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2019年11月 9日 (土)

フィラデルフィア管弦楽団演奏会 セガン指揮

Suntry20191104

11月4日、晴天の振り替え休日、午後のサントリーホールのカラヤン広場には、日の丸と星条旗が並んでおりました。

あいにく、というか風もない好天で、旗はなびかず、静かなままでしたが、コンサートはパワフルなアメリカ魂に熱気の渦に包まれました!

Philadelphia

  チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 ニ長調

  マチャヴァリアニ ジョージアの民謡より Doliri

     Vn:リサ・バティアシュヴィリ

  マーラー     交響曲第5番 嬰ハ短調

    ヤニック・ネゼ=セガン指揮 フィラデルフィア管弦楽団

           (2019.11.04 @サントリーホール)

憧れのフィラデルフィア管弦楽団。
70年代、80年代初め、オーマンディとの来日を横目で見ながら、ついぞその実演に接することが出来なかった「フィラデルフィア・サウンド」。
その後のムーティは、当時、あんまし好きじゃなかったし、サヴァリッシュのシュトラウスも聴きそびれ、結局、エッシェンバッハとの2005年の来日でフィラデルフィア管を初めて聴くこととなりました。
その時の演目が、マーラーの第9です。
ほかのプログラムでも、マーラーの第5を演奏していたはずで、憧れのゴージャス・フィラデルフィアは、自分では、マーラー・オーケストラへと転じていたのでした。
 その後の破綻を経て、セガンのもとに復調したフィラデルフィアのマーラー、ほんとうに楽しみでした。
ちなみに、今回のオーケストラ配置は、ストコフスキーの通常配置で、まさにアメリカのオーケストラ、フィラデルフィアの伝統配置。
右から左へと低音楽器から並びます。
そして、私の記録から、2005年のエッシェンバッハとの来日では、対抗配置となっておりました。
このあたりもとても興味深いですね。

あとの楽しみは、初バティアシヴィリ。
予定されていたプロコフィエフの2番から、奏者の希望でチャイコフスキーに変更されましたが、これがまた度肝を抜かれる凄演でした!
最初のひと弾きで、明らかに違う、音色の輝きと音の強さ。
フィラデルフィアを向こうに回して、オケがどんなにフォルテを出しても、その上をゆく、いや、そのオケと溶け込みつつも、しっかりと自分のヴァイオリンの音をホールに響かせる。
それに煽られるようにして、セガンとフィラデルフィアも輝かしいチャイコフスキーを聴かせる。
1楽章の全奏なんて、こんなに聴き古し、聴きなれた旋律に心躍るなんて、自分には考えようもなかったことです。
(ムターとプレヴィンの、チャイコとコルンゴルト、いまだにそのチャイコだけ聴いたことがありません(笑))
そしてフルートソロのべらぼうな美しさといったらなかった。
 しかし、フィラデルフィアの弦は分厚く、そしてうまいもんだ!
繰り返しますが、それにも負けないバティアシヴィリのヴァイオリンって!
ビターな辛口の演奏だった2楽章も素敵だったし、ますますオケとの掛け合いが面白くて、興奮させられた3楽章。
完璧な技巧に、冷静・的確ななかにも、だんだんと熱を帯びてゆくバティアシヴィリ。
ショートカットの御髪を左右に乱しつつの一気呵成のフィナーレは、聴き手を夢中にさせてしまうまったく見事なものでした。
 曲が終わると同時に、サントリーホールは、ブラボーとともに、おーーっ的などよめきに包まれました。
セガンも彼女に、王女様に接するかのように、ひざまずいて最上級の賛辞を送り、会場も笑いとさらなる興奮を呼び起こし、指揮者が団員のなかに腰を据えるなか、エキゾティックなグルジアの民謡を演奏してくれました。
 バティアシヴィリ、大好きになりました♡

マーラーの第5番。
前半もそうですが、後半もオーケストラは多くの団員がステージに乗って、腕鳴らしをしています。
それむ、むちゃくちゃ真剣で、マジで練習してる。
先日のBBC Scottishのオーケストラもそうでした。
とくにアメリカのオーケストラは、各奏者の腕前が高く、ソロがオケのなかで目立つこともしばしばで、まさに個人主義の観念が行き届いていると思いますが、その代わり、プロ意識は極めて高く、いざというときの団結力が強靭なまでの合奏力となってあらわれるんだろうとも思います。
日本のオケや、ドイツのオケなどは、指揮者によって演奏のムラが出たりすることが多いと感じますが、アメリカのオケは、どんな指揮者にも全霊でもって答え、高水準の演奏を達成しますし、まして、有能な指揮者にかかると、とんでもない能力を発揮します。
そのようにして、アメリカのオーケストラは、一定の指揮者と長く続く関係を築くのであろうと思います。

