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2019年10月24日 (木)

シューベルト 「楽興の時」 グルダ

Klimt-schubert

グスタフ・クリムトの作、「ピアノを弾くシューベルト」。

1899年の作品。

クリムトといえば、世紀末ウィーンにあって、マーラーと1歳違いだし、アルマとも関係があったし、ウィーン分離派を結成し、エゴン・シーレやココシュカなどとも関連した美術家であった。

マーラーや、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、ツェムリンスキーなどのレコードジャケットには、クリムトたちの絵が使われることも多いのは、同時代を生き、同じウィーンの世紀末の空気を吸った音楽家たちだから。

この「シューベルト」の肖像を中心とする油絵は、多くの音楽ファンのCD棚のなかにある、「カルロス・クライバーの未完成」のジャケットであるということで、ご存じかもしれません。
私は、レコード時代に買って、スピーカーの上に飾ったりして、ナイーブなシューベルトの横顔を見ながらその音楽を楽しんだものです。

Kleiber_20191023214501

ところが、この絵の原本は、作曲家たちに貼ったと同じような、退廃芸術家というレッテルをクリムトも浴びてしまったものだから、ナチスによって多くの作品が没収・収蔵されてしまい、終戦間際の連合軍の攻撃の際に、ナチス自らが放った火災によって消失してしまったとのことである。

 わたくしの、唯一のウィーン旅行は1989年、東側体制の崩壊間近の年でして、ともかくこの絵が欲しくて、市内の楽譜・音楽関連書籍の「ドブリンガー」に出向き、絵葉書でしたが入手しました。

さて、クリムトが描いたシューベルトは、なんの曲を弾いているんだろう

今日は、それをテーマに、シューベルトのピアノ作品を選んでみました。

Schubert-gulda-ch

  シューベルト 「楽興の時」D780 op94

    フリードリヒ・グルダ

      (1963.09 @ジュネーヴ)

この絵を見ながら考えました。
ソナタだと重すぎるし、形式がしっかりしているので、シューベルトとはいえ、無理がある。
奥の難しそうなお顔の紳士だけなら、ソナタやさすらい人幻想曲でもいいけど、女性たちの三様の服装やお顔からすると、より多様性に富んだ曲の方がいい。
目を閉じて聴き入る方、楽譜かなにかに見入る方、そして、正面を向いて、シューベルトを見つめるというよりも、描き手のクリムトを見つめるかのような方。
即興曲だと、幻想味が強すぎるし、曲によっては深みが強すぎる、ということで、より自由で明るい「楽興の時」が一番のお似合いということで、この作品にしました。

正面を見据える女性は、実在のモデルがいて、クリムトの愛人だったそうな。
2006年作の映画「クリムト」を見たことがありますが、そこで描かれていたのは、奔放にすぎるクリムトの女性遍歴で、そこにはふんだんに、ヌードも現れて、ついつい目が奪われがち(笑)になったが、登場人物が女性も、ほかの同時代人もそっくりで、エゴン・シーレなんてうりふたつ。しかし、奔放さと発想の奇抜さばかりが目立つような映画の作り方で、クリムトの内面や、ウィーンの先鋭さなどはあまり感じさせてくれなかったように記憶してます。

いずれにせよ、女性を描くことでは天才的だったクリムトが、当時のモードを纏った、ここで登場させた3人を眺めながら聴く「楽興の時」。
それはとても楽しく、かつ、シューベルトなのに、ウィーンの世紀末に想いを馳せてしまう、そんな思いにさせてくれました。

市井の人々と音楽。
音楽は、権力者や金持ち・貴族たちのものばかりでない、という存在であることを示した存在がシューベルト以降の作曲家たち。
市民たちが築きあげた爛熟した文化・芸術のウィーン世紀末の、意外な結束点は、元をたどるとシューベルトにあったかもしれません。
 ちなみに、ジョナサン・ノットのシューベルトの交響曲のCDのジャケットは、このクリムト。
ノットのマーラーのジャケットは、ココシュカでありました。

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薄命のシューベルトの、比較的晩年の作品で、数年かけて作曲した6つの小品を「楽興の時」としてまとめたもの。
「Moments Musicaux」というフランス語タイトルになっていて、友人でもあった、出版商のライデスドルフの発案とも言われている。

