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2019年12月 5日 (木)

ヤンソンスを偲んで ①レニングラード

Jansons-stpetersbrug

マリス・ヤンソンス(1943~2019)の逝去を悼んで、同氏の音源を聴きつつ、その歩みを偲びます。

現在のラトヴィアのリガ生まれのマリス・ヤンソンスは、その父が、親日家だったアルヴィド・ヤンソンス。
母はユダヤの出自のオペラ歌手で、ラトヴィアの地政上、母の親族は、ナチスからもその親族が追われるという境遇であったという。

マリス・ヤンソンスの音盤からのみ判断すると、映像以外のオペラ録音が大きく欠落している印象を受けるが、ヤンソンスは母の舞台やオペラの現場を幼少より体験しており、その音楽や舞台が自身に血肉化していると自ら語ってます。

心臓の病に早くから罹患したことから、オペラの指揮もなかなか厳しかったかもしれないし、コンサートオーケストラからのオファーがひきも切らなかったので、ハウスの指揮者としての時間が取れなかったのかもしれません。
 タラレバですが、キーロフかドイツのどこかのオペラハウスが、若い頃のヤンソンスを射止めていたら、ヤンソンスの活動領域はまた違ったものになっていたかもしれません。
コンセルトヘボウ時代、そのシチュエーションに恵まれ、オペラ指揮にも心血を注いだのも、ヤンソンスのオペラ指揮者の姿のあらわれだと思います。

Shostakovich-sym7-jansons-lpo-1

 二世指揮者ヤンソンスは、父に伴われてのレニングラードでの勉学と、ウィーン留学。
スワロフスキー門下でもありますが、指揮者と活動の原点はカラヤン・コンクールでの入賞。
そこから、父のいたレニングラードフィルへのデビューとつながり、当時のムラヴィンスキーとの出会いにもつながります。
 ソ連時代のレニングラードフィルの最盛期に、ムラヴィンスキーの元で副指揮者となり、70年代以降、テミルカーノフ時代の90年代後半まで、ずっとこのオーケストラを指揮し続けました。

レニングラードフィル=サンクトペテルブルクフィルとの正規録音は、そう多くはなくて、そのなかでも一番の演奏は、ショスタコーヴィチの7番です。

  ショスタコーヴィチ 交響曲第7番「レニングラード」

   マリス・ヤンソンス指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

             (1988.4 @レニングラード)

まだ、ソビエト連邦崩壊前にEMIが乗り込んでの録音。
シャンドスにもレニングラード時代の録音はありますが、それは未聴。
のちに、コンセルトヘボウ、バイエルンでも再録してますが、おとなな演奏の後のものにくらべ、血管が浮き出たような熱くて、濃密な感じで、随所に聴かせどころを設けて、聴き手を飽きさせない巧さも感じます。
でも、全体の構成がしっかりしていて、最後には堂々たるフィナーレを迎えます。
カラヤンがこの作品を指揮したら、かくや、とも思わせるじょうずな演奏でもあります。

この録音の2年前。
1986年に、ヤンソンスは、本来同行者であった来日公演で、急病で来日が出来なかったムラヴィンスキーに替わって、すべてのプログラムを日本で指揮しました。
ちなみに、急遽、あの幻指揮者のガヒッゼも呼ばれて少し分担しました。
 このときの演奏会がNHKで放送され、このエアチェックテープを最良の状態で、自己音源化してます。

  ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

  チャイコフスキー  交響曲第4番

   マリス・ヤンソンス指揮 レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

            (1986.10.16 @サントリーホール)

自分のヤンソンス体験は、この放送録音が原点でありまして、演目は、ショスタコーヴィチの5番とチャイコフスキーの4番という、ヘヴィーな2曲で、当時、90分のカセットテープに、片面に1曲ずつ収まる快演でした。
文字通り、血わき、肉躍る、躍動感と力感、生命力にあふれる演奏で、あの完璧なレニングラードフィルも、あたふたとするくらいに、ひっくり返っているか所も見受けられます。
チャイコ4番など、もう、もう、すさまじいばかりの猛進ぶりで、そこではさすがの鉄壁のレニングラード魂が発揮され、恐ろしいアッチェランドと段階を完璧にふんだ幾重もあるフォルテの威力に圧倒されます。
 ヤンソンスのオーケストラドライブの見事さと、統率力の確かさを、このライブに感じ、マリスの名前がわたくしの脳裏に刻まれることとなりました!

