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2019年9月 6日 (金)

バイロイト2019 勝手に総括

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もう秋の気配ただよう、いつものお山のうえ。

8月も終わり、日々、夏も後退して行きます。

そして、バイロイト音楽祭も終了しましたので、恒例のお勝手シリーズをしてしまいます。
いずれも、高音質のバイエルン放送局のネット配信を聴いての感想です。

Th

  ワーグナー 歌劇「タンホイザー」

ヘルマン:ステファン・ミリング タンホイザー:ステファン・グールド
エリーザベト:リゼ・ダヴィットソン ヴェーヌス:エレナ・ツィトコヴァ
ウォルフラム:マルクス・アイヒェ 

  指揮:ヴァレリー・ゲルギエフ 
  演出:トビアス・クラッツァー

         (2019.07.25)

NHKでも放送されたようですし、多くの方が、このオモロイ演出を目の当たりにされたことと思います。
すでに、自分としては語り尽くしました。(タンホイザー2019
その時の思いと同じですが、3幕の本来の筋にある、ローマ帰りの巡礼たちは、私は「難民のようだ」と思って書いたのですが、2幕で警察当局に逮捕されたタンホイザーのことを考えれば、ムショ帰りの釈放された面々とみるべきなのだろうか?
 演出家が、それらを含めて、自身の演出・解釈を語っているものを見ても読んでもないですが、でもその姿格好からするとどちらともとれるのも面白いのかもしれない。
かたや、1幕での巡礼の合唱が、バイロイト祝祭劇場に集う観客、まさに、緑の丘のバイロイト巡礼者そのものだったのも笑えます。
その対称としての、3幕の巡礼者の姿が、まったく真逆の人々であること、すなわち、スノッブな人々と、社会に見捨てられたような人々であったこと。
 このあたりにも、クラッツァーの訴えたかったメッセージも含まれているものと思われます。
ともあれ、情報満載の忙しい舞台でありました。

歌手は、いずれも素晴らしかった。
とくに、女声ふたりは、あとで聴き返しても華のある見事なものです。
来年の配役を見ると、今年、急遽起用されたツィトコヴァは出演しない様子で、残念!
映像出演もあるから、来年は本来のグバノヴァで撮り直し、とのことだろうか。
でも彼女は、オルトルートでも1日、代役で歌いましたので、今年大活躍。
 あと、今年はティーレマンも1回指揮したりして、お騒がせのゲルギエフも降板で、ここ数年、指揮者が降りた場合などを救ってきた、実務的な手堅いオペラ指揮者、アクセル・コバーが登場予定。
ますます、かつてのホルスト・シュタイン的存在になってきた。

大好きなツィトコヴァの写真集を作りましたのでどうぞ。

Zhidkova

ブイヨン公妃、ブランゲーネ、フリッカ、オクタヴィアン、そしてカーテンコールのヴェーヌス

Lohengrin

  ワーグナー 歌劇「ローエングリン」

ローエングリン:K・フローリアン・フォークト エルザ:カミラ・ニールント
オルトルート:エレナ・パンクラトヴァ テルラムント:トマス・コニュチニー
ハインリヒ:ゲオルグ・ゼッペンフェルト

  指揮:クリスティアン・ティーレマン
  演出:ユーヴァル・シャロン
  舞台装置・衣装:ナエオ・ラウヒ&ローザ・ロイ

         (2019.07.26)