6曲ともに、とてもさりげなく、構えることなく聴ける音楽だけど、いずれもが曲想がまったく異なり、詩的でありつつ、自由奔放な曲想にあふれていて、演奏の仕方によっては深淵なる世界を見せることもできるし、平易なメロディでもあることから、弾き方によっては、家庭的な日常の音楽とも聴いてとれる。
 NHKAMの「音楽の泉」のテーマ曲として、長年親しまれてきたのが、3曲目のアレグロ・モデラート。
6曲の中間に、こんな風にリズミカルで優しい音楽を置きつつ、ほかは、瞑想感すら与える、ただごとでない雰囲気も醸し出すことができる、そんなシューベルトの「死の淵」をもが、ここにはあるのではないかと思ってしまう。

でも、繰り返しますが、そんな想いが脳裏を過りつつも、シューベルティアーデで仲間と楽しむ作曲者の姿もここにはあり、クリムトが描いた幻影のようなシューベルトの姿も、ここにはあるのかもしれません。

そう、楽興のおもむくまま、聴くがいいのです。

コンサートホール・レコードの会員だったころの1枚。
CD化されたものには、即興曲が抜けていて残念ですが、響き少な目のリアルなピアノサウンズが、グルダの唸り声とともに、耳元で直接響きます。
そう、ウィーン生まれのグルダの、まろやかかつ、自由なシューベルト。
目の前で弾いているような感じの演奏であり、録音です。

Sesetion2

1989年のウィーン旅行のときに、ゼセッション=分離派会館に行きました。

ユーゲント・シュティール様式に満たされた建物。

クリムトの「ベートーヴェン・フリーズ」を見たことが忘れられません。

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コメント

また失礼します。クリムトの画中のシューベルトが弾いている曲は何かという着眼点、興味深いですね。確かにおっしゃる通り「楽興の時」のような雰囲気が濃厚で。

「即興曲集」「楽興の時」はアンヌ・ケフェレックのエラート盤を高校時代に買いました。二度目の来日公演も出かけた記憶が。CDではブレンデルかツィマーマンで聴いています。秋の夜長にふと耳を傾けたくなる曲集かと。後期のソナタなどはそうもいきませんが。

ゼセッションに行かれたのですね。また入院時の話ですが、やはりアマオケで1stを奏いているナースがいて、夏休みにベートーヴェン・フリーズ観たさにウィーンに出かけたと聞いて当方を羨ましがらせてくれました。スマホで「ヴォツェック」聴いていてそんな話題になったのですが。

ウィーンにはいずれと考えていて、遂に機会を逸した感じです。音楽にも美術にも縁遠い悪友がハネムーンでウィーンに立ち寄ったと聞き「猫に小判」も良いとこだなと悪態ついたりしてたのですが。まあシュターツオパーもフィルハーモニカーも日本にいながら複数回接しましたから、幸甚と思うべきなのでしょう。今や「年の残り」を数えるばかりで…。

投稿: Edipo Re | 2019年10月25日 (金) 16時07分

クライバーのレコードは、シューベルトの顔のアップで、ピアノを弾く姿は見えませんが、ふと思いついて、件の絵葉書を取り出して、妄想してみました。

若いケフェレックも録音してましたね。
当時の美人の彼女、大好きで、わたしもレコードをかなり揃えましたが、シューベルトは気が付きませんでした。
ソナタは、冬から春のイメージがあったりしますので、これからですね。
おっしゃるように、秋の夜長のシューベルトは、楽興の時や即興曲って感じです。

ゼセッションですが、いまはもう記憶が薄れてしまいましたが、ほかに鑑賞者はなく、大きなクリムトの絵を独占したような気分になりました。
数年後に、日本にもやってきて、そこでも対面しましたが、そちらはよく覚えてません。

また行きたいと思いつつ、もう30年以上たってしまいました。
わたくしも、きっともう機会はないと思います。
ウィーンは、いま、某お隣の国に人だらけと聞きますし、あんまり触手が伸びませんので、遠い異国にあって、思い続けるものだと思ってます。

投稿: yokochan | 2019年10月29日 (火) 08時47分

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