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2019年12月14日 (土)

ヤンソンスを偲んで ⑤アムステルダム

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いつもながらセンスあふれるコンセルトヘボウのネット上のページ。

そんななかに、ヤンソンスを悼む枠ができるなんて、もっとずっと先のことだと思っていた。
追悼のページを拝見して、センスあふれるなんて、無粋すぎますね....

でもコンセルトヘボウは、ガッティが退任に追い込まれたり、名誉指揮者のハイティンクが勇退、そしてまさかのヤンソンスの死、昨年からこのオーケストラにとって激変が続きます。

ヤンソンス追悼シリーズも終盤。

バイエルン放送響が2003年、ほぼ同じくして、コンセルトヘボウが2004年、ヤンソンスをそれぞれに首席指揮者として任命しました。
ピッツバーグから、ヨーロッパの名門に。
どちらのオーケストラも、これまでに日本に何度もやってきていて、とても馴染みのある存在で、そこに、日本大好きなヤンソンスですから、交互に毎年来日するという夢のような年が続きました。

コンセルトヘボウとの来演で聴いた曲は、「ベートーヴェン2番」「英雄の生涯」「ペトルーシュカ」「悲愴」「エグモント序曲」「ベートーヴェン8番」「新世界」「モーツァルト ピアノ協奏曲25番(内田光子)」「巨人」「ドヴォルザーク8番」「ティル」「ラ・ヴァルス」「マーラー3番」などです。
そして、マーラーをのぞいて、毎回、お馴染みのアンコール曲たち。

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  ドヴォルザーク 交響曲第9番「新世界より」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

          (2003.6.6 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウとは、EMIに91年に幻想を録音してますが、そのとき以来(たぶん)。
コンセルトヘボウの自主レーベルでもありました。
このレーベルのジャケットは、いずれも楽しく、色彩的で、曲のイメージも大づかみにしていて、収集する喜びもありました。
就任まえの「新世界」で、このコンビのスタート直前第1弾。
ヤンソンスらしい、リズム感と歌心にあふれてますが、「ラルゴ」の美しさと痛切さは、なかなかのものです。
そして相変わらず、聴かせ上手で、思わず夢中にさせてしまう音楽づくりで、「新世界」にのめり込んだ少年時代の気分もかくやと、思わせるものです。

ただ、自分の耳に、脳裏に刻み込まれている、フィリップス録音のアムステルダム・コンセルトヘボウの音とは、もはや別物と感じたことも事実。
シャイーになってデッカに録音主体が移ってから、コンセルトヘボウは、もう往年のサウンドとは違うものとなってしまっていたのですが、あの単刀直入すぎるシャーの音楽よりは、ヤンソンスの血も涙もある人間的な音楽造りは、コンセルトヘボウにはお似合いのものかと思ったりもしました。

このあと、2004年には、就任記念演奏会としてのライブ「英雄の生涯」が録音されましたが、その年には私は、その「英雄の生涯」や「悲愴」を東京で聴くことができて、一挙にヤンソンスとコンセルトヘボウの虜となりました。

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   フランク 交響曲 ニ短調

 マリス・ヤンソンス指 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

       (2004.12 @コンセルトヘボウ)

創立120周年のアニヴァーサリーで、ネット上でジャケットとともにダウンロードできた貴重な1枚。
ハイティンク、ジュリーニ、アーノンクール、バーンスタイン、コンドラシン、ミュンフンなどの指揮者の音源も同時に配信されました。

そう、コンセルトヘボウで聴くフランク。
デ・ワールトの録音しかなく、いまはそれも廃盤。
フランクと同じフランドル系のオーケストラで聴くというのは、この渋い交響曲には理想的なことだと思ってます。
 それをかなえてくれたヤンソンスの指揮。
でも渋いというよりは、全体の色調は明るめで、ヤンソンスらしい爽快さが先にたちます。
しかし、繰り返される循環主題が、いろいろと色調を変えて登場する際の描き分け方は、耳をそばだてることも多く、単調に、そして晦渋になりがちなフランクの音楽がとても聴きやすく、あっという間の40分間となります。
バイエルンでもこの曲は残さなかったのではないかしら・・・

