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2020年1月16日 (木)

R・シュトラウス 「ばらの騎士」 ラトル指揮

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まいど恐縮、クリスマスと年末年始は特に絵になるもんですから、銀座。

日の丸を仰げば、あの国の方々のあふれかえる言葉は少しは気になりません・・・??

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    R・シュトラウス 楽劇「ばらの騎士」

   マルシャリン:カミラ・ニールント
   オクタヴィアン:マグダレーナ・コジュナー
   オックス男爵:ギュンター・グロイスベック
   ゾフィー:ゴルダ・シュルツ
   ファーニナル:マルクス・アイフェ
   マリアンネ:アレクサンドル・ロビアンコ
   ヴァルツァッキ:トーマシ・エヴェンスタイン
   アンニーナ:キャスリーン・ゲルトナー
   テノール歌手:マチュー・トレンザーニ ほか

  サー・サイモン・ラトル指揮 メトロポリタン・オペラハウス管弦楽団

        演出:ロバート・カーセン

        (2020.1.4  @メトロポリタン歌劇場)

今年正月の最新のライブ音源をネット視聴。

ベルリンでもやったでしょうかね?ラトルの「ばらきし」。
ほかのオペラもそうですが、奥様のコジュナーあっての指揮ともいえるかもしれません。
ほかの配役も、ベテラン、新鋭を取り混ぜたメットならではの豪華なものです。
2017年のプリミエで、その時は指揮はお馴染みのセバスティアン・ヴァイグレ。
フレミングとガランチャ、グロイスベックが歌ってます。

ラトルのオペラは何を振るかわからないところがあって、ワーグナーなら後期のものしかやらないし、ヴェルディはなし、プッチーニはそこそこで、シュトラウスならサロメかエレクトラあたりが向いてるだろうと思ってた。
割と重心が低く、硬い音を出すラトルだから、軽やかにやってほしい「ばらの騎士」はどうだろうか、との思いで聴き始めました。
 そうした風に感じるところもありがなら、この作品以降のシュトラウスならではの軽やかさと明朗さが、ラトルの持ち味である重厚さが描き分けるシュトラウスの分厚い響きとの対比でもって十分に活きてくる感じだ。
メットのオケのうまさと、オペラのオーケストラならではの雰囲気のよさでもって、シュトラウスの手の込んだ技法の数々が機能的なばかりならずに済んでいる感じ。
いまの手兵のロンドン響とやったら、さらにうまいけど、オペラの味わいとはまた違うものになったかもしれない。
 ちなみに、ラトルのメトロポリタンへの登場はこれが3度目。
ペレアスとメリザンド(2010年)、トリスタンとイゾルデ(2016年)に次ぐもの。

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            (メットのピットのラットル)

ラトルは、若いころアバドに感化されたということもあって、バーミンガム時代のCDは、ほぼ集めました。
選択するレパートリーが、いずれも面白くて新鮮で、その音楽づくりも先鋭で面白かった。
ベルリン時代は聴かなくなってしまったのは、面白みがなくなってしまったから。
でも、ベルリン時代の後半は肩の力が抜けた感じで、自在な音楽づくりが、カラヤンやアバドとも違うフレキシブルなコンビとなったことを確認できまして、そのまま、ロンドン響に帰り、ニュートラルさと強い音作りがオケの個性ともどもに最強のコンビになったと確信してます。

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奥様のコジュナーのオクタヴィアンが素敵なものだ。
オペラのレパートリーも随分と拡充してきたのも、夫のラトルの指揮があってのもの。
無理せず、細やかな歌唱をベースに女性的な優しい、そして知的なオクタヴィアンを歌っている印象で、やんちゃさはいまひとつ。

いま、マルシャリンとして一番なのがニールントだと思う。
新国で、彼女のマルシャリンを聴いてからもう12年がたつ。
あの時のスリムなお姿とはかわって、風格も出てきたが、声にもより気品とともに、諦念をはかなげに歌いあげる味わいも増しているのだろうと思う。
終幕の、ファーニナルの、「若い方はいいですね」的な問いかけに応えるマルシャリンの、「Ja Ja」はとても感情深い、考え抜かれた一言にことさら感じた。
フレミングの濃厚すぎる歌唱が、どうもだめなので、このニールントのクリアでかつ、言葉に感情を静かにしのばせた表現には、ことのほか感動しました。
 新国の舞台は、昨年亡くなってしまったジョナサン・ミラーの演出がとても洒落ていて、美しいものだった・・・・
1幕の終わりで、悲しみとあきらめに沈むマルシャリン、窓には振り出した雨の雫が流れ、彼女は煙草をゆっくりと取り出して美しい所作でくわえて窓の外を眺めるのでありました・・・・

南アフリカ出身のシュルツのゾフィー嬢の高音が清らかな美声で驚きだった。
彼女はこれから活躍しそうな感じで、パミーナ、ポーギーとベスなんかにも出てます。

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男声陣の充実も並々ならないものがあり、絶好調のクロイスベックのオックスには感心しまくり。
豊かな声量に柔らかさも備え、技量のほども完璧。
何よりも若々しく、いやらしい田舎のおっさんというイメージを払拭してしまうニュー・オックスだった。
最近ひっぱりだこのアイフェのファーニナルもよろしい。