2年目の「ブルー」なローエングリン。
電気技師ローエングリンは、エルザとオルトルートによって駆逐されてしまい、最後は、ブルー軍団のひとりだったエルザは、禁句を口走ったあとは、オレンジ色のドレスに替わり、よみがえった「グリーン」まみれな弟のゴットフリートとともに、持続可能なエネルギー社会に変えるような雰囲気のエンディング。
 ブルーの発電ローエングリンは、打ち破れて去り、豊富な電力を享受してきた民衆は全員ぶっ倒れ、ブラック軍団のオルトルートは、生き残り、ここはどこ?わたしは誰?的にきょろきょろ。
1回観れば、充分的なこのローエングリン演出に、今年も批判の声が多かったようです。
自然エネルギーに舵をきったドイツながら、さまざまな問題が噴出中ななかでの、このローエングリン。
政治色や社会問題を盛り込む場合の賞味期限を考えさせるもので、舞台より演奏の良さで持っているような感じです。
歌手は大幅に入れ替え。
放送された初日が、フォークトだったので、お馴染みの彼の繊細なタイトルロールを聴けたかれど、今年は去年のベチャーラとのダブルキャスト。
来年は、アンドレアス・シャガーの名前ふだけが、クレジットされてます。
さらに、当初は、ストヤノーヴァとネトレプコが予定されながら、ふたりとも降りて、ニールントとA・ダッシュのふたりがエルザ。
ニールントの安定した歌唱は、とても安心感があり、清楚感もあってよろしい。
去年のマイヤーのあとの、オルトルートは、パンクラトヴァで、おっかない雰囲気も十分で、なかなかドスの聴いたお声も立派でした。
クンドリーも全部歌った彼女、1日だけ、ツィトコヴァに交代、さらに、コニュチニーもT・マイヤーに1日交代したようなので、やはり、この夏の猛暑は、歌手には厳しい環境だったのでしょうか。

ティーレマンの指揮は、昨年よりもグレートアップしていて、充実の極み。
抒情と繊細さ、重厚なる響きに、思い切ったタメ、心涌きたつダイナミクス、さらさら流れたゲルギエフの指揮とは大違いのティーレマンでした。

Tristan

  ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

トリスタン:ステファン・グールド イゾルデ:ペトラ・ラング
マルケ王:ゲオルゲ・ゼッペンフェルト
クルヴェナール:グリール・グリムズレー
ブランゲーネ:クリスタ・マイヤー

  指揮:クリスティアン・ティーレマン
  演出:カタリーナ・ワーグナー

        (2019.08.01)

ひたすら気の毒なトリスタンを表出した、当主カタリーナ・ワーグナー演出も5年目で、来年2020年は上演されない模様。
この演出を音楽面でずっと引きたててきたグールドのトリスタンですが、安定の歌唱でありつつ、ちょっと声が疲れ気味とも感じた。
全体に、暗い色調だし、幾何学的な装置などにも、出口の見えない閉塞感を感じる舞台との印象は、映像でみたときからずっとぬぐえない思いだ。
結局、イゾルデの不倫みたいな感じに仕立てて、マルケもそれを受け入れ許す懐の大きさもなく、残酷な君主ぶりを出す、ということで、つまらん妙な読み替えにしか思えないのがわたくしの思いです。
カタリーナさんは、バイロイトでは、マイスタージンガーとトリスタンしか演出していないが、2020のリングぐらい、思い切ってチャレンジすればよかったのに・・・と思います。

ペトラ・ラングのイゾルデ、4年目を迎えたけれど、よくなることを期待したけれど、やっぱり私の好みではなさそう。
絶叫系の高音は厳しい。
来年は、ワルキューレでのブリュンヒルデが予定されてるけど、叫びが不安・・
クリスタ・マイヤーの味のあるブランゲーネと、ゼッペンフェルトの特異な役回りのマルケが今年もよかった。

で、ここでも、ティーレマンの安心感満載の指揮は相変わらずよかった。
いまのところ、毎年文句なしだった、ティーレマンのトリスタン。

Meister

 ワーグナー 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

ザックス:ミヒャエル・フォレ ポーグナー:ギュンター・グロイスベック
ベックメッサー:マルティン・クレンツィル
ヴァルター:K・フローリアン・フォークト
エルザ:カミラ・ニールント ダーヴィット:ダニエル・ベーレ
マグダレーネ:ヴィーケ・レェーンクル

