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2019年12月

2019年12月30日 (月)

ワーグナー 「ワルキューレ」 カラヤン指揮メット

Hills-a

六本木けやき坂。

毎冬の風物詩のイルミネーションは、青と白、SNOW&BLUE。

何年か前は、シルバーとレッドが時間で切り替わるものだったけど、わたしはこの色合いが落ち着いていて好き。

Hills-b

歩いて往復80分くらいの散歩コースなのですが、年々キツくなってきた。
寒いのもあるが、歳とともに落ちる体力を実感してる。
今年は帰りは、途中で電車に乗ってしまった。

来年は、まとめて歩かずに、毎日少しづつでも歩くことを重ねていきたいと思ってる。

で、今年最後はワーグナー。
ちょっとおっかないジャケットだけど、ニルソンBOXから。

Wagner-walkure-karajan-1

  ワーグナー 楽劇「ワルキューレ」

        ウォータン:テオ・アダム   
      ジークムント:ジョン・ヴィッカース 
        ジークリンデ:レジーヌ・クレスパン
        ブリュンヒルデ:ビルギット・ニルソン   
        フンディンク:マルッティ・タルヴェラ 
        フリッカ:ジョセフィーヌ・ヴィージー

        ワルキューレ:ジュディス・デ・ポール、キャルロッタ・オーデッセイ
          グェンドリン・キレブルー、ルイーゼ・パール
         マルシア・バルドウィン、フィリス・ブリル
         ジョアン・グリロ、シャーリー・ラブ

 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

           (1969.3.1 メトロポリタン・オペラハウス)

ベームとカラヤンのリングのキャストを混ぜたような歌手たち。
レコードでは、ヤノヴィッツがジークリンデで、クレスパンはブリュンヒルデ。
よりリリックな組み合わせで、「カラヤンのリング」を特徴づけるワルキューレだった。

ベルリンフィルをピットに入れることで、カラヤンのオペラの美学の完成を求めたザルツブルク・イースター音楽祭。
4年をかけた「リング」のスタートが「ワルキューレ」で、ザルツブルクの本番は、1967年。
そして、同じキャストで、ザルツブルクの上演に合わせて発売できるように1966年にベルリンのイエスキリスト教会でレコーディング。
こんな仕組みが、このあと何年も続くことになり、完成度の高い「カラヤンとベルリンフィルのオペラ」がいくつも録音されることになった。

同時に、カラヤンはアメリカの市場も、同じ仕組みでねらって、レコードが発売されるタイミングで、メトロポリタン・オペラに客演して「ラインの黄金」と「ワルキューレ」を指揮していた。
さすがカラヤンなれど、「ジークフリート」と「黄昏」だけは指揮しておらず、そのかわり、自身のザルツブルクの演出は引き継がれ、ラインスドルフやエールリンクの指揮で上演されている。

 メットのデータベースを調べたら、カラヤンのメットでの指揮は全部で15回で、「ラインの黄金」と「ワルキューレ」のみ。
1967年11月、12月 「ワルキューレ」 5回
1968年10月、11月 「ラインの黄金」 3回 「ワルキューレ」 3回
1969年2月、3月   「ラインの黄金」 2回 「ワルキューレ」 2回

これらのうちの、1969年3月の「ワルキューレ」が今回の貴重な録音で、ここでの指揮がカラヤンのメトロポリタン・オペラでの最後の指揮であります。

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カラヤンのライブはやはりスゴイ。
燃える指揮なのだ。
試みに演奏タイムを比較。

             1幕   2幕  3幕
 1966年スタジオ録音  67分  97分  72分
 1969年メットライブ  61分  86分  63分

各幕に、熱狂的な拍手が入ってるので、ライブはもう少し短い。
スタジオでは、よりをかけて入念に指揮しているし、編集もあって細部にこだわり完璧にしあがっているからであろう、その分テンポも伸びているし、緩急はそんなにつけてない。
しかし、メットライブは局所局面で、舞台上のドラマにのめり込むような箇所が多くあり、1幕の終わりの方などは官能と激情のほとばしりとともに、急速なアクセルふかしとなっていて興奮の極致だ。
2幕も同じく、ジークムントの死の告知あたりから、ただならぬ興奮が漂いはじめ緊迫の演奏となっている。
感動的な父娘の対話も、熱っぽい。
カラヤンに煽られてるのか、カラヤンを煽ってるのか、ニルソンとアダムの歌のすごさも、ここでは目をみはるばかりで、ベーム盤を思い起こすような感じだ。
 ウォータンの告別の感動の高まりも冷静なカラヤンとは思えないほどの熱さで、快速調だが、実に情のこもったものだ。
アメリカのオーケストラらしく、奏者自らも感動しちゃって興奮しちゃってる感じも伝わってくる。

スタジオ録音での完璧さと、きれいごとに包まれてない、カラヤンのライブは、本来の劇場の人であるカラヤンのほんとうの姿かもしれない。

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ニルソンはやはりニルソン。
幾多のブリュンヒルデやイゾルデをほかにもたくさん聴いてきたけれど、ニルソンは安心して聴いていれるし、自分には、スタートがニルソンだったし、ブリュンヒルデとイゾルデはニルソンでないとダメなのだ。
冷凛たる声と高貴さ。強靭さとしなやかさ、いずれもニルソンの声にはあると思う。

本来のジークリンデの声であったクレスパン。
メットでも実はニルソンとあわせてブリュンヒルデを歌っていたようで、ヤノヴィッツもジークリンデを歌った日があるようだ。
だがここでのクレスパンは、ショルティの録音のものより、少し不安定な感じを受けた。
 ヴィッカースは相変わらずで、いつものヴィッカースで威勢はよいが、キングのような不幸を背負ったような悲しみの切迫感が弱めです。
テオ・アダムは完璧!
文句なしのウォータンで、ステュワートの回でなく、アダムの録音が残されたのは幸いだった。
あと、J・ヴィージーもここでも最高のフリッカです。
ワルキューレたちは、完全なアメリカ娘で、激しくておおげさで笑えちゃうのも時代を感じさせるところ。

年代を考えるとモノラルなところが残念ですが、音質は良好で、このドラマチックなワルキューレを大いに楽しめるものであります。

ニルソンBOX、まだまだ面白い録音がたくさんありますので、またとりあげましょう。

Hills-c

令和を迎えた日本。

内外ともに、安穏としていられない情勢は年々高まりつつあると思います。

そして、自分や家族・親族になにかと変化がありました。

そんななかでも、やはり音楽を聴くという行為は相変わらずでして、それをブログというツールに記録していくということも週1ぐらいのペースで継続できました。
暮れは、好きな演奏家の訃報もあって記事は頻出させましたが、またゆったりとやっていきたいと思ってます。
多くのコメントもいただきましてありがとうございました。

来年はベートーヴェンイヤーとなりますな。
何を聴こうかな・・・・

よいお年をお迎えください。

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2019年12月27日 (金)

ペーター・シュライアーを偲んで

Peter-schreier

ペーター・シュライアーが亡くなりました。

ドレスデンにて、享年84歳。

こうしてまた、ずっと親しんできた歌手の一人が去ってしまいました。

親しみやすい、そして朗らかでそのリリックな声は、完全に自分の脳裏に刻まれております。
そんな思いを共にする聞き手も多いのではないでしょうか。

1935年、マイセンの生まれ。(2020.03.03訂正)
オペラ歌手、リート歌手、宗教音楽歌手、いずれにもシュライアーの功績は、舞台にステージに、そして数々の録音に深々と刻まれております

Pwter-schreier-2  

バイエルン放送局の追悼ページには、「福音史家とワーグナー」とあります。
そう、ミュンヘンでは、リヒターやサヴァリッシュのバッハとワーグナーの演奏には、シュライアーはかかせませんでした。

ことしの1月には、テオ・アダムが亡くなってます。
シュライアーよりも年上のアダムでしたが、ふたりともドレスデン聖十字架協会の聖歌隊に所属。
ともにバッハの音楽で育ったところもあります。
そして、ふたりの共演も多かった。

福音史家としての録音はいくつかありますが、「マタイ」でいえば、リヒターとの録音は未聴のまま。
歌いすぎなところの批評を読んでから手を出せずに今日に至る。
抑制の効いたシュライアーらしいマタイといえば、マウエスベルガー盤です。
あとは、リヒターとのカンタータの数々。

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わたしには、シュライアーは、「タミーノとダーヴィッド」です。
初めてのシュライアーのレコードは、「ベームのトリスタン」の若い水夫です。
これは正直、この役のすりこみです。
シュライアーの歌が終わると、切迫したオケがきて、ニルソンのイゾルデの一声、そしてルートヴィヒのブランゲーネがきます。
もう、完全に脳内再生できるくらいに聴きこんでる。

 そして、シュライアーは、「ザ・タミーノ」といっても過言ではなかった存在です。

Zauberflote

手持ちの「魔笛」でもスウィトナー、サヴァリッシュ、デイヴィスの3種のものがあります。
思えば、みんな亡くなってしまった指揮者たち。
指揮者の声は残らないけれど、演奏全体として残る。
でも歌手たちの声はずっと耳に、その人の声として残るので寂しさもひとしお。

 シュライアーのダーヴィットは2回聴くことができました。
ここでも、指揮はスウィトナーとサヴァリッシュ。
ベルリン国立歌劇場とバイエルン国立歌劇場の来演におけるものです。
舞台を飛び回る若々しいシュライアーのダーヴィッドは、その芸達者ぶりでもって、マイスタージンガーのステージを引き締めました。
ヴァルターにレクチャーする長丁場の歌、喧嘩に飛び込む無鉄砲ぶり、ザックスとの軽妙なやりとり、歌合戦での見事なダンス・・・
いまでも覚えてます。
そして、ワーグナーが書いたもっとも美しいシーンのひとつ、5重唱の場面。

Meistersinger
             (バイエルン国立歌劇場の来日公演)

日本には何度も訪問してましたが、リートでシュライアーの歌声を聴くことはできませんでした。

「美しき水車屋の娘」は、これもシュライアーの得意な歌曲集でした。
この作品も思えば、シュライアーの歌声が自分にはすりこみ。
レコード時代のオルベルツ盤で親しみましたがCDで探してみたいと思います。
ギター伴奏による水車屋も、シュライアーならではのものでした・・・