さて、指揮なしで開始した輝かしいトランペットに、雄弁な女性のホルンが大ブラボーを浴びたマーラー。
セガンは、その頂点を3楽章に持ってきて、大きく3部にわかれるこの作品の姿を明快にしたと思います。
1楽章と2楽章は、アタッカで繋ぎ、一気呵成に悲劇的な要素を強調しつつ描きました。
2楽章の大破局のような悲観的なムードの表出では、うなりを上げるフィラ管の弦に圧倒されたし、セガンの隆々たる指揮も極めて大きな動きでもって、オケを煽るようにしてました。
マッチョな体のセガン氏、筋肉もりもりすぎて、燕尾服では背中が破れちゃんじゃないかしら。
良く伸びる素材の衣装をいつも着てるし、あのモリモリの指揮ぶりに、オケのフォルテも無尽蔵なのだ。

一転、平和とのどかさが訪れるスケルツォ楽章。
先のホルンも朗々として素晴らしかったが、ここでは、フィラ管の弦と木管の各ソロたちの妙技に耳を奪われました。
この長大な楽章が、いささかもだれることなく、いわば万華鏡を覗くかのような楽しみとともに聴けたのも、セガンの自在さとオケの自主性とがあってのもの。

ハープを弦セクションの真ん中に置き、フィラ管の弦セクションの美音を堪能したアダージェット。
自分的には、先日のダウスゴーのスリムな抒情の方が好きだったけれど、終盤の第2ヴァイオリンから再現されるメインテーマが、ほかの弦の伴奏を伴いつつ、じわじわと全弦楽による感動的なピークに達するところが、目にも耳にも、素晴らしいご馳走でした。
 終楽章は、ともかく明るい。
アダージェットの副主題が容をかえて、なんども登場する際には、セガンとオケはノリノリで、こちらも気分がはなはだよろしい。
そして最終クライマックスでは、またもや隆々セガンが両腕を大きく広げて大ピークを創出。
で、驚きのアッチェランドで大曲は、瞬く間に終了!

ブラボーの渦で、サントリーホールを聴き手は、アメリカのビッグ5オーケストラの実力をまざまざと見せつけられ、感嘆したのでした。
これでいいのかな?との思いもよぎったし、先日のダウスゴー&BBCSSOの方が美しかったとの思いも捨てきれないが、でもこれはこれでよろしい。
「セガンとフィラデルフィアのマーラー」を聴いたのだから。

Suntry20191104-a

熱気冷めやらぬホールを出ると、外はもう夜空で、そこには相変わらず星条旗が無風で静かに掲げられておりました。

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コメント

またお邪魔いたします。当方もフィラデルフィア管は何故か縁遠く、'99年のサヴァリッシュでみなとみらいホールが最初かつ唯一です。まだ地下鉄がなかったので、桜木町駅から動く歩道でテクテク向かった覚えが。ビッグ5で一番最後の実演でした。

「ドン・ファン」「新世界」の間にストコ編「月の光」「沈める寺」「トッカータとフーガ」だったので、むしろそれ目当てで出かけました。さすがに華麗な音彩で大満足でしたが「新世界」はまるで印象に残りませんでした(--;)。

開演前、隣席のアメリカ人が流暢な日本語で話しかけて来、当方の英語より確実に上手でしたのでそのままやり取りしたのですが、皇太子ご夫妻つまり今上両陛下が入場されると彼氏「あっ、プリンセスはボクの後輩ですヨ」ですと、さりげなくハーヴァード出をアピールしてました(笑)。

終演後、すぐ隣のパンパシフィックホテルのバーで一杯やっていて、ああ皇太子ご夫妻は直ちにお車で御所にお帰りなのだろうな、近くで演奏の余韻を味わいつつグラスを傾けるなんてことは、むしろ我々平民にこそ許された愉しみなのだろうななどと想いに耽っていたら危うく終電を逃しそうになり、あたふたと桜木町駅に向かいました。