  指揮:フィリップ・ジョルダン
  演出:バリー・コスキー

       (2019.07.27)

こちらは、3年めのマイスタージンガー。
ワーグナーだらけの登場人物に、そのワーグナーにまつわる人物や、建物、事物、歴史などをたっぷりと、しかも事細かに絡み合わせた、外見は、まさに喜劇的な演出だけど、実は、とても深くて恐ろしい演出。
劇中で、その人物が変化するのにも、興味深いし、意味付けもあるので見ごたえや、考える面白さも与えてくれる。
ワーグナー→ザックス→ワーグナー、リスト→ポーグナー、コジマ→エヴァ→コジマ、ヴァルター→ワーグナー→ヴァルター、レヴィ→ベックメッサーなどなど、目まぐるしく変身・変化する。
 歌合戦の場が、ニュルンベルクの戦後裁判所であることや、連合軍にそこが支配されていることも、相当なパンチの効いたパロディであり、ザックスの大演説が、まさに法廷の証言台そのものから始まり、やがて舞台にぎっしり載ったオーケストラ(実は合唱団)を背景に歌い、やがて、それを指揮してしまい偉大なワーグナーへと変じてしまう大エンディング。
指揮するワーグナーの足元には、コジマ(エヴァ)が腰をかけている。

初年度は、面白いだけの目まぐるしい演出と思ったが、何度か見るうちに、いろんな仕掛けや、問いかけがそこにあると思うようになった。
でも、今年、2幕の拍手にはブーイングも聞かれた。
ユダヤ人を思わせるバルーンのことかな・・・

3年目、完全にチーム化した歌手たち。
いずれも、役になりきっていてお見事。
細やかな歌いまわしで、滑らかな美声も聴かせるフォレのザックスに、自在さと、バリトン的なデフォルメされた声で勝負できてしまうフォークト。
相変わらず、ベックメッサーそのものの、狡猾な雰囲気だけど、どこか抜けている、そんな風な歌唱ができてしまうクレンツィル。
来年は、ウォータンにまわるため、今年で終わるグロイスベックの美声のポーグナー。
このプロダクションのエヴァは、ニールントで決まり、と思わせる彼女、来年も続投。(今年は1回マギーが登板)
 そして、ますます好調、軽快さも見せるジョルダンの劇に付随した巧みな指揮も、歌心満載で実によかった。
タンホイザーは、ジョルダンでよかったのではないの?

Parsifal

  ワーグナー 舞台神聖祭典劇「パルジファル」

アンフォルタス:ライアン・マッキニー パルジファル:アンドレアス・シャガー
グルネマンツ:ギュンター・グロイスベック
ティトゥレル:ウィレム・シュヴィンハマー
クリンゾール:デレク・ウェルトン クンドリー:エレナ・パンクラトヴァ

   指揮:セミョン・ビシュコフ
   演出:ウヴェ・エリック・ラウフェンベルク

          (2019.07.30)

まず、喜ばしいことは、来年2020年には、この「パルジファル」演出はないこと。
4年目で、通常は5年サイクルだけど、また一休みして出てくるのかな?
「パルジファル」は、バイロイトを想定して、そしてしばらく聖地以外の上演を禁じていただけあって、この音楽祭にとっては特別な存在だった。
戦後の新バイロイトにあって、ヴィーラント・ワーグナーの伝説的な演出が、1951年から1973年まで23年間上演され、その後のウォルフガンク・ワーグナーの第一次演出が8年、物議をかもしたゲッツ・フリードリヒ演出が6年、その次のウォルフガンク・ワーグナーの第二次演出がその反動のように13年。
 そのあとは、ほかの諸作品と同じような扱いとなり、シュルゲンジーフが途中取りやめで4年、ヘアハイムが5年ということに。
そう、ワーグナー兄弟のあとは、長く続く演出が求められなくなって、「パルジファル」がバイロイトの専売特許でもなくなり、世界的にもカジュアル化してしまった感があります。
 まぁ、特別扱いをすることはありませんが、やはり、作者が想いを込めた舞台神聖祭典劇というタイトルぐらいは、バイロイトでは、それこそ、いつまでも神聖扱いして欲しいと思うワーグナー好きであります。