Schubert-schreier

歌がいっぱい詰まった、シュライアーのシューベルト、ゲーテ歌曲集を今夜は取り出して聴いてみることとしよう。

年末の朝。目覚めたら一番に接した訃報に、急ぎ思いを残しました。

悲しい逝去の報が続きます。

ペーター・シュライアーさんの魂が、安らかでありますこと、お祈りいたします。

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2019年12月24日 (火)

メノッティ 「アマールと夜の訪問者」

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イエスが生まれたときに、星に導かれて、当方よりベツレヘムに拝みにやってきた3人の博士。

そのとき、イエス・キリストが公になられたという意味合いで、1月6日からを「公現節」として、「降誕祭」のあとの大きなお祭りともなってます。
バッハのカンタータにも、この節にちなんだ作品はあり、クリスマス・オラトリオの第6部もこの節のものです。

厳密には、クリスマスと切り分けて考えるべきでしょうが、イエスの降誕を祝う流れとしては同一。
クリスマスの飾りにも、この博士たちもあるし、何といっても、クリスマス・ツリーのてっぺんには、星が輝いているわけです。

Kyoubunkan-2

欧米の文化であるキリスト教徒としてのクリスマスと、商業主義が先行し、なぜかしっかり生活に根付いた「日本のクリスマス」。
25日が済んだら、もうクリスマスムードは払拭されてしまうけど、日本ではやむを得ないか・・・

イタリアに生まれ、アメリカ人オペラ作曲家として活躍したメノッテイ(1911~2007)の愛すべき作品を。
欧米、とくにアメリカではクリスマスイブの定番です。

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   メノッティ 「アマールと夜の訪問者」

  アマール:アイケ・ホーカースミス
  母親:キルステン・グノールセン
  カスパール王:ディーン・アンソニー
  メルヒオール王:トッド・トーマス
  バルタザール王:ケヴィン・ショート
  王の従者:バート・レファン

 アルスター・ウィリス指揮 ナッシュヴィル交響楽団
              ナッシュヴィル交響合唱団
              シカゴ交響合唱団 
      (2006.12 @シャーマーホーン・シンフォニーセンター)

幼少より音楽の才能を発揮し、ミラノのヴェルディ音楽院に入学。
もしかしたら、クラウディオの父、ミケランジェロ・アバドが院長かなにかで在籍していた頃かもしれず、そうした歴史の綾も面白いものです。
渡米後は、フィラデルフィアのカーティス音楽院から活動をスタートさせ、そこでバーバーと知り合い、それこそ、長年のオトモダチになるのでした。
このオトモダチ関係は、早世してしまう指揮者、トマス・シッパースにのちに引き継がれ、多くのオペラ作品の理解者と初演者として強い味方になるのでした。
あんまりオトモダチ関係を意識すると、メノッテイの音楽への目が曇ってしまうのですが、こうした自由こそがアメリカの社会のよさであり、噂やスキャンダルとは無縁に、才能をいかんなくその作品に注いでいくことができるのでありましょう。

そのオペラ作品は短時間のものが多く、戦後のアメリカの豊満な家電生活に即したように、テレビで観るオペラなども開拓し、逆に、まるでテレビドラマのようなオペラも生み出したわけです。
声にこだわり、オペラにこだわったイタリアの血。
そして、豊かな経済のなかにあって、芸術をメディアも駆使して、一般大衆にも楽しめるようにしたアメリカの背景。
メノッテイのオペラ作品はまだ、ほんの少ししか聴いてませんが、イタリアとアメリカの融合、それも戦後の西側のひとつの姿としてみることで、その理解が深まるものと思います。

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オペラの内容

 時代は、まさに、イエスが生まれた、そのとき、ベツレヘムの近郊。
羊飼いのアマールは、松葉杖に頼らないと歩けない少年。
今日も、笛を吹きながら楽しい歌を歌い、とても大きな星が出てると言う。
母は、すこしばかり彼の歌や話が法螺話ではないかと心配してる。
 夜になり、ふたりは床につくが、見知らぬおじさんたちの歌声とともに、ドアをノックする音が・・・
アマールは、母さんに、なんか来たというが、嘘おいいじゃないよ、というやり取りがなんどか。
でも、ほんとうに、3人と従者のおじさんが3人やってきた。
生まれた素晴らしい子供に貢物をささげる旅をしているので、ひと宿貸してほしいとのこと。
貧乏な寡婦でございますが、どうぞと家に招き入れる母。
アマールは、それぞれのおじさんの持ち物などをみつつ、親しげに質問、耳の遠い王様もいて笑。
 
母は、なけなしの焚火を用意し、村人に声をかけ、旅人を食べ物や踊りでもてなす。
(若い女性たちのダンスの音楽などは、なかなかのものです)
村人も帰り、旅人もアマールも床につきますが、母は、いまの不自由な生活を嘆き、悲観にくれ、ついに王様の黄金に手をつけてしまう。
これに気づいた従者が騒ぎ立て、母を引っ立てますが、そこにアマールが必死の抵抗を。
メルヒオール王は、とっておきなさい、生まれた聖なるみどりごにはお金など必要なないのですと語る。
母は、黄金をともかく返し、いまの自分には、なにひとつ捧げるものや贈り物もない・・・と嘆きます。

それを聞いたアマールは、母さん、この松葉杖があるよ、これをあげようと差し出します。
するとどうでしょう。
奇跡が訪れました。
不自由だった足が・・・「ぼく、歩けるよ!歩ける」とおっかなびっくりで、アマールは杖なしで。
王様たちと従者は、天を仰ぎ奇跡をたたえ、母は涙にくれます。
アマールは、王様たちと一緒に、彼の救い主に会いにいくために、母に旅支度を手伝ってもらって村を出ていきます。

           幕

思わず涙ぐでしまう展開です。
この50分ぐらいの物語が、1951年にテレビでアメリカのお茶の間に流されたとき、熱心なキリスト教徒であり、常勝のアメリカの正義を疑っていなかった国民は、心から感動し、家族でのクリスマスの一夜に華を添えたことでしょう。

トランプの出現は、そんな時代の良き・強きアメリカを訴えてのものかもしれません。
語法ややり口は強引ですが、アメリカとはシンプルでハッキリしたそんな国なのです。

でも、混とんとした、世界にあって、アマール君の気持ちと母の愛は、絶対に不変のものです。
問題は、この不変のものが通念として通じない、価値観の程遠いあの国(C)です。

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少年役がキーですが、母親のモノローグもなかなかに深くて悲しい。
平易な旋律が全編流れるわかりやすい曲です。
アマールの吹く笛が、とても気にいって四六時中あたまから離れません。
感動的な場面で出てくる旋律も印象的。
そう、それは、これまたクリスマス映画のひとつである、「ホームアローン」の音楽を思い起こさせます。
あの映画も、少年の母との愛の物語ですね。

シッパースによる初演録音も持ってまして、トスカニーニとも親交のあったメノッティらしく、オケはNBC交響楽団です。
かなり鮮明な録音で、曲のよさは楽しめますが、デジタル録音の言葉も明瞭なナクソスのステキな2006年録音のほうが、やはり感動の度合いが違います。

ホーカースミスという少年のアマール君が、きわめて愛らしく、いとおしいです。
音楽の都、ナッシュヴィルのオーケストラもすがすがしい雰囲気です。

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期せずして、アメリカのオーケストラシリーズ。

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ナッシュヴィルは、テネシー州の州都で、人口は67万だけど、周辺の経済圏を入れると190万人の大都市圏。
なんたって、カントリーミュージックの聖都であり、ミュージックシティと呼ばれる所以もそこにあり。
出身のミュージシャンを調べたら、わたしごときが知ってる方ばかり。
チェット・アトキンス、ジョニー・キャッシュ、エイミー・グラント、ダナ・サマー、ドリー・パートン、エミリー・ハリス、パット・ブーン、ジミー・ヘンドリクス、ブレンダ・リー・・・・etc

大リーグ球団は3Aクラスで、アメリカンフットボールが強い感じ。

Nashville-3

ナッシュヴィル交響楽団は、もともとは1920年に創業。
その後大戦で停止、1946年が正式創立年度。
あまり知らない指揮者ばかりが続き、1893年にケネス・シャーマーホンが首席となって鍛え上げ、2005年まで継続。
シャーマーホーンの名前を冠したホールが本拠地で、そのシャーマーホーンとの録音もかつては多くありました。

その後、スラットキンが継いで、2009年からは、ジャンカルロ・ゲレーロというメキシコ系の指揮者が率いていて、この盤と同じく、ナクソスレーベルへの、このコンビの録音もかなり制作されている状況にありまして、ナクソスレーベルに感謝しなくてはなりませんね。
なかなかの実力派オケで、来年は、よくあるアメリカオケのように映画音楽やポップなクラシック音楽などとともに、マーラーの10番クック版みたいな本格派もやるみたいです。

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よきクリスマスを。

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2019年12月21日 (土)

プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」 プレヴィン指揮

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恵比寿ガーデンプレイス。

毎冬見に行ってます。

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バカラシャンデリア、豪奢なものです。

大きなツリーと、このシャンデリアをつなぐ坂道にはイルミネーション。

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そして、いちばん先には、ロブションのシャトーレストラン。

これらは見るだけは無料です(笑)

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  プロコフィエフ バレエ音楽「シンデレラ」

 アンドレ・プレヴィン指揮 ロンドン交響楽団

       (1983.4 @アビーロードスタジオ、ロンドン)
       ※ジャケット画像はネットからの借り物です

先ごろのヤンソンスの急逝も驚き、悲しみましたが、今年は、アンドレ・プレヴィンも亡くなってしまいました。
2月28日がその命日となりました。
クラシック音楽界では、あと、J・ノーマン、ギーレン、ツェンダーなどの逝去も伝えられ、時代の流れをいやでも感じさせる年でもありました。
そこそこ長く、クラシック音楽を聴いてきているけど、思えば自分も古めの聴き手になったものだと感じます。

そんな自分でも、ようやく全曲聴いて、大いに気にいった作品が今宵のバレエ音楽。

プレヴィンはロシア系のバレエ音楽を得意にして、録音も多く残しましたが、不思議とストラヴィンスキーは手掛けなかった。
プレヴィンの火の鳥とか、ペトルーシュカはあってもおかしくないのに・・・・