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  マーラー 交響曲第1番「巨人」

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

         (2006.11 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウの指揮者になったからには、そう、マーラー。
映像もふくめて、全部残したのかどうか、もうわからなくなってしまいましたし、その半分ぐらいしか聴いてません。
そんななかで、録音と同じころに日本でも聴いた1番が、ヤンソンスにはお似合いの曲だとも思うので、とりあげます。

洗練の度合いを増したこのコンビ、マーラーの陰りを描き出すというよりは、マーラーの音楽にいっぱい詰まったいろんな要素を、完璧に引き出して開陳してみせる感じで、その後のコンセルトヘボウとのマーラーには、そんな、ちょっと綺麗ごとてきなものも感じてしまうこともあった。
美しすぎる録音のせいもあるかもしれない。

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でも、マーラーの実演で、2010年にミューザで聴いた「3番」には、ことのほか圧倒された。→過去記事

最後の楽章に頂点を築いたかのような、そこに向かってひたひたと昇りつめるような演奏に、ホール中の聴き手を金縛りにかけてしまう感がありました。
そして、その終楽章、「愛がわたしに語るもの」は、生涯忘れえぬような感動につつまれ、涙がとまりませんでした・・・・・

このときの来日以降、わたしはヤンソンスを実演で聴くことがありませんでした。
翌年の震災もあり、仕事の方も大不芳に陥り、神奈フィル以外の音楽会に行く余裕すらなくなりました・・・・
 あのときのヤンソンスのマーラーが聴けて。ほんとうによかったと、つくづく思いました。

しかし、しかしですよ、その後のバイエルンとのマーラー第9を聴いた方から、そのときの様子を聞くにつれ、痛恨の極みに包まれるのでありました。。。。。

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  プーランク グローリア

    S:リューバ・オルゴナソヴァ

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
            オランダ放送合唱団

        (2005,12 @コンセルトヘボウ)

コンセルトヘボウとバイエルンに着任して以来、ヤンソンスは声楽作品を積極的に取り上げ続けました。
ドヴォルザークのレクイエムという名演も残しましたが、今回は、ヤンソンスならではの抜群のリズム感と緻密さとが、プーランクの軽妙さと信仰深い神妙さとを見事に描き出した「グローリア」をじっくり聴きました。

ジャケットも美しいものだし、コンセルトヘボウもまた美しい。
カップリングのオネゲルの「典礼風」も、ムラヴィンスキーの得意とした曲で、オスロ時代もいい演奏を残してました。
感動的な3楽章がステキすぎます。

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  ラフマニノフ 交響的舞曲

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

       (2004.12 @コンセルトヘボウ)

ヤンソンスの残したラフマニノフでは、ロンドン編で取り上げたフィルハーモニアとの2番と並んで、この「交響的舞曲」がいい。
全編、まさに舞曲ともいえるくらいに弾んで、泣いて、むせんで、笑って、爆発する、そんなマーラーも顔負けの喜怒哀楽の激しいラフマニノフの音楽。
コンセルトヘボウの音色がラフマニノフにぴったりとくる。
録音だけのはなしでいえば、マーラーよりもラフマニノフの方が、コンセルトヘボウにはあってる、と思うくらい。
最近、この曲が2番よりもブームじゃないかと世界を見ていて思う。

憂愁で2番ほどベタつかず、長さもほどほどだし、オーケストラの名技性も発揮できるし、なによりも聴いていて面白い。
いま言ったいいところを全部そなえているのがヤンソンスのこの演奏じゃないか、と。

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    チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」

  オネーギン:ボー・スコウフス 
  タチャーナ:クラッシミーラ・ストヤノヴァ
  レンスキー:アンドレイ・ドゥナエフ
  オリガ:エレーナ・マクシモーヴァ
  グレーミン公:ミハイル・ペトレンコ

   演出:シュテファン・ヘアハイム

 マリス・ヤンソンス指揮 ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
             ネーデルランド・オペラ合唱団

       (2011.6~7 @ネーデルランド・オペラ劇場)