私の好きなカーセンの演出。
写真で見る限り、メットだし、極端なことはしておらず、センスの良さを感じます。
オックスご一行は軍服をまとっている様子。
屋敷の壁画も神話時代の兵士や、小道具として大砲みたいなものも伺えます。
プリミエのときのスクリーンでは見なかったので、映像等で出たら確認したいところです。

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いやぁ、ネットでこんな素晴らしい上演の音源が高音質で楽しめちゃっていいのかな。
ますます、CDを買わなくなってしまう。
同じメットでは、いま上演中のセガンの「ヴォツェック」がもう聴けちゃったし、暮れのスカラ座のシャイー&ネトレプコの「トスカ」も視聴済み。
オーケストラコンサートもリアルタイムで聴いてます。
かつては想像もつかない音楽を聴く方法の多様化は、音楽産業のビジネスとしての衰退を招いているとは思いますが、そこにあるチャンスもまた多様化していると思います。

 でもね、なんといっても、劇場で観劇するオペラや、コンサートホールで聴くオーケストラやソロには何をどうやっても敵わないということ!
これだけは絶対。
時間や経済的な事情で、いまはよっぽど厳選したものしか行けない自分ですが、そこはつくづく思います!

若い方に言いたい。
あとで後悔しないように、これはと思ったら無理してでも行くべきです。
のちのちの自分の肥やしになることは必然です!

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 しかし、「ばらの騎士」はまったくもって素晴らしい作品。

年齢を重ねるごとに、元帥婦人の想いや行動が深く深く共感できるようになってきた。
男も女もない。
時の刻みが怖いし、いまはいいと思っても、明日は違うのではという不安の積み重ね。
それを克服して、「Ja Ja」で終了させるマルシャリンの強さを理解できるまで、まだ自分は未熟なのかもしれず、若いということなのか、バカなのか・・・・はてさて。

ホフマンスタールとシュトラウス、すごい!

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コメント

当方も諸事情で'04年を境に実演に足を運んでいません。ようやく4~5年前から時間の余裕は出来たのですが、今度は気力体力の衰えの直撃で。

それだけにおっしゃる通り、若き日の様々な体験の大事さは今更ながら身に沁みます。で「ばらの騎士」のこと。実は'74年のクライバー指揮バイエルン国立歌劇場公演も行くつもりだったのですが、直前のNYフィルをバーンスタインとブーレーズ各一回のつもりが手違いでダブルブッキングになり全四回のチケットを引き受けざるを得ず、断念したのです。

それだけに'94年のウィーン国立歌劇場公演は念願でしたし、未だにその甘美な呪縛から逃れられない始末です。その後幾つかの映像に接し、シェンクの古色蒼然たる舞台から時代が動いているのを実感はしますが。それにしても歌手陣に関しては当方が今浦島なのを痛感します。名が記憶にあるのはコジェナーのみですから。

ラトルですがバーミンガム市響で'91(ダフニス全曲)'98年(マーラー7番)と聴きましたが、意欲は分かるもののもっと優秀な楽器=オケならなあとばかり感じました。ところが録音のみですが、ベルリンに行ってからはやりたいことは何でも出来てるはずなのに何を言いたいのか皆目不明な感が。まあ一度も実演で聴けませんでしたが、むしろLSOでの今後がラトルの完成期なのかと。

先年ずっと声楽をやっていて今もアマチュアオペラ団体でバリトンを歌っている二十年ほども下の同窓生と知り合ったのですが、ふと思い同級生でクラシック好きがどのくらいいたかと訊いてみたら皆無との答え。今の二十代ではさて。我々の世代はクラスに2~3人はいたけどなあと嘆息したのでした。コンサートゴアの高齢化も深刻?のようですし、せめて当方も老骨に鞭打ってと思わないでもないのですが…。

投稿: Edipo Re | 2020年1月18日 (土) 08時35分

コンサートやましてオペラに行くには気力が必要ですね。
行きなれているとそんなことはないのですが、しばらくぶりとかになると、ほんとそう思います。

NYPOは、わたくしもブーレーズのペトルーシュカのときに聴きました。
マイスタージンガーとイタリアという面白いプログラムでしたし、臨席するバーンスタインの姿もみました。
 そして94年のシュナイダー指揮のばらの騎士も同様に、わたしも観ました。
ああした伝統的な演出で、このオペラのデビューを飾れたのは幸いでした。
 最近の歌手は、ネット徘徊している影響で、おかげさまで知ることができてます。
ここにもネットの恩恵があると思います。

フィルハーモニアとの初来日のラトルと、ベルリン就任後初の来日のラトルを聴いてますが、バーミンガムは残念ながた聴きもらしました。
おっしゃるように、これからのLSO時代がラトルの真の完成期だと、私も思ってます。
青髭とかをやる今年の来日をなんとか聴きたいものです。

中学生時代は、クラシックが好きなんて、口が裂けてもいえる雰囲気ではありませんでしたね。。。
あらあら高尚なこと、なんてことになってしまってめんどくさかったし、田舎だったのでなおさらでした。
歳を経て、堂々とクラヲタを名乗れるのも、これまた繰り返しですが、ネットの恩恵ですし、そこで知り合った友人な仲間も心強い存在なのです。

投稿: yokochan | 2020年1月19日 (日) 14時20分

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