20年も経つと音楽そのものよりも、こんな他愛もない記憶ばかり浮かび上がってくるのでしょうか。もっともそれより遥か以前の十代の頃の記憶の方が、こと演奏の細部については鮮明な気もするのですが、さて…。

いつも個人的な思い出ばかり書き列ねて申し訳ありません。今後もよろしくお願いいたします。

投稿: Edipo Re | 2019年11月 9日 (土) 14時16分

サヴァリッシュとフィラデルフィアをお聞きになられたのですね!
サヴァリッシュがこのオケのシェフになったのは、正直驚きだし、ミュンヘンを離れてしまったことが残念でしたが、オペラの監督がいかに大変だったか、自由なアメリカに行って、のびのびできた氏のことが、とても人間的でいいな、と思ったりもしたものでした。
 今回も、新世界が演目に入ってましたが、オーマンディ以来、必ず新世界なんですねぇ・・
しかし、ストコフスキーに対する、このオケのリスペクトはいまでも変わらないのでね。

わたしも、かつてたくさん聴いた演奏会の記憶が、いまや灯のようになってきておりまして、たしかに、そのあと何を飲んだか、食べたかは、よく覚えたりもしてます(笑)。
人生初コンサートとかは、確かによく記憶してますし、若き日々、じっくりと選定したコンサートやオペラは、その後のものよりも、たしかに、記憶の度合いが違います。
歳を経たいま、そんな昔の気持ちで、貪欲かつ新鮮な気持ちを持ちつつ音楽を楽しみたいと思う、今日この頃です。
こちらこそ、引き続きよろしくお願いいたします。

投稿: yokochan | 2019年11月11日 (月) 08時54分

噂のネゼ-セガン、お聴きになられましたか!響きのニュアンス、ダイナミックスの幅、これらは録音に入り切らない物ですから、出来うるならば会場で目の当たりにして、確かめるのが最上ですね。来る14、15日にメータ&ベルリン-フィルの来阪公演が在るのですが、料金が4.3万と3.8万円とかで、到底手が出ませんねぇ(笑)。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年11月12日 (火) 07時06分

セガンは、CDで以前より聴いてましたが、躍動的な音楽とともに、知的なセンスも感じさせる指揮者と思ってました。
アメリカ人でも、フランス人でもない、カナダ人であることが、彼のセンスの根源かと。
 ベルリンフィルとウィーンフィルが同時に日本にいて、ともにブルックナー8番を演奏しているとう、世界に稀な光景ですが、チケット代も、世界に稀なる高額であります。
あの金額を出すのなら、CDを爆買いするか、不足のオーディオを充足させます。。。、それよりも家計の足しに。。。

投稿: yokochan | 2019年11月12日 (火) 08時18分

16日に神戸文化大ホールで予定の『ベートーヴェンの森/前夜祭』、秋山和慶さんの指揮する神戸室内管弦楽団他の、『ミサ-ソレムニス』&『ピアノ協奏曲第2番変ロ長調』でしたら、0の数が一つ少ない額で鑑賞できます(笑)。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年11月12日 (火) 11時11分

かつては、レコードが1枚2000円~2800円。
そして廉価盤に狂喜もしました。
コンサートチケットは、ウィーンフィルでも1万円未満でした。

いまは、CDはレギュラー国内新譜だと高いですが、海外盤だとかつての廉価盤なみだし、多様な音源がそこらじゅうにあふれてます。
この音楽受容には、贅沢すぎる選択肢の多い時代に、1回行ったら家計が吹っ飛ぶような高額のチケットがある一方、日本人演奏家の廉価なチケットもあり。

多様すぎて、情報がありすぎて、聴かなくちゃ、という思いがありすぎて、正直、疲れました。

自分の好きなもの、聴きたいものにますまずコダワリたいと思うようになりました・・・

投稿: yokochan | 2019年11月15日 (金) 08時29分

『音楽現代』1983年8月号に『演奏会の値段』なる特集が在りまして、東京帝国劇場にF-クライスラーが来演した際、入場料金が特等15圓、1~4等が、13-10-4-2圓の金額を大正十二年に取ったとの事です。同年に来演のカーピ-イタリア歌劇団が、特等12圓、10-7-3-1.5圓だったらしいですから、凄いですね。

投稿: 覆面吾郎 | 2019年11月16日 (土) 07時41分

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