マゼール盤と並んで、その全曲盤が最高峰と思っているプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」。
もうひとつのプロコフィエフのバレエ音楽は、気にはなってたけど、曲じたい聴いたことがないし、シンデレラってのもいまさらなぁ~と思ってました。
 そんなとき、ニューヨークフィルに客演したユロフスキの演奏をネットで聴いたのです。
抜粋版によるものでしたが、あたりまえのことですが、プロコフィエフらしいサウンドが満載で、聴き親しんだ交響曲のようでもあり、かっこいいワルツなんて眩暈がしそうなほどいい感じだし、曲の途中で、シンデレラに時間を継げる時計の音がパコパコなるところなんて、あ~、おもしれ~って感じで大いに気に入ったのでした。
そして、プレヴィンの2CD組の盤を購入しました。

全50曲で1時間52分、ともかく何度も聴きまして、耳にすっかり馴染ませました。
そして仕上げに、実際のバレエの舞台をネット鑑賞しました。
ほんとに便利な時代です。
バレエ音痴のわたくしですが、そうしてみてほんとに思ったのは、バレエダンサーの皆さんがほんとスゴイってこと。
とくにプリマとなるとずっと出ずっぱりで、あの運動量。
オペラ歌手は歌い演じるけれども、踊り演じるということの大変さと、活動期間も限られることなどにも想いを馳せたりもしましたね。
 そして、オーケストラピットの指揮者のこと。
オペラの舞台とはまた違う、舞台の進行を考えながら、ダンサーたちの動きも見ながらの指揮は、やはりオペラに通じつつも違うものがあるように思った次第。

 あとはなによりも、プロコフィエフの音楽がとてもよく書けていること。
誰もが知る、ペローの「シンデレラ」物語を、そのままい音楽にしたともいえる。
プロコフィエフの言葉。
「わたしは、音楽を通して、異なる人物、すなわち、可愛らしい物思いにふけったシンデレラと、気の弱い父親、意地悪な継母、利己的な姉たち、情熱的な若い王子を、観客が彼らの喜びや悲しみをともにせざるをえないような方法で伝えようと試みた。」

 まさに、作曲者の言う通り、バレエの舞台には、その素晴らしい音楽にぴったりの誰もが知るわかりやすい物語が展開されるのでした。
あとバレエには、オペラの演出のように、読み解きが必要となるような演出はあるのでしょうか・・
映像で観たのは、まずチューリヒバレエのもので指揮はフェドセーエフ。
亡くなったのは、父でなく母。姉たちは男性でオネエ、家もダンススタジオのようだったし、仙女さんはシンデレラ贔屓の先生。
あと面白いところ多数。
最後のエンディングでは、幸せそうに歩む王子とシンデレラの後ろから、ちゃっかり・こっそり姉ふたりが着いていっちゃうというもの。
洒落たエンディングで、思わず微笑んでしまった。
 そのあと、伝統的な舞台もいくつか観たけれど、物語に忠実で美しいけれど、先のチューリヒほどの面白さはないように感じた自分。
でも、ちょっとバレエにはまりそうな予感が・・・・・

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「ロミオとジュリエット」から9年後の完成で、1944年の作品。
まさに独ソ戦の真っただ中で、その翌年には、憎っくきソ連は日本に侵攻してくるのでしたが・・
安定した音楽活動期にあったプロコフィエフは、もっと大衆に愛される音楽をと思い、キーロフ劇場からの依頼もあって、1941年に「シンデレラ」に取り組む。
完成までのブランク期間は、文字通り、戦争によるもの。

 第1幕 シンデレラと姉たち、そして舞踏会へ
 第2幕 城内の舞踏会
 第3幕 舞踏会の翌朝、シンデレラを探す王子とハッピーエンド

1幕 序奏からしてプロコフィエフ節満載。
全編にわたって顔を出す旋律はシンデレラのモティーフらしい。
プロコフィエフの音楽の特徴を端的にあらわしていて、今回、シンデレラを何度も聴いて痛感したこと。
それは、シャープで澄みわたる高域に、響きわたる歌う低域。
そんなプロコフィエフサウンドを求めて、オペラにもチャレンジしてみたいし、交響曲やピアノソナタで、その作風の変遷を追ってみたいと思う。
 ユーモラスな継母・姉たちの音楽、仙女さんの主導する四季に応じたダンス、そしてシンデレラの憂愁と舞踏会への出発。
時限爆弾ともいうえべき、時計の警告の描き方その1.

2幕 リズムと各種ダンスの祭典
舞踏会の前座、そして到着した、意地悪姉さんたちの踊りと彼女たちのなにかと面白い所作が、ちゃんと音楽化されてるおかしみ。
野放図でありながら、憂愁とシニカルさもたたえたワルツが素晴らしく好きで、ハチャトゥリアンの「仮面舞踏会」を思わせるステキさ!

お決まりの各国のダンスに、いまでは言葉にしちゃいけないような人々のダンスに、民族臭ただようムード、そして姉さんたちの滑稽さも忘れてはいない。
プロコフィエフの旧作から、「オレンジの恋」のあのモティーフが出てくるのもおもしろい。
 そんななかで、静まりかえって、雰囲気が神妙になってしまう、シンデレラの登場。
ここでも、ワルツが始まり、全体を独特なムードにしてしまい、各種ダンスのあと、王子とシンデレラのパドゥ・ドゥーでは、とてもロマンテックな音楽が・・・チェロの甘い音色に、木管の合いの手が美しい。
 うごめく低音が、ここでもしっかりプロコフィエフサウンドを紡いでる。
2人が引いたあとの、またあのワルツ、でも今度は時間切れの切迫したウッドブロックと金管の警告。
ここが面白いところで、オケのおどろおどろしい響きも聴きもので、さぁ、無事にシンデレラは城から逃げ出し、王子は彼女の片方の靴を見つけだすところで、2幕終了。

3幕 翌朝の恋にトチ狂った王子さん
三回ある王子率いる、シンデレラ捜索隊の切羽つまったギャロップは、舞台せましと飛び回る。
音楽も、思わず、指揮してしまいたくなるような躍動感にあふれてる。
3度の候補者巡りには、スパニッシュ、アジアンと異国ムード満載で、これまたバレエのお約束か。
三度目はシンデレラの目覚めで、昨夜の思い出と諦念を思わせる音楽。
しかして王子は、シンデレラの家を探しあてるが、姉たち、継母も靴があわず、ついにシンデレラに・・・
見事なまでに美しいサプライスをえがいたプロコフィエフの音楽。
あとは、妖精さんの音楽のように、フォルテはなく、優しい、優しい、夢のゆうな音楽となる。
でも、先に書いたように、高域と低域の歌のやり取りはここでもしっかりあって、とっても感動的な音楽シーンを作り上げている。
 センチメンタルな終末的なエンディングでは、チェレスタが伴うことで、このステキな童話の、めでたしめでたしの終結を盛り上げます。

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ロンドン響、退任後、ロイヤルフィルの指揮者として帰ってくるまえの頃の録音。
LSOでよかった、と思います。
お互いの結びつきがまだ強かった頃、まだまだ一挙手一投足が同じころで、アバド時代ともかぶるころです。
そのニュートラルな響きが万能で、どんな曲でも、しっかり演奏できてしまうコンビにあって、このプロコフィエフは文句のつけようのない演奏。
あのエレガントなプレヴィンの指揮ぶりが、このバレエに込められたプロコフィエフの想いを、見事に表出していると思います。

今回、この曲の音盤で調べたら、ロジェストヴェンスキーのものと、アシュケナージの指揮のものがあるようです。
ソ連時代の演奏と、亡命者としてピアニストがアメリカのオケを降ったもの、このふたつに興味深々でありますっ!!

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2019年12月18日 (水)

ヤンソンスを偲んで ⑥ミュンヘン

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ヤンソンスを追悼する記事、最後はミュンヘン。

バイエルン放送交響楽団は、ヤンソンス最後のポストで、在任中での逝去でありました。

ミュンヘンという音楽の都市は、優秀なオペラハウスと優秀なオーケストラがあって、かつての昔より、それぞれのポストには時代を代表する指揮者たちが歴任してきた。

バイエルン国立歌劇場、ミュンヘンフィル、バイエルン放送響。
60~70年代は、カイルベルト、サヴァリッシュ、ケンペ、クーベリック、80~90年代は、サヴァリッシュ、チェリビダッケ、デイヴィス、マゼール、2000年代は、ナガノ、ペトレンコ、ティーレマン、ゲルギエフ、そしてヤンソンス。

いつかは行ってみたい音楽都市のひとつがミュンヘン。
むかし、ミュンヘン空港に降り立ったことはあるが、それはウィーンから入って、そこからバスに乗らされて観光、記憶は彼方です。

 ヤンソンスは、コンセルトヘボウより1年早く2003年から、バイエルン放送響の首席指揮者となり、2つの名門オーケストラを兼務することなり、2016年からは、バイエルン放送響のみに専念することとなりました。
 ふたつのオーケストラと交互に、日本を訪れてくれたことは、前回も書いた通りで、私は2年分聴きました。

彼らのコンビで聴いた曲は、「チャイコフスキーP協」「幻想交響曲」「トリスタン」「火の鳥」「ショスタコーヴィチ5番」「ブルッフVn協1」「マーラー5番」「ツァラトゥストラ「ブラームス1番」「ブルックナー7番」など。
あとは、これまた珠玉のアンコール集。

10年前に自主レーベルができて、ヤンソンス&バイエルン放送響の音源は演奏会がそのまま音源になるかたちで、非常に多くリリースされるようになり、コンセルトヘボウと同じ曲も聴けるという贅沢も味わえるようになりました。
さらに放送局オケの強みで、映像もネット配信もふくめてふんだんに楽しめました。

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  シベリウス 交響曲第1番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2004.4.23 @ヘラクレスザール)

バイエルンの初期はソニーレーベルとのアライアンスで何枚か出ましたが、そのなかでも一番好きなのがシベリウスの1番。
ヤンソンスもシベリウスのなかでは、いちばん得意にしていたのではなかったろうか。
大仰な2番よりも、幻想味と情熱と抒情、このあたり、ヤンソンス向けの曲だし、オーケストラの覇気とうまくかみ合った演奏に思う。
ウィーンフィルとの同時期のライブも録音して持ってるけど、そちらもいいです。