アムステルダムでは、ヤンソンスは、手兵がピットに入るネーデルランド・オペラの指揮台に何度か立ちました。
ウィーンでは何度かあったはずだけど、これまでなかなかできなかった、オペラピットでの指揮。

得意のチャイコフスキーのオペラ、このオネーギンに続いて、2016年には同じヘアハイムの演出で「スペードの女王」も上演してますし、昨年2018年にはザルツブルクで、ノイエンフェレスのオモシロ演出でも「スペードの女王」を指揮してます。
この「スペードの女王」、ヤンソンスはバイエルンでも演奏会形式で取り上げ、そのまま録音もなされました。
作品的には、「オネーギン」より、「スペードの女王」の方が優れているとは思いますが、豊富なメロディがあふれんばかりに詰まっているオネーギンの方が、一般には聴きやすいオペラでしょう。

残念ながら、アムステルダムでの「スペードの女王」はまだ未入手ですので、今回の追悼特集では、「オネーギン」をつまみ聴きしました。
ヘアハイムの演出には「いにしえのロシア」臭はありませんが、ユニークさでは語り尽くせぬものがあります。
舞台には目をつぶって、オケピットのなかの音に耳を集中すると、やはりコンセルトヘボウの優秀さと、音の深みを強く感じる。
ヤンソンスも生来のオペラ指揮者のように、てきぱきと、手際のいい仕事ぶりで、演出で行われていることとは、ちょっと乖離した純正チャイコフスキー・サウンドをピットの中から起ち上げてます。
手紙のアリアや、レンスキーのアリアなど、泣けてきます・・・・・

ヤンソンスのオペラの記録が、あとショスタコーヴィチの「ムツェンスク」を除いてあまり残されず残念でした。
チャイコフスキーは当然として、ムソルグスキー、R.シュトラウスやプッチーニ、ワーグナーの前半の3作などは、ヤンソンス向きだったと思うのです。

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コンセルトヘボウのツイッター。

最後はミュンヘン。

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コメント

  コンセルトヘボウ管弦楽団の音をこよなく愛する一ファンです。シャイーの時の音も好きでした。ヨッフムやハイティンクの弦の息の長さはなくても、深く趣のある音でしかも現代的なフォルムの端正さが好きでした。
  さて、ヤンソンスになってまずバイエルンとの兼任にびっくり。こんな超一流楽団を兼ねるなどとは、ヤンソンスの時代が到来と思ったものです。さて、コンセルトヘボウとの来日公演は2006年だったかに聞いたドボルザークの第9番が暖かい音色と迫力で思い出に残っています。同時期の録音も今でもよく聞いています。
  また、20012年か2013年のミューザ川崎で聞いたマーラーの3番は、所々、傷がある演奏だったと覚えています。ヤンソンスらしく純音楽的で、かってマーラーがこの曲を作曲した場所の自然を描いたというよりも、より各楽章の表題に忠実に演奏されたという記憶です。やはり第6楽章がすごく感動的でした。ちなみに、翌日のサントリーホールの同曲の公演は超名演だったとの世評を聞き、なぜに?と思ったものでした。
  どの公演でもフィナーレで見栄を切るような指揮振りが大好きでした。思い出話ばかりですいませんが、コンセルトヘボウとの来日公演でもいつも真価を発揮していたヤンソンスはすごかった。

投稿: beaver | 2020年4月17日 (金) 19時10分

beaverさん、こんにちは。
コンセルトヘボウとバイエルンとで、毎年、交互に来日してくれた数年間、いつもその秋を楽しみに、音楽ライフの中心にしておりました。
自分も、その時期、好調だったこともあって、当時のことを自らのブログで読んで懐かしんだりしてます。

コンセルトヘボウ愛を感じるコメント、ありがとうございます。
ハイティンクとのコンビを実演で聞くことができなかったのが痛恨ですが、わたくしもヤンソンスとの数回分、とても大切な思い出となりました。
 いまは、それどころでありませんが、空席の首席指揮者選びもコロナ前には話題になりましたね・・・

投稿: yokochan | 2020年4月22日 (水) 08時29分

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