次のパルジファルは、また繋ぎで、このラウフェンベルクがちょこっと出てくる可能性はあるけど、それこそカタリーナさんに、当主の務めとして演出して欲しいもの。
だが、それは、黄昏が続くワーグナー家&バイロイトにトドメを指してしまうような予感もあります・・・・

中東を舞台に、内戦やテロ、宗教のいさかいなどを盛り込んだこの演出、映像で観たときから、あまりいい気分はしなかったし、何を言いたいのかわからん場面も多々。
結末のいかにも的な宗教的和解と、光のなかに終える場面は感動とは遠い。
あと、イエス化したアンフォルタスや、十字架コレクターのようなクリングゾルに、聖槍が十字架型だったりするのもおもろくない。
でも、花の乙女たちとの楽しそうな入浴シーンや、感動の失せる聖金曜日の背景の水浴シーンは、ちょっと好きかも(笑)

一方、演奏での今年の「パルジファル」は、集大成といえるくらいに、完成形に達した素晴らしいものといっていいかも。
ネルソンスの降板から始まった、このプロダクションを救ったのは、実務的なヘンシェルの安全かつ無難な指揮だった。
2年続いて、昨年からのビシュコフの指揮。
昨年は、多くを感じさせない、手探り的な指揮だったけど、今年はどうだろう。
きわめて積極的な、能動的な雄弁なパルジファルをビシュコフは仕立てあげたと思うのだ。
個々の場面を、ややデフォルメさせ、劇性を高めつつ、その場面が持つ意図やありかたを、全体のなかにうまく落とし込んだ感じなのだ。
各幕にある、ここはと思う聴かせどころを、いずれも外さず感動的に仕上げ、歌手たちにも無理なく歌わせれ、オケと舞台が見事に一体化した。
とりわけ、2幕のパルジファルの覚醒、3幕の聖金曜日の奇跡の感動的な高揚感は、とても素晴らしかった!

シャガーのパルジファルも、素晴らしい。
2幕の覚醒の「アンフォールタース」の絶叫が、ユニークかつ、彼のパルジファル歌唱の流れのなかで、とても活きている。
あんな舞台なのに、よきパルジファルを歌い・演じている。
そして、グロイスベックの若々しくも、活動的な雰囲気のグルネマンツに、明るいほどに悩めるマッキニーのアンフォルタスもいい。
クリングゾル、クンドリーのコンビも素敵だ。

なんだかんだで、最終放送日の「パルジファル」の音楽面での充実ぶりが光った2019年バイロイトでありました。

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来年2020年のバイロイトは、「リング」が新演出、「タンホイザー」「マイスタージンガー」「ローエングリン」が上演されます。
タンホイザーがコバー、マイスタージンガーがジョルダン、ローエングリンがティーレマンとコバー。
そして、「リング」は、30歳のオーストリアの新鋭ヴァレンティン・シュヴァルツの演出と、39歳のフィンランド出身のピエタリ・インキネンで、大幅な若返り。
 歌手も楽しみな布陣で、グロイスベックのウォータン、フォークトのジークムント、シャガーとグールドの分業ジークフリート、ラングとケーラー、ゲールケ3人分業のブリュンヒルデなど、夏の歌手の負担減ともとれる計画みたいだ。
あと、2001年以来の、「第9」がヤノフスキの指揮で。

