれません。

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