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2020年2月

2020年2月26日 (水)

ブラームス ピアノ協奏曲第1番・第2番 アシュケナージ&ハイティンク

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こちらは、神奈川県の大井町から見た富士。

ここは、東名高速からよく見えるけど、大きなビルがあって、そこはかつて第1生命のビルでした。

いまは、そのビルは、ブルックスコーヒーが買収して、オフィスビルと、ちょっとしたショッピングゾーンになってます。

逆光なのが残念ですが、夕日のシルエットだけでも美しい富士山です。

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   ブラームス ピアノ協奏曲第1番 ニ短調

         ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調

      ウラディミール・アシュケナージ

ベルナルト・ハイティンク指揮 アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

               ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

       (1981.5 @アムステルダム、1982.10 @ゾフィエンザール)

引退を表明した、クラシック音楽界をけん引した2人の名匠。

もうじき91歳になるハイティンクは、2019年9月に指揮活動から引退。
アシュケナージは、82歳にして、1月にピアノニスト・指揮者から引退。

ともにいろんな演奏会やレコード時代からの数々の音源を通じて、親しんできた演奏家です。

ハイティンクは、1973年頃から、好きな指揮者となり、アバドと並ぶ押しの演奏家となりまして、当時、評論筋からはけちょんけちょんだったのが、そんなことはない、とも思いつつ、やっぱりそうかな?とも若い自分は思ったりもしてました。
でも、コンセルトヘボウと手を携えるようにした、その誠実な演奏が、やがて絶賛されるようになると、わたくしは、我がことのようにうれしかったりもしました。
ハイテインクの初レコードは、コンセルトヘボウとのブラームスの3番。

一方、アシュケナージもピアニストとして、1972年頃からFMを中心に聴き始め、当時はソ連からの亡命者、そしてなによりも、超絶技巧の持ち主と抒情派的な奏者として、大好きなピアニストとなりました。
デッカ(当時はロンドンレーベル)一筋。
初レコードは、ショパンの葬送ソナタがメインのライブ録音盤でした。

 でも、アシュケナージが指揮をするようになってしばらくしてから、わたしのアシュケナージに対する関心は薄れてしまうのでした。
ラフマニノフとかは、よかったんだけどなぁ。
なんか、これは、という1枚が、アシュケナージの指揮にはないような気もします。
いい人すぎるのか、エッシェンバッハのようにオペラもやらなかったし、アクの強さもなかったし・・・

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アシュケナージとハイティンクの共演盤は、このあとにラフマニノフの名盤を残すことになりますが、実演以外での初のこのコンビによる録音が、ブラームスの協奏曲。
ショスタコーヴィチの交響曲の録音に取り組んでいたハイティンクは、コンセルトヘボウで、このブラームスの1番の協奏曲と同時に5番の交響曲を録音してます。

1番は、重厚かつ芳醇なフィリップスサウンドで聴きなれたコンセルトヘボウが、デッカ録音で、どこかテカテカして聴こえて、さらに分離もよすぎて最初に聴いたときに、あれれ?と思った記憶があります。
それほどまでに聴き慣らされてきた、コンセルトヘボウ=フィリップスという音のイメージの強さに感じいった次第だし、レーベルが異なるとこうも雰囲気が変わってしまうのか、というものでした。
その後のショスタコーヴィチシリーズで、自分の中では、デッカの録音するコンセルトヘボウの音を受け入れて、明るさと豊かな響きと克明さを楽しむようにはなりましたが、でも、シャイーとの録音は、あまり好んで聴くものではありませんでした。

そんな前提条件で聴いた、80年代初めの1番はどうもしっくり来ずに、1番の協奏曲への苦手意識も伴って上滑りの気持ちに終始しつつ聴くこととなりました。
でも、アシュケナージのピアノも堂々としてるし、明晰で、音の粒立ちも際立っていて、しんねりもっつりとしたブラームスのイメージから遠いところで、1番を再現した名演だと思いますし、ハイティンクも共演指揮者の鏡として、アシュケナージのピアノにしっくりと噛み合った共感あふれるオーケストラとなってます。
 それでもしかし、曲への苦手意識とデッカ録音の当初のコンセルトヘボウでの録り方がしっくりこない、初聴きときのイメージはいまでも継続中なのでありました。
でも2楽章は、曲としていいな。

同じ、コンセルトヘボウのピアノ協奏曲1番であれば、FM放送でしか聴いてはないけど、ブレンデルとイッセルシュテットの録音の再発を強く望んでおきたいです。

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一方、ウィーンフィルのレコードにおけるイメージは、多くの同年代以上のリスナーがお持ちかもしれませんが、ゾフィエンザールにおけるデッカ録音であることは、共感をいただけることかと存じます。
のちに、DGでのムジークフェライン録音が、全レーベルの録音会場となり、どちらも等しくマイルドなウィーンフィルの音を伝えてますが、数々のオペラ録音や、イッセルシュテット、ショルティ、カラヤン、ベーム、ケルテスなどのデッカのウィーン録音は、やはりゾフィエンザールがあってのものだと思います。

そのイメージそのままの、ウィーンフィルを起用した2番の録音。
ひとことで言えば、ふくよかで豊麗なブラームスがここに聴ける。
当時の、いつものウィーンフィルの音色がふんだんに味わえる喜び。
柔らかなホルンに始まり、ピアノがそれを受けて入ってくる、さらにオーケストラの全奏がこれに応える。
ここまで聴いただけで、アシュケナージのおおらかかつ明快なピアノ、ハイティンクとウィーンフィルののびやかで、やわらかな音色。
そして、広がり豊かな素晴らしい録音。
ブラームスを、ピアノ協奏曲2番を聴く喜びを、ここでもう十二分に味わえ、この演奏がこの曲に相応しく、完璧なものであることがわかる。
初めて聴いた、もう37年も前の若き自分がよみがえるような気がする。
そう、若々しさも十分な演奏でもあるのだ。

2番の協奏曲は、高校時代に大いにはまり、この曲の初レコードだったバックハウスとベームの名盤を来る日も来る日も聴いたものです。
その録音も、同じデッカのゾフィエンザールでのもので、今聴いても、とても素晴らしい音がする。
そして、大学時代に聴いたのが、ポリーニとアバドの録音で、こちらもウィーンフィル。
DGはムジークフェラインで、これまたまろやかな録音で、演奏も若々しい春の息吹を感じるステキなものだった。

バックハウス、ポリーニ、アシュケナージのウィーン録音と、ブレンデルとアバドのものが、2番の協奏曲のわたしのフェイバリットであります。
ギレリスとリヒテル、ゼルキンなど、世評の高い盤は、いまだに未聴です。

ということで、繰り返しますが、1番はちょっと苦手です(しつこいですね)。

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 こちらは毎度おなじみ、吾妻山からの富士で、お正月のもの。

よく見ると、気球が飛んでます、見えるかな?

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ウィルスはおっかないけど、いつかは収束します。

いまは、お家で音楽を楽しむに限ります。

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2020年2月16日 (日)

アンサンブル・ラディアント演奏会 広上淳一指揮

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ほころびだした河津桜。

悲しい音楽家たちの訃報、不安な感染の蔓延、国策への大いなる不満・・・・いろんな出来事が継続します。

しかし、季節は確実に進んでます。

春はやってきます。

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これを聴きに、実家のある神奈川県の二宮町へ。

家と目と鼻の先にある町の生涯学習センター「ラディアン」の大ホールでの演奏会。

このホール開設時に創設された、湘南・西湘地区のアマチュアとプロの奏者たちの皆さんによるアンサンブルがラディアントです。

今年で、ラディアンも20周年、このアンサンブルも20周年です。

年1回のコンサート、ずっと気になっていたけれど、なかなか帰ってくるタイミングに合わず、今回が初の鑑賞となりました。

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  ヴィヴァルディ 「調和の霊感」より第11曲

  バッハ     ヴァイオリン協奏曲第2番

      Vn:白井 英治  長岡 秀子
     Vc:安田 謙一郎

  バルトーク   弦楽のためのディヴェルティメント

  武満 徹    3つの映画音楽

     「ホゼー・ドレス」~訓練と休憩の音楽
     「黒い雨」~葬送の音楽
     「他人の顔」~ワルツ

  アンコール~「ダニー・ボーイ」

    広上 淳一 指揮 (後半)

     アンサンブル・ラディアント
       コンサート・マスター:白井 英治
       賛助出演:長岡 秀子 安田 謙一郎
            Vla 百武 由紀

        (2020.2.15 @二宮町 ラディアンホール)

地元や周辺の方々で満席。
町長もいらっしゃいました。

広上さんの登場は後半。

のびやかなヴィヴァルディ。
次のバッハよりは、このアンサンブル向きかも。
おだやかな二宮町の風土には、バッハよりはヴィヴァルディだな、とほっこりしながら聴いてました。
各パートが、プロの皆さんがトップで引き締まります。
ただ、チェロパートが厚く、ヴィオラパートが薄い、これはアマチュアアンサンブルでは付き物の悩みかもです。
それが、広上さんの指揮が入ると、まったく関係なくなるのが、やはり指揮者という存在の大きさと、広上さんの実力。

リーダー白井さんのかくしゃくたるヴァイオリンソロ。
艶もあってなかなかのもの。
そのお名前と、お顔、聴きながら、わたくしの遥か昔の遠い記憶をたどってました。
高校生のとき、小田原フィルハーモニーのお手伝いをしたことがありました。
打楽器をやらせてもらって、定期演奏会のステージにのりましたが、そのときの、ヴァイオリンのソリストが、当時、読響に在籍されていた白井先生でした。
曲目は、ラロのスペイン交響曲だった・・・・
 そんな風に思いながら、自分の育った町の、自分の育った家の真ん前のホールで聴いた、前半のヴィヴァルディとバッハなのでした。

後半は、広上さんが登場して、そんなノスタルジーに浸っている暇はなくなりました。
そう、緊張感のたぎる、集中力の高い演奏に、わたくしも、おそらくバルトークや武満なんて、日頃は聞いたことがない多くの聴き手も、ステージの演奏に釘付けになってしまったのでした。

バルトークでは、協奏交響曲のように、各首席のソロが腕達者な皆様の見事さもあって、その構成が浮き彫りにされます。
同時に新古典的な簡潔さと、バルトークならではの土臭さ、というかマジャール的な音のウネリが1楽章から湧き上がるのを感じました。
そう、前半と大違いの雰囲気に、ホールの空気もガラリと変わってしまったのです。
2楽章のミステリアスな美しさはこの日の演奏のなかでも白眉のものです。
3楽章も、ハンガリーを感じさせる民族色もよく出ていまして、気合の入った広上さんの指揮のもと、奏者のみなさんは、食らいつくようにして熱の入った演奏を聴かせてくれました。
 とてもいいバルトークが聴けました。

最後は、組曲のように編まれた武満の映画作品。
これもステキな音楽。
ピチカートが楽しかった第1曲。
深刻なレクイエムのような「黒い雨」。
小説で読みました、スーちゃんの演技も映画では素晴らしかった。
そんなことも去来しつつ聴いた、音楽に、そして繊細な演奏でした。
最後は、聴衆を乗せてしまう魅惑の禁断のワルツ。
これも本で読んだ安部公房作品。
デカダンなその音楽、ハチャトゥリアンのあの曲も感じさせながら、でも日本人の気持ちのツボを押さえたようなワルツの音楽。
シンプルだけど、いろいろ意味深な武満シネマサウンドを、広上さんは、わかりやすく、ひも解くように指揮。

会場も大いに沸きました!

最後に、白井さんと、マエストロ広上さんのトーク。
茅ヶ崎ゆかりの出自などを、楽しくお話しされ、会場も大いに親近感がわいたマエストロ。
コバケンさんの、という前触れ付きで、アンコールは、「ダニー・ボーイ」

郷愁とともに、盛り上がりましたね!

来年はなにを聴かせてくれるのかな、いまから楽しみです。
最愛の地元で聴く音楽。
ありがとうございました。

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2020年2月11日 (火)

ミレッラ・フレーニを偲んで ②

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ミレッラ・フレーニ(1935~2020)の逝去を悼み、2本目の記事は、彼女の音源をいろいろ聴いて偲びます。

始めて買ったフレーニのレコードが、これも初めての「ラ・ボエーム」です。
中学生のとき、発売早々に買いました。 
たしか、舞台設定と同じ頃の季節は冬でした。
来る日も来る日も、ミミとロドルフォのアリアと、ふたりの二重唱を聴いてました。
でも、4幕はミミの死が辛すぎてたどり着かなかったです。。。

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  プッチーニ 「ラ・ボエーム」

ベルリンフィル初のイタリアオペラ録音。
そしてDGではなく、デッカ録音というところが当時は話題になりました。
そう、確かにオーケストラの威力は強力で、録音もソニックステージで、分離が鮮やか、かつ擬音もたっぷり入って雰囲気豊かなものでした。

当時好きな子もいたりして、その子をミミにあてはめたりしていた中坊でした。
だから、このフレーニの愛らしいミミが、今に至るまで、私の「ザ・ミミ」なのです。
フレーニのミミは、かけがえのない唯一無二の存在です。
ミミの死は、ほんとうに泣いちゃいます。

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 プッチーニ 「マノン・レスコー」
       「蝶々夫人」

フレーニには、いずれも他に録音がありますが、シノーポリとのこちらが好きです。
いろんな女性の姿を描き続けたプッチーニの各タイトルロールへの想いが、フレーニによって、そのまま歌い込まれてます。
いずれも最後には、命を落としてしまう、気の毒な役柄ばかりだけれども、それゆえに、フレーニの優しくも暖かい歌声が胸にしみます。

あとは、「トゥーランドット」のリュウと、「ジャンニ・スキッキ」のラウレッタがフレーニらしい可愛さを味わえますね。

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 モーツァルト 「フィガロの結婚」

フィガロのスザンナと、「ドン・ジョヴァンニ」のツェルリーナもフレーニの得意のレパートリーでした。

コリン・デイヴィス指揮するBBC響とのフィリップス録音は、活気あふれる快速テンポにのって、快活で元気なスザンナを生き生きと歌ってます。
ベームのフィガロの映像盤では、プライのフィガロとともに、抜群のコンビを組んでますが、そちらは以前にビデオ収録したもののいまや見れませんし、正規盤をいつか欲しいと思ってます。
 そして、アバドがスカラ座時代に上演したフィガロでは、このふたりが入れ替わって、プライが伯爵、フレーニが伯爵夫人ロジーナを歌ってます。
以前にも、こちらのブログでも取り上げましたが、フレーニの伯爵夫人は、あたりを打ち払うような穏やかさと気品にあふれた歌唱で、とても落ち着きがあります。
でも、わたくしたちには、フレーニはスザンナですね。

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 ビゼー 「カルメン」

フレーニといえば、ミカエラも忘れちゃいけませんね。
ファムファタールのカルメンに対して、切なさ一杯の待つ女性、ミカエラをこれまた愛らしく歌ってます。
自分なら、おっかないカルメンなんかから逃げて、こんなかわいいミカエラちゃんを、ちゃんと選びますね。

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 マスカニーニ 「友人フリッツ」

血なまぐさいカヴァレリアのあとに書いたマスカニーニの牧歌的オペラといわれる、ハートウォーミングな愛すべきオペラ。
まだブログで取り上げてませんが、マスカーニのオペラは、レオンカヴァッロ、ジョルダーノとともに、着々とそろえています。
 同郷のパヴァロッティとの共演では、ボエームのそれとともに、抜群の声のコンビネーションです。
他愛もないドラマですが、ここにたくさん散りばめられたアリアの数々は、とても素敵なものばかりで、なおかつ優しいフレーニの声向きのものですから、若きフレーニの瑞々しい、フルーティーな歌声が大いに楽しめます。
こういう歌を聴くと、いまやこんな歌声の歌手はいないな、とつくづく彼女の存在がありがたく感じられるものです。
それは同じく若いパヴァロッティにも言えることです。

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  チャイコフスキー 「エウゲニ・オネーギン」
           「スペードの女王」

チャイコフスキーのこのふたつのオペラもフレーニは得意にしておりました。
スーブレットから、徐々に声に力感も増して、リリコ・スピントの役柄までを幅広く歌うようになったフレーニ。
そんな一環としてのチャイコフスキーのオペラ。
夫君のギャウロウの指導などもあったかもしれません。

タチャーナも、リーザもどちらも、私には理想的な歌唱でして、ロシア風のほの暗さやたくましい歌いまわしとは、まったく隔絶した、透明感あふれるクリーンでクリアな歌です。
西欧側のチャイコフスキーとして、最高の歌であり、指揮者もオーケストラも同様の響きを感じます。
大好きな「手紙の場」を何度もここだけ聴きましたし、いまも聴いてます。
不安と焦燥、そしてそれが情熱へと変わっていくタチャーナの心情をフレーニは見事に歌い込んでます。

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 ヴェルディ 「シモン・ボッカネグラ」
       「ドン・カルロ」
       「エルナーニ」
       「オテロ」

やっぱりヴェルディ。
フレーニの歌うヴェルディは、正統派ソプラノの理想のヴェルディという言葉しかない。
数々の録音あれど、非正規のものもここにあげてしまうほど、そのライブが素晴らしい。
マリア、エリザベッタ、ドンナ・エルヴィーラ、デスデモーナ。

アバドのシモンは、わたくしの生涯の思い出の日本での上演と、完成度の極めて高いイタリアオペラのレコードの最高峰のふたつでフレーニが歌ってます。
父と恋人を愛する純なマリアです。

スカラ座のライブのドン・カルロは貴重な音源で、録音もステレオでよいです。
いつも上演していたメンバーをカラヤンにかっさわれて録音もそちらで行われてしまったので、フレーニ、カレーラス、カプッチルリ、ギャウロウ、オブラスツォワとそろった超豪華キャストは捨てがたいものがありますし、しかも5幕版です。
 ここでのエリザベッタは、気品と悲劇性とが見事に溶け合った名唱であります。
アバドとのドン・カルロでは、あとウィーン国立歌劇場でのFMライブも持ってまして、フレーニがここでも最高、聴衆の喝采が止みません。

 初期オペラに特有の荒唐無稽ぶりが満載の「エルナーニ」でも、夫君のギャウロウと共演。
3人の男性に愛されてしまうという悩み多き女性ですが、初期ゆえにふんだんなアリアと歌の数々がここにあふれてます。
しかも、まだスカラ座就任前のムーティの強靭なカンタービレに乗ってうたうフレーニの歌声は素晴らしいです。

デスデモーナは、カラヤンの正規録音もいいですが、やはりカルロス・クライバーの情熱ほとばしる指揮と、カプッチルリのイヤーゴが聴けるライブ盤でのフレーニがよい。
運命と夫の妄想にもてあそばれる、この悲劇的な役柄も、やはりフレーニ向きで、実に素晴らしい。
終幕の「柳の歌~アヴェマリア」を聴きましょう。
その清らかなフレーニの歌声に、在りし日の、わたしたちの名歌手フレーニを偲びます。

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           スカラ座来日公演 クライバー指揮

フレーニを偲ぶ特集。

最後はミミ。

「わたしの名はミミ」そして、最後の場面を聴いて涙をひとしずく・・・・・

ミレッラ・フレーニさん、たくさんの歌をとどけていただいて、ほんとうにありがとうございました。
これからも、ずっとずっと、あなたの歌声を聴いてまいります。

その魂が安らかならんこと、心よりお祈り申し上げます♰

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ミレッラ・フレーニを偲んで ①

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ミレッラ・フレーニが、2月8日、故郷のモデナの自宅で亡くなりました。
享年84歳。
2月27日の誕生日まで、あと少しでしたが、このところ療養中だったとのことです。
モデナの地元紙の逝去の報です。

こうして、またひとり、わたしにとって思い出深い、いえ、世界のオペラファンにとってもっとも愛すべき歌手が去ってしまいました。

歌手が亡くなるたびに思い、そして書くことですが、その歌声が聴き手の脳裏に完全に刻まれるものですから、引退して久しくとも、現役で活躍していた指揮者や奏者の死去と同等といえるくらいに悲しみは大きいものです。

活躍の名前を見なくなってしまった歌手たちが、いままだ健在かな?どうしてるかな?などと、ときおり検索したりしてます。
そんななかのひとりが、フレーニでした。
わたしを導いてくれた、まだちょっと気になる歌手たちが何人も思い浮かびます。

フレーニは、多くの舞台、指揮者たちにひっぱりだこだったので、その音源もたくさんあります。
そのオペラの代表的な演奏にもなっているので、私もたくさん持ってます。
そして、何度かその舞台にも接することができ、小柄で、チャーミングな所作も、その歌声とともに、しっかりと記憶にとどめてます。

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こちらは、モデナのオペラハウス、パヴァロッティ・モデナのフェイスブック。
同郷の幼馴染みのパヴァロッティの名前を冠したハウスです。
Ciaoは、こんにちはの挨拶ばかりでなく、バイバイとか、さよなら、とか親しみを込めたお別れの挨拶にも使われます。

往年のカラスやテヴァルディが大歌手と呼ばれ、スターダムにあり、ゴシップも噂されたりしたのに比べ、フレーニは、常に親しみやすい存在として、わたしたちのお姉さんてきな存在で、大歌手と呼ぶよりは、親しみを込めて「名歌手」と呼ぶに相応しい存在でした。

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こちらは、スカラ座のFacebook。

お宝画像のような1枚。
これは、ヴェルディのレクイエムの演奏後のものでしょうか。
ご主人のギャウロウ、パヴァロッティ、オブラスツォワ、そしてアバドも、みんないまごろ天上で楽しくしていらっしゃるのでしょうか・・・・

アバド、フレーニ、ギャウロウ、カプッチルリ、パヴァロッティは、みんな仲良しでファミリーのようでした。

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世界中のオペラハウスが、フレーニの逝去を偲んで続々と報じております。
こちらは、ウィーン国立歌劇場。
エリザベッタを歌うお姿でしょうか。

ヴェルディとプッチーニを軸に、モーツァルト、ベルリーニ、ドニゼッテイ、グノー、そしてチャイコフスキー。
ドン・カルロのエリザベッタにおける気品と悲劇性は、いまもって、フレーニを超える歌唱はありません。
もちろん、ミミも!

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1981年のスカラ座の来日における「シモン・ボッカネグラ」のマリア。

アバドの指揮にドキドキしながら釘付けでしたが、この作品を、その5年前のNHKイタリアオペラでも接し、熟知していた若きワタクシです。
カプッチルリ、ギャウロウの強力男声陣に、ひと際咲いたフレーニのひたむきな歌唱にしびれました。
ストレーレルの名舞台、船の前で歌うこのフレーニのアリア、忘れられない1シーンであり、彼女の歌声です。

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ウィーン国立歌劇場の1986年の来日公演。
鮮烈だったシノーポリの指揮。
巨大なNHKホール、小柄なのに、その魅力的な声ですみずみにまで満たしてしまう、その声量と真っ直ぐなストレートヴォイスに驚きだった。
奔放さと、明るい無邪気さ、そして薄幸のマノンを見事に歌い込んだフレーニでした。

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擦り切れるほど聴いた、フレーニの参加したヴェルディのレクイエム。
カラヤンとアバド、ふたりの指揮者に愛され、多くの共演があります。
カラヤンの1度目の録音は、派手さはなく、意外と渋いですが、さすがはベルリンフィルという威力があります。
アバドのこれも1度目は、なんといってもスカラ座のオケと合唱のすばらしさと、アバドの求心力の強さ。
そして、いずれも真摯なフレーニの歌には、癒しさえ感じます。
彼女の最後の言葉、Libera me がしみます。。。

追悼第1の記事は、このあたりで筆をおきます♰

Chaio Mirrela Freni !

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2020年2月 9日 (日)

ブリテン セレナード ピアーズ&ブリテン

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冬の海の夕暮れ。

相模湾に遠くの伊豆半島。

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  ブリテン セレナード

        ~テノール独唱、ホルン、弦楽のための~

   T:ピーター・ピアーズ

   Hr:バリー・タックウェル

  ベンジャミン・ブリテン指揮 ロンドン交響楽団

       (1963.12 @キングスウェイホール、ロンドン)

深い絆で結ばれたブリテンとピアーズ。
歌手ピアーズがいなかったら、ブリテンの数々のオペラの名作や、多彩な声楽曲はこれほどに生まれなかったかもしれない。

そんなピアーズと、伝説級のホルンの名手デニス・ブレインのために書かれた作品が、ホルンとテノールと弦楽のための「セレナード」。

この作品は、美しく、そして怜悧なクールさも秘めた、月の浮かぶ冬の夜空のような名曲だ。

フランク・ブリッジにその才能を磨かれ、シンプル・シンフォニーで作曲家として認められた若きブリテンは、ピアーズとも知り合い、お互いに平和を希求する心を高めあっていった。
その気持ちに沿うようにして、ふたりは戦雲を立ち込めつつあったイギリスとヨーロッパから脱出するように、アメリカに渡り、そこで作曲活動をするようになった。
 このアメリカ時代は、1939年から1942年で、ブリテンのこの活動は、イギリスでは、良心的兵役拒否として認められるところとなった。

帰国後の1943年に書かれたのが、「セレナード」で、そのあと「ピーター・グライムズ」「ルクレツィアの凌辱」など、数々の作品の創作の森に踏み込んでいくのでした。
作曲年に、ロンドンにて、ピアーズとブレイン、ワルター・ゲールの指揮により初演。
このゲールという指揮者は、シェーンベルクの弟子で、ユダヤ系であったため、イギリスに渡り、同国とオランダにて活躍した人。
会員制のレコード頒布組織のコンサートホールに加入していたので、その名前はよく見て覚えていたし、協奏曲のレコードなどいくつか持ってました。

8曲からなる連作歌曲集で、その8曲のうち、曲の冒頭と最後の8曲目は、ホルンのソロだけ、という極めてユニークかつ印象的な構成になっている。
全編に際立つ名技性を伴ったホルンの活躍、技術的なことはわかりませんが、自然倍音だけで奏されるソロだけの部分は、夜のしじまに鳴り響くエコーのようで一度聴くと、耳にずっと残って忘れられないものがあります。
またテノールの音域とホルンの音色の絶妙なブレンドの妙と掛け合いの巧みな筆致。
あと、弦楽器の背景色のパレットは、各曲の詩の内容を描きだすようなブリテンならではの、雄弁さと淡さを感じる。

そして主役のテノールは、熱くもあり、情熱を感じる一方で、どこか醒めたような立ち位置から英国の風物を歌うような風情がある。
このあと書かれるあの没頭的な「ピーター・グライムズ」の主役のテノールとはまた違う、クールなテノールの歌曲集に思う。

英国詩を代表する詩人たちの作品をそれぞれ選択。
①プロローグ(ホルンソロ)②パストラール(チャールズ・コットン)③ノクターン(アルフレッド・テニスン)④エレジー(ウィリアム・ブレイク)⑤追悼の歌(作者不詳)⑥讃歌(ベン・ジョンソン)⑦ソネット(ジョン・キーツ)⑧エピローグ(ホルンソロ)
自然、四季、死と祈りなど、英国の市井に即した詩たちです。

繊細かつ知的な抑制も効いたピアーズの歌。
作品と恐ろしいまでに同化している。
それと、タックウェルの艶やかな音色と、難しさを感じさせない技巧の冴え。
初演者のブレインは、1957年に交通事故死してしまったので、この作品のステレオ録音は残せなかった。
それを補ってあまりあるタックウェルの本盤の演奏のすばらしさです。

そのバリー・タックウェルも、先ごろ、2020年1月16日に亡くなってしまいました。
オーストラリア出身で、ロンドン響の首席を長く務めた名手、晩年は指揮者として活動してました。
ブレインとタックウェル、そして、アラン・シヴィルは、ほぼ同じような年代で、ロンドンのオーケストラに咲いたホルンの華でありました。
そうそう、シヴィルは、ビートルズの曲でもステキなホルンを吹いてました。

タックウェルの追悼もかねて、取り上げたセレナード。
ブリテンには、同様のオーケストラ付きの歌曲として、あと「イリュミナシオン」と「夜想曲」がありまして、それらもいろんな音盤で聴いてますので、いずれまた取り上げることにしましょう。

Umezawa-02

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