Ring

インキネンはリングの指揮経験もあるし、日フィルでもラインの黄金をやってるし、最近ワーグナーにのめり込んでるので楽しみ。
しかし、30歳のシュヴァルツは未知数で、2017年に賞を取り、演出家としてドイツやウィーンで活動を始めたばかりの、これからが旬となろうかと思われる人。
彼を一本釣りしたのが、カタリーナ・ワーグナーで、ずいぶんと大胆なことをなさる。
「アラベラ」の映像の一部や、いくつかの画像、最近のダルムシュタットでの「トゥーランドット」の様子などを見てみたが、奇抜さは少なめであるものの、舞台の色調がいずれも暗くて、ダークな感じの印象。
 4つのオペラを一挙に造り上げなくてはならない、この若者に課せられた使命は大きすぎるし、カタリーナの当主としての眼力も問われるわけだ。
子供の頃から、両親とオペラに通い、家ではショルテイのワルキューレを聴いていたという、シュヴァルツのワーグナー演出家になりたいという大きな夢を後押しするバイロイト。
遠い異国にあって、なんだかとっても羨ましくもあり、これこそが、ワーグナーの伝統を守りつつ、更新していこうとするバイロイトの在り方なのかもしれません。

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コメント

後れ馳せながらNHKBSプレミアムで「タンホイザー」視聴しました。貴ブログでの予習のおかげでいきなり混乱のドツボに陥ることなく、冷静に観賞出来ました。ありがとうございます。
まあ先年の「(ネズミ)ローエングリン」などよりはるかに考え抜かれた演出と感じましたが、本来の実験劇場としてのバイロイトの役割は現体制でもしっかり護られているのでしょうね、やはり。
些末な点ですが、三幕でエリザベートがヴォルフラムを誘うシトロエンのバンの室内に、ボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」の一部分(ゼプィロス=西風)があったのは、エリザベートとヴェーヌスの合一を暗示したのでしょうか。昔のゲルデス盤(DG)ではニルソンが両役を唄ってましたね。またタンホイザーとエリザベートが笑顔で去る一見絵に描いたハッピーエンドのような終幕はさながら「ブレードランナー」劇場公開版でしたが、真の異図は奈辺にありや?
若き日にいずれはバイロイト詣でをなどと考えていたのも夢のまた夢と相成り果てましたが、居ながらにしてそれなりに愉しめるのですから結構な時代ですね。何年か前に例の平成の無責任総理がドイツ首相と共にヘリでバイロイト入りしたのは、正直羨望を禁じ得ませんでしたが!?
また入院中の話ですが、ある夜YouTubeで'83年のポンネル&バレンボイム「トリスタン」に釘付けになっていました。確かNHKが最初にオンエアしたバイロイト現地の舞台だったはず。後にLDも入手しましたが、あの頃のことばかり懐かしく思い出されます…。

投稿: Edipo Re | 2019年9月 8日 (日) 09時28分

Edipo Reさん、こんにちは。
バイロイトの新演出が、夏の間に、即時観れる時代となりましたね。
年末の放送を、欠かさず、楽しみにしていた時代とは隔世の感があります。

「ブレードランナー」は観てますが、どんな内容だったかは忘れてしまい、申し訳ありませんが、ハリソン・フォードだったことだけは覚えてます。
これも見なくてななりません。
これからの若い演出家は、多角的な感度を持った人が増えてくるでしょうから、映画や小説などの影響も受けつつ、いろんな発信性の高い舞台を作るようになるのでしょうね。
 私のような古いアタマだと理解不能なことも、これから増えてくるかと思うと、それこそ頭が痛いです(笑)

楽しいドライブのご一行の場面、たしかに車中には、ボッティチェリの絵が飾られてましたね、なるほどです!

わたくしも、もうバイロイト詣では、あこがれの域から、あきらめの域になりつつあります。
そして、ご指摘のポネルのトリスタンや、フリードリヒのローエングリン、ウォルフガンクのマイスタージンガーやパルジファル、そしてシェローのリングなどの映像こそが、懐かしく、自分のワーグナー歴の一番楽しい時期だったと思ったりしてます。

投稿: yokochan | 2019年9月 8日 (日) 10時52分

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