レニングラードフィルとは、1977年にムラヴィンスキーとともにやってきたのが初来日。
このときのNHKホールでのムラヴィンスキーを、学生時代に聴いております。→過去記事
もしかしたら、若きヤンソンスもその会場にいたかもしれません。

その後も、都合、5回、レニングラードフィルとサンクトペテルブルクフィルとで来日しております。

ちなみに、ムラヴィンスキーは、何度も来る、来るいいながらやってこなかった巨人で、そのたびに、父アルヴィドが代わって来日しており、その父も東京交響楽団にも何度もやってきて、親日ヤンソンス家ができあがりました。
父アルヴィドは、NHKテレビで何度も見てまして、指揮棒を持たない自在ぶりと、汗だくの夢中の指揮姿をいまでも覚えてます。

ムラヴィンスキーは、自由度の高いテミルカーノフよりも、マリスの直截かつ完璧な楽譜の再現という意味での指揮の方を評価していたといいます。
情熱的な、ちょっと爆演系の若きマリス・ヤンソンスが、それに加え、知情意、バランス感覚の優れた名指揮者になることを、ムラヴィンスキーは見越していたのだと思います。

Rachmaninov-sym-jansons-1

 ヤンソンスと、ソ連崩壊後のサンクトペテルブルクフィルは、EMIにラフマニノフの交響曲とピアノ協奏曲全集を録音しました。

これは、実にビューティフルな演奏で、でもロシアのオーケストラがここで必要なのか?と思うような、洗練されたスマートな演奏に、ロシアの憂愁や歌を求めた自分には、ちょっと違うと思わせるものでした。
EMIの録音の角の取れすぎたのっぺりした響きにも、その不満はあります。
ほかのレーベルだったら・・・という思いがあります。

ヤンソンスのラフマニノフは、ほかのオーケストラとのものがよく、違う記事で取り上げましょう。

 サンクトペテルブルクフィルは、ヤンソンスを悼んで、今日10月5日に偲ぶ会を催したようです。

Stpet-2
       (サンクトペツルスブルクでの追悼会 BR放送より拝借)

最後のサンクトペテルブルクフィルへの客演は、今年2019年2月。

そのときの画像を、同フィルのHPから拝借いたしました。
サンクトペテルブルクフィルは、テミルカーノフを統領に、いま、デュトワを客演指揮者に指名し、ロシアとヨーロッパの結合点としての存在をヤンソンス親子以来の伝統としつつあるようです。

Jansons-stpetersbrug-2019

ヤンソンス、次はオスロへ。

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コメント

データ間違っていませんか? 10月16日は松戸.聖徳学園川並記念講堂で指揮者はカヒッゼです。
ムラヴィンスキーの代役で振った、86年9月25日昭和女子大学人見記念講堂(ショスタコーヴィチ生誕80周年記念演奏会)と
10月19日のサントリーホールの2公演は会場で聴いています。作為的な表現が強過ぎて、共感出来ませんでした。
その後、ベルリン・フィルとの来日公演でドヴォNo.8とショスタコのVn協No.1(Vn:ヒラリー・ハーン)のプロを聴きましたが、
オケが上手さに感服しましたが、良かったと言う印象はありませんでした。
オスロ.ピッツバーク.バイエルン.アムステルダムと言ったオケのシェフを歴任して来ましたが...
録音等含め、私には何一つ響くものは有りませんでした。
親父アルヴィドの存在が、大きかっただけにどうしてもフィルターが掛かってしまいましたから。。。
親父さんからの体質遺伝で、心疾患の宿命から逃れられなかったのが残念でなりません。
只、アルヴィドが成し得なかった事を遣り遂げた事と、親父さんの歳を越えられた事が親孝行だったのではないかと思っております。

投稿: さすらう人魚 | 2019年12月 7日 (土) 08時20分

さすらう人魚さん、ご指摘ありがとうございます。
自分のエアチェックデータが間違ってました。
10/19の演奏ですね。

ずいぶんと厳しいヤンソンスへの印象ですが、後発のわたくしの印象はまったく違います。
コンセルトヘボウの指揮者になってから、毎年来日したヤンソンスをほとんど聴き、遡るようにしてオスロ時代の物もほぼすべて聴きました。
出来不出来はあるにしても、トータルに完成度の高い演奏ばかりで、カラヤンを離脱してしまった自分には、その反省からか、とても波長の合う音楽家のひとりとなりました。
いまも、時代とオーケストラを区切って聴いておりますが、オスロ時代と、コンセルトヘボウ、バイエルンの初期の方のもの、それらが一番充実していたような気がします。
 ともあれ、指揮者としてはまだまだ活躍できた病の逝去、悲しくも残念です。

投稿: yokochan | 2019年12月11日 (水) 08時19分

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