Strauss-rosenkavalier-jansons

  R・シュトラウス 「ばらの騎士」 組曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2006.10 @ヘラクレスザール)

これもまたヤンソンスお得意の曲目であり、アンコールの定番だった。
本来のオペラの方ばかり聴いていて、組曲版は敬遠しがちだけど、このヤンソンス盤は、全曲の雰囲気を手軽に味わえるし、躍動感とリズム感にあふれる指揮と、オーケストラの明るさと雰囲気あふれる響きが、いますぎにでもオペラの幕があがり、禁断の火遊びの朝、騎士の到着のわくわく感、ばらの献呈や二重唱の場の陶酔感、そして優美なワルツからユーモアあふれる退場まで・・・、各シーンが脳裏に浮かぶ。
ヤンソンス、うまいもんです。
全曲版が欲しかった。。。。

Jansons_20191216162501

   ワーグナー 「神々の黄昏」 ジークフリートの葬送行進曲

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

          (2009.3.16 @ルツェルン、クンストハウス)

オスロフィルとのワーグナー録音は、青臭くてイマイチだったけど、バイエルンとのものは別人のような充実ぶり。
バイエルンとの来日で、「トリスタン」を聴いたが、そのときの息をも止めて集中せざるを得ない厳しい集中力と緊張感あふれる演奏が忘れられない。
そのトリスタンは、ここには収録されていないけれど、哀しみを込めて、「黄昏」から葬送行進曲を。
淡々としたなかにあふれる悲しみの表出。
深刻さよりも、ワーグナーの重層的な音の重なりと響きを満喫させてくれる演奏で、きわめて音楽的。
なによりも、オーケストラにワーグナーの音がある。
 前にも書いたけれど、オランダ人、タンホイザー、ローエングリンあたりは、演奏会形式でもいいからバイエルンで残してほしかったものです。

Gurrelieder-jansons

  シェーンベルク 「グレの歌」

   トーヴェ:デボラ・ヴォイト
   山鳩:藤村 実穂子
   ヴァルデマール:スティグ・アンデルセン ほか

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2009.9.22 @ガスタイク)

合唱付きの大作に次々に取り組んだヤンソンス。
優秀な放送合唱団に、各局の合唱団も加え、映像なので見た目の豪奢な演奏風景だが、ヤンソンスの抜群の統率力と、全体を構成力豊かにまとめ上げる手腕も確認できる。
やはり、ここでもバイエルン放送響はめちゃくちゃ巧いし、音が濁らず明晰なのは指揮者のバランス感覚ばかりでなく、オーケストラの持ち味と力量でありましょう。
濃密な後期ロマン派臭のする演奏ではなく、シェーンベルクの音楽の持つロマンティックな側面を音楽的にさらりと引き出してみせた演奏に思う。
ブーレーズの緻密な青白いまでの高精度や、アバドの歌心とウィーン世紀末の味わいとはまた違う、ロマンあふれるフレッシュなヤンソンス&バイエルンのグレ・リーダーです。
山鳩の藤村さんが素晴らしい。

Beethoven-jansons

  ベートーヴェン 交響曲第3番 「英雄」

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

         (2012.10 @ヘラクレスザール)

もっと早く、オスロやコンセルトヘボウと実現してもおかしくなかったベートーヴェン交響曲全集。
蜜月のバイエルンと満を持して実現しました。
日本公演のライブを中心とした全集も出ましたので、ヤンソンス&バイエルンのベートーヴェン全集は2種。
 そのなかから、「英雄」を。
みなぎる活力と音にあふれる活気。
心地よい理想的なテンポのなかに、オーケストラの各奏者の自発性あふれる音楽性すら感じる充実のベートーヴェン。
いろいろとこねくり回すことのないストレートなベートーヴェンが実に心地よく、自分の耳の大掃除にもなりそうなスタンダードぶり。
いいんです、この全集。
 ヤンソンスのベートーヴェン、荘厳ミサをいつか取り上げるだろうと期待していたのに無念。
いま、このとき、2楽章には泣けます。

Britten-warrequiem-jansons

  ブリテン 戦争レクイエム

   S:エミリー・マギー
   T:マーク・パドモア
   Br:クリスティアン・ゲルハーヘル

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団
             バイエルン放送合唱団

       (2013.3.13 @ガスタイク)

合唱を伴った大作シリーズ、ついに、ヤンソンスはブリテンの名作を取り上げました。
毎夏、この作品をブログでも取り上げ、いろんな演奏を聴いてきましたが、作曲者の手を離れて、いろんな指揮者が取り上げ始めてまだ30年そこそこ。
そこに出現した強力コンビに演奏に絶賛のブログを書いた5年前の自分です。
そこから引用、「かつて若き頃、音楽を生き生きと、面白く聴かせることに長けたヤンソンスでしたが、いまはそれに加えて内省的な充実度をさらに増して、ここでも、音楽のスケールがさらに大きくなってます。 内面への切り込みが深くなり、効果のための音というものが一切見当たらない。 」
緻密に書かれたブリテンのスコアが、ヤンソンスによって見事に解き明かされ、典礼文とオーウェンの詩との対比も鮮やかに描きわけられる。
戦火を経て、最後の浄化と調和の世界の到来と予見には、音楽の素晴らしさも手伝って、心から感動できます。

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バイエルン放送交響楽団のホームページから。

ヤンソンスのオーケストラへの献身的ともいえる活動に対し、感謝と追悼の言葉がたくさん述べられてます。

長年のホーム、ヘラクレスザールが手狭なのと老朽化。
ガスタイクホールはミュンヘンフィルの本拠だし、こちらも年月を経た。
バイエルン放送響の新しいホールの建設をずっと訴えていたヤンソンスの念願も実り、5年先となるが場所も決まり、デザインも決定。
音響は、世界のホールの数々を手掛けた日本の永田音響設計が請け負うことに。
まさにヤンソンスとオーケストラの悲願。
そのホールのこけら落としを担当することが出来なかったヤンソンス、さぞかし無念でありましたでしょう。
きっとその新ホールはヤンソンスの名前が冠されるのではないでしょうか。。。
 →バイエルン放送のHP

Mahler-sym9-jansons

  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 バイエルン放送交響楽団

        (2016.10.20 @ガスタイク)

コンセルトヘボウとともに、バイエルン放送響のお家芸のマーラーとブルックナー。
ここでもヤンソンスは、しっかり取り組みました。
オスロフィルとの録音から16年。
テンポが1分ぐらい早まったものの、高性能のオーケストラを得て、楽譜をそのまま音にしたような無為そのもの、音楽だけの世界となりました。
この曲に共感するように求める深淵さや、告別的な終末観は少な目。
繰りかえしますが、スコアのみの純粋再現は、音の「美」の世界にも通じるかも。
バイエルン放送響とのコンビで造り上げた、それほどに磨き抜かれ、選びぬかれた音たちの数々がここにあります。
 このような美しいマーラーの9番も十分にありだし、ともかく深刻ぶらずに、音楽の良さだけを味わえるのがいいと思う。

ヤンソンスは、「大地の歌」は指揮しなかった。
一昨年、このオーケストラが取り上げたときには、ラトルの指揮だった。
もしかしたら、この先、取り組む気持ちがあったのかもしれず、これもまた残念な結末となりました。

昨年は不調で来日が出来なかったし、今年もツアーなどでキャンセルが相次いだ。
それでも、執念のように、まさに病魔の合間をつくようにして、指揮台に立ちましたが、リアルタイムに聴けた最後の放送録音は、ヨーロッパツアーでの一環のウィーン公演、10月26日の演奏会です。
ウェーバー「オイリアンテ」序曲、R・シュトラウス「インテルメッツォ」交響的間奏曲、ブラームス「交響曲第4番」。
弛緩しがちなテンポで、ときおり気持ちの抜けたようなか所も見受けられましたが、自分的にはシュトラウスの美しさと、ヤンソンスらしい弾んだリズムとでインテルメッツォがとてもよかった。

長い特集を組みましたが、ヤンソンスの足跡をたどりながら聴いたその音楽功績の数々。
ムラヴィンスキーのもと、東側体制からスタートしたヤンソンスの音楽は、まさに「ヨーロッパ」そのものになりました。
いまや、クラシック音楽は、欧米の演奏家と同等なぐらいに、アジア・中南米諸国の音楽家たちも、その実力でもって等しく奏でるようになりました。
ヨーロッパの終焉と、音楽の国際化の完全定着、その狭間にあった最後のスター指揮者がヤンソンスであったように思います。

マリス・ヤンソンスさん、たくさんの音楽をありがとうございました。

その魂が永遠に安らかでありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2019年12月14日 (土)

ヤンソンスを偲んで ⑤アムステルダム

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いつもながらセンスあふれるコンセルトヘボウのネット上のページ。

そんななかに、ヤンソンスを悼む枠ができるなんて、もっとずっと先のことだと思っていた。
追悼のページを拝見して、センスあふれるなんて、無粋すぎますね....

でもコンセルトヘボウは、ガッティが退任に追い込まれたり、名誉指揮者のハイティンクが勇退、そしてまさかのヤンソンスの死、昨年からこのオーケストラにとって激変が続きます。

ヤンソンス追悼シリーズも終盤。

バイエルン放送響が2003年、ほぼ同じくして、コンセルトヘボウが2004年、ヤンソンスをそれぞれに首席指揮者として任命しました。
ピッツバーグから、ヨーロッパの名門に。
どちらのオーケストラも、これまでに日本に何度もやってきていて、とても馴染みのある存在で、そこに、日本大好きなヤンソンスですから、交互に毎年来日するという夢のような年が続きました。

コンセルトヘボウとの来演で聴いた曲は、「ベートーヴェン2番」「英雄の生涯」「ペトルーシュカ」「悲愴」「エグモント序曲」「ベートーヴェン8番」「新世界」「モーツァルト ピアノ協奏曲25番(内田光子)」「巨人」「ドヴォルザーク8番」「ティル」「ラ・ヴァルス」「マーラー3番」などです。
そして、マーラーをのぞいて、毎回、お馴染みのアンコール曲たち。

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  ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

          (2003.6.6 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウとは、EMIに91年に幻想を録音してますが、そのとき以来(たぶん)。
コンセルトヘボウの自主レーベルでもありました。
このレーベルのジャケットは、いずれも楽しく、色彩的で、曲のイメージも大づかみにしていて、収集する喜びもありました。
就任まえの「新世界」で、このコンビのスタート直前第1弾。
ヤンソンスらしい、リズム感と歌心にあふれてますが、「ラルゴ」の美しさと痛切さは、なかなかのものです。
そして相変わらず、聴かせ上手で、思わず夢中にさせてしまう音楽づくりで、「新世界」にのめり込んだ少年時代の気分もかくやと、思わせるものです。

ただ、自分の耳に、脳裏に刻み込まれている、フィリップス録音のアムステルダム・コンセルトヘボウの音とは、もはや別物と感じたことも事実。
シャイーになってデッカに録音主体が移ってから、コンセルトヘボウは、もう往年のサウンドとは違うものとなってしまっていたのですが、あの単刀直入すぎるシャーの音楽よりは、ヤンソンスの血も涙もある人間的な音楽造りは、コンセルトヘボウにはお似合いのものかと思ったりもしました。

このあと、2004年には、就任記念演奏会としてのライブ「英雄の生涯」が録音されましたが、その年には私は、その「英雄の生涯」や「悲愴」を東京で聴くことができて、一挙にヤンソンスとコンセルトヘボウの虜となりました。

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   フランク 交響曲 ニ短調

 マリス・ヤンソンス指 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

       (2004.12 @コンセルトヘボウ)

創立120周年のアニヴァーサリーで、ネット上でジャケットとともにダウンロードできた貴重な1枚。
ハイティンク、ジュリーニ、アーノンクール、バーンスタイン、コンドラシン、ミュンフンなどの指揮者の音源も同時に配信されました。

そう、コンセルトヘボウで聴くフランク。
デ・ワールトの録音しかなく、いまはそれも廃盤。
フランクと同じフランドル系のオーケストラで聴くというのは、この渋い交響曲には理想的なことだと思ってます。
 それをかなえてくれたヤンソンスの指揮。
でも渋いというよりは、全体の色調は明るめで、ヤンソンスらしい爽快さが先にたちます。
しかし、繰り返される循環主題が、いろいろと色調を変えて登場する際の描き分け方は、耳をそばだてることも多く、単調に、そして晦渋になりがちなフランクの音楽がとても聴きやすく、あっという間の40分間となります。
バイエルンでもこの曲は残さなかったのではないかしら・・・

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  マーラー 交響曲第1番「巨人」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

         (2006.11 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウの指揮者になったからには、そう、マーラー。
映像もふくめて、全部残したのかどうか、もうわからなくなってしまいましたし、その半分ぐらいしか聴いてません。
そんななかで、録音と同じころに日本でも聴いた1番が、ヤンソンスにはお似合いの曲だとも思うので、とりあげます。

洗練の度合いを増したこのコンビ、マーラーの陰りを描き出すというよりは、マーラーの音楽にいっぱい詰まったいろんな要素を、完璧に引き出して開陳してみせる感じで、その後のコンセルトヘボウとのマーラーには、そんな、ちょっと綺麗ごとてきなものも感じてしまうこともあった。
美しすぎる録音のせいもあるかもしれない。

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でも、マーラーの実演で、2010年にミューザで聴いた「3番」には、ことのほか圧倒された。→過去記事

最後の楽章に頂点を築いたかのような、そこに向かってひたひたと昇りつめるような演奏に、ホール中の聴き手を金縛りにかけてしまう感がありました。
そして、その終楽章、「愛がわたしに語るもの」は、生涯忘れえぬような感動につつまれ、涙がとまりませんでした・・・・・

このときの来日以降、わたしはヤンソンスを実演で聴くことがありませんでした。
翌年の震災もあり、仕事の方も大不芳に陥り、神奈フィル以外の音楽会に行く余裕すらなくなりました・・・・
 あのときのヤンソンスのマーラーが聴けて。ほんとうによかったと、つくづく思いました。

しかし、しかしですよ、その後のバイエルンとのマーラー第9を聴いた方から、そのときの様子を聞くにつれ、痛恨の極みに包まれるのでありました。。。。。

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  プーランク グローリア

    S:リューバ・オルゴナソヴァ

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
            オランダ放送合唱団

        (2005,12 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウとバイエルンに着任して以来、ヤンソンスは声楽作品を積極的に取り上げ続けました。
ドヴォルザークのレクイエムという名演も残しましたが、今回は、ヤンソンスならではの抜群のリズム感と緻密さとが、プーランクの軽妙さと信仰深い神妙さとを見事に描き出した「グローリア」をじっくり聴きました。

ジャケットも美しいものだし、コンセルトヘボウもまた美しい。
カップリングのオネゲルの「典礼風」も、ムラヴィンスキーの得意とした曲で、オスロ時代もいい演奏を残してました。
感動的な3楽章がステキすぎます。

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  ラフマニノフ 交響的舞曲

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

       (2004.12 @コンセルトヘボウ)

ヤンソンスの残したラフマニノフでは、ロンドン編で取り上げたフィルハーモニアとの2番と並んで、この「交響的舞曲」がいい。
全編、まさに舞曲ともいえるくらいに弾んで、泣いて、むせんで、笑って、爆発する、そんなマーラーも顔負けの喜怒哀楽の激しいラフマニノフの音楽。
コンセルトヘボウの音色がラフマニノフにぴったりとくる。
録音だけのはなしでいえば、マーラーよりもラフマニノフの方が、コンセルトヘボウにはあってる、と思うくらい。
最近、この曲が2番よりもブームじゃないかと世界を見ていて思う。

憂愁で2番ほどベタつかず、長さもほどほどだし、オーケストラの名技性も発揮できるし、なによりも聴いていて面白い。
いま言ったいいところを全部そなえているのがヤンソンスのこの演奏じゃないか、と。

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    チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」

  オネーギン:ボー・スコウフス 
  タチャーナ:クラッシミーラ・ストヤノヴァ
  レンスキー:アンドレイ・ドゥナエフ
  オリガ:エレーナ・マクシモーヴァ
  グレーミン公:ミハイル・ペトレンコ

   演出:シュテファン・ヘアハイム

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
             ネーデルランド・オペラ合唱団

       (2011.6~7 @ネーデルランド・オペラ劇場)

アムステルダムでは、ヤンソンスは、手兵がピットに入るネーデルランド・オペラの指揮台に何度か立ちました。
ウィーンでは何度かあったはずだけど、これまでなかなかできなかった、オペラピットでの指揮。

得意のチャイコフスキーのオペラ、このオネーギンに続いて、2016年には同じヘアハイムの演出で「スペードの女王」も上演してますし、昨年2018年にはザルツブルクで、ノイエンフェレスのオモシロ演出でも「スペードの女王」を指揮してます。
この「スペードの女王」、ヤンソンスはバイエルンでも演奏会形式で取り上げ、そのまま録音もなされました。
作品的には、「オネーギン」より、「スペードの女王」の方が優れているとは思いますが、豊富なメロディがあふれんばかりに詰まっているオネーギンの方が、一般には聴きやすいオペラでしょう。

残念ながら、アムステルダムでの「スペードの女王」はまだ未入手ですので、今回の追悼特集では、「オネーギン」をつまみ聴きしました。
ヘアハイムの演出には「いにしえのロシア」臭はありませんが、ユニークさでは語り尽くせぬものがあります。
舞台には目をつぶって、オケピットのなかの音に耳を集中すると、やはりコンセルトヘボウの優秀さと、音の深みを強く感じる。
ヤンソンスも生来のオペラ指揮者のように、てきぱきと、手際のいい仕事ぶりで、演出で行われていることとは、ちょっと乖離した純正チャイコフスキー・サウンドをピットの中から起ち上げてます。
手紙のアリアや、レンスキーのアリアなど、泣けてきます・・・・・

ヤンソンスのオペラの記録が、あとショスタコーヴィチの「ムツェンスク」を除いてあまり残されず残念でした。
チャイコフスキーは当然として、ムソルグスキー、R.シュトラウスやプッチーニ、ワーグナーの前半の3作などは、ヤンソンス向きだったと思うのです。

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コンセルトヘボウのツイッター。

最後はミュンヘン。

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2019年12月12日 (木)

ヤンソンスを偲んで ④ピッツバーグ

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ヤンソンス、追悼シリーズは、アメリカへ。

ヤンソンスは、アメリカの楽壇にもしばしば客演してましたが、1997年に、マゼールの後任として、ピッツバーグ交響楽団の音楽監督に就任しました。
2004年までその任にありましたが、残された正規のレコーディンは1枚のみ。
これが、いまとなっては痛恨の極みであります。

アメリカのオーケストラは、専属にするのにも、録音契約を結ぶのにもお金がかかります。
EMIは、この当時、サヴァリッシュとフィラデルフィアの録音はよく行ってまして、さらにそこにアメリカで2枚看板を掲げる余裕もなかったのでしょうか。
また、その当時、メジャーレーベルの勢いにも陰りが出てきた時期なので、その後の新興レーベルやオーケストラの自主制作が主体となるまでの、ちょうど端境期にあったことも要因かもしれません。

マゼール時代は、レコーディンに恵まれていたピッツバーグ交響楽団の録音がヤンソンス時代、極端に少なくなったのは残念でなりません。
ただ、ピッツバーグ交響楽団は、財政的にも豊かだったし、地元放送局が高品質のレコーディングアーカイブを持っているので、いつかその音源が正規に出てくるような気もします。
 年々か前に、自主制作的に、ヤンソンス&ピッツバーグの数枚組のCDが出てましたが、とても高額なものでした。

これ→Pittsburgh-3

ベートーヴェンやチャイコフスキー、ヴェルレクやマーラー10番(アダージョ)なんかが入ってる垂涎の一組です。

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  ショスタコーヴィチ 交響曲第8番

 マリス・ヤンソンス指揮 ピッツバーグ交響楽団

         (2001.2.9~11 @ピッツバーグ、ハインツホール)

ショスタコーヴィチ全集の1枚で、8番のみのピッツバーグの担当で、ライブ録音です。

あらためて、何度か聴き直しましたが、ライブとはいえ、オーケストラの抜群の巧さと、機動性の高さを感じます。
またヤンソンスならではの、気迫の込め方とノリの良さが、スケルツォ的な2楽章や、行進曲調の3楽章では見事な迫力を伴って興奮を呼び起こします。
だが、音色が少しばかり明るすぎることも確かで、アメリカのオーケストラならではの解放感が、曲の持つ深刻さと無慈悲さをちょっと後退させてしまった感もあります。
それが、この8番という交響曲の難しさであり、二律背反的な面白さでもあるように思います。
思い切りスコアのみを信じ、きわめてシンフォニックな演奏に徹したハイティンクの演奏が自分的には一番と思ってますし、ムラヴィンスキーの厳しい透徹感と寒々しさもスゴイと思うし、聴きやすさで一番のプレヴィンもいいと思う。
 そんななかでのヤンソンスの8番は、バイエルンあたりで再録が欲しかったかも・・・

こんな風に思うほどに、ヤンソンスとピッツバーグの演奏は、もっといろいろ聴いてみたかった、という結論になります。

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父アルヴィド・ヤンソンスも1984年に心臓発作で指揮中に死亡。

オスロで、心臓発作に襲われたマリス・ヤンソンスは、ピッツバーグに着任してから、当地の病院で埋め込み型の細動器を装着する手術を行いました。
しかし、ピッツバーグで指揮中、その機械が動かなくなることがあり、まるで撃たれたかのように見えたそうです・・・
それでも手摺をつかみながら指揮を終えたヤンソンスだったとのこと、訃報のニュース記事に楽員が話として出てました。
 任期中に、9.11もありました。
そのときは、コープランドの「市民のためのファンファーレ」を演奏したそうです。
 そして、初のアメリカでの仕事、優れたコミュニティに感嘆し、自らも地元のバスケットチームの熱烈な応援団になり、遠く日本に来演していたときも、そのチームの勝ち負けが気になってアメリカに電話したりしていたそうです。
この8番のCDの最後のトラックに、リハーサル風景が収録されてますが、ユーモアたっぷりで、楽員たちからの笑い声もしばしば起きてます。
また新聞記事ですが、楽員たちは、ヤンソンスが指揮台からよくジョークを飛ばす。
そして、なによりも、ともかく「いい人」だったと・・・・・

なんだか泣けてきますね。

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ピッツバーグ響は、今年の始め頃まで、FM放送の過去のアーカイブをかなりの量でネット公開してましたが、夏ごろよりなくなってしまいました。
そこで、まだあるころに見つけて録音したのが、バレンボイムとのブラームスのピアノ協奏曲の1番と2番。

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   ブラームス ピアノ協奏曲第1番・第2番

      Pf:ダニエル・バレンボイム

  マリス・ヤンソンス指揮 ピッツバーグ交響楽団

            (2016 @ハインツホール)

バレンボイムとはほぼ同年齢の間がら。
しかしながら、そのバレンボイムのピアノは痛々しいほどの出来栄えで、ミスタッチの連続。
風格と造りの大きさだけが、そのピアノから伝わってくるというあんばいです。
それでも、両曲ともに、演奏の終了時には、ものすごい歓声が沸きます。
このピアノにつけるオーケストラも冷や冷やものだったかもしれませんが、リズムやテンポには弛緩がなく、そこはさすがのバレンボイムの年輪による芸風だと思います。
 ヤンソンスの指揮するオーケストラは、しっかりとブラームスしていて、ドイツ的な音色を持つピッツバーグならではの響きを感じます。
バレンボイムの名誉のため、この両曲の緩徐楽章の味わいの深さは、並大抵のものでなく、オーケストラもしっとりとヨーロピアンな雰囲気でもってつけてます。。
バイエルンでもこのコンビでやっていると思いますが、貴重なピッツバーグ録音を手元に残すことができました。

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12月2日、いまの音楽監督、マンフレート・ホーネックは定期演奏家に先立ち、ヤンソンスの功績を称え、追悼の言葉を述べました。

Jansons1

ウィーンフィルでも、奏者として、ヤンソンスの指揮のもとで演奏していたかもしれません。
いま、絶好調のホーネックとピッツバーグの追悼演奏は、シューベルトの「万霊節のための連禱」のオーケストラ編曲バージョン。

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「お休み平安の中で すべての魂よ」と歌われる、美しくも深い歌曲です・・・・

ピッツバーグを卒業すると、ヤンソンスはヨーロッパへ帰り、いよいよ名門オーケストラふたつとの仕事に取り掛かります。

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2019年12月10日 (火)

ヤンソンスを偲んで ③ロンドン、ウィーン、ベルリン

Lpo-2

ヤンソンスの追悼シリーズ、今回はヨーロッパの各都市。

ロンドンでは、ロンドン・フィルハーモニックの首席客演指揮者に1992年に着任し、97年までそのポストにありました。
同時期に録音されたものは、EMIにそこそこありますが、いずれもヤンソンスらしい瑞々しさと、オーケストラの落ち着いた響きがとてもいい感じなんです。

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  チャイコフスキー 「くるみ割り人形」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

        (1991.10 @アビーロード・スタジオ)

弾むリズムに、全編に通じる親しみやすさ、わかりやすさの表出。
誰しもを、ほっこりさせてしまうヤンソンスの音楽づくりです。
そして、ロンドン・フィルのノーブルかつ、ややくすんだ音色が、チャイコフスキーの普遍のメロディの数々に温もりを添えます。
数ある「くるみ割り」のなかで、大好きな1組です。

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 ショスタコーヴィチ 交響曲第15番

 マリス・ヤンソンス指揮 ロンドン・フィルハーモニック管弦楽団

        (1997.4 ロンドン)

関わりのあるオーケストラと全集を造ったヤンソンスのショスタコーヴィチ。
ロンドンフィルとは15番を録音しました。
ハイティンクのもとでも、シンフォニックな演奏で素晴らしい15番を残したが、このヤンソンス盤も浮つくことのない見事なものです。
シニカルななかに、キラリと光る抒情の雫、この曲の第2楽章は、ヤンソンスを送るに相応しい涙に濡れたような葬送の音楽です。

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  ラフマニノフ 交響曲第2番

 マリス・ヤンソンス指揮 フィルハーモニア管弦楽団

         (1986.11.19/20 オールセインツ教会

これぞ、ラフ2の隠れたる超名演。
42歳のヤンソンスが、オスロでのチャイコフスキーと併行してシャンドスレーベルに録音した、フィルハーモニア管との一期一会のような演奏。
完全版によるもので、ヤンソンスのファンになりたての頃、2006年にようやく入手できたCD。
そのときのブログで、「指揮者もオーケストラも、一緒くたになってラフマニノフ・ワールドにどっぷりつかりながら、思い切り音楽に夢中になっている。勢いや感情だけではこんな演奏は生まれない。ヤンソンスの音楽へのひたむきさと、楽員をその気にさせるエモーションがあってこその名演奏」と書いてます。
ヤンソンスの音盤のなかで、この時期のひとつのピークの記録であると思います。
この10年後の、サンクトペツルスブルクとの再録は、かなりおとなしい。
コンセルトヘボウとの再々録音は未聴であります。

ロンドンのオーケストラでは、あとロンドン交響楽団にもよく客演し、マーラーの6番のライブもありますが、こちらも未聴。

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  ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

 マリス・ヤンソンス指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

         (1997.1 @ムジークフェライン)

ヤンソンスは、ウィーンでもベルリンでも、オーケストラと聴衆から人気を博しました。
5番だけは、当時もよく演奏していたウィーンフィル。
テンポの自在、ライブならではの感興あふれる活気に満ちたショスタコ。
ここでも、ウィーンの弦で、しっとりと第3楽章を聴き、ヤンソンスを偲ぶこととします。

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ウィーンフィルのヤンソンス追悼のツィッター。
2006、2012、2016年と3回のニューイヤーコンサートの指揮でした。

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こちらは、ベルリンフィルの追悼ツイッター。

カラヤンコンクールに入賞したヤンソンスにとっては、ベルリンフィルは格別の存在であったでしょう。
そんなに録音は多くは残しませんでしたが、定期演奏会の常連で、アバドのあとにも最有力候補としてノミネートされたり、演奏旅行に同伴したりと、ずっと蜜月な関係を保ちました。
日本にも、2006年にアバドとともにやってきましたが、わたくしは、アバドのトリスタンに全資力を投入してしまったので聴くことはありませんでした。

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  ベルリオーズ  幻想交響曲

 マリス・ヤンソンス指揮 ベルリンフィルハーモニー管弦楽団

         (2001.5 @イスタンブール)

ベルリンフィルが毎年5月の行うヨーロッパコンサートから、トルコのイスタンブールの雰囲気あふれる教会でのライブ。
汗をかきつつ、夢中の指揮ぶりで視聴するヤンソンス得意の「幻想交響曲」。
いろんなオーケストラとずっと取り上げ続けた「幻想」。
バイエルンとのライブ録音と並んで、このベルリンフィル盤は、ベルリオーズの熱狂と抒情を見事に表出しつくした名演です。

ヤンソンス追悼、次はアメリカへ飛びます。

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2019年12月 8日 (日)

ヤンソンスを偲んで ②オスロ

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ヤンソンスを偲ぶシリーズ②

レニングラードを拠点としつつ、1979年にノルウェーのオスロ・フィルの音楽監督に就任。
メジャーでない、ある意味ではローカルなオーケストラの指揮者になって、やりたいことをやる、そしてオケとともに育っていく。

自国や北欧系の指揮者が歴代指揮者で、調べたらブロムシュテットやカムのそのなかにあった。
そんななかでのバルト国系からのヤンソンス。

客演して、すぐさまに人気を博し、マーラーやチャイコフスキーなどに挑戦し、オーケストラとの絆を急速に深めていったようです。

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シャンドスレーベルにオーケストラとともに売り込みをかけ、それが、シャンドスでのチャイコフスー全集につながりました。
個別に全曲をそろえましたが、後期のものより、前半の3つのほうがいい。
なかでも、1番は、さわやかかつ、瑞々しい歌心と、ほどよい爆発力もあって、若さあふれる爽快な快演です。
ティルソン・トーマスと並んで、大好きな「冬の日の幻想」です。

  チャイコフスキー 交響曲第6番 「悲愴」

 マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

           (1984.1.26,27 オスロ)

でも、今回は、追悼の意味合いで「悲愴」を聴きました。
「悲愴」は、後年もずっと指揮をし続けた得意の曲目で、わたくしも、コンセルトヘボウとの来日で2004年に聴いておりますし、バイエルンとの再録音もCDで聞いてます。
40歳のオスロのヤンソンスと、60歳を過ぎたコンセルトヘボウやバイエルンでのヤンソンスの「悲愴」。
後者はずっと彫りが深くなり、痛切さも増した、スタンダードともなりうる「悲愴」ですが、オスロ盤はもっとさらりとした印象で、「悲愴」というタイトルを意識させることのないシンフォニックなスマートな演奏に思います。
43分の快速でもあり、入念に演奏されると辟易してしまう「悲愴」のような名曲のなかでは、私には、少しばかり青臭さの残った「哀しみ」の表出が妙に好ましく感じる好演です。
オケにも北欧オケならではの、澄んだ響きと、少々の野暮ったさがまだあるのもいい感じです。

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   レスピーギ  ローマ三部作

 マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

          (1989,1 1995,1 @オスロ)

ヤンソンス&オスロフィルの新たなコンビは、次はEMIというメジャーレーベルとの専属契約にも成功し、次々と新録音を繰り出すようになりました。
ヤンソンスにとっても、オスロフィルのポストは、コンサート指揮者としてレパートリーの拡充に大いに役立つものだったし、メジャーオケでは挑戦できないこともできたわけですが、そこにレコーディングで世界に発信できるステージをえたことは、ほんとうに大きいことだったと思う。

録音映えするオーケストラ作品の数々を次々に残したこのコンビのCDのなかで、一番好きな1枚が、ローマ三部作です。
オスロフィルが一流オケにも引けをとらない名技性を発揮し、レスピーギの音楽の面白さを素直に引き出したヤンソンスのストレートな指揮も的確であります。
 このコンビのEMI録音、結構そろえて聴きました。
ハルサイ、ドヴォルザーク、シベリウス、展覧会、サン・サーンス、オネゲル、ワーグナーなど、たくさん。
なかでは、ヤンソンスの得意技ともいえるアンコール・ピース集は、ノリノリのこのコンビを象徴する1枚かもです。

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  マーラー 交響曲第9番

 マリス・ヤンソンス指揮 オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

         (2000.12.13 @オスロ)

レニングラードではやれなかったこと、マーラーをヤンソンスはオスロでは存分に指揮することができた。
全作のサイクル演奏をしたし、録音もいくつか残しました。
シャンドスに2番、シマックスに1、7、9番、そして3番も登場するようです。
何故、EMIがこのコンビのマーラーを録音しなかったのか。
晩年のテンシュテットと被ったのも、その要因のひとつかもしれませんし、いまほどの多用化したマーラー演奏の需要にマーケティングが追い付かなかったのかもしれません。

それほどに思うほど、ヤンソンス&オスロのマーラーは、のちのコンセルトヘボウやバイエルンとのマーラーと違う、直球の勝負ぶりがあって面白いのです。
指揮者とオペラ歌手の2世として生まれたマリス・ヤンソンス。
非ロシアでありながら、ガチガチの共産体制のなかで育まれた少年期の音楽体験。
でも、モスクワからは遠いレニングラードは、西側の風も吹きやすく、いろんな風も受けたであろうし、父の指揮者としての姿も、そして引き上げてくれたムラヴィンスキーの指揮も成長とともに、多面的に見ていたことでしょう。

そんな恵まれた環境と裏腹の多面的な環境が、マリスのマーラーへの想いを育んでいったものと思います。

歴代指揮者陣を見るに、そんなにマーラーをやってなかったと想像しますが、もしかしたらマーラーに慣れていなかったオスロフィルは、自分のマーラー像を新鮮に反映させるオーケストラとして最良の存在だったかもしれません。
 こうして出来上がった「9番」は、彼岸の第9ではなく、9番目のマーラーの作品として聴いてみて受け止められます。
オケの精度にはまったく問題なし。
シャンドスのいい意味のひなびたチャイコフスキーの頃とは大違いに、主体性をもってヤンソンスの指揮に応える力強さと強靭なアンサンブルがあります。
2楽章と3楽章が、ヤンソンスがテンポを揺らしながら、効果的な雰囲気をだしつつ、いままで聴いたことないような場面も聴こえて面白いです。
この作品の神髄たる両端楽章の緻密さや深みは、後年のものにはかないません。
でも、ヤンソンスとオスロの共同関係が感じたままのマーラーの第9は、とても新鮮で、淡々と切り込む音楽への埋没ぶりがとても気持ちがよくって、こんなマーラーの第9も日常に聴けるリファレンスとして大いに賛同できるものでした。

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オスロフィルでは、ファンの声を募集中です。

ヤンソンスの思い出が書き込めるそうです。

そう、ヤンソンスとともにあった自負では、オスロは負けてはいません。

マーラーの音源の続々の復刻を望みます。

オスロフィルは、ヤンソンスのあと、プレヴィン、サラステときて、いまはヴァシリー・ペトレンコ。
好調ペトレンコのあとは、フィンランド系のクラウス・マケラで、彼は来春4月に都響客演予定で、シベリスとショスタコーヴィチ。
パヌラ門下の、逸材で23歳。
勢いの増す、指揮者の世代交代のなかにあっても、もっとも若い部類を指名したオスロフィル。
ヤンソンスとのコンビのような、麗しい関係を長く築けることを祈ります。

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2019年12月 5日 (木)

ヤンソンスを偲んで ①レニングラード

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マリス・ヤンソンス(1943~2019)の逝去を悼んで、同氏の音源を聴きつつ、その歩みを偲びます。

現在のラトヴィアのリガ生まれのマリス・ヤンソンスは、その父が、親日家だったアルヴィド・ヤンソンス。
母はユダヤの出自のオペラ歌手で、ラトヴィアの地政上、母の親族は、ナチスからもその親族が追われるという境遇であったという。

マリス・ヤンソンスの音盤からのみ判断すると、映像以外のオペラ録音が大きく欠落している印象を受けるが、ヤンソンスは母の舞台やオペラの現場を幼少より体験しており、その音楽や舞台が自身に血肉化していると自ら語ってます。

心臓の病に早くから罹患したことから、オペラの指揮もなかなか厳しかったかもしれないし、コンサートオーケストラからのオファーがひきも切らなかったので、ハウスの指揮者としての時間が取れなかったのかもしれません。
 タラレバですが、キーロフかドイツのどこかのオペラハウスが、若い頃のヤンソンスを射止めていたら、ヤンソンスの活動領域はまた違ったものになっていたかもしれません。
コンセルトヘボウ時代、そのシチュエーションに恵まれ、オペラ指揮にも心血を注いだのも、ヤンソンスのオペラ指揮者の姿のあらわれだと思います。

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 二世指揮者ヤンソンスは、父に伴われてのレニングラードでの勉学と、ウィーン留学。
スワロフスキー門下でもありますが、指揮者と活動の原点はカラヤン・コンクールでの入賞。
そこから、父のいたレニングラードフィルへのデビューとつながり、当時のムラヴィンスキーとの出会いにもつながります。
 ソ連時代のレニングラードフィルの最盛期に、ムラヴィンスキーの元で副指揮者となり、70年代以降、テミルカーノフ時代の90年代後半まで、ずっとこのオーケストラを指揮し続けました。

レニングラードフィル=サンクトペテルブルクフィルとの正規録音は、そう多くはなくて、そのなかでも一番の演奏は、ショスタコーヴィチの7番です。

  ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」

   マリス・ヤンソンス指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

             (1988.4 @レニングラード)

まだ、ソビエト連邦崩壊前にEMIが乗り込んでの録音。
シャンドスにもレニングラード時代の録音はありますが、それは未聴。
のちに、コンセルトヘボウ、バイエルンでも再録してますが、おとなな演奏の後のものにくらべ、血管が浮き出たような熱くて、濃密な感じで、随所に聴かせどころを設けて、聴き手を飽きさせない巧さも感じます。
でも、全体の構成がしっかりしていて、最後には堂々たるフィナーレを迎えます。
カラヤンがこの作品を指揮したら、かくや、とも思わせるじょうずな演奏でもあります。

この録音の2年前。
1986年に、ヤンソンスは、本来同行者であった来日公演で、急病で来日が出来なかったムラヴィンスキーに替わって、すべてのプログラムを日本で指揮しました。
ちなみに、急遽、あの幻指揮者のガヒッゼも呼ばれて少し分担しました。
 このときの演奏会がNHKで放送され、このエアチェックテープを最良の状態で、自己音源化してます。

  ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

  チャイコフスキー  交響曲第4番

   マリス・ヤンソンス指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

            (1986.10.16 @サントリーホール)

自分のヤンソンス体験は、この放送録音が原点でありまして、演目は、ショスタコーヴィチの5番とチャイコフスキーの4番という、ヘヴィーな2曲で、当時、90分のカセットテープに、片面に1曲ずつ収まる快演でした。
文字通り、血わき、肉躍る、躍動感と力感、生命力にあふれる演奏で、あの完璧なレニングラードフィルも、あたふたとするくらいに、ひっくり返っているか所も見受けられます。
チャイコ4番など、もう、もう、すさまじいばかりの猛進ぶりで、そこではさすがの鉄壁のレニングラード魂が発揮され、恐ろしいアッチェランドと段階を完璧にふんだ幾重もあるフォルテの威力に圧倒されます。
 ヤンソンスのオーケストラドライブの見事さと、統率力の確かさを、このライブに感じ、マリスの名前がわたくしの脳裏に刻まれることとなりました!

レニングラードフィルとは、1977年にムラヴィンスキーとともにやってきたのが初来日。
このときのNHKホールでのムラヴィンスキーを、学生時代に聴いております。→過去記事
もしかしたら、若きヤンソンスもその会場にいたかもしれません。

その後も、都合、5回、レニングラードフィルとサンクトペテルブルクフィルとで来日しております。

ちなみに、ムラヴィンスキーは、何度も来る、来るいいながらやってこなかった巨人で、そのたびに、父アルヴィドが代わって来日しており、その父も東京交響楽団にも何度もやってきて、親日ヤンソンス家ができあがりました。
父アルヴィドは、NHKテレビで何度も見てまして、指揮棒を持たない自在ぶりと、汗だくの夢中の指揮姿をいまでも覚えてます。

ムラヴィンスキーは、自由度の高いテミルカーノフよりも、マリスの直截かつ完璧な楽譜の再現という意味での指揮の方を評価していたといいます。
情熱的な、ちょっと爆演系の若きマリス・ヤンソンスが、それに加え、知情意、バランス感覚の優れた名指揮者になることを、ムラヴィンスキーは見越していたのだと思います。

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 ヤンソンスと、ソ連崩壊後のサンクトペテルブルクフィルは、EMIにラフマニノフの交響曲とピアノ協奏曲全集を録音しました。

これは、実にビューティフルな演奏で、でもロシアのオーケストラがここで必要なのか?と思うような、洗練されたスマートな演奏に、ロシアの憂愁や歌を求めた自分には、ちょっと違うと思わせるものでした。
EMIの録音の角の取れすぎたのっぺりした響きにも、その不満はあります。
ほかのレーベルだったら・・・という思いがあります。

ヤンソンスのラフマニノフは、ほかのオーケストラとのものがよく、違う記事で取り上げましょう。

 サンクトペテルブルクフィルは、ヤンソンスを悼んで、今日10月5日に偲ぶ会を催したようです。

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       (サンクトペツルスブルクでの追悼会 BR放送より拝借)

最後のサンクトペテルブルクフィルへの客演は、今年2019年2月。

そのときの画像を、同フィルのHPから拝借いたしました。
サンクトペテルブルクフィルは、テミルカーノフを統領に、いま、デュトワを客演指揮者に指名し、ロシアとヨーロッパの結合点としての存在をヤンソンス親子以来の伝統としつつあるようです。

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ヤンソンス、次はオスロへ。

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2019年12月 2日 (月)

マリス・ヤンソンス

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マリス・ヤンソンスが、亡くなりました・・・・・

1943~2019

76歳という、指揮者としては、早すぎる死。

もう何年も前から、心臓を患っていて、11月30日、サンクトペテルブルクの自宅での死は、心不全とのこと。
手兵バイエルン放送交響楽団とのツアーやコンサートでも、最近までキャンセルが相次いでいて、正直、心配しておりました。

好きな指揮者のひとりとして、多くの実演にも接し、身近な存在だっただけに、悲しみは大きいです。

氏の業績を偲んで、多くの音源を聴きつつ、記事を残しつつ、しばらく過ごしたいと思います。

クリスマス仕様に変えたばかりですが、秋モードに、また戻します。

ヤンソンスの魂が安からでありますこと、心よりお祈り申し上げます。

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2019年12月 1日 (日)

ブリテン 聖ニコラス ブリテン指揮

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国内も、国外も、身の回りの狭い社会にも、いろんなことが日々、ハイスピードで起きてることを感じてしまうのは、SNSなど、ネット社会の行きつきつつある、ひとつの現象だろうし、これからも、ますます加速する流れだと思います。

四季のメリハリもなくなりつつあるなか、必ずやってくる私の大好きなクリスマスシーズン。

有楽町駅前の、毎年おなじみの交通会館のイルミネーションです。
ほどよく華美でありながら、銀座の入り口のひとつでもあるので、その落ち着きが美しい。

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  ブリテン 聖ニコラス

   T:ピーター・ピアーズ

   BS:デイヴィット・ヘミングス

 ベンジャミン・ブリテン指揮 オールドバラ祝祭管弦楽団・合唱団 ほか

         (1955.4.14 @オールドバラ 教区教会)

「聖ニコラス」、すなわち、サンタクロースの起源として知られるギリシア人司教「ミラのニクラウス」のことであります。
正教会と西側西方教会とで、その伝説の中身が違ったりもしますが、基本は、弱気ものを密かに助けるという聖人の姿。
貧しいものや、罪を着せられたものに、施しを授ける伝承から生まれたサンタクロース伝は、あまねく世界にプレゼントを配る、おおらかなあのお姿に昇華され、さらには商業的なキャラクターにもなって、愛されキャラとして確立したものと思います。

戦後、1948年、ブリテンは、サセックスのランシングカレッジ100周年記念のために、この聖ニクラウス伝説をもとにした平易なカンタータを作曲。
いつものように、ピーター・ピアーズを前提としたテノール独唱に、合唱、少年合唱、弦楽合奏、オルガン、ピアノ、打楽器といった、ブリテンならではの編成。
このピアーズのソロ、弦楽合奏と打楽器以外は、アマチュア音楽家を想定しているというところもまた、ブリテンらしいところです。
オペラでも、こうした楽器編成を取ってますが、ブリテン独特のミステリアスでクールな響き、でも暖かい音楽といった二律背反的な音楽がここにもあります。
全編、50分を要する意外な大作。

9つの部分からなりますが、概要は次のとおり。

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①イントロダクション
 いまを生きる人々よりの、ニコラスへの呼びかけ。
 ニコラスの話をしよう。

②ニコラスの誕生
 ニコラスは母親のお腹のなかから叫んだ、「God be glorified!」
 明るく、ホッピングするような曲。
 ブリテンが、その叫ぶ声に選んだのは、少年合唱のなかの最少年者で、その拙さがまたピュアに聴こえます

③ニコラスの神への献身
 成長したニコラスは、テノールソロによって歌われ、
 そのテノールと弦楽だけの③
 かなりシリアスなムードにおおわれる。
 両親が亡くなり、家に一人、そして広い世界と人間の過ちを知る。
 神への奉仕の人生を歩む。

④パレスチナ(エルサレム)への旅へ
 ニコラスの航海が描かれるが、男声による船員。
 かれらは、聖人に敬意を払わない
 その報いとして海は大荒れ、船員は絶望に
 嵐は、少女たちの声が代弁、なかなかに荒涼たるサウンドが展開。
 しかし、ニコラスは祈りで船員たちを落ち着かせ、そして神に向かって祈り、静かに終わる

⑤ニコラスはマイラへ、そして司教に
 マイラ(ミラ、現トルコ内)に到着したニコラスは、その地で司教に選出。
 ニコラスは、神の前に誓い、そして讃美歌に包まれる。

 Old Hundred=詩編第100編からの讃美歌が全員で歌われ、きわめて感動的。

 「世に住むすべての人々は、明るい声で主に歌いましょう
  彼は喜んで使える、その称賛は語り継がれる
  あなた方は、彼の前に来て喜びなさい・・」

⑥獄舎からのニコラス
 ローマの支配下となり8年。相次ぐ迫害。
 獄舎でのパンの施しの孤独な秘蹟を行いつつも、この現状を憂うニコラス。
  罪なき市民の処刑を助けた伝説からの場面。
 ここでは、③のようにニコラスのテノールと弦による少し切迫した音楽。

⑦ニコラスと漬物少年(ピックルスボーイ)
 凍てつく冬、旅行者たちが空腹のため食事をとろうとする。
 ニコラスにも勧める。
 しかし、ニコラスはそれを制止し、行方不明の3人の名前を呼びかける。
 すると肉屋に殺された少年たちが蘇り、ハレルヤを歌いだす。
  これもニコラス伝説のひとつ。
 子供たちの守護聖人であること、サンタクロース伝説であります。
 ここでは行進曲調の音楽と、子供たちを憂う母の女声合唱、そしてニコラスの祈り。
 そして、子供たちの純真な「アレルヤ」がオルガンを伴って広がり、
 最後は、明るい行進調で曲を閉める。

⑧敬意と素晴らしき業績
 40年に及ぶ、ニコラスの慈悲、善意、慈善の行い、優しさなどを、いくつものエピソードで短く回顧。
 ト長調の平和なムードの音楽で、ピアノのアルペッジョと弦の優しい背景のなか、合唱と少年少女たちが掛け合いのようにニコラスを称えい合います。

⑨ニコラスの死
 死を前にしたニコラスは、畏れと歓喜とともに、天で待つ神への愛に熱くなり、そして受け入れます。
 テノールの絶叫のようなソロで始まり、合唱も伴い熱いソロです。
  そして、それが鎮まると、オルガンが静かに序奏し、そこから超感動的な讃美歌が始まる。

  「神は神秘的な方法で動く 実践するその不思議
   彼は彼の足跡を海に植え そして嵐に乗る。・・・・ 」

 こちらは、⑤の讃美歌Oldと違って、New Londonとして編されてます。
 暗闇から輝く光、これを讃えたもの。

 この堪えようもない、感動をどう捉えようか。
 ブリテンの作品、彼のオペラにも通じる、エンディングのマジックです。
 聴衆には、この讃美歌をご一緒に、という一言もあります。
 荘厳に鳴り響くオルガン、輝くシンバル、とどろくティンパニを伴った心浮き立つ讃美歌。

このように、シンプルながら見事に構成された作品で、聴くほどに味わいがあります。
無垢の子供たち、気の毒な人々を愛した博愛のブリテンならではの、素材選びだし、それにつけられた音楽も素晴らしいものとなりました。

取り上げたCD盤は、モノラルなので、教会的な空間の広がりはここに求めることはできませんが、デッカならではの鮮明でリアルな録音で、曲の良さは十分に堪能できる。
なによりも、特徴的なピアーズののめり込んだような歌唱がいい。
そして、作曲者の直伝の指揮は、この曲のモニュメンタルな存在として、今後の指標にもずっとなるものでしょう。

ほかにもいくつか録音はありますが、まだそれらは聴いてません。
あとよかったのは、今年BBCのネットで録音した、クレオバリーのキングスカレッジ勇退のライブ。
ケンブリジのキングズ・カレッジ教会の響きが心地よく、実の神々しい感じでステキな演奏だった。

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今年のクリスマスシーズンは、天皇陛下のご即位や、新元号のスタートなどがありながらも、多かった災害なども身近に感じたりして、どうもきらびやかさは控えめのように感じます。
特に、千葉県民だから、そう思うのか、県内の商業施設など少し抑制ぎみ。

静かに過ごしたい12月ですが、きっと慌ただしくなるのでしょうねぇ